チャオプラヤ川のほとりで
まだ朝早いにもかかわらず、南国特有の湿った暑さが絡みついてくる。
私が乗った船には、現地のタイ人が多数乗っており、彼らの日常にお邪魔しているようで、少しバツの悪さを感じた。
キラキラと照り返しが厳しいチャオプラヤの川面を、船はけたたましいエンジン音をたてながら、進んでいく。
全ての仕事を投げ出し、バンコクに来てから、ホテルやその周辺で、何も考えずに過ごしてきており、観光地らしいところには行かなかった。
ある意味、逃避すること自体が目的で観光には興味がなかった。しかし、2週間もするとその生活にも飽きて来た。
せっかくだから、三島由紀夫の小説にもでてきた、ワットアルンという寺を見ておこうと思ったのだ。
船が川岸につくと、次々と客がおりていくが、ここで降りるのはほとんどが観光客のようだ。私もその人の流れに乗って、進んでいくと、高い仏塔が見えてきた、ワットアルンだ。
朝日に照らされた装飾が美しいと思った。素直に美しいと思ったのは、いつぐらいぶりだろうか。2,300年前に建てられたらしいが、このような寺を建てた人の強い意志と才能を感じた。
私は一応工学部出身だが、ものを作るのは、教科書にでてくるような数式ではなく、執念ともいえる人の意志だと感じた。モノにはつくった人の精神が現れるのだ。
そのようなことを考えながら、寺の周りを歩いていると、急に土砂降りの雨が降って来た。
東家のようなところで雨宿りをしていると、1人の男が笑みを浮かべ、こちらに近づいて来た。
「お兄さん、どこの国の人か?」
「日本です。」
「やっぱりそうか、日本はすごい国だ。技術がすごい、アニメも面白いね。お兄さんは、仕事何してる?」
怪しい雰囲気を感じたので、距離をとりつつ、「エンジニアです」と呟いて、後ずさりした。
男は突然、シャツをつくらないか?タイシルクは高品質でおすすめだ、いいお店紹介すると言ってきた。
これは詐欺ではないかと思い、「No, thank you」とはっきり伝え、顔を横にふってみせた。
「あんた大したことない人だね、ほんと残念だ」と男は悪態をついて、すんなり離れていった。
なんとも言えない気持ちになりながら、雨も激しく、もう観光はいいかなと思い始めていた。
特に何もなかったことによる安心感や少しの怒り、
また断ったことによる嫌な気持ちも段々と消えて来た。
ワットアルンを建てた人々は、きっとこんなつまらない客引き(しかもおそらく詐欺)のような気持ちで仕事をしていたわけではないだろう。建てようと決めた人はもちろん、末端の作業者さえ、誇りを感じることができるはずだ。
しかし、自分がちょっと前までやっていた仕事はどうか?結局、客引きの仕事と何が違うのか?後世に残るわけでもなく、誇りに思えるか?そう思えなくて、全て投げ出して日本を出てきたのではなかったのか。
雨がやさしくなってきたので、元来た道を戻り、ホテルに帰ると、そそくさと荷物をまとめ、日本に帰らなくてはと思った。
なぜ仕事を好きになれなかったのか、よくわかった。そこには誇りや意味がないのだ。お金のために、納得できないことをやり続ける、それは緩やな自殺なのだ。
ホテルを出ると雨は止み、さっぱりした気持ちになっていた。
このまま空港に向かおう。日本に戻ったら、自分で意味があると思えることを始めよう。例え、お金が儲からなくてもいいじゃないか。それが自分にとってのワットアルンになるならば。
雨上がりの空を見上げ、ふとチャオプラヤ川の方角に目を向けてみた。そこには美しい虹が現れ、いつまでも見ていたい気持ちにかられたが、そのような感動がほしくてタイに来たわけではないと言い聞かせて、足早にその場を離れることにした。