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Ep.27-1 黄金は滅びへ向かう

 帝国本土には、宮殿とは名ばかりの、広大にして巨大な要塞が佇む。抱えた兵は十数万、連なる大砲は四百門。その中央、天を突き聳える塔の頂点に君臨するのが、皇帝である。

 世界最大の強国は莫大な軍資金で成り立っているが、その財源はあまり知られていない。一説には金脈を掘り当てたのだと伝えられるが、噂の域を出ない。実際は、皇帝の子女に備わった神の力、触れたものを全て黄金に変えてしまう能力に拠った。

 そして、神の指先を失った今現在、危機的な財政難に見舞われている事を知る者も、ごく僅かである。

 秘匿された事であるが、現実問題として、しわ寄せを食う者は出てくる。城門の番兵も、その一だった。

 ぐうと鳴る腹の音は抑えきれず、耐えかねて腹をさする。

「おい、しっかりしろよ」

 叱る相棒の頬も幾分痩けていた。

「はあ。そうは言いましても、朝食がパン一切れというのは、流石に……」

 末端の兵員の食事などは、経費削減で対象として最初に狙われるところだ。

「おれだって腹は減るさ。だがな、悔しかったら出世しろ、って事なんだろうよ」

「はあ」

「船はでっかくなればなる程漕ぎ手が必要になる。ところが金も掛かる。だから漕ぎ手ひとりひとりは、二束三文の端金で精一杯漕がなきゃならねえ。意味解るか?」

 年上の例え話に、何となくは、頷くでも首を傾げるでもない。

「別に解らなくても良いけどよ。ま、今は我慢するしかねえんだって。もう少し待ってりゃ、その内でっかい戦争が始まるさ」

 兵隊にとって、戦いは仕事である。本来は死の危険を伴うが、帝国の兵達は、その感覚を麻痺させていた。やって勝てぬ戦などありはしないと、思い込んでいる。

 だが、彼らは知らないのだ。帝国には、最早戦争をするだけの資金すら無い。

 沈みゆく軍艦。船員達は何も知らず、溺れていく。

「ん、何だ、ありゃ?」

 年上の方が声を上げた。何者かが向かってくる。それは行商の者でも、他国の使者でもない。少年だった。小さな少年がたった一人、歩いてくる。

 門を潜ろうとする少年の前を、番人達は槍で遮った。

「待て。お前、何処から来た」

「南だ。ずっと南」

 臆する素振りも見せず、それだけ答える。

「帝国へ何をしに?」

「帰ってきただけだ。オレの生まれ故郷だからさ」

「城下に親が居るのか」

「居るっちゃ居るけど、言ったって笑うだけだぜ?」

 番兵は怪しい餓鬼だと思い、互いに見合ってから、面白がって聞き返した。

「何処に居る? 言ってみろ」

「あそこに塔があるだろ? あの天辺だ」

 少年は指差しながら答えた。

 番兵らは声を立てて笑った。言うに事欠いて、皇帝こそが自分の親だと言うのだから、笑わせる。

「ハハハ。可笑しな餓鬼だ」

「ほら見ろ。信じねえ」

「当たり前だって」

 ゲラゲラと笑い合う男達に、少年は焦れた。

「じゃあ、あいつだ。ガル、ガル……ガルなんちゃらスに言えば解る」

「今度は将軍閣下かい? 変な奴だな」

「解った解った。解ったから帰りな」

 まともに取り合う訳も無く、しっしと、犬猫でもあしらう様にする。少年は鼻の穴を膨らませて、

「もう良い!」

 くるり、踵を返した。

 兵士らは笑いながら少年が大股に立ち去ろうとするのを見遣っていたが、ふと、少年が足を止め、大声を上げる。

「あ! こんな所に金が落ちてる!!」

 ぶかぶかの手袋を脱ぎ、屈み込んで何かを拾う。今度はどんな見せ物かと番兵達は様子を見る。

 摘み上げて掲げ、陽光に当てる。

「おお、本物だ!」

 光を反射してきらりと輝くそれは、遠目に見ても、間違い無く小粒の黄金だった。

「おお、おお、すごい! まだまだあるぞ!!」

