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Ep.20-2 謀略の黄金

 知らせを受けたガルディアスがキルヒアイス公爵の許を訪れたのは、カティアの捕縛されたその日、昼と夜とが融け合う、暮れ泥む頃だった。

 謁見の間。キルヒアイス公爵は、倦み疲れた顔で背もたれに身体を預けている。しかし、ガルディアスの顔を見ると、薄く笑みを浮かべた。

「おお、ガルディアス。かつての友よ」

 公爵とキルヒアイスは、共に剣を学んだ仲だった。無論、身分の差が馴れ合いを禁じたが、そこには確かに、剣を通してでしか得られぬ友情があった。

 公爵に面して、ガルディアスは跪かず、直立したままだった。

「ミハエル殿……いや、公爵殿下」

 顔付きは厳しく、旧友との邂逅を喜ぶものではない。公爵もその表情を読み取り、顔色を曇らせる。

「……そうであろうな。将軍殿が、わざわざ旧交を暖める為に参ったのではあるまいよ。カティアの事か」

「左様に」

 淡々とした返答に、公爵は嘆息を吐いた。顔中に苦労の跡がありありと刻まれる。

「残念でならぬよ。何故に……何故に付け火など……」

 ほう、とガルディアスが公爵の言を遮った。

「カティアが放ったと仰る?」

(わし)とて信じられぬよ」

「いまいち噛み合いませぬな。いや、敢えてそうしていらすのか」

 公爵は片側の垂れた眉を持ち上げて、ガルディアスを見下ろす。

「何が言いたい?」

「あくまで白を切り通す御つもりなら、これを御覧頂こう」

 そう告げ、ガルディアスは懐から何かを取り出す。煤け、鞘と鍔とが焼け付いているが、短剣の様である。公爵は以下の兵を呼び付け、その手を伝って公爵に渡された。

「これは……儂の兵に与えられるものだが、どこで見付けたね?」

「焼け落ちた宿、カティアが火を放ったとされる宿にて」

 公爵の眉間に皺が寄る。

 キルヒアイス公爵の城下で火の手が上がったと聞いたガルディアスは、すぐに配下の兵を数名調査に向かわせた。火事は領主に責があり、如何様に処すかは帝国の判断であるが、なるべく厳罰に問われぬ様にと慮っての事だ。

 しかし、焼け跡で発見したのは、ガルディアスの期待を裏切るもの、帝国配下の兵らの死骸と、あるはずの無い公爵臣下の短剣。そして、カティアへの容疑だった。

 この知らせを聞いたガルディアスは、疑念を胸にこの場へ駆け付けたのである。

「殿下、御聞かせ願おう。何故その剣が焼け跡にあり、カティアを疑われるか」

 公爵は唸る。

「……その物言い、あらぬ嫌疑を掛けているのは、そちらに聞こえるが」

 問い返され、じっと公爵の目を見据えたガルディアスだが、徐に答えた。

「あらぬでもありますまい」

 毅然とした物腰に、公爵は眼を細め、感慨深げに呟いた。

「成る程な」

 頭痛を抑えるかの様に、こめかみを揉む。ガルディアスには、その仕草が彼の知っている公爵とは別人のものに見えた。

 数年ぶりに会った旧い友人は、見違える程に老け込んでいた。元よりの痩せこけた風貌と、若くして一国一城の主を担う重責が、公爵を歳よりも年増に見せていたが、しかし、この変わり様には驚きを隠せない。ガルディアスの耳にも噂に聞こえた、弟君の事件に病まされたのかも知れない。

「まさか、お前まで狡猾な手を講ずる様になるとは。かつての質実さは、地に落ちたか」

「何が仰りたいのか」

「聞き及んでいるよ。南方の小国を攻め落とすに、内紛を誘ったそうじゃないか。儂の知っているお前は、卑劣ではなかったのだがな」

 そう言い、どこか自虐的な嘲笑を浮かばせる。

「……賢しくなったものだ。小狡く、な」

 細めた眼から、蔑みの籠もった視線が送られるが、ガルディアスは言葉を返さなかった。

 真に守るべきものは何か。将軍という地位に就いて以来、頻繁に考える様になった。配下の兵達、国の民、主君。そこへ己を差し挟む余地など無く、自らの意志や信条など、曲げる事を厭ってはならぬのだ。保身には価値が無い。自信という意固地さに意味は無い。守らなければならないものは、いつでも自己の外にある。

