第一話 男と少女
一人の少女が蹲っていた。
少女は右耳を押さえて、ガタガタと震えていた。 それは怖さと、痛みからくる震えだ。 細い指の隙間から鮮血がポタポタと零れ落ちて、床にシミを作った。
その少女はとても可愛らしい見た目をしていた。 亜麻色の美しい髪は艶があり、よく手入れされているのがわかる。 小柄で腕も細く、肌はまるで磁気のように澄んでいて曇りがない。 そんな可愛らしい少女は恐怖を目に宿して、目の前にいる男を見上げた。
「なんだ、そんなに怖がらなくてもいいだろう」
男はそう笑って、少女に近づいた。 そして彼女の前に来ると、片膝を付いて目線を合わせる。 少女はビクリと肩を震わせた。 この男はたった今、少女に傷を負わせた張本人だ。
可愛らしい少女と正反対で、この男は身体付きが逞しい。 黒い髪は地面につきそうな程長く、その髪をただ無造作に流している。 身長は二メートルを超え、頭から鋭い黒のツノが生えている。 鍛え上げられた体躯をしていて、彼が歴戦の戦士であることは見ただけでわかるだろう。
「なあ、ホムラ?」
「だ、だっていきなり……!」
「事前に言った。 ビビってお前が飛び跳ねたから血が出たんだぞ。 傷、見せろ」
「痛くしません? 大丈夫ですか?」
「早くしろ」
男はホムラの細い手首を掴んで手を外した。 ガーゼで血を拭き取って、傷口に薬を塗り込む。
「どうだ」
「スーッてします……。 ありがとうございます、カイエンさん」
「そりゃよかった。 ったく、余計な手間かけさせやがって」
「ごめんなさい……」
「謝ったり礼を言ったり忙しいやつだな。 そんな暇があるなら汚れた服を脱いで着替えろ。 いつまで血に汚れた服を着ているつもりだ? お前の髪に血が少しでも触れてみろ、俺の努力が水の泡だ」
「は、はい!」
カイエンにそう言われて、ホムラは立ち上がって自室へ戻っていった。 カイエンは床に落ちたホムラの血に指先で触れて、それを眺めた後に布で綺麗に拭き取った。
ホムラ、彼女は血魔と呼ばれる稀少な種族だ。
血魔は血を吸い、その血を吸った相手の生命力を増幅させる。 死にかけの相手でも、血魔に血を吸ってもらえば回復する。 そのため、奇跡を与える存在だと言われていた。 稀少な種族だったため、利用され続け、そして最後には「鬼狩り」に合い、ほとんどが殺されてしまった。
確かに血魔は鬼族と同じようにツノが生えているが全くの別物だ。 間違えるなど素人のすることだが、そのせいで血魔はホムラを一人残して絶滅してしまった。
命がけで逃げ出したホムラを拾ったのが、カイエンだ。
カイエンは身の丈を越す大剣を背中に担ぐと、ドスドスと玄関へ向かう。
「カイエンさん? お出掛けするんですか?」
ホムラがこちらへ駆け寄って来て首を傾げる。 カイエンは彼女の右耳を見て目を細めた後、玄関の棚に置いてあった薬箱の中からガーゼを取り出した。 元々は傷と血だらけで帰ってくる自分のために置いていた薬箱だが、最近は使う頻度も減っている。
薬を塗っても未だに血が滲み出していた右耳にガーゼを貼り付けて、カイエンはホムラに自分がつけていた橙色のピアスを渡した。
「血が止まったら付けろ」
「え……」
カイエンは大柄で、身体中傷だらけの男だ。 彼は耳に幾つもピアスを付けていて、ホムラはそれをいつも興味津々に見つめていた。
そのことを知ったカイエンは、きっとホムラはピアスを付けたがっているのだろうと考え、耳に穴を開けてやった、というわけだった。
「あ、貴方のを、いただいてもいいんですか……?」
ホムラがカイエンの右耳を見た。 確かにピアスが一つ足りていない。 今自分が持っているものが、元々はあの場所についていた。
「嫌なら別の物を買いに行くまでだが、不服か」
カイエンが無愛想に言うと、ホムラはぶんぶんと首を振った。
「いえ、貰います…………。 えっと、それで今からどこへ? お買い物ですか?」
「そんなお気楽なもんじゃねえよ。 呼び出されたんだよ、連邦軍にな」
「え、どうして……?」
「わかんねえから行くんだろ。 お前は相変わらず能天気だな」
「私も一緒に行きます」
「はぁ……。 好きにしろ」
ピアスをポケットに入れて、ホムラは急いで靴を履く。 外に出れば良い天気だった。 カイエンは日差しにうんざりとしながら、ホムラの羽織っているジャケットのフードを彼女に被せた。
「まだダメなんですか……?」
「まだじゃない、ずっとダメだ。 お前が血魔だなんてバレてみろ。 殺し合いで解決しない面倒ごとは嫌いなんだ」
聡い人間は見ただけでホムラが血魔だとわかるだろう。 血魔は稀少で、喉から手が出るほど欲しがっている物好きが多い。
