表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/77

Ep.25-2 さらば黄金

 立ち尽くすギルベルトの、三、四歩後ろで、難民達は怯えていた。それぞれ粗末な武器を握るが、その手は激しく震えている。

 毅然と対峙するのは百人の帝国兵。兵士らは戦の装いだった。

「貴様らは誰だ。ここで一体何をしている」

 馬車から重苦しい声が誰何した。

「我々は国を亡くし家を無くした流浪の民。そちらは?」

 ギルベルトは一歩も退かず、そして微塵の躊躇も無く問い返す。その目は一切乱れず、馬車中の影を見据えた。

「人を探している。男一人、女一人、子一人。ここを訪れただろう」

「さあ、存じませんね」

 白を切り、肩を竦めたギルベルトに、惚けるな、と殴り付ける様な声が掛かる。ずしりと腹に響いた。

「素直に引き渡せば、貴様らの事は忘れると約束しよう。だが、あくまで知らぬと言い張るつもりならば……」

 意味深長に言葉が切られると、難民達の間に動揺が駆け抜けた。俄にざわつく声は恐れ戦くものであり、そして、エスやカティアを引き渡してしまった方が良いと言う。ギルベルトは舌打ちした。

 難民達は皆、一種の仲間意識を持っている。ギルベルトの説明によって、エス達に対しても同様に思っていたはずだ。しかし、一度恐怖に支配され、戦う術を持たない者は、自らを守る為に、他者を顧みる事を忘れる。それを、矮小で卑怯だと罵り責める事は、誰にも出来ない。

 だがギルベルトは違った。

「知らないものは知りません」

 ギルベルトにとっては、エスとカティアは同郷、ヘイデンの生き残りであり、ミダは愛すべき者の友人である。それならばと見捨て、己だけ無事でいようとは思えなかった。

 背後から、何を言うのだと咎める声が上がっても、ギルベルトは頑として譲らない。

「貴様以外は解っている様だ」

 確信に満ちた口振りだった。

「彼らは勘違いしているのでしょう。夫婦子供で逃げ延びた者は数多い。ただ……」

 ギルベルトは諦めた様に、フ、と笑い、小さく頭を振る。

「……撤回しましょう。私は貴方方の捜し物を知っている」

「ほほう」

 影が身を乗り出すのが見えた。

「教え致しましょうか」

「漸く仲間を売る覚悟を決めたか」

「仲間、とは語弊がありますね。我々は所詮寄り集まり、烏合の衆。私がこうして前に進み出ているのも、代表者としてでなく、他の者共が臆病なだけの事」

 ギルベルトは言葉で難民達を突き放す。築き上げられた信頼が崩れ去り、次第に孤立していくのを肌で感じていた。しかし構わない。敢えてそうしているのだ。

「臆病者共に訊ねたところで、自分ではないとなすりつけ合うばかりで要領を得ないでしょうが、私は違うのです。その点を深く御理解して頂いた上で、私はこう申しましょう」

 鞘から剣を抜き、切っ先を馬車の中に座した男へ向ける。

「ただでは教えられませんね」

 言い放たれたのは、紛いもなく挑発だ。

「わざに刃向かうとでも言うのか?」

「いいえ。私は貴方に決闘を申し込みますよ。一対一、正々堂々たる勝負を」

「馬鹿な。貴様らを纏めて踏み散らす事も容易いと言うのに」

「貴方が知恵の利かぬ愚か者ならそれも良いでしょう。しかし、罪も無く力も無い彼らを殺戮する事は、貴方方の神でさえ辱める行いでは? 既に逃げ出した者も居ます。噂は風が野を払うより早い。御国の内外から煙が立つ事でしょうね」

