4-3:超えられない存在
ランチライムの繁忙を今日も乗り越え、衣瑠夏の勤務時間は終わった。
嵐のように乗り込んできたモナコがまだいるかも知れないと事務所にも顔を出したが、別のアイドルに連れられ既に帰ってしまったようだった。
クラリスも事務仕事をこなしており、視線だけで挨拶を交わして、一人事務所を去って行く。
朝一からの勤務で身体はほどよい疲労感に包まれているが、日もまだ高いし少し買い物をしてから寮へ戻ろうと歩き始めた。
「ねえ、キミが新藤衣瑠夏?」
カレンプロを出てすぐに声を掛けられた。ずっと待ち伏せていたのだろうか、振り向けば長身の女性が衣瑠夏を見ている。
目深にかぶった帽子に、サングラスとみるからに変装と言った怪し出で立ちだ。
「そうだけど、あなたはどちら様ですか?」
「ボクは、ユカナ・ミストル。キミ的にわかりやすく言えば、クラリス・クラリスの古い友人って言ったところかな。キミのことはクラリスから、よく聞かされているんだよ」
変装をした長身の女性はそっと手を差し出してきた。衣瑠夏もためらうことなく差し出された手を握り返した。
恐れることはないと衣瑠夏の直感がグッと告げていたからだ。
「ねえ、キミって今日の勤務終わったんだよね。これから予定あったりする?」
「特にないですよ」
「良かった。だったら、一つこのボクと、アイドルバトルをしてくれないかな?」
変装している中で唯一隠されていないユカナの口物が、実に楽しそうに笑っていた。そんな笑顔を向けられたら、断る理由なんてない。
衣瑠夏も負けじと笑顔でユカナの申し入れを受け入れるのだった。
有無を言わされずリカに引っ張られる形で連れてこられたのは、なんてことは無い町の至る所に存在しているダンスレッスン場だった。
「よし、ユカナとの待ち合わせまで、まだまだ時間あるしウォーミングアップするには十分だね」
このレッスン場は使いなれているのだろう。用具室に入っていたリカは、モナコの分も含めた二足分のダンスシューズを持ってきた。
「はい。これ、モナモナの分ね。必要だったら、動きやすいようにジャージも用意するけどいる?」
てきぱきと練習準備を初めて行くリカに対して、モナコはただ惚けて立ち尽くす今年か出来ない。
「あの、リカさん。一体、あたしと何をするつもりですか?」
かつて追いかけていたアイドルが目の前にいる。
ファンだったあの頃の自分がここにいれば、何も出来ずに突っ立ているだけの情けない自分に思いっきり喝を入れることだろう。
でも、今のモナコはアイドルの卵。
目の前にいるのは、憧れのアイドルではあるけど、憧れるだけのアイドルではないのだ。
「う~ん。ヘキサスターズのオーディションに向けた予行演習って所かな? クーラちゃんが推していたあなたの実力って奴を知りたくてね」
「オーディション……あたしは出るつもりないですよ。せっかくお誘いいただいたけど………」
「ふ~ん、やっぱり。なんかそんな顔していたんだよね。でも出るつもりがないなら、なおさらここで、あたしと本気の勝負してよね」
リカは既にダンスを始めるための準備運動を始めている。
小さくジャンプする度に、何度もモナコが観客席から見てきたそれのように、パーマのかかったサイドポニーが愛らしく揺れている。
「クーラちゃんがあんだけ熱く語っていたんだから、さぞかし期待できるアイドルなんだよね」
挑発だって分かっていた。
でも、モナコの心に灯った火は消すことが出来なかった。
自分はクラリス・クラリスの一番弟子だ。
そして、クラクラちゃんも、自分に期待して同じグループのメンバーにも語ってくれている事が誇らしくもあり、責任も感じた。
見せつけなければならない、クラリス・クラリスの一番弟子であるアイドルの姿を。
「分かりました。クラクラちゃんの名前に掛けて、全力をださせていもらいます」
受け取ったダンスシューズを履き、モナコはリカの隣に並び立った。