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Ep.20-1 謀略の黄金

「全く、驚かされるな」

 カティアの回復力は目を見張るものがあった。翌日には身体を起こして壁に凭れ、自力で水も飲める様になったし、食事も取れる。未だに血の気が足りず目眩を起こすらしいが、パンを噛み千切るだけの力は蘇っていた。

「あんまりがっつくなよ。また吐くぞ」

「五月蠅い」

 体力を取り戻そうと必死な様子だ。エスは肩を竦めた。

 左脚がもう元の様に利かないだろうとは、まだ告げていなかった。しかし、カティアは自ら悟っているのかも知れない。それ故に焦っている様でもあった。

「じっとしてはいられない。私にはまだやる事がある」

 口に残るパンを水で流し込みながら、一息に言った。

「報復か?」

「いや、仇討ちだ」

 横目にエスを見遣るその目は、決意に満ちている。

 エスはまたも無性に悲しくなる。まともにも歩けぬ、剣を振るう事も出来ぬでは、一体何が出来ようか。そして、怨みを剣に込めるのは、カティアの重んじてきた騎士道をかなぐり捨てる事ではないのか。それでも為さねばならないと言うのなら、カティアはただの復讐鬼に成り下がってしまうだろう。

 エスは、カティアのそんな姿を見たくないのだ。

「……何があった?」

 そのたった一言を訊ねるのに、どれだけの勇気が要ったか知れない。悲哀から出た言葉をはぐらかす様に、エスは早口に続けた。

「別に、言いたくないのなら無理には聞かない。だが俺だって危ない橋を渡らされたんだ、聞く権利はあるだろう? だから、さ……」

 尻すぼみにエスの声が途切れると、カティアは鼻で笑った。呆れた様でもあり、心からの可笑しさを抑えきれなかった様でもある。

「不器用な男だな、お前は。気になるなら気になると言えば良い」

 別段、言わずにおくべきと思っていたのではない。ただ、これまで訊ねられなかったから話さなかっただけだ。

 カティアはぽつりぽつりと語り出した。マリナという娘の事、あの晩に起きた事を、掻い摘みながら話して聞かせる。

「……彼女の事を恨んではいない。包み隠さず言うなら、姉と呼ばれ、慕われて、喜びさえ覚えていた。私が許せないのは、運命や宿命とやらを弄ぶ輩だ」

 それはエスにも思うところがあった。エスも作られた運命の上を歩まされているのだから。

「弱きが故に蹂躙される……それが耐えられないのだ」

 まるで、自身の事を吐露しているかの様だ。

「目星は付いているのか」

「ああ。お前も見知った男だ」

 誰の事を言っているのか、それはすぐに思い当たった。太った醜悪な男、ベックマン。

「非道なやり口……あの男しか他にあるまい」

「だが、お前のその……」

 その脚で、と言い掛けて、エスは言葉を切る。カティアは小さく頭を振った。

「問題無い。脚の一本が利かずとも、奴を切り伏せるなど造作もあるまいさ」

 やはり、とエスは目を伏せた。

 最早、何を言おうとカティアは聞き入れないだろう。エスは深い溜息を一つ吐き、すっくと立ち上がった。

「……少し頭を冷やせ」

「考え直す気は無いぞ。敵は討つ」

「解っているよ。けどな、騎士様が剣も持たずにどうするって言うんだ?」

 言われて、漸く手元に剣が無い事に気付き、ああ、とカティアは呟いた。落ち着いて見せているものの、内心は、冷静でいられないのだろう。

「仕方の無い騎士様だな。仕方が無いから、剣を探して来てやるか」

 エスはそう言いながらくるりと背を向け、早足に出て行った。


 暫く後、ミダは、何事か考え込んでいるカティアに話し掛けた。

「……何か言えよ」

 何とも滑稽な話し掛け方だ。ミダ自身そう思うが、それ以外に上手い言葉が思い浮かばなかった。

 カティアは顔を上げ、ふくれ面をしたミダを見据える。

「何かとは、つまり礼か?」

「そうだよ」

 自然と棘のある物言いになってしまう。カティアは明らかな嫌悪感を向けられて尚、フ、と含み笑いを漏らした。

「助かった。礼を言う」

 身体ごとミダに向き直り、悪びれもせず頭を下げる。ミダは更にむか腹を立てた。大人の余裕というものを見せ付けられているのなら、これ程勘に障るものは無い。

 誰の助けがあって生き延びたか、そこの所がカティアには解っていない様に思えた。

「……死ねば良かったんだ」

 わだかまる気持ちを咀嚼出来ぬまま呟いた言葉は、本音ではなかった。

 だが、少なからずそう思っていたのは否定し得ない。嫉妬心や対抗心が一過性の憎悪となって、罵詈雑言が口を突いて出たのは確かだ。

 そんな言葉を差し向けられて、カティアは声を立てて笑う。

「ハハッ。私も、そう思うよ」

 上下の唇が薄く開き、白い歯が覗く。

 微笑みは、自棄(やけ)の様でいて、それでいてどこか儚げでもあった。

「私は、あの時あの場で、死ぬべきだったのかも知れない。それが命運だったのかも知れない。でなければ、兵達の死も、彼女の死も、全て無駄……」

「決めつけんな!」

 思わず怒鳴る。

「運命なんて、誰に解るんだよ! 全部決めつけだ!!」

 矛盾を知りながらも、ミダはそう叫ばずにいられなかった。運命を呪ったミダは、もうかつてのものだ。

「……そうか。お前も奴に運命を変えられたのだな」

「違う! 変わったのはオレ自身だッ」

 出生や僅かな人生が運命になぞったものだったのなら、カティアの言う通りだろう。だが、もし仮に運命というものがあるのなら、エスとの出会いが運命だったのだ。ミダはそう思っている。そして、ミダの抱えた信念、エスに対する気持ちや感情は、神や誰かの決め事ではなく、ミダ自身が選んできたものだ。そう信じている。