 成る程、と低い声が応える。

「ならば貴様一人を捻り潰して吐かせれば良い、と言うか。面白い」

 ハ、と男は鼻で笑う。

「その通りですよ。思った通り、貴方は賢い。信用の置ける方です」

「嘗めるなよ。将軍の器、貴様の思うより小さくないわ」

 将軍は馬車をひらりと降りた。身のこなしは、筋骨隆々とした体格に反して軽い。

 重厚。纏った黒金の鎧、その風格は、将軍に相応しい威厳を漂わせる。

「気に入った。ガルディアス・ガルデロイ、その決闘受けて立つ」

 剣の修練を積んだ者なら、佇まいを見れば相手の力量が知れる。

 ギルベルトが見たガルディアスは、実戦を知らず、鈍った腕で、太刀打ち出来ぬ相手だった。

 そうと知っても、ギルベルトは剣を構える。守るべきは、自らの命ではないのだ。

 ギルベルトの構えを見たガルディアスは、目を細めて呟いた。

「成る程、な……」


「寄るな、化け物!」

 カティアが剣を振り、斬られた傷から見る見る内に塞がっていく。鮮血がいくら飛び散ろうと、エスは倒れなかった。

「確かに化け物だ。飯も食わず、水も飲まず、傷を負おうと、死ぬ事は無い……こんなのは、ただの化け物だ」

 顔を歪めて吐き捨てる様に言う。

「神なんかじゃない!」

 カティアは立ち上がり、一歩退いた。それに合わせて、エスも一歩進む。一歩、また一歩。ふたりの距離は変わらない。

「俺がおぞましいか? 俺は醜いか?」

 答えは無い。しかしエスを見るカティアの目は、如実にものを語っていた。

「……そうだ。俺はおぞましく、醜くなってしまった」

 言葉と共に一歩踏み出すと、カティアの剣がエスの腹を突き抜いた。

 為されるがままにされていたエスだが、この時ばかりは違った。刃を素手に握り締める。カティアは抜こうと腕を引くが、びくりとも動かない。

「もう死ぬ事さえ出来ない。だから、生きる事さえ出来ない」

 一歩。ずぶりと剣が食い込んでいく。

「人としての命を無くしてしまった」

 更に一歩。剣を伝った血液が、カティアの肘から落ちる。

 再び一歩。とうとう柄本まで至り、エスは黄金の左手で、カティアの手首を掴んだ。

「お前は違うじゃないか。生きているじゃないか」

 カティアは抗うが、エスは決して手を放さない。

「生きている。お前はそれだけで……」

 不意に、エスはカティアの肩に腕を回し、抱き締めた。

 強く抱く。カティアは逃れようと身を捩り、押し返すが、しかし離れない。そしてエスは囁いた。

「……綺麗だ」

 カティアの髪の中へ顔を埋めて、はらりと涙の雫を落とす。

「ここで初めてお前を見た時から、俺はずっとそう思っていたんだ」

 髪の毛から太陽の香りがする。触れれば太陽のぬくもりがする。五感で感じる全てを包み込む様に、エスはカティアを強く抱いた。

「あの時、この気持ちを伝えられたら良かった」

 消え入りそうな、カティアという殻に封じ込められた、たった一人の女を、ただひたすらに、強く強く、抱き締める。

「好きだ。愛してる」


 エスの小さな掌の上で、白詰草の指輪が転げる。

「きれい……」

 きらきらと輝いて見えた。

「白詰草にはね、『約束』って意味があるの」

 指輪を編んでくれた母は、そう言った。

「約束?」

「そう、約束。それは約束の印。だから、ね。それと同じものを、本当に素敵だと思ったひとにあげるの」

「どうして?」

 不思議そうに瞬きをするエスに、母は微笑みかけた。

「ずっと好きだよ、って約束」


「太陽だったんだ、君は。暗闇に落ち沈んで、泣き出しそうな時、君はいつでも俺を照らしてくれた」

 カティアは抵抗をやめた。剣を放し、両手をだらりと下げる。

「……太陽? 私が……?」

 エスの肩越しに見上げた太陽には雲がかかっていた。

「俺の太陽は、カティアなんて名前じゃなかった。ありのままの君が好きだ」

 少しずつ、太陽を覆う雲が流れていく。次第に太陽が露わになっていく。

 そして遂に全ての姿を現した太陽は、偽り無く輝いていた。

「……エス……エス・ライト……」

「そうだ。それが俺の名前。君の名前は?」

 あの日と同じ様に問い掛けた。

 太陽は全てを照らす。暖かく迎え入れ、輪郭を確かなものにしてくれる。

 太陽を騙す事は出来ない。

「私の名前は……」

 カティアではない。それは死んだ妹の名前だ。

 カティアの人生は嘘だ。なるはずもない代わりになろうという偽りだ。きっと自分自身のものでも、妹のものでもない。全て嘘だ。


 白詰草の花を太陽に翳した。指と合わない環は、ぐらぐらと揺れる。

 照れ臭そうに鼻を掻く少年を、少女は可愛らしいと思った。太陽と変わらず、ずっとそのままで居て欲しいと思った。それはきっと、陽光に照らし出された、偽り様の無い想いだった。


 女は自らの名前を口にする。

「……エミリア」

 その名は亀裂から溢れ出し、カティアの外殻を包んでいく。止めどなく溢れかえる過去の記憶や感情が、津波となって押し寄せた。

「やっと会えた」

 暫く傍に居たはずなのに、漸く出来た邂逅。腕の中にはもう逞しい剣士の姿は無く、代わって、可憐な女が居た。エスは一層に強くエミリアを抱く。

「ごめん。私も、約束したのに……」

 涙が堪えきれなかった。震える手を抑えようとして、エスの背中を抱く。

 剣がエスの腹から抜け落ちて、草花の中へ落ちた。

「良いんだ。俺も沢山泣いた。でも、嬉しくて泣くのは、約束を破った事にならない」

「うん……」

「生きてくれ。君は、エミリアとして。君は君の人生を……

 暖かいものがエスの肩を濡らす。その感触が、空になった心の器に注ぎ込まれていく様だった。

 互いが互いの太陽と再会し、虚ろな嘘が取り払われた瞬間だった。


 不意に、エスの背中を衝撃が突き抜ける。遅れて鳴り響いた、乾いた音。

 銃声。

 銃口から細く長く、煙が立ち上る。照準の向こうには、光を無くし、深い闇を湛えた瞳があった。荒い息遣いは獣の様。脂汗が白く細い顎から滴る。

 ルッツだった。その背後にはテレーゼが佇み、あら、と呟く。

「それで彼を殺せると思った?」

 ルッツの肩に手を掛けて、耳元に唇を寄せる。

「駄目な男。貴方が殺したのは彼じゃなくて……」


 エスとエミリアの間から、黒く濁った血が流れ落ちた。

 エミリアの身体が力を失い、エスの胸に崩れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