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Ep.26-1 黄金独り

 一人の為に、二度墓を掘る――それがどれだけ虚しく、わびしい事なのか、ミダには想像さえ至らない。しかし、遺骸を埋めてからじっと佇んだままのエスの背中は、ミダにとっても辛く悲しいものだった。

「……そうか。お前が、あの時の……」

 見守る事しか出来なかったガルディアスが、ぽつりと呟いた。今のエスの姿は、十年前に見た少年と、全く同じだったのだ。

 兵士達は待機している。戦意を失った彼らは脱力して、将軍の帰りを待っている。難民達も同様だった。今頃は、ギルベルトの治療に専念している事だろう。

「十年前、俺に逃げる様に言ったのは、あんたか。……どうして、教えてくれなかったんだ。彼女の事を」

「……すまなかった。もし教えてしまったら、すぐにでも会いたいと思っただろう。だがそれは適わぬ事だった。だから、十年経った後に、ここで再会を……いや、今となっては、何を言っても詭弁だ」

 膝を折り、両手を突いて再び詫びる。ガルディアスがそうしていると悟っても、エスは振り返ろうとしなかった。

「もう良い。あんたの言った通り、ほんの一時でも、彼女と会う事が出来た。寧ろ感謝さえしているよ」

 ありがとう、と言うエスの声は、空虚を漂う。

 ガルディアスは土を掴み、三度謝罪した。何度でも謝らなければいけない。ガルディアスの抱えた喪失感よりも、もっと大きな痛みを、エスは背負っている。

「……帝国へ戻る。戻って、しなければいけない事がある」

 唸る様に言う。

「元凶を潰す。それしか、カティアにしてやれる事は無い」

「好きにしてくれ。あんたの気が済むのなら」

 ガルディアスは立ち上がり、踵を返した。傍に居てやれなかった事を許してくれと、胸の内でカティアに詫びながら、立ち去った。

 ミダはぼやけた視界の隅でガルディアスを見送りながら、訊ねる。

「……良いのか? 皇帝を殺すつもりじゃないのか、あいつ」

「構わない」

 実に容易くエスは答えるが、ミダにとっては、重大な意味があった。

「構うだろ。オレ達の旅が、意味無くなっちまう」

 ミダはカティアに嫉妬していた。徐々にエスの心がカティアひとりに向かっていくのを感じていたし、その立場に取って代わりたいとも思っていた。だがカティアの死は、ミダにとっても悲しい事だった。カティアにはミダ自身助けられた上に、何より、エスが悲しむ。

 だがそんな悲しみも乗り越えるだけの信念を、エスから教わったのだ。何があっても付いて行こう、そうミダに思わせたのは、他ならぬエスである。それを今更水泡に帰す事は出来ない。

「エス、行こう。オレ達は生きなくちゃならねぇ」

 これは生きる為の旅だ。人としての生を掴む為の旅路。途中で放棄するのは、即ち人生を否定する事である。

 だがエスは、

「もう良いんだ。俺は……」

 そう、頭を振った。

「もう人間で居たくない。もう、人生を取り戻す意味を、失ってしまった」

 これまでは何とか誤魔化してきたのだ。孤独感も、激しい痛みも。しかし、もう耐えられなかった。希望さえも闇に飲み込まれてしまった。

「そんな事……!」

 言って欲しくなかった。

 どんな姿になろうと、どれ程人間から掛け離れていこうと、必死に人間であろうとする。そんなエスが、ミダは好きだった。

「解ってしまったんだ」

 エスは少し空を仰ぎ見て、淡々と語る。

「運命は俺自身だった。定めに従っているつもりが、俺が、俺の意思が、運命を作っていた。……今にして思えば、馬鹿な考えだ。答の無いものを全ての理由にして、言い逃れていただけなんだ、本当は」

 ミダには、彼が何を言おうとしているのか解りかねる。だがエスは、これまでの自己を次々に否定していく様だった。

「そう、俺の意思だった。何もかも、俺の意思で決めてきた。彼の言葉を守り、あの男の力を使い、お前を連れ、彼女を連れ、あいつを見放した。その結果が、これだ。全部、俺の意思でされてきた」