 ならば、何と言われようと構いはしない。悪にもなろう。そうした覚悟が、将軍ガルディアスという大樹の幹となっていた。

「共和国の名残は好まぬのだろうな……皇帝は」

 公爵が何を疑っているか、ガルディアスは漸く知った。

 示威的にヘイデン公国を滅ぼした後、王国を中心とした共和国が樹立した。しかし実際は、一人の王が支配する王国となり、王が皇帝を名乗ったその時から帝国となった。帝国に取り込まれた国々の支配者達は諸侯と扱われ、その手にあったはずの土地や国民が、帝国から預け与えられたものとされてしまう。

 帝国の脅威に、異を唱える者は誰一人として居ない。だが反感は未だに燻っている。今は仄かな火でしか無いそれぞれが合わさり、燃え盛る炎となって帝国、皇帝に襲い掛かったなら、たちまちの内に燃え上がり、後に消し炭だけを残す事になるやも知れない。皇帝の抱える危惧である。

 だから、ガルディアスは今この場に立っている。ほんの僅かでも諸侯から火の手が上がろうものならば、踏み消さなくてはならない。国の為、主君の為。例えそれが、友と呼んだキルヒアイス公爵であったとしても。

 それは逆も言える。諸侯からすれば、ほんの僅かでも煙を上らせれば、帝国に潰される理由となり得てしまうのだ。故に、諸侯達は一様に服従を誓い、なるべくの静けさを取り繕っていた。互いが互いを疑り合う事で均衡を保ち、恐怖し合う事で平和を享受している。

 だが、天秤は揺らいだ。

「……殿下も御解りのはずだ。皇帝陛下は諸侯方々との間に和平を望まれている」

「そもそもの平和を崩したのは誰だ。争いを産み出し、平和を仮初めなものに変えたのは!」

 公爵は声を荒げた。

「ヘイデンを忘れるな!!」

「忘れられるものか!!」

 ガルディアスはきっと公爵を睨み上げた。ならば何故だ、と公爵は問う。

「何故カティアを戦場に駆り立てた。ヘイデンの忘れ形見を、何故政治の道具に使う」

「利用しているつもりなど無い! カティアは……」

 言い掛けて、ガルディアスは口を閉ざした。何を言った所で、聞き入れられるものではない様に思えたからだ。

 カティアは生きる意味を失っていた。国を無くし、家族を亡くしたカティアには、彼女自身さえ無くなっていた。そんなカティアを手元に置き育て、剣を持たせたのは、ガルディアスなりの贖罪だった。立つ足場の無いカティアに剣の道を与え、生きる理由を与えたかったのだ。結果、戦いの中でしか生きられぬ女になってしまったが、間違いだったとは思わない。それでも生きているのだから。

