金環日食
歌が好き。声に出して歌うのも、聞くのも、身体で表現をするのも。
「……表現力はあるよね」
「ミュージカルみたいな雰囲気だった。流石演劇部というか……」
「歌にオリジナリティがある感じかな……」
いっその事ハッキリと言ってくれ。音痴だね、と。
仲の良いグループとカラオケに行っても微妙な反応をされ、自宅で鼻歌を口ずさめば家族の手は止まり聞こえないふりをしながら黙々と手の動きを再開する。姉からに至っては「気持ち悪い」とさえ言われる程だ。
中学3年生の秋。受験に向けて部活動を引退し入試対策をし始める頃、合唱コンクールなど呑気な行事が行われる。歌うことは好きだし、他のクラスの合唱を聞くのも好きだ。
けれど、自分の歌声のせいで微妙な雰囲気になるのは嫌い。
演劇部だからという理由で声量があるだけでなく歌も上手そうというイメージを持たれがち。で、披露すると傷つけまいとする気遣いがひしひしと伝わり結局ダメージを受ける。合唱の練習では他の女子達に紛れて蚊の鳴くような声で唄うしかない。裏声で声を出してるすれっすれの声量で、ハモリに良からぬ影響を及ばさぬ様に。
だけど、
「詩って本当に歌上手いよね!」
「流石、合唱部元部長!」
一方で私とは真逆に歌唱力抜群のクラスメイトがいる。
水越詩、歌唱力だけでなくモテ力もクラス1、いや、学年1位のTheヒロインである。髪は肩より少し長くてふわっとしていて、顔もおめめが大きくて愛らしいし、身体は細いし、極めつけに性格も清楚系で穏やかだしモテないわけがない。今日も彼女の歌声を聞いてクラスの女子達が彼女を囲む。
「ありがとう」
「高校は栄蘭の声楽科を受験するの?」
「うん、第一志望」
「詩なら絶対に受かるよ!」
「ありがとう、頑張る」
なんと模範的な受け答え。私だったら「受かるといいけどねぇ」と言ってしまう。落ちた時に惨めになりたくないから、人生のハードルは常に低く有りたい。
「ねぇ、あかり」
水越さんに視線を向けている途中、不意に隣から声をかけられて我に返る。
「あかりは栄蘭の演劇科に行くの?」
聞いてきたのは仲良しグループの一人、文乃。
「あ〜、まだ受験どこにしようか決めてなくて」
「そうなんだ。てっきり演劇の方に進むのかと思ってた」
学校案内の冊子に書かれていたある一言で躊躇っているなんて恥ずかしくて言えない。【ミュージカルの発表にも力を入れている。】歌が必須のミュージカルなんて私には出来っこないなんて。自分の偏差値に見合った高校へ行って、部活動で演劇に携わればそれで良い。それで、いいんだから…。
「ただいま」
「おかえり〜」
帰宅をすると居間でテレビをつけながら洗濯物を畳む母が迎える。夕方のワイドショーが流れていた。スリムなお天気お姉さんが目を見開いて解説をしている。
「いよいよ明日ですね! 金環日食! 日本列島のほとんどで観測出来るのが平安時代以来とも言われる貴重な現象です。太陽、月、地球が丁度一直線に並んだ際に、太陽にすっぽりと月がはまって、丸いリングのように見えるんですね。観測出来る時間が関東地方ですと8時頃と予測されております」
「へぇ、明日登校するときに見れるんじゃない?」
父のトランクスをテレビを見ながら雑に畳む母。
「そうだね、早目に出ようかな」
「私もベランダから見れるかしら、方角的に」
スッと座って私も洗濯物を畳む。
「そこの駐車場に行けば確実じゃない?」
「ああそうねぇ。花火みたいにね」
「そうそう」
二人で畳めばあっという間に片付く。テレビを見ながらだから出来栄えは置いといて。
「ありがとう。お夕飯の支度しちゃうわね」
「うん」
母のゆるい感じも好きだ。去年や一昨年はこのゆるさ加減に無償に苛々したけれど、やっぱり好きだなって思えるようになってきた。
演劇部の本番は必ず来てくれた。
全国大会が新幹線で行く距離で行われるとしても、必ず。学校内の小さな公演も来てくれた。私が役者として舞台に立たず、照明スタッフとして携わる時でさえもだ。
「楽しかったわ〜」
感想はただそれだけ。一年生の頃はそれを聞いて「は?」ってなったけれど、舞台経験を積んでいくうちに観客に楽しいと思えるのがどれ程難しいことかと考えさせられるようになってきた。母の言う「楽しかった」が「難しいことを良くできたわね」と同じ意味のように受け取ることが出来るようにもなった。ただ、お母さんがそこまで考えているのかは謎だけど。
「あ、今日郵便局で上園先生にお会いしたのよ」
「えっ」
台所で料理をするお母さんの言葉に思わず身構え、正座になってしまう。引退しても尚、その名前を聞くと心臓が跳ね上がりそうだ。鬼顧問、上園清恵先生の名を。
「地区大会の上演許可使用料を払いに来たって仰ってたわ。そんな時期よねぇ」