「顔を見せるな、俺に面倒をかけるな。 いいか?」
「はい」
ホムラはしっかりと頷いた。 カイエンは彼女を片手で抱きかかえる。
移動するときはいつもこうだ。 カイエンの歩幅は大きいので、ホムラがどうしても遅れてしまう。 それが面倒で、二人で移動するときはカイエンがホムラを抱いて移動をしている。
「もうすぐフェトゥなんですね……。 ポスターがたくさん貼ってあります」
「行きたいのか」
「いいえ……。 あまり、知らない人と会いたくないです。 でも、美味しい食べ物は気になります」
「もし暇があれば、食い物だけでも買ってきてやろう」
「本当ですか!? ありがとうございます、カイエンさん!」
年相応にホムラが喜ぶので、カイエンはそれを鼻で笑った。 連邦軍の所有するビルに行く間、二人は他愛もない話をした。 どれも一方的にホムラが喋り出して、カイエンは適当に相槌をうって聞き流す。 しばらくすると、ホムラが喋らなくなるので、カイエンは下を見る。
「んだよ、ついてきておいて寝てんのか。 いい度胸だな」
カイエンはそう言って、彼女を両手で抱き直す。 片手だと、寝ているホムラが、カイエンの首に抱きついている腕の力を抜けば簡単に落ちてしまう。 横抱きにしてしまえばホムラが寝ていても落ちることはない。
なんだかんだ冷たい態度を取るが、カイエンはホムラのことを気にかける。 拾って来たばかりの頃は彼女にイラつき、何度か殺そうと思っていた。 捨てることさえ考えた。 だが結局、もう彼女はカイエンにとっていなくてはならない存在だ。
「別に小動物を飼う趣味も愛でる趣味もなかったんだがな」
何度か「どうして一緒にいるのか」と尋ねられる事もあった。 だがホムラもカイエンもその事をあまり語りたがらない。
ビルに着いたカイエンは、すぐに応接間へ案内された。 そこで待っていたのは連邦軍の総帥だった。 いかにも偉そうな老人を見て、カイエンはソファに座ることもせず、ドアの前で立ったまま笑う。
「で? 連邦のお偉いさんが俺に何のようだ?」
「君がどちらに付くのか、それをはっきりさせるべきだと思っている」
「へえ。 連邦側に来いとでも言いたいのか?」
今、この世界では大きな戦争が起こっていた。
連邦とアルカルト。 その二つが互いの理想のためにぶつかり合っている。
連邦は人間の組織で、人間の住む国々で作られている。 対してアルカルトは、異種族と言われる人間以外のものが集まる組織。
きっかけは長年積み重なった、種族間の差別だった。 人間は異種族を差別し続けてきていた。 それに反旗を翻したのがアルカルトだ。
「人間に手を貸せと? 俺は龍だ。 今はどちらにも属していないとはいえ、何十年か前は人間を殺して、お前達の血を浴びていた」
カイエンは龍の末裔だ。 なのでアルカルト側に近いのだが、彼は今はどちらにも属していない。
戦闘狂の彼は、どちらかに属して仲間と戦うことなど面倒くさくてたまらないのだ。 殺すなら全員殺す方が楽だ。
「悪いが俺はどちらにも入らない」
「そうか、ではその血魔は我々の元に来てもらおうか」
総帥がホムラを指差す。 カイエンは眉を顰めて、ホムラを抱く手に力を込めた。
「はあ?」
「君が選ばないのならばいい。 だがその血魔は選ぶ必要がある。 血魔は稀少だ。 利用される前に丁重に保護せねばならん。 その血魔と共に生きることを選ぶのならば、君はどちらを選択すべきかわかるだろう」
なにが保護だ。 とカイエンは舌打ちをした。
どうせ血魔の力を利用するだけだ。 そうされてきた血魔を今まで何度も見てきた。
通常、血魔は生涯で一人だけの血しか吸えない。 しかし、疲弊した兵を回復させるためには、大勢の血を吸ってもらわなければならない。
だから、人間は血魔を一生飼い殺した。
一人だけの血しか吸えない血魔に、薬を与え続け、吸った血を吐かせた。 血が抜ければまた兵の血を無理矢理吸わせ、また薬を与えて、その繰り返しだ。
カイエンは腕の中で眠っているホムラを見て、隠せない苛立ちを募らせて総帥を睨みつけた。
「そもそも、君が血魔を付き従えていることなど間違っている。 大罪を犯した龍。 龍の姿を封じられた愚かな一族のその末裔。 戦うことでしか己を見出せない狂った君が、血魔を付き従えて何になる? その血魔にとっても、君より我々の元に来る方が幸せだと思わんか?」
「思うわけねえだろ」
カイエンは吐き捨てるように言った。 そして老人に近づいて、高級そうなテーブルを蹴り飛ばした。 テーブルはものすごい勢いで飛んでいき、壁に穴を開けて隣の部屋を瓦礫と化した。
