Ep.23-1 黄金の帰郷
旅の終着点が間近に迫ったエス達一行の前に、帝国の兵が立ちはだかった。数十名と少数だが、精鋭揃いの強者共である。
「カティア様、お助けに参りました」
そう言った兵士の顔に、カティアは見覚えがあった。
「フューラー」
「知り合いか?」
「ああ。私が剣を教えた」
帝国でカティアは新兵の訓練をしていたが、その中でもフューラーは、飲み込みの早さ、太刀筋の良さで憶えている。
「さあ、カティア様。どうぞこちらへ」
フューラーが手を差し出す。そこに他意は無い様で、カティアを罪人として捕らえようという意図は感じられない。しかしカティアは頭を振り、これを拒絶する。
「悪いがそれは出来ない」
「何故です? 貴方様を疑う者など、誰一人」
「そうではないのだ。私には、まだやる事がある」
ひとの命を弄び私腹を肥やす、憎きベックマンを殺す。カティアの抱いた怨みの炎は、帝国への反逆となるだろう。それでも構いはしない。カティア自身承知しているのだ。だから目的を達するまで、帝国に戻る事は出来ない。
しかし、復讐を果たした後に自らの身をどう処するかは、未だに結論が出せなかった。
「行け、カティア」
エスは背を向けたまま言う。
「お前に出来る事は、しなくてはいけない事は、生きる事だ。それ以外を考える事は無い」
カティアが復讐を諦めていない事は知っていた。カティアが帝国に牙を剥けば、罪に問われてか、或いはカティア自身の誇りがそうさせてか、カティアは死ぬだろう。
何も望まない。ただ生きてくれれば良い。エスは心からそう思う。
「……私にそれが出来るだろうか。いや、出来ぬのだと思う。だから」
カティアは剣を抜く。
「帝国へは戻らない」
「お手向かいすると? ……ならば!」
フューラーも応じて剣を抜く。続いて、兵士達は一斉に剣を構えた。
エスは舌打ちを一つ漏らし、呟く。
「……馬鹿野郎」
ルートガーは横たわったまま、幻影を捕まえようと天井へ向け手を伸ばした。愛した女の、彼の為だけの笑顔は、ありもしない虚像だと知っていながら、そうせずには居られなかった。包帯に巻かれて指も開かぬ手だ。やがて力を失い、落ちた。
ガルディアスの帰国と共に、帝国内の兵営に運び込まれたルートガーは、一日中をそうして過ごしていた。夢とも現とも付かぬ中で、カティアの幻と共に居た。ルートガーを狂わせたのは、全身の痛みと発熱、そして喪失感である。
そんなルートガーの元を訪れたのは、将軍・ガルディアスだった。ルートガーは反射的に身体を起こし敬礼の姿勢を取るが、ガルディアスはそれを止める。
「良い。そのままにしてくれ」
肩を軽く押され、ルートガーは素直に従う。正常とは言えないながらも、まだ正気を失った訳ではない。
ルートガーは今の所、身元不明者という扱いだった。知れているのは、精々帝国の兵、カティア配下の者であるという事くらいだ。
言葉を発する事が出来なくなっていた。手の神経まで焼かれ、筆を持つ事もままならない。問われて頷くか首を横に振るか、目で訴える他に、ものを伝える術を無くしてしまった。
今、ルートガーの目が言うのは、将軍が一兵卒に何の用か、である。
「調べは受けたな? 私も報告は聞いた。だが、直に訊ねたいのだ」
ルートガーの意図を読み取ったのとは別だっただろう。慰めや労いは無意味とばかりに、ガルディアスは用件を切り出した。
「火を放ったのは、カティアか?」
断じて違う。ルートガーは頭を振る。
「ならば、お前か?」
ルートガーはまたも否定した。
「お前は、誰の仕業か知っているのか? ……いや、無意味な問いか。答えられぬのでは」
ルートガーは頷くでも無く、ただに――。
「何故睨む」
ガルディアスは眉根を寄せた。ルートガーの目が、包帯の隙間からじっとガルディアスを睨め付けていた。
「憎いのか、私が」