地区大会。市内のどこかの中学校で行われる演劇部の大会である。地区大会を突破すれば県大会に進み、その後関東大会、そして全国大会へと上演を重ねていく。私の学校の演劇部は強豪校で県大会まで進むのは朝飯前。上園先生の指導は正に鬼のようだったけれど、
「先生ってすごいよなぁ。演出もして、先生もするんだから」
引退した今だから素直に思える。在籍中は何度も何度も先生に暴言を吐いたことか、心の中で。実際に口に出せば自殺行為に等しいから、先生の前では歯向かったりなどしなかったけれど。
「そうね」
やはり母の返事は一言だけで、包丁で切る音がリズミカルに聞こえてきた。私は自分の洗濯物だけを持って自室へと行く。
翌朝、いつもより早く目を覚ます。パジャマから制服に着替え、換気扇の音がする台所へと向かった。
「おはよう」
「あらあかり、おはよう。あと少しでお弁当出来るから朝ご飯ちょっと待ってて」
「うん」
居間のローチェストの前に座ってテレビをつける。どのニュースも金環日食で持ち切りだ。子ども向け番組だけが変わらず独自の内容を放送している。
「はい」
「ありがとう」
目玉焼きとウインナー、それからトースト。毎朝の定番メニュー。世間は珍しい宇宙現象で賑わっているが、今日も我が家は通常運転だ。
いつも通りの時間に食べ終え、歯磨きをし、髪を梳かして耳の下に二つ結びをし、リュック型の通学鞄を背負って玄関へ。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
台所から張り上げた母の声に送り出され、今日も一日が始まる。
普段よりも人通りが多い。
広い砂利の駐車所には下じきらしき薄い板を持っている人たちが空を見上げていた。
白い太陽。
「お、欠け始めて来たぞ」
マンションの廊下、公園、太い通り…至る所で人が立ち止まって空を見上げている。
そして、校庭でも。
生徒だけでなく先生たちも金環日食を待ち遠しそうにしていた。
「お〜い、肉眼で見るんじゃないぞ〜。シート持ってないヤツは貸してやるからな〜」
理科の富山先生がシートを何枚か持ち歩きながら声をかけている。
みんな校庭にいるのか…。
ふとある考えが過ぎる。
今音楽室は無人なんじゃないか、と。
夏に部活動を引退して以来、発声練習もしていない。腹から声を出していないのだ。毎日毎日、定期テスト前以外欠かさずしていた発声練習でさえも恋しい。
また芝居がしたいな。
音楽室は4階。階段を一段一段上がっていく。
階が上がるにつれて、校庭のざわついた声から遠退いていく。吹奏楽部や合唱部の朝練の音も聞こえない。上へ行くほど人の気配が薄れていく。
駆け上っちゃおう!
注意をする先生もいない。すれ違う同級生もいない。
一段飛ばし!
階段を片足で着地する音がいつもより響く。上がれ、上がれ。息が弾む。ああ、体育以外で身体を動かすなんて久しぶりだ。スカートが揺れる、私の心の中のように。
目的の場所に着き、ガラガラと音がする引き扉を開けば無人の音楽室が視界に広がった。
電気をつけなくても朝日で十分明るい。小さな埃が幾つも舞っているのもよく見えた。
スッスッと上履きが木製の床を擦らせる音をさせながら、グランドピアノに向かって歩く。蓋を開けるとワインレッドの鍵盤カバーが被さっていて、そっと持ち上げて畳んで端に置いた。ぶわっと光の中で埃が舞い上がる。
ド。
とりあえず弾いてみた、人差し指で。
「んー」
ハミング。唇を軽く閉じて、息を振動させ、音を出す。鼻の下がむずむずとくすぐったくなる。
ああ、この感じ、久し振り。引退してまだ1ヶ月しか経っていないのにひどく懐かしく感じる。
役の人物として舞台上に生きるのも好きだけど、発声練習だけでもこんなに恋しいと思うなんて。
ドレミファソラシド。
恐らくハミングの音程は合っていない。でも、それでもいい。鼻から息を出しては腹に息を貯め、また声と共に息を吐く。生きている。大袈裟かもしれないけれど、私にとって演劇が生き甲斐なのかもしれないとつくづく思う。
ガラガラッ。
音楽室の引き戸の音。ハミングをすぐにやめて入り口に視線を慌てて移す。
立っていたのは水越詩。
「あ」
あの音痴なハミングを聞かれたのだろうか!? しかも歌ウマな水越さんに。
私の心の動揺を煽るかのように歓声が上がった。
街から、校庭から、一斉に感動の声が湧き上がる。
太陽、月、地球、そして私、水越さんが一直線に重なった。
宇宙が織り成す奇跡の金色のリングが光り、音楽室の窓に届く。
一直線に繋がった光の輪は壁を突き抜けるほど輝き、私と水越さんまでもが遥か彼方まで光に運ばれて行った。
どこまでもどこまでも。
数ある作品の中からご覧下さってありがとうございます!
ちょっと短めの連載です。
既に何話か書き溜めてはいるのですが、2、3日ごとに更新をしたいと思っています。
恋愛要素を少しだけ取り入れた青春作品。またご覧いただけたら幸いです。