 幼いカティアの腕を思い出した。幾重もの傷痕で輪郭が歪んだ腕。鮮血が流れ、右手には短剣。

 ガルディアスが閉口したのを否定出来ぬと捉えたのか、公爵は、利用しているのさ、と継いだ。

「今もまた利用しているではないか。カティアの事を頼むお前に父親を見たものだが……変わってしまったのだな、将軍」

「……変わってしまわれたのはそちらかも知れぬ、ミハエル・フォン・キルヒアイス公爵」

 寂しげに眉を顰める。

「聡明剛毅、冷静沈着な貴方は、どこへ行ってしまわれた? 何がそうさせた? 弟君の事からだろうか?」

 瞬間、公爵は身を乗り出して怒鳴り上げた。

「弟の話をするんじゃない!!」

 急激に目を血走らせ、獣の様に歯を剥く。

 やはり変わってしまったのだと、ガルディアスは諦めの付かぬ、やり切れぬ気持ちを覚えた。

 不意に、扉を開け放って、一人兵士が飛び込んで来た。

「こ、公爵殿下ッ!」

 肩で息をしながら、慌てた様子で叫ぶ。公爵は真顔に戻り、深く椅子に掛け直り、まるで何事も無いかの様に振る舞った。

「騒々しいぞ。何かあったかね」

 普段通りの砕けた口調である。

「ぞ、賊が……!!」


 弾き飛ばされた兵が壁に打ち当たり、崩れ落ちる。

「道を空けろと言っているんだ! ぶっ倒されたいか!!」

 エスが道を塞ぐ兵達に躙り寄るとその分退くが、通そうとはしない。舌打ちと共に、左腕から青い火花が散る。

「こ、公爵様に近付けさせるな!」

「公爵に用は無い! カティアだ!! 彼女はどこに居る!!」

 叫ぶが、やはり兵は逃げ腰ながらも引き下がらない。

 仕方無しとエスが電撃を放つと、その場の全員が一斉に倒れた。気を失った兵士達を飛び越え、入り組んだ通路を突き進んだ。

 謀略の臭いがする。皇帝のものか公爵のものかは知る由も無い。だが(にえ)にされようとしているのは、紛れもなくカティアだ。何としても阻止しなくてはならなかった。

 この世界は狂っている。利己主義者が命を弄び、他者の死を糧に生を食む。自己の為の犠牲を強要し、好き放題に奪っていく。それが当たり前だと思っている。巫山戯た世界だ。

 いや、そんな義憤などは、この際は関わり無い。

 カティアを失いたくないのだ。たった一つの単純明快な理由こそが、エスを直走らせる。すっかりと煤に塗れた剣を握り締める右手に、思わず力が籠もった。

「噂通りの人だなあ」

 ふと、一人の男が立ちはだかる。武器も持たず、身構えもせず、頬を引き攣らせて笑う男だ。

「退け! 邪魔をするなら……」

「いやいや、邪魔立て気なんて毛程もござんせん」

 出で立ちは兵士のそれだが、しかし口振り佇まいは、まるで浮世人の様である。腕に覚えがある様にも見えず、ましてや、見たところでは武器も持っていない。

 只者ではない――エスはそう直感し立ち止まった。

「何者だ、お前は」

「ボクが誰かなんてのは、今この時にはどうでも良い事じゃあござんせんか。お急ぎでやんしょ?」

 男はへらへらと笑い、同様に諸手を振った。

「ダンナがお探しの女なら、この先を右に折れた所の階段を上って、牢屋の奧におりますぜ。早くお行きなせえな」

 そう廊下の奥を指差す。

「何故だ」

「ナゼもハゼもありゃしませんぜ。たまには職務放棄したくなる時もあるでやんしょ?」

 何処までも食えぬ物言いをする男をエスは訝しげに睨むが、背後から追っ手の声が聞こえ、立ち止まっている場合ではないと男の横を走り抜けた。

 言われた通り突き当たりを右に曲がり、階段を駆け上る。男の事をはなから信じた訳ではないが、しかし逡巡の暇は無く、闇雲に走る時間も惜しかった。

 僅かな光しか差し込まない、洞穴の様な間に出る。しんと静まり返り、ひとの気配は無い。そこが牢獄なのだとすぐに知れた。

「カティア!」

 エスが叫ぶと、最奧から呻く様な声が答えた。

「……またお前か」

 カティアの声がする方へ駆け付ける。格子戸は開け放たれていた。

「騒がしい声を聞いた。全く怖いもの知らずなのだな、お前は」

 吊り下げられたカティアは、疲弊し切った目を上げ、薄く笑った。

「剣を探してくると約束したからな。それに、火の中に比べれば屁でもないさ」

 エスも笑い返し、冗談めかす。

 カティアを抱き抱えつつ、鎖を引くと、根本から断裂した。床に下ろしつつ、手枷にも手を掛ける。

「鍵なら、きっとあの辺りに……」

 言うが早いか、エスは錠を強引に引き千切っていた。カティアは手首をさすりつつ、呆れる。

「……とことん人間離れしていくな」

「俺もそう思う」

 あれだけ走り力を使っても、息切れ一つしていないし、汗一つかいていない。腕力も以前より増さっている様だ。左腕の文様が広がった事が影響しているらしい。

「それでも、まだ人間だと信じたい」

 やおら壁に向かって雷撃を放てば、容易に壁は崩れ、城下の景色が広がる。

「ああ、お前は立派に人間だよ」

 皮肉めいた事を言うカティアに顔を顰めつつ、剣を持たせ抱え上げると、エスは空へ飛び出した。

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