お前の所為だ、と言う言葉は形を成さず、醜い唸り声となる。マリナを使わしたのはガルディアスだ。マリナの事情を知らぬルートガーにとって、それだけが事実なのだった。
しかし、ガルディアスには与り知らぬ事だ。
「……そうだな。私の責任だ」
一生でもカティアを傍に置いておけば良かったのだと、悔いる。カティアを軍人として育てた手前、軍属としての役目を与え、立身出世の機会を与えてやろうと考えたものの、今こうして心を痛めているのは、我が子可愛さであると言わざるを得ない。
ガルディアスは、カティアを愛している。普段は押し殺している想いだが、今この時ばかりは、実感して止められないのだった。
ガルディアスはルートガーに、火を放たれてからの経緯を語って聞かせた。
「攫われたが、あの時はそれで良かったのだ。名誉を保つ為の死に、一体どれ程の価値がある?」
言葉はルートガーへ向けられていたが、半ば自問だった。
軍人として、政治に携わる者として――そんな気概など捨てて、父として、我が子を止めるべきだったろう。その事に今更気が付く様では、親代わりとして失格だ。
「……捜させて居る所だが、カティアはもう、戻らぬかも知れぬな」
雷電を操る若者が何を考えるかは知れない。しかし、カティアの事はよく解る。帝国へ戻る事は、すなわち生き恥を晒す事だと思うだろう。強情な娘だ。誰が何を言おうと、頑として聞き入れはしない。
不意に、ルートガーの目から涙が溢れ出し、包帯に染みた。ルートガーは寝返りを打ってガルディアスに背を向けるが、漏れ出る嗚咽は隠す事が出来なかった。その様子を見たガルディアスは、
「そうか。お前は……」
呟き、踵を返して、部屋を出て行った。涙を忘れた父の代わりに、泣いてくれる者がいるのだと、カティアの心象に話し掛けながら。
倒れ伏した兵士達の中で、カティアとフューラーは対峙していた。間に立とうとするエスを、カティアは片手で制する。
「手を出すな、エス。これは私の戦いだ」
しかし、と言い返そうとカティアの横顔を見て、エスは口を噤んだ。有無を言わさぬ迫力に、エスは目を逸らし、そっと退いた。ミダも、クラウスの影に隠れて見守る。
「……カティア様、反逆は大罪です。まだお手向かうなら、斬らねばなりません」
師弟の誼からフューラーは言うが、カティアは断固として聞き入れなかった。
「嘗めるな。脚の一本利かぬ程度で」
剣を水平に目線と同じに掲げ、左脚を退き、右脚を支えに、腰を低く落とす。
カティアの構えを見たエスは、ぽつりと呟いた。
「……似ている……」
その声は、フューラーの掛け声に掻き消された。
勿体ぶった戦いをするな、というのは、カティアの教え通りだ。手負いと見て、先制を仕掛けて来たに違い無い。
フューラーの放った刃がカティアの剣に打ち当たり、鋭い音を立てる。剣は手を離れ、天に舞った。剣を奪わんとするフューラーの思惑である。
剣を失ったカティアは、不敵に笑う。
瞬間、フューラーの視界からカティアが消えた。一息に懐に潜り込み、地を這うほどに、姿勢を下げたのである。そこから、右脚と腕のバネで飛び上がり、フューラーの鳩尾を強烈な抜き手で打ち上げる。
エスの時とは違って手加減をしたのか、フューラーは呻くと共に蹲る。その手からすかさず剣を取り上げ、首元に突き付けた。決着はカティアの勝利である。
回転しながら降って来た剣を、エスが右手に掴み取った。
カティアは、脂汗を浮かべて見上げるフューラーへ言い放つ。
「剣を奪った事で油断が生じた。剣に拘るな! 勝ちに拘れ!!」
それは指導者の口振りだった。その声音にフューラーは思わず、
「は、はい、教官……!」
訓練兵に戻ったかの様に、答えてしまう。すぐにハッと気付き、恥じらう表情を見せた。フ、とカティアは笑い、フューラーの眼前に剣を突き立てた。
