3-1:渋谷ハチ公前でアイドルスカウト………拒否します。
初夏の日差しが燦々と照りつける渋谷。
もうすぐ夏休みが始まろうとしており、薄着でスクランブル交差点を歩く人々の足取りもどこか軽く見える。
「全く、リカは何処に行ったのさ、待ち合わせ時間を過ぎているよ」
日本一有名な待ち合わせ場所、渋谷ハチ公前。
忠犬ハチ公像の横に一人の女性が立っていた。
モデル顔負けの長身に、すらりと長い手足には余計な肉は一切無くまるでスポーツ選手のように引き締まっている。
セミロングの茶髪を涼しげにポニーテールにまとめ上げており、サングラスで素顔を隠しているが、ハチ公像の横に立つその姿だけで道抜く人々の視線を釘付けにしていく。
もっとも本人は周りからの視線には全く興味がないのか、先ほどからしきりに時計を気にしながら誰かを待っている。
「あの、少しお時間よろしいでしょうか?」
そんな彼女にクールビズ姿の男性が声を掛けてきた。
「わたくし、芸能プロダクション、ハラプロのスカウトでして。芸能界……特にアイドルに興味はおありですか? もしよろしければ少しお話などさせていただきたいのですか?」
サングラス越しにちらりと男性を見た彼女は思わずため息が出そうになった。
今日だけで何度目だろうか。
『この世界での待ち合わせ場所と言ったら、ハチ公前だよ』
なんて言ってここを待ち合わせ場所に設定した同僚に愚痴の一つでも言いたくなってくる。
「すみません。せっかくお声替えしていただいたのですけど、ボク、こっち側でアイドルするわけには行かないんですよね」
「と言いますよ。どこかの事務所に既に所属されているとかですか?」
「まあ、有り体に言えばそういう事なんですけど………」
歯切れ悪く答える彼女をみるスカウトのめがねがきらりと光った。
スカウトがより一歩、グッと長身の彼女に近づく。
スカウトは男性にしては少し背が低く、つい見上げるような形となってしまう。
「ならもしよろしければ、ご所属の事務所名を教えて下さらないでしょうか?」
「それは………カレンプロです」
「カレンプロ。お聞きしたことがない事務所名ですね」
「(そりゃそうだよ。こっち側にカレンプロの事務所支店はないんだからさ)」
スカウトには聞こえないように小声でつぶやくが、強引なスカウトはここが攻め時とはばかりに攻め寄ってくる。
「失礼ですが、カレンプロの事務所の住所をお聞きしてもよろしいでしょうか? それとも電話番号でもよろしいですよ。わたくしが代表の物と直にお話させていただきます」
「(やばっ。どうしよう、これ。このままだとボク、事務所二重登録になっちゃうの?)」
サングラスの裏で冷や汗がたれ墜ちたその瞬間、
「あ、そこにいたんだ。ユカナ。お待たせお待たせだよ~~」
大切な仲間の声が、およそ二ヶ月ぶりに聞こえてきた。
「ごめんごめん、こっち側に来るって言ったら、衣瑠夏に色々と買い物頼まれてさ、思いの外時間が掛かっちゃったよ」
初夏の日差しが照りつける夏日だというのに、今日も彼女は皺一つ無いブラックスーツに身を包んでいた。
ツインテールに編み込んだ金髪は燦々と輝く太陽の光によって、より一層と鮮やかに輝いている。
「あれ、ユカナ、この人誰、誰? こっちでのユカナのマネージャー?」
「違うよ。ハチ公前でボクをしつこくスカウトしてくるちょっと迷惑な男の人。クラリス、カレンプロの名刺って今も持っている?」
「それは、もちろんもちろんだよ」
状況を察したクラリスは、スーツの胸ポケットから名刺ケースを取り出し、ビジネスマンチックに一枚の名刺を差し出した。
「わたし、カレンプロでスカウトやその他諸々を担当しているクラリス・クラリスと申します。うちのアイドルにご用なら、私を通してお話していただいてよろしいでしょうか?」
それまで強気だったスカウトが一転、苦虫をかみつぶしたようにクラリスと差し出された名刺を交互に見つめている。
「うちのアイドルに何かお話ありましたでしょうか?」
「いいえ、お話はもう終わりました」
差しだされた名刺を渋々と受け取ったスカウトの男性は、そう言うとそそくさと立ち去っていくのだった。