 芝居がかった調子で叫び、足元からどんどん拾い上げていく。一つ一つを日に翳すのは、やはり金だ。すぐに少年の掌一杯に金が溜まる。

「ぼ、坊主……!」

 年上の方が槍を捨てて走り出した。あ、と遅れてもう一人も駆ける。

 押し退けられた少年の手から、黄金がばらばらと撒き散らされた。二人の兵士達は、わあ、とそれに飛び付いた。

「金、金……本物だ! こ、これで嫁に良いものを買ってやれる」

「お腹一杯食える! あ、横取りですか?!」

「五月蠅い! お前に妻子持ちの苦労が解るかッ」

 すぐに組んず解れつの奪い合いが始まった。砂埃を上げてもつれ合う二人を、ミダはしらっと横目に見てから、こっそり門を抜ける。

「あったま悪ィの」


 城下町は、これまで見てきたどの町よりも、活気無く見えた。大通りを行き交う人影もまばらである。市井の暮らし向きにも、不景気は影響している様だ。

 ミダは通りを避けて、路地を進む。そそり立つ塔は、家々の合間からもはっきりと捉える事が出来た。

 さて、と宮殿の程近くに身を潜めてから、考え込んだ。流石に宮殿の守備は厳重である。正面の出入り口に二人の番が立ち尽くし、付近を数人が巡回している。先程と同じ手を使う訳にもいかない。大騒ぎになる事間違い無しである。

 どうしたものかと迷った末、迂回して何処か忍び込めそうな場所を探す事にした。

 宮殿は高い壁、更に外を堀が包囲している。よく逃げ出せたものだと、ミダは感心してしまう。脱出には、確か、水路を使ったのである。給水に河から引いたものだ。

 そうだ、とミダは膝を叩く。脱出と同じ道筋を辿れば良い。かつては水路の流れに飲まれたが、今では逆らう事が出来るかも知れない。そうと決まれば、とミダは身を屈めて駆け出した。

 宮殿の裏手に回る。比較的守備が甘く、また人目にも付きにくい場所だ。鉄格子の嵌められた排水口から水路を一通り通った水が、勢い良く堀に注ぎ込んでいる。以前は鉄格子の隙間をすり抜ける事が出来たのだが、果たして幾分成長した今ではどうだろう。やってみるだけさ、と堀の縁から跳び、鉄格子に飛び付いた。

 流れ出す水がミダを押し返し、引き剥がそうとするが、何とか耐えられ、格子の隙間もどうにか通れた。だが問題はその後である。水流に逆らいながら、いつ着くとも知れず泳がなくてはならない。ミダは壁石の隙間に指を掛けて、覚悟を決める。

 妙な気分だった。逃げてきた道を逆に辿ろうとしている。かつてミダを助けた男が、命を賭して導いた逃げ道を、溯っている。


 ミダはぐったりと冷たい床に横たわっていた。まだ名前も与えられず、帝国に囚われ、その力をたった一人の私欲に使われていた、昔の事だ。

 幽閉された牢は、壁一面、床一面、手足を縛る鎖も、ミダが触れた為に全てが黄金だった。着るものも無く、敷くものも無く、力を使い果たして身動き一つ取れず、震えさえ起きぬ程衰弱して、黄金の床に体温を奪われていく。まだ死の概念を知らなかったが、埋没していく意識に、本能的な漠然とした恐怖に苛まれた。

「寒いだろう?」

 不意にそんな声が掛けられる。看守は牢に入り、ミダの傍にしゃがみ込んで、上着をそっと掛けた。そしてその上から、ミダの背中をさする。

「今度からここの看守になったんだ。よろしく……と握手したいところだけど、それは出来ないんだね」

 明るい男だった。頼りなげな蝋燭だけが灯る薄暗がり、しんと静まりかえった黄金の牢に、看守の声は良く響いた。

 これまで看守になった男達は、その手に触れられるのを恐れて近寄ろうともしなかった。また、食事の時と出される時以外、誰一人言葉を投げ掛ける者も無かった。

 しかし、彼だけは違う。明くる日も、その明くる日も、ミダが聞いた事の無かった、快活な声音で話し掛けた。朝には「おはよう」、眠る時には「おやすみ」、疲労困憊の時には「大丈夫?」。

