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Ep.23-2 黄金の帰郷

 ヘイデン公国が侵略によって崩壊してから、十年経つ。小国唯一の村の家々は、当時火を放たれ、打ち壊された瓦礫のまま放置されていた。それを覆う苔と草だけが歳月を物語る。カティアの目の中では、未だ煙が立ち上って写る。

 荒涼とした亡国に一陣の風が吹き抜け、カティアの頬を撫でて行く。十年ぶりの故郷を目の当たりにして胸に満ちるのは、静かな怒りばかりだった。

「こんな所に、一体何の用だ」

「……さあ? 自分でもよく解らない」

 一拍の間を置いて、ただ、と継ぐ。

「ただ、呪いたくなったのさ」

「何を?」

「運命という奴をさ」

 曖昧に答え、エスは歩き出す。

「なあ、どうしちゃったんだ、あいつ?」

 ミダはクラウスに小声で訊いてみた。クラウスなら何か知っているのだろうと思ったからだ。しかしクラウスは、黙ってミダの目を見返すだけだった。

「……もう良い。お前に訊いたのが間違いだった」

 クラウスは大事な事を語らない。諦めたミダは仕方無しとエスに続いた。それから遅れて、カティアも追う。

 エスが向かった先は、墓場だった。墓場と言っても、町外れでなく中央にあり、一画を区切るものも無い。ただ盛り上がった土の上に、崩れた壁石を載せただけの墓がいくつも並ぶ、物寂しい墓場だ。エスは群れから少し離れた場所にある、二つの墓の前に立った。他の墓に比べると、際立って大きな墓石が載せられている。

「ここには誰も眠っていない」

 誰に向けたものか、ぽつりと呟く。風に乗ってその声が聞こえた時、ミダは足を止めた。

 近寄り難い背中をしていたのだ。どっしりと重たいものを背負って立つ背中。形の無い、目には見えないもののはずなのだが、ミダにはそれがはっきりと見えてしまった様な気がした。

 何故近寄りたいと思うと近寄れないのだろう。触れたいと願っても、触れられぬのだろう。いつも傍に居るのに、心の距離はこれまでの旅路よりも遠い。まるで蜃気楼を見ているかの様に、ミダには思えた。

「どういう事だ」

 ミダの背後からカティアが言う。振り返り見上げると、眉間に縦皺を立て、エスを睨め付けていた。

「まるで何もかも見知った様な口振りだ。説明しろ」

 強い口調で詰問する。釈然としない、取り残された様な気持ちにさせられていたのは、カティアも同じらしい。いや、彼女の場合、何の断りも無く捨てた故国へ舞い戻らされた苛立ちが強いだろう。

「一体何から話せばいいんだろうな」

 向き直ったエスの顔には、苦笑とも自嘲とも取れる、意味深な笑みが浮かんでいた。

「少し考えさせてくれないか」

「駄目だ。今すぐに答えろ」

 カティアは頑として譲らない。エスは小さく、ゆっくりと、幾度となく首を横に振る。

「……無理だ。出来ない」

「無理だと? ここまで思わせぶりにしておいて……!」

 カティアの歯軋りがミダの耳にまで聞こえる様だった。

 瞬間、エスの足元に一本の矢が突き刺ささる。睨み合いに気を取られていた所為か、或いは物思いに耽る剰りか、横合いから弓の狙いを付けられているのに気付かなかった。

「動くな!!」

 二本目を構え、そう牽制するのは、年取った男である。彼だけではない。他に二人の男が弓を構え、更に数名の男達が鍬や木切れといった、およそ武器とは呼べぬ道具を手に手に、エス達に睨みを利かせている。見たところ、盗賊や不逞の輩という風でもない。金品目当てに人を襲うと言うよりは、自らの身を守ろうという必死な、怯えた目をしていた。