 叩き付ける様な語調に、カティアは笑みを止め、眉根を絞り寄せた。

「……そうかも知れん。思えば、私も狂わされた……」

 左の顔面に手をやる。指先で包帯の縁をなぞり、やがて、その手をだらりと落とした。

 虚ろに視線を漂わせ、細く息を吐く。

「騎士道……そんなものは最初から……」

 呟き、小さく頭を振ると、不意にミダを見上げた。

「ありがとう。済まなかった」

 妙に明るい口調で言う。ミダは驚き、返す言葉を失った。

 何かを吹っ切った様に、柔らかく微笑みを浮かべた。

「ミダ、私は……」

 そう言い掛けた時、クラウスが突然吠えた。

 途端に、大きな足音を立てて、大勢の兵士達が空き家に雪崩れ込んでくる。咄嗟にミダはカティアに駆け寄りる。兵士らは二人を取り囲み、剣を突き付けた。

「カティア殿、で御座いますか」

 先頭の一人が言う。

「昨夜の一件について、お聞きしたい儀が御座います。城までご同行願いますか」

 あくまで丁寧な物腰だが、有無を言わせぬ物言いだった。

「私が火を放ったとでも言いたげだな」

「……兎も角、詳しいお話は城の方で伺いましょうか」

 疑っているのは明らかだ。そんな訳があるか、とミダが喚く。

「このネエちゃんだって怪我してんだ! 見りゃ解るだろうが!!」

「……こちらの少年は?」

 問われたカティアは頭を振る。

「火事で家と親とを焼かれたらしい」

「左様ですか。では、参りましょうか」

「待てって!!」

 間に入ろうとするミダを、カティアが押し止める。

「悪いが、脚が利かない。手を貸して貰えまいか」

 兵の手を借りて立ち上がると、両脇に別の兵士が立ち、連れられて行く。

「クラウス!」

 それを止める素振りを見せないクラウスに、ミダは叫んだ。だが頼みのクラウスは、聞こえぬと言う風に耳を伏せ、座り込んでいた。


 冷たい石の壁。穿たれた格子窓から日の光が差し込む。赤錆の浮いた手枷に吊され、素足の爪先は濡れた床を掻いた。

 桶一杯の水を打ち浴びせられ、カティアはちろりと薄暗がりを睨む。

「……助かる。丁度汗を流したい所だった」

「まだまだ余裕がありそうで何よりですよ」

 挑発を躱した相手の顔は、翳って窺い知れない。

 服が破れ、露わになった背中には、幾度も鞭で打たれた痕に血が滲む。顔面の包帯は解け、黒ずんだ皮膚が晒される。

「まだ何も訊かれていないが」

 捕らえられてからどれ程の時が過ぎただろう。だが未だ訊問らしい問答は一つも為されず、しかし拷問と呼べる苦痛も与えられず、暗がりで薄ら笑いを浮かべた男一人によって、ひたすら手緩く痛め付けられている。

「……公爵殿下の命ではないのか」

「殿下はご体調が優れませんのでねえ。無駄にお煩わせする事はないでしょ」

 男はへらへらと笑う。

「何を企んでいる!」

 カティアは獣の様に眼孔を閃かせるが、男は居竦む素振りも無い。いやいや、と肩をすぼめた。

「良からぬ企てはそちらがした事なんですよ。そういう事にしておきましょ」

「どういう意味だ」

「まあまあ。解らなくても良いんですよ」

 意味深にはぐらかしながら、さて、と壁に掛けられた拷問具の一つを手に取る。柄の代わりに革紐が結ばれた鍬の様な形をしたものだが、四つに分かれた先は鋭く尖り、釣り針の如く返しが作られている。

「悪趣味ですねえ。平和そうなこの国でも、こんなものを用意しているんですね。ま、使った様子が無いのが救いですか」

 尖端を指でなぞりながら、鼻を鳴らす。

「……そんなものを見せ付けられて、恐れ戦くとでも思ったか」

 カティアは、苦痛や恐怖に支配されぬ術を師から学んでいる。男は、

「いいえ、ちっとも」

 と、詰まらなそうに器具を放り捨てた。

「ボクは女子供を痛め付けて喜ぶ、どこぞのデブとは違いますからねえ」

 それを聞き、カティアはハッと目を見開いた。

「……貴様、ベックマンの手先か!!」

「おっと、口が滑った。……ま、そうなんですよねえ、実際。遺憾ながら」

 飄々と男が答えきらぬ内に、カティアの身体が宙に躍る。

 だが、渾身の力を込めた蹴りは、虚しく空を切った。

「おおっと! そんな事をしたら肩が外れてしまいますよ。いや、しかし驚いたなあ。まだそんな体力が残っていたなんて。やっぱりすごいや」

 驚きよりも感激の勝った、子供の様な口振りだった。

「いやあ、嬉しいなあ。あんな子に殺される訳無いと踏んで正解でした」

「あんな……? マリナの事かッ」

 足元に滞っていた血が、一気に頭に上る。

「なら彼女は……マリナは……!」

 沫を飛ばしながら叫ぶ。男は肩を竦めた。

「何も死ぬ事は無かったのに。ま、犬死にですよ」

「貴様ァ!!」

 拳を握り、身体をよじり、手枷を外そうと暴れるが、無駄だった。それでも構わず、肩の骨が軋み切り裂く様に痛むのも厭わず、男に飛び掛かろうともがいた。

「怖いなあ。そんな怖い顔しないで下さいよ。ボク、こう見えて臆病なんですから」

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