「そんなに自分を責めるなよ」

「じゃあ何を責めれば良い? 俺を生んだ母か? 生かした神か?」

「……今からでも遅くない。まだ、ちゃんとした人間に戻れるかも知れないだろ? だから、自棄になるなよ……」

 ミダ自身、自分の言葉が上滑りするのを感じる。掛けたい言葉はそんなものではない。だがもし、思うままを口にした所で、それさえもエスの心まで届きそうもなかった。

 オレが居るじゃないか。

 そのたった一言が言えたならどれ程楽だっただろう。ぎりぎりとねじ切れそうになる気持ちを隠しておかなければ、今のエスを余計に荒ませる。

 エスはまたも首を横に振り、ミダを拒む。

「人間に戻りたくない。もう、今のままで良い。醜い化け物として、生きずに生きていく」

 それは逃避だ。しかし誰にも咎める事は適わない。だからミダは、思い付く叱責を飲み込んで、訊ねた。

「オレはどうなるんだ。オレはオレの意思であんたに付いてきた。あんたのと同じ目標でここまで来たんだ。今更、どうしろっていうんだ。置きざりか?」

 また独りぼっちか。そんな弱音は憔悴しきったエスに言うべきではないと、心の中だけで呟くに留めた。

「そんなのは嫌だ。絶対に。オレはあんたと離れたくない」

「我が侭だな」

「我が侭でも良い。自分を見失ったあんたの代わりに、オレが我を張ってやる」

 支えになりたかった。いつしかエスがミダの支えとなった様に、エスの支柱になりたかった。頼りない事は承知だ。それでも、何もせず見ている事など、出来るはずもない。

「ミダ、お前は生きろ。生きられなくなった、俺の代わりに……」

「嫌だ。オレはあんたとじゃないと、嫌なんだ」

 そう言う事に、今、どれだけの重みがあるか知れない。エスには受け止められないと解っていても、ミダはそう言うしかなかった。

 不意にエスが振り返る。文様に埋め尽くされた顔に浮かべる、僅かに口元を緩めた表情は、ミダを優しく突き放した。

「……ミダ。俺はお前の手を離す。お前の全てを、お前に返すよ」

 きっと、ミダの想いには気付いていただろう。それは、受け止められなかった。

 突然の落雷は、まさに青天の霹靂(へきれき)。雲一つ無い青空から、ミダとエスの間に黒い雷が落ちる。ミダは一瞬、閃光と轟音とに目を覆ったが、ハッと気が付いてエスを見直す。

 だが、エスの立っていた場所に、その姿は無かった。


「英雄になりたいと言っていたな」

 クラウスは犬の姿のまま、ルッツの眼前に佇み、低く唸る。

「どうだ? 女を殺して英雄になれたか? 惑わされ、利用され、英雄になれたのか」

「クラウス……クラウス・フォン・キルヒアイス……!」

 ルッツは未だ足腰が利かず、尻を擦って後退った。

「女を殺した感想はどうだ? おれの光さえ奪った感想は? 今の気持ちはどうなんだ!」

 ただただ震え、怯える。

「ぼ、僕は……彼女に、彼女に命令されて……」

「それが愚かだと言っている」

 言い逃れようとするルッツを、クラウスはぴしゃりと叱咤した。

「誰に命ぜられようと変わらない。お前がやったんだ。お前の意思でな」

「僕は……僕は……」

「お前はもう、英雄にはなれない」

 英雄は何者にも依らない。英雄は間違えない。英雄は自らを見失わない。

 ルッツは言葉を失った。

「言え。あいつは何を企んでいる」

 詰め寄られ、ルッツは逃れるが、木の幹に阻まれた。

「……彼女は、僕とひとつになってくれるって……」

「なら死ねば良かった」

 冷えた双眸がルッツに詰め寄る。

「あいつにとって、一つになる事は、即ち死ぬ事だ。人間は、死ねば闇になる。おれもあいつも、死んで闇になった。それほど闇になりたかったのなら、死ねば良かったのだ」

 ひとは、夜空を見上げて、星の瞬きに亡くした命を思う。だがそこに亡者は居ない。本当は、その周りに漠然と広がる空虚な闇に溶け込んでいる。

 クラウスは一度死んだ。テレーゼの後を追い、自らその命を絶ち、そして闇になった。

 だがテレーゼが、無限の闇が、彼を拒んだ。光を求めたからだ。夜空から弾き出されたクラウスは、犬の姿で地上に叩き落とされた。

 エスとはその時に出会った。エスは、闇に浸食されつつその身体で、光を留めようと、光を失わない様、生きていた。そんなエスにクラウスは惹かれ、旅路の果てを見届けようと、共にする事を決めた。だから、クラウスは闇であって光の元にある、影だったのだ。

 しかし、エスは光を失ってしまった。自らを見失い、闇に身を任せ、飲み込まれてしまった。

 失望。絶望。光の存在を奪われたクラウスは、ひしひしと闇の帳が迫るのを感じている。

「……僕は、どうしたら……」

 闇に魅入られた傀儡は涙を流した。今更気付いてしまっても手遅れであると悟った。

「好きにしろ。まだ闇と一体になりたいと願うなら、死ね。生きていたところで、お前の罪は拭い去れない」

 冷酷に言い放つ。自我無く光を奪い去ったルッツを、クラウスは許せない。だが、

「慰めは闇の中には無い。逃げ場所にはなり得ない。だったら、生きてみせろ。怒りと憎しみを一身に抱えて、堪え忍んでみせろ。その方が幾分マシだ」

 クラウスは翻り、ルッツから離れていく。

 真に忌むべきなのは、意志の無い人間ではない。虚ろな心につけ込み、虜にする闇だ。それこそが戦うべき相手なのだ。

 背後にルッツの嗚咽を聞きながら、クラウスは戦いに臨むべく、去っていった。

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