「お前達は? どこから来た?!」

 投げ付ける様な誰何は、答えを間違えられない威圧を秘めていた。

「待て。見ての通り、女子供連れの風来だ。あんたらが何なのか知らないが、別に何かしようってんじゃない。その物騒なものを下ろしてくれないか」

 両手を掲げたエスが落ち着いて言う。いざとなれば矢よりも早く動けるが、むやみやたらの戦いはしたくない。

 男がちらりとカティアの方を見遣る。

「そっちの女は? 剣を持ってるが」

「怪我人だ。剣は杖代わり」

「帝国の兵士がうろうろしてる。仲間じゃないのか?」

 成る程、とエスは独り合点する。男達は帝国に敵意を抱いているらしい。

「仲間か……」

 フ、とカティアは鼻で笑う。

「つい先程までは、そうだったかも知れんな」

「何? やはり、帝国の……!!」

 一斉に矢尻がカティアの方へ向けられた。ミダは思わず逃げ出そうとするが、エスに待てと止められる。

「……カティア、無駄に挑発するんじゃない」

「売られた喧嘩は買うさ」

 ハハ、と声を立てて笑った。カティアも矢ならば斬り落とす自信があったが、ただ苛立ちを紛らわしたかっただけだ。

 その時、男達とは逆方向の物陰から、小さな人影が飛び出し、エス達――いや、ミダを目掛け一直線に走り寄って来た。

「ぎゃッ!」

 不意の体当たりで、ミダは横様に転げた。

「また会ったな、ボクの友達!」

 ミダの首にがっしりとしがみついた人物が、甲高い声で叫ぶ。

「お、お前……?!」

 それは古城の亡霊、アーデルだった。

「やっぱりお前は詰まらない奴だ! 折角友達になったのに、いきなり居なくなるんだからな!!」

 耳元で喚き立てられ、ミダは耳を塞ぐ。どうしてこんな所に居るんだ、と訊ねようにも、声を掛ける隙間も無かった。

「もう逃がさないぞ。お前はボクの友達だからな! 絶対に逃がさない!!」

 身を捩って逃れようとするミダを、アーデルは押さえ付ける。

「貴方は……!」

 続いて別の人物がエスに駆け寄った。アーデルの執事、ギルベルトだ。陽光の下に見るギルベルトの肌は、やはり具合悪そうに青白い。

「良く御無事で」

「ああ、まあ……そちらこそ」

 思いも寄らない再会に多少戸惑いつつ、エスは挨拶を返す。

 ギルベルトは、この様子を不安げに見ていた男達とエスとの間に立ち、

「大丈夫ですよ。こちらの方達は知り合いです」

 慣れた様子で男達へ言う。すると俄には信じ難い様子ながら、男達は徐に構えを解き、互いに目配せをして去って行った。

「彼らは?」

「難民です。戦争で家を焼かれたひとや、帝国の圧政から逃れて来たひと達です」

 それより、とギルベルトはエスの顔をまじまじと覗き込んだ。

「どうしたのです、その顔は?」

「ああ……」

 右手で黒い文様の上った頬に触れ、苦笑いを漏らす。

「……ちょっと悪ぶってみただけです」


 どうしてここに居るのかと、エスは訊ねた。ギルベルト、いや、アーデルにとっては、戻ってはいけない故郷であったはずだ。するとギルベルトは、

「子供にする隠し事は、長続きしないものですから」

 とだけ、感慨深げに答えた。

 ギルベルトに先導されて行った村はずれに、集落が築かれていた。と言っても、馬車の(ほろ)や焼け残った布を貼り合わせた様な、簡単なテントの集まりだ。それらが十張程で、寄り集まった人々の数は三十前後。皆一様に疲れ切った顔をして、中には幼子を抱えた女の姿まである。悲壮感漂う情景だ。彼らは訝しげにエス達を眺めたが、ギルベルトやアーデルの姿を傍に認めて、安心した様子だった。

