Ep.19-3 黄金は燃え尽きず
「どこに行ってたんですか、先生!」
医者が自身の医院へ戻ると、すぐに手伝いの女が駆け寄ってきた。
「いや、すまん。身動きの取れない患者が居てな……」
あの謎めいた連中の事は、誰にも話していない。はぐらかすしかなかった。
「こっちだって大変なんですッ」
袖を捲った腕を大きく振り回しながら、女は言う。顔中に脂汗を浮かべ、頬に髪の毛を張り付かせていたのが、その言葉を裏付けていた。また新しい患者が運ばれて来たのだろう。
医者は少しだけ、うんざりした気持ちになった。無論というものだが、決して医者としての職務を放棄したくなったのではない。火事から一夜明けても尚、死傷者の数は増え続けている。医者として治療に当たれば、当然ひとが死ぬ一部始終を目の当たりにする。その度に、医者は心臓をえぐり出される様な心持ちになるのだ。
いくつもの命が燃え尽きていく一方で、火を放った者はどこかでのうのうと生き延びている。せせら笑っているかも知れない。そう思うと、憤りを禁じ得ず、それが一層辛いのだ。
奧から叫び声がする。家を揺らす様な低い唸りだ。ひ、と女が肩を縮めた。
男達が一つのベッドを囲っている。皆小程度の怪我人だ。見れば、何者かを押さえ付けているらしい。患者達の合間から、振り上げられる手足が覗いた。
暴れる男は全身に大火傷を負い、外見も解らぬ程だった。それが男だというのも、叫び声と体格とで漸く判別出来るものである。絶叫は痛みを訴えるものとは違い、誰かを呼んでいるかの様だが、最早言葉にすらなっていない。
「や、宿屋から運んで来たんですけど、ずっとこの調子で……ろくに手当も出来ないんです」
何とかして下さい、と女は泣き出してしまった。
医者は抑え込む患者達に離れる様命じて、男の側に寄る。男は皮のめくれた手で医者に取り縋り、白衣に黒ずんだ血液の染みを作った。
「わたしは医者だ」
見れば解るという事も、言うまでもない事も承知で、敢えて強い口調で言い切った。医者は男の手首を掴み、睨め付ける。
「手当てをする。助かりたければ大人しくするんだ」
男は未だに、何事かを喚き続けている。火を吸ったのか、声帯まで焼かれている様だ。何かを懇願する様な瞳で、辛うじて男が年若い青年だと知れた。
青年は誰かを失ったのかも知れない。それも大事な誰か――年頃を考えれば、愛おしい誰かを。何かを訴えんと必死に引く手が、震えている。神経まで焼かれ、感覚さえも失っているだろうに、ありったけの力を込めている。
医者は今すぐにでも噎び泣きたかった。悲痛さに打ち負けて、崩れ落ちてしまいたかった。それはとても楽な事だろう。だが、医者は負ける訳にはいかなかった。
「わたしは医者だ」
決意を口にする様に、もう一度低く告げた。
「死にたければ死ね」
それは剰りに冷酷で、医者らしからぬ言葉だ。その場に居合わせた一同、はっと息を呑む。
「医者は、例え助からないと悟っていても、患者が生きたいと望むなら、治療する。助ける努力をする。だが、要らぬ命なら拾ってやらんよ」
生きる事をやめたなら、ひとはその時点で死者になる。死者はどう手当てしたところで、蘇りはしないのだ。
「生きろ。命がある限りは」
悲しみを胸に生きろと言うのは、残酷なものである。だが、いくつもの死を看取ってきた医者だからこそ、その残酷ささえ乗り越えて生きなければならないのだと、切に願うのだった。
青年の手がずるりと落ちた。ベッドに突っ伏し、嗚咽を漏らす。
「消毒液。あるだけの包帯。それから湿布に水だ」
医者は静かに、それでいて厳しい口調で、女に指示を飛ばす。女は慌てて駆け出して行った。
戸口の辺りに、一人の男が立っている。女が通り過ぎた後で、男は幾度か手を叩いた。
「いやあ、感動的です」
のんびりとして場違いな声音に、医者は振り返る。薄笑いを浮かべた男の顔は、醜く見えた。




