2-5:過去と未来のアイドル
不思議な感覚だった。
彼女の事はとてもよく知っているはずだった。
渋谷のハチ公前で突然スカウトされてから、もうすぐ二ヶ月が経とうとしている。
その間、ずっと彼女と一緒にいった。
初ステージだって、二人だったから乗り越えることが出来た。
今だって、エリーゼのバックダンサーオーディションを勝ち上がるために手を取り合って、日夜練習に励んでいる。
なのに、壁一面に飾られている金髪ツーテールの彼女は、衣瑠夏の知る彼女でありながら、全くの別人であった。
「キラステのみんなが言っていたように、クラリスって、本当に昔アイドルだったんだね」
「昔の話だけどね。今はもう引退して、カレン・プロで働くただのスタッフさん」
「どうして、アイドル止めちゃったの? 踊りもわたしよりもうまいし、まだまだ現役いけると思うんだけどな」
「そのあたりはね、語るに語れない色々な事情があるのだよ、衣瑠夏」
「ふ~ん。だったら、語れるときになったら教えてよね、クラリス」
深くは追求しなかった。
そうするべきじゃないと、彼女の直感がグッと告げていたから。
衣瑠夏はもう一度、部屋を見渡す。
この部屋に飾っているのはアイドル、クラリス・クラリスの勇士。
そして、ベットの上で恥ずかしそうに体育座りをして、視線をそらしている青髪の少女だった。
「モナコちゃんって、今もまだ、クラリスのファンなの?」
「うん。もちろん、あたしはクラクラちゃんを推し続けているよ。大好きで、大好きで、もうクラクラちゃんと一緒に居れたこの数日は、嬉しすぎて心肺停止するんじゃないかってぐらいだったよ」
「それは嬉しいな嬉しいな。クラクラってアイドル時代の愛称も懐かしくて、ちょっと背中がむず痒くなっちゃうな。あ、そうだ。私を推してくれていたお礼に、お気に入りのポスターに直筆サインしてあげちゃうよ。それとも、ハグしてあげようか?」
想像してしまったのだろう。視線を反らしたままの体育座り少女は子犬のように肩をぴくりと振るわせながら囁いた。
「……ハグはだめ……そんなことされたら、本当に心肺停止しちゃうよ」
「あはは。それは困っちゃう困っちゃう。ファンは大切にしないとね。でも、良いこと、今のわたしはアイドルじゃなくて、アイドルとして育てるスタッフなのよね」
皺一つ無いブラックスーツを着こなした金髪ツーテールの女性は、かつての自分が飾られた部屋にで仁王立ちし、今はまだ自分の輝きに気づいていないアイドルの卵に小さく微笑みかけた。
「だから、モナコ、あなたを一人前のアイドルに育ててあげること。いつの日か、クラリス・クラリスの後継者だって言われるぐらいの最強のアイドルにね」
「え? クラクラちゃん。何っているの、あたし、アイドルなんて。エリーゼちゃんのバックダンサー応募だって、もしかたら、同じ事務所のクラクラちゃんに会えるかもなんて不純な動機だったし………。こんなあたしなんかが、クラクラちゃんみたいなアイドルになるなんて、絶対に………」
全てを言い終えるより前に思い出がモナコの頭をよぎった。
確かに、きっかけはクラクラちゃんに会えるかも知れないといった気持ちからだった。
でも、オーディション会場でクラリス・クラリスと再会を果たした。
その上、この十日間は一緒にレッスンをすることが出来たし、クラリス・クラリスのアイドル時代に何度も通ったお渡し会以上の会話だって出来た。
もう、とっくにモナコの願いは叶っている。
それなのに、こうして思わず寝過ごすほど必死になってアイドルになるための練習を続けている。
クラリス・クラリスが練習場にいるからだと言うのもあるだろう。
でも、それだけじゃない。
最初の一歩の動機が何でアレ、その先で出会った彼女が満面の笑みで手を引いてくれた先の景色にモナコはいつの間にか自分の意思で歩き始めていた。
「よっし! モナコちゃん。わたし達、絶対に最強のアイドルになれるよ!」
肩をがっしりとつかまれた。顔を上げると太陽よりも輝かしい笑顔を浮かべている衣瑠夏と視線があった。
「だって、私の直感が、そうなれるってグッと告げているんだよ」
衣瑠夏の発言に根拠なんて何処にもない。
ただ、あるのは自分を信じる強い意思だけだ。
でも、自分を信じて動き出さない限り、未来なんて何も変えられない。
「なんでかな。衣瑠夏にそうやって断言されちゃうと、本当にそうなれそうな気がしてくるよ。まったく、責任とりなさいよ、衣瑠夏」
「責任って、わたし、何かした?」
「ええ、したわよ。あんたがあのとき、声を掛けてくれたから、今のあたし、すごくアイドルになりたいって思っているんだからね」
そのとき、モナコの中で何かが動き出す音がした。
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