男はカイエンを見た。 暗い灰のような色をしていた髪が、今は全てを燃やし尽くすような赫に染まっている。
懐炎、またの名を灰炎。 封じられているにしても、彼は龍だ。 怒りを露わにすると、全てを灰に帰す様な赫に染まる。
「人間如きが俺を煽ってなんになる? コイツを保護してなんになる? 言っとくが、コイツは血魔だぞ。 例えコイツが戦いに慣れてなかろうが、人間など一捻りだ。 あらゆる種族の頂点に立っていた血魔を、お前が扱えると思うな」
二つの尻尾をバシン! とうねらせて、カイエンは続ける。
「コイツのために選ぶんだったら俺は迷わずアルカルトを選ぶ。 あっちには馴染みの連中も大勢いる。 それに俺は元【ヴェルメ】の一員だ、誘われても連邦軍になんて入るわけがねぇだろ。
返事はこれでいいだろう? さっさとこの国から出たいんでね」
「ま、まて!」
「あ?」
「その血魔がどちらを選ぶか聞いていないだろう」
老人の言葉にカイエンは声を上げて笑ってしまった。 「やはり、人間は浅はかで愚かな生き物だ」と吐き捨てる。
「あいにく、俺の番いは今ぐっすりと寝てんだよ。 お前は、俺の妻を起こしてまで答えを聞きたいってのか?」
カイエンの言葉に、男は目を見開いた。
「つ、つがい、だと……?! だとしたら、まさか……!」
「知ってるだろ? 龍の愛憎はとんでもねえって。 ちゃんと逆鱗も飲ませた。 血だって俺のを飲ませてる、毎日毎晩、丁寧になァ。 お前は、俺の番いを保護して何をするつもりだったんだ? ん? 言えよ、ほら」
男は顔を青ざめさせて、そして悔しそうに舌打ちをした。 カイエンはもうどうでも良くなって、男に背を向けてドアを蹴り開ける。
「ああそうだ。 一つ言っておくが、お前は俺のことを、龍の姿を封じられたって言ったよな? あれは間違いだ。 その気になりゃいつでも封印なんて解ける。 それくらい雑なもんだったぜ、人間サマの封印術は。 何なら今から封印を解いて、種族の頂点に立ってやってもいい。 この血魔なんぞ、足元に及ばんくらいの力で、連邦軍など捻り潰せる。
それをなぜやってないのか、よくその老いぼれた頭で考えるんだな」
彼はそれだけ言って、その場を後にした。
◇
カイエンは仮の家には帰らず、そのままの足で国を出ることにした。 アルカルトに所属している国まではそう遠くない。 行き交う人すらいない田舎道を歩きながら、カイエンは腕の中にいるホムラに、ため息混じりに声をかける。
「いつまで寝たフリをしてるつもりだ?」
するとホムラはビクッと動いて、おずおずと瞳を開ける。
「……いつ頃から知ってたんですか?」
「最初からだ。 ま、大方起こしたのは俺のせいか?」
テーブルを蹴り飛ばした時の音で、ホムラはすでに起きていた。 大きな音や怖いものが嫌いなホムラは、あの音で飛び起きたのだが、状況を見て寝たフリを続けていたのだ。
「私、連邦は選びません」
「知っている」
鬼狩りから逃げ出したホムラは、連邦軍に捕まっていた。 その連邦軍達からも逃げて、逃げた先でカイエンに拾われたのだ。 だからホムラは連邦軍に恐怖を抱いていて、カイエンもその事は十分知っていた。
「……あの、逆鱗なんていつ飲ませたんですか?」
「あ? 嘘に決まってるだろ」
「ですよね……。 龍の姿になれないんですから」
カイエンは龍の姿になれない。 封印を自分の意思で解いていないのだから当たり前のことだ。 そして龍の姿になれないのならば、鱗を取る事だって出来ないはずだ。
その場の勢いでまんまとひっかかってくれたあの老人に感謝せねばならない。 カイエンはホムラの被っていたフードを外す。
彼女を血魔だと決定づけるもの、それは特徴的な瞳だった。 左眼に入り混じるその色は、カイエンの瞳と同じ色だ。 血魔は一度吸ったその相手の血を一生吸い続ける。 相手の色を宿すことで、自分にはすでに血の契約者がいると表しているのだ。
カイエンは彼女の目を見つめて笑う。
「お前はもう俺のモノだ。 それだけは心に刻んでおけ」
「分かってますよ……」
ホムラは頷く。
「あの、聴いてもいいですか? 封印を簡単に解けるんだったら、どうしてカイエンさんはそれをやらないんですか? 連邦に所属する国の一つや二つ、簡単に滅ぼせると思うんですが……」
「あー、簡単な話だ」
カイエンはさも当然のように言う。
「めんどくさいだけだ」
「……聞いた私が、バカでした」
ため息を吐いて、まだ見ぬ地、アルカルトの拠点を想像しながら、ホムラは思う。
フェトゥの美味しい食べ物は、結局食べられなかったな……と。