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Ep.27-3 黄金は滅びへ向かう

「無茶をする。一体誰の影響だか……」

「ク、クラウス!」

 灯りの無い部屋は、食堂の様である。ミダが見上げると、クラウスの髭面、人間の姿がある。

「またその格好……まさか」

「ああ。ここも彼女の領域らしい」

 窓の外が、カッと瞬く。雷鳴に次いで、ばたばたと雨が打ち付ける音が始まった。

「この悪臭は、ただ事でないな。人が死んでいく臭いだ。憤怒の臭い、憎悪の臭い、それにこれは……これは、何だ? あいつに似た臭い……」

 太くしっかりした鼻を、ひくりとさせて、険しく顔を歪める。

 ミダには臭いなど解らない。クラウスの特殊な能力を理解する事など、不可能だ。だが、悪意の権化の様な存在が、宮殿の上に居るのだから、酷い臭いがして当然だろう。それよりも、

「クラウスはどうしてここに?」

 エスが姿を消した今、クラウスが帝国に乗り込む理由はないと思えた。

「お前と同じだ。決着を付けに来た」

 その相手は恐らくテレーゼ――闇だ。

 クラウスは影だと言う。光があって初めて存在する闇。ならば、エスが居なくなった今、彼があり続けられるのは、その中に希望という光が、未だあり続けている証拠である。

「なら、行こう!」

 ミダは意を決する様に大きく頷いた。


「うふ。楽しいなあ」

 町は大変な騒ぎになっていた。宮殿からもうもうと立ち上る煙と、煙が溜まった様に宮殿を取り囲む黒雲。人々は一様に空を見上げ、祈りの言葉を口にした。

 群衆に紛れ込んで、フィンクは笑う。

「さてさて、もう少し見届けさせてもらいますかねえ」


 クラウスと二人、部屋を出ると、もう身を隠す必要は無くなった。何故なら、廊下を深い闇が埋め尽くしていたからだ。

「こっちだ。臭いで解る」

 クラウスに手を引かれ、闇の中を直走った。途中、闇に囲まれて怯え、立ち行かなくなった何人もの兵士や召使い達の間を擦り抜けてゆく。

 廊下の突き当たり。クラウスは目の前に現れた扉を、体当たりでこじ開けた。

「いらっしゃい」

 踏み込むと同時に、女の声がする。どういった部屋なのか解らないが、やはり部屋中が闇の黒色に塗り潰されている。

「……テレーゼ」

 クラウスが唸った。

「待っていたわ。この日を、貴方がわたしの中に還る、この素敵な時を」

 ミダを背中に隠し、クラウスは怒鳴る。

「テレーゼ。お前はどうして、そこまでおれに拘るのだ」

「クラウス。なら貴方はどうして、わたしに拘るの?」

 問い返されて、クラウスは押し黙る。闇は声を漏らして微笑した。

「解っているのね。そう、解っているのでしょう? クラウス」

「……ああ。解っている」

 低く、呟く様な答。

「愛しているのだ。お前を未だに、愛している」

 クラウスを闇の存在にしたのは、愛だ。負の感情ばかりが心の闇ではない。愛や執着、迷いも、心の闇なのである。

 その言葉に応える様に、闇が一点に収束していく。張り巡らした蔦が一つに集まるかの如く、闇が人の形を成していく。

 テレーゼの形をした闇が、薄く笑う。

「わたしも愛しているわ、クラウス。嗚呼、やっと会えた……」

 この時この瞬間、この空間はどちらのものでもなかった。ただ、それぞれに闇を抱えた男女の対峙。

 テレーゼの背後に一枚の扉が見える。

「この先に貴方の父親が待っている。さあ、行きなさい」

 テレーゼがミダに向けて言う。クラウスもそっと後ろ手にミダの肩に触れ、促す。

 ミダは二人の横を駆け抜けた。二人の決闘を邪魔してはいけない。それに、ミダ自身の戦いをしなければいけないのだ。

 扉が閉められるのを確かめてから、クラウスは問う。

「何故だ。何故こんな、馬鹿げた事に手を貸す」

 テレーゼが答える。

「貴方の為。貴方と一つになる為」

 手を差し伸ばし、クラウスを誘う。

「貴方は大きな光を見付け、そして見失った。貴方に光は無い。もう良いでしょう? さあ、いらっしゃい。無限の闇に融け合いましょう」

「テレーゼ……おれはまだ、絶望などしていない。テレーゼ、どうかお願いだ……」

 クラウスは毛むくじゃらの顔を、くしゃりとさせて、寂しげな顔をした。

「……人間を、人間だった頃の君を、憎まないでくれ」

 テレーゼの眉がぴくりと痙攣する。

「許してくれ、君を。君を理解出来ず、受け入れられなかった、おれを……」

 クラウスが一歩近付こうと足を踏み出すと、テレーゼは叫んだ。

「来ないで」

 ぶわりと浮き上がる黒髪に、金色の髪が数本紛れていた。

「わたしに光を持ち込まないで」

「怖いのか? 希望が」

 テレーゼをじっと見詰める目は、憐れみでもって細められる。

「君とおれとは変わらない。影だ。光を恐れて、逃げ惑う影」

「馬鹿を言わないで欲しいわ」

 再び闇が膨張していく。クラウスの身体を絡め取ろうと触手を伸ばす。

「ちっぽけな犬と同じにしないで」

 口が裂け、双眸が血走り、膨れ上がった身体から黒い毛並みが逆立つ。巨大なケダモノはクラウスを見下ろし、唾液を垂らした。

 見上げたクラウスは鼻で笑う。

「それ見ろ。無限にしちゃ小せえだろうが、犬っころ」


 階段を一段抜きに駆け上がっていく。ミダは走り続けた。息が切れても立ち止まらない。

 上り詰めた所に、長い旅の終わりが待っているのだ。

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