女の子をドキドキさせる方法
「俺、女の子をドキドキさせる方法が知りたいんだ。だから、ちさちゃん。教えてくれる?」
ぱちんと両手を合わせて私にそう頼んできたのは、同じクラスの大五郎だった。
人目を忍ぶように声をかけてくるから、何かと思えば……。
もうすぐ最終下校時刻ということもあって、放課後の教室に私たち以外の人はいない。
夕日色に染まる床には二人分の影が伸びている。背が高くがっしりとした体型の大五郎の影と、それと比べたらずいぶん小柄な私の影。
その影を眺めながら、私は軽くため息をついた。
他の男子だったら「そんなの知らない」とすぐに拒否するんだけどね。
残念なことに、私は大五郎に借りがあるのだ。
この高校に入学したばかりの頃、ひとりぼっちだった私に一番最初に声をかけてくれたのが大五郎だった。まるで昔からの友達みたいに話しかけてくれて、すごくほっとしたのを覚えている。
私がクラスになじめるようになったのは、この人懐っこい大五郎のおかげ。
彼には本当に感謝している。だから、彼の頼みごとだけは断れなかった。
「女の子をドキドキさせる方法、ね……」
私が呟くと、大五郎が期待を込めた眼差しでこちらを見つめてくる。
いや、そんな目で見られても困るんだけど。私、恋愛経験とか全くないし。
まあ、ここは無難に、漫画や小説でよく見かける方法でも言ってみようか。
「とりあえず『壁ドン』とか? 壁を背にした女の子の正面に立って、その背後の壁に手をついて追い詰める……ってやつ」
「なるほど?」
「……実践してみる?」
「お、やるやる! えっと、こう?」
バンッという、耳が痛くなるほどの衝撃音とともに、頬に風圧を感じた。
「ひっ?」
「あああ、痛っ!」
なんでこの状況で壁を全力で殴るの! 信じられない!
私は激しく鳴る心臓を押さえながら、大五郎をじとりと睨む。
大五郎はというと、涙目になって手をさすっていた。よく見ると、手の皮が少し剥けてしまっている。
いや、どれだけ力を入れて壁ドンしてるの……?
呆れながらも、私は鞄からばんそうこうを取り出して、彼の手に貼ってあげた。
まったく、世話の焼ける人だ。
「ありがとう、ちさちゃん。それで、あの、ドキドキした……?」
「ドキドキしたかと聞かれたら、まあドキドキはしたよ。生命の危機を感じるタイプのドキドキだったけど」
「なっ……! 違うんだ、俺が求めてるドキドキはそういうんじゃない……!」
でしょうね。そんな気はしてた。
私は遠い目をしつつ、次の案を出すことにする。
「『壁ドン』がダメなら、『顎クイ』かな? 男の子が女の子の顎に指を添えて、クイッと持ち上げる……ってやつ」
「なるほど?」
「……実践してみる?」
「お、やるやる! えっと……」
と言いながら、大五郎が手を素早く振り始めた。
なんか、シュッシュッと風を切るような音がしている。
「ちょっと待って、大五郎。何やってるの?」
「『顎クイ』を成功させるために、ちょっと素振りを……」
「しなくていい! 本気で生命の危機を感じるでしょうが!」
私が大五郎から距離をとるために勢いよく後ずさると、彼は見るからにしょんぼりと落ち込んでしまった。
けれど、私も自分の命が大事だ。顎クイの実践は諦めてもらいたい。
ふと時計を見上げると、そろそろ帰らないとまずい時間になっていた。
このままだと見回りに来た先生に見つかって、「早く帰れ」と叱られてしまう。
「ね、大五郎。今日はもう帰った方がよくない? ドキドキさせる方法なんて、別に今すぐ知る必要もないでしょ?」
「ええー……」
大五郎は不服そうな声をあげると、力なく教室の床に座り込んだ。大きな背中を丸め、うじうじと指先で床に丸い円を描いている。
そんな大五郎を見ていると、私もなんだか落ち着かなくてモヤモヤしてきた。
そもそも大五郎が女の子をドキドキさせる方法を知りたい理由って、何なの?
もしかして、好きな女の子でもできたとか?
いや、別に大五郎が誰を好きだろうが、私には関係ないけど……。
「とにかく、私はもう帰る。ドキドキについては、他の女子に教えてもらいなよ」
「……」
うつむいたまま、こちらを見ようともしない大五郎。私はモヤモヤした気持ちを抑えられず、わざと足音を立てながら彼に近付いた。
そうして、彼の顎に指を添えて、クイッと持ち上げてやる。
「ねえ、聞いてる?」
私と大五郎の視線が絡む。大五郎は驚いたように目を大きく見開いた。
次の瞬間、彼の頬が真っ赤に染まる。
え、いや、ちょっと待って。なに、その反応?
夕日の差し込む教室に二人きり。大五郎は真っ赤な顔のまま、それでも私から目を逸らそうとしない。
彼の顎に触れている指先が熱くなる。
なんか、私まで恥ずかしくなってきちゃったんですけど?
というか、同じクラスの男子の顎に指を添えているという、この状況。
え、いや、誰も見てないよね? 見られてないよね?
と周囲を確認して、私はぴしりと固まった。
廊下側の窓の向こう。見回りの先生がこちらを見ていた。
ぎゃああああ!
立派な口ひげを生やしたおじいちゃん先生は、慌てふためく私と大五郎をにこにこと見つめて、「青春だねえ」と笑った。
それから「早く帰るんだよ」と言い、見回りへと戻っていった。
あああ、待って先生! 違うんです、これは……!
恥ずかしすぎて悶絶していると、大五郎が頬を掻きながら気まずそうに話しかけてきた。
「あのさ、他の女子じゃダメなんだけど」
「……ん?」
「さっきの話。ドキドキさせる方法を他の女子に教えてもらえってやつ。それじゃダメなんだ」
大五郎が立ち上がり、私をじっと見下ろしてくる。その眼差しはびっくりするほど真剣なものだった。
「だって、俺がドキドキさせたいのは、ちさちゃんだけだから」
「え」
開けっ放しになっていた窓から、ふわりと風が吹く。
優しい風が、私と大五郎の間を吹き抜けていく。
夕日に照らされた真剣な顔の大五郎を見ていると、私の胸がとくんと鳴った。
「な、なんで私……?」
「俺、いろいろ失敗も多いけど、その失敗を馬鹿にしたりせずにフォローまでしてくれるのって、ちさちゃんだけなんだよ」
さっき私が貼ってあげたばんそうこうに、大五郎はちらりと目を遣る。
「ちさちゃんは、特別なんだ」
うわ、どうしよう。鼓動が速い。顔もすごく熱い。
けれど、そんな私の様子に大五郎は気付かない。ぱちんと両手を合わせ、懇願してくる。
「だから、ちさちゃん。ちさちゃんをドキドキさせる方法、教えてくれる?」
本当にもう。大五郎ときたら!
「……また明日ね」
私はふっと笑いをこぼし、明日は私が大五郎をドキドキさせてやろうと心に決めた。
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