 看守は身体中に包帯を巻き、背中の丸まった、奇怪な風貌をしているが、見た目とは真逆に優しい男だった。彼はらい病なのだと言った。ミダにはそれがどういった事なのか解らないが、誰にも近付いてはいけない身らしく、追い遣られたのがこの牢であり、看守という閑職なのだと言う。ミダと似た様なものだ。

 看守はミダに言葉を教え、そして色々な話を聞かせた。出自からミダの生まれについて、外の世界の事、神の存在、ただの雑談、生命の概念。話の内容は多岐に渡る。そのどれもがミダには新鮮だった。日々話を聞かされる度に知識を蓄え、人間らしい知恵を身に着けていく。この男との出会ったその時、ミダは初めて生まれたのかも知れない。

「そう言えば、君には名前が無かったね」

 冗談を言っていたのが、突然そんな話題にすり替わる。いつもの事だった。

「ナマエ……? ナマエって、何?」

 ミダには知らない事が多く、知りたい事が山程ある。知りたい事は聞き返す、というのも、看守から教えられた知恵だった。

「名前っていうのは、そうだな……そのひと一人を表す言葉だよ。広がり、とも言うかな」

「広がり?」

「そう。例えば見えない所で自分の名前を誰かが言う。すると、知らないひとが自分の名前を知る。そうやってひととひととが繋がって、世界は広がっていく」

 難しい話だったが、ミダには素敵な事に思えた。ミダのセカイは、この閉ざされた空間にしか無い。広い世界を知りたくなった。

「……欲しい。ちょうだい。名前……」

「ん、そうだよね。それなら……」

 看守は、うん、と暫く考え込んでから、ぽんと手を打った。

「……『ミダ』っていうのはどうかな」

「それが、名前?」

「そうだよ。今日から君は『ミダ』だ」

 途端、ミダは心に光が差す様な気がした。名前という自我を与えられた瞬間である。この時この瞬間から、閉鎖された空間の中から、外へ向けた世界が広がったのだ。

 胸の中がむず痒い。内側からくすぐられる様な感触は、教えられた通りならば、喜びだ。そんな時何と言えば良いかも、ミダは教えられていた。

「ありがとう」

 ミダという名を得て以来、外界への希望、独房への絶望が、日増しに募った。外には素晴らしいものが沢山あるに違い無い。だが反対に、ここに居たらいつか死ぬ。そう思う様になった。死の恐怖は、名付け親から教わっていた。

 日毎、ミダは自由への憧れを口にした。それをずっと黙っていた看守だったが、ある日、

「……君を自由にしてあげる事は、出来ないでもない」

 慎重な口振りで応えた。

「でもそれが君の幸せになるとは限らないんだ」

「どうして? 自由になりたいよ」

 ミダの中で期待が大きく膨らんでいくのに対して、看守の声は低くなっていった。

「外にも辛い事、悲しい事は一杯あるよ。それに耐えなくちゃいけない。一人で生きなくちゃいけないんだ。いつか君を守ってくれるひとが現れるかも知れない。でもきっと、ずっと一緒には居られない。いずれ別れの時が来る。その時も君は、耐えなくちゃいけない。出来るかい? 君に」

 ミダは深く考える前に頷いた。

「今だって辛い。でも生きてる。だから、大丈夫」

 看守に笑ってみせる。大丈夫という言葉と笑顔とで、看守も笑ってくれるから、ミダはいつでもそうやって笑ってきた。しかし今度ばかりは、看守は明るい笑い声を上げてくれなかった。

「……そうか。そうだね。いつかこの日が訪れると思っていたよ」

 牢を開けて入ってくる。そして何かをミダの前に差し出した。

 それは特別な手袋だった。

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