 ギルベルトに導かれたテントの中で、やつれた女が座っていた。年頃は二十代の様だが、落ち窪んだ眼窩と痩けた頬とに疲弊が見て取れる。

「ハンナです。身の回りの世話を御願いしています。ハンナ、こちらはエス様と……」

「カティアだ」

 ハンナが頬の皮を弛ませると、細かな皺が出来た。それでも、心根は優しいのだろう、柔和な微笑みである。

「エスさんとカティアさんですね。そちらの坊やは?」

「コイツはミダだ。そうだ! ハンナ、ミダはボクの友達なんだぞ!!」

 割り込んでアーデルが答え、ミダの手を引き、ハンナの前に立たせた。ハンナは地面に腰を下ろしたままでミダと目をかち合わせるや、より一層に目尻を下げた。

「そうなの。良かったわ。よろしくね、ミダ」

「ああ、うん……」

 急に、ミダの胸を打つ鼓動が早まった。ハンナの痩せ痩けた顔が怖いとは思わなかったが、寧ろ、言葉から感じる温かさや優しさ、愛情に似たそれが、ミダの胸を押し潰そうとしたのだ。

 この瞬間、ミダは初めて母性に触れた。

「なあ、ギルベルト。ミダと遊んで来ても良いか?」

「それは困りますね。わたしはこちらと話が御座いますから」

「あたしが一緒に行きますわ」

 細い身体も重たげに、ハンナが腰を上げる。詫びるギルベルトをよそに、アーデルは大はしゃぎでミダとハンナを引き摺って、表へ出て行った。

 さて、と都合良く人払いが出来た所で、閑話休題とギルベルトは話を切り出した。

「経緯を御聞かせ願えますか」

 エスはこれまでの事を包み隠さず打ち明けた。勿論、カティアが帝国の兵だという事もだ。しかし存外に、ギルベルトは怒りも、驚く素振りも見せなかった。あくまで冷静な男である。あまつさえ、

「それで御怪我を……生憎、薬は手に入らないので、申し訳ありませんが……」

 等と、気遣う言葉さえ口にする。他の者だったら、飛び掛かってきたかも知れない。

「……帝国を憎んではいないのか?」

「恨んでますよ」

 カティアの問いに、ギルベルトはさらりと答えた。

「わたしも家族を失いましたから、怨恨は。ただ、その矛先を向けるべき対象は、たったひとりの兵や、人間ではないでしょう」

 十年という時を掛けて、ゆっくりと考えて導き出した答えだったのだろう。さっぱりとした様子で、淡々と語る。

「恨むべきはこの世界です。脆くて儚い、この世の中でしょう。殺し合い奪い合う。それが当然と許してしまう、馬鹿馬鹿しい、狂った世界……」

 カティアを見て、不思議そうな顔をなさっていますね、とギルベルトは笑う。

「わたしは人間が好きなのですよ。傷付けられて尚傷付けるのを嫌い、ひとを愛そうとする人間が、堪らなく好きなのです。弱々しくて、脆弱さを晒せば馬鹿を見ると強がり、見えない恐怖に怯える。人間は、本来そうした性質を抱えているものです。わたしも多分に漏れません。貴方もそうでしょう?」

「だが、世界がもし狂っているとして、そうさせたのはひとの意思ではないのか」

「ええ。しかし、世界を作っているというのは、人間の傲りですよ」

 ギルベルトは微笑する。

「個人の意思と全体の意思とは違うものです。全体の悪意の中では個人の善意など、川底に沈む砂の様なもの」

 ギルベルトの弁に釈然としないのか、カティアは舌打ちと共に一度下ろした腰を持ち上げた。

「ここは……息が詰まるな。少し散歩をしてくる」

 そう言い残し、足を引きずって去って行く。

 地を擦る足音が遠ざかるのを確かめて、ギルベルトが言った。

「彼女は嫌いなのですか? 人間が」

「そうかも知れない」

 答えてから、エスは口を引き結んで、ギルベルトの目を見る。

「……どうしたのです?」

 エスが何か言いたげだと、ギルベルトには勘付かれている様だった。

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