「少し行った所に小川がある。彼らは半日は起き上がれぬだろう。すまないが、頼む」
深々と頭を下げる。
フューラーは唖然と言葉を失った。今目の前に居る女が、見知ったカティアとは別人に思えたからだ。剣の手解きをするカティアは、まさしく切っ先の鋭い刃の如くに冴え、冷徹だった。しかし今のカティアには、加えてしなやかな柔らかみ、儚げな繊細さまで感じる。より人間らしく、いや、より女らしくなった様だ。師弟の関係が離れたからではない。きっと何かがカティアをそうさせている。
その変化が良い事なのか、悪い事なのか、フューラーには判らなかった。
カティアはヒューラーに背を向け、エスに向けて言う。
「行こうか」
「……ああ」
軽く頷くエスは、何故か悲しげに眉を寄せていた。
歩みを始めた一行は、また森の中に入っていた。初めの頃は、正面から行くのを避けるつもりかと納得していたカティアも、次第に不可解さを募らせた。
エスは西の方向へ真っ直ぐに目指している様だ。道からは大きく外れ、森は深くなる一方。帝国の中心地、宮殿のある方角は北である。
「わぶッ!」
カティアの避けた枝葉が跳ね戻り、ミダの顔に直撃した。
「すまない。大丈夫か?」
「うう。まあ、大丈夫だけどさ……」
ミダは顔をばさばさと払いながら、溜まっていた疑問を口にする。
「こっちで合ってるのか? 道」
「いや、合っていない」
カティアは即座に答え、同調してエスへ訊ねた。
「一体どこへ向かっているんだ? 目的地は近いぞ」
答えず、足を止める事もせず、エスはひたすらに草木を分け入って行く。
「おい。地図も無いんだぞ。戻って道なりに進んだ方が賢明じゃないのか」
これ以上深入りして樹海にでも迷い込んでしまったら、太陽が見えず方角が解らず、二度と出られなくなる。それでは元も子も無い。そんな事はエス自身百も承知だろうが、聞く耳を持つ様子は無かった。
「おい、エス! 何考えてんだよ!!」
苛立ったミダが叫ぶと、漸くエスは足を止め、振り返る。
「寄り道したくなったんだよ」
たったそれだけ答えたきり、また口を閉ざしてしまう。
「……全く。道草などしている場合か」
カティアは舌打ちした。
エスはどんどん森をの中を突き進んでいく。今更一人引き返す訳にもいかず、ミダは渋々後に続いたが、しかし不安で堪らなかった。
ここのところのエスは、まるで掴み所が無い。まるで何かを隠しているかの様だ。事実、そうなのかも知れない。思い詰めた様子でいるのは、何か語れぬ事情を抱えているからではないのか。だとしたら歯痒い。
ミダは意を決して、訊いてみた。
「なあ、エス。あんた何か隠してるのか?」
率直な質問に答えは返って来ない。だがミダは構わず問いかけ続けた。
「何かあるなら話してくれよ。何にも無いなら、オレの目を見てはっきり言ってくれよ。オレ達、ほら、その……仲間だろ?」
仲間という言葉に、ミダ自身違和感を覚える。旅の仲間、同じ場所を目指す仲間、そういう意味では全くその通りなのだが。
一体どれ程、エスという男の事を知っているのだろう? 知る努力はした。いくらかは知った。でもエスの奥底は、未だに霧に閉ざされたままだ。寧ろ、時を重ねる毎、出来事を乗り越えて行く度に、知らぬ男になって行く。
エスは話す必要は無いとばかりに、何も答えない。代わりに、
「そろそろだ」
などと独りごち、一心不乱に草を掻き分ける様は、気が触れた様でもあった。
しかし、エスの呟きが虚言でないと解ったのは、すぐ後の事だ。
不意に木々の切れ目に出る。視界を埋め尽くしていた緑や茶色が一旦に開けた。未だミダの膝程までに草が生い茂っているが、踏み締めた地面の感触は、確かに石畳のそれだった。
エスが指差す先に、崩れたアーチがある。同じものを目にしたカティアは、顔色を曇らせた。
「ヘイデン公国……失われた国」




