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Ep.19-1 黄金は燃え尽きず

 城下町の外に、黒山の人だかりが出来ていた。皆一様に狼狽え、途方に暮れている。中には泣き叫ぶ者もあった。

「落ち着け! 城が総力を挙げて火消しに掛かっているのだ!!」

 門番は苛立ち紛れに怒鳴った。この事態にあっても蚊帳の外で立ちん坊していなければならず、あまつさえ、外からやって来た不審な男に門を潜らせてしまうという失態まで演じている。

 だが気が立っているのは、逃げて来た町民も同じだった。

「五月蠅い! だったら早くあの火を止めろ!!」

 互いに神経を逆撫で合ってしまう。

 遂に激昂した門番は、町民に槍を突き付けた。兵の横暴許さざる、とは公爵の言だが、そうした戒律は頭の隅に押しやられていた。

 この非常時に、民衆も落ち着いてはいられない。いよいよ暴動にまで発展するか、と思われた時、人々の頭上を黒い影が飛び越えて行った。

「退け! 退け退けッ!!」

 子供の叫ぶ声がする。

 兵の目前に着地した影は、犬だった。それに子供が跨っている。

 たまげる兵は犬に吠えられ、思わず身を引く。犬はその隙に素早く脇を擦り抜けて、門扉へ抜けてしまった。

「男の次は、犬と子供……何なんだよ、もう……!」

 ぼんやりと犬の走り去った方を眺めていた兵は、その場にへたり込んで、おいおいと泣き出した。兵士のみっともない姿を見ては、町民らも意気消沈。とても彼の不甲斐なさを喚き立てる気分ではなくなった。


「どこ? どこだよ! エスは?!」

 町のそこかしこで火が上がっている。まだ逃げ遅れた者が居るのか、悲鳴や、赤ん坊の泣き声が聞こえた。城の兵達が忙しなく駆けずり回っているが、クラウスとミダを見咎める余裕は無い様だった。

 ミダの胸を不安が苛んだ。

「こっちだ」

 鼻を利かせたクラウスは走り出す。

 一際燃え盛る建物を横目に、もうもうと煙る路地へ入る。壁に挟まれた狭い道を行くと、やがて程広い中庭の様な場所に出た。

 中央の井戸に周囲の建物がそれぞれ勝手口を向けていて、洗濯物などが吊されている所を見ると、共同の水場であるらしい。クラウスは井戸に駆け寄った。ミダもクラウスから飛び降りて、井戸を覗き込む。

 井戸の底は見えない。地獄の底へ向かうかの様な闇が続いていた。

「おーい、エス! ここか?!」

 ミダの呼び声は井戸の中を反響する。

「……ミダか!」

 底からエスの声がする。ミダはホッと胸を撫で下ろした。どうしてこんな所に飛び込んだのか疑問はあるが、それでもエスが無事で居た事に、何よりも安堵した。

「這い上がれそうもない。引き上げてくれ」

 エスの声が切迫した調子で言う。エスなら自力で何とか出来そうなものだが、怪我でもしているのだろうか。

 ミダは注意深く釣瓶を下ろしていった。縄を引かれる手応えを感じ、止める。

「よし、掴んだ。上げてくれ」

 釣瓶を下ろすだけのこの短時間に、エスの声は弱々しくなっていた。やはり何かあったのだ。だとすれば早く上げなければと、ミダはクラウスに目配せをして縄を引く。

 重い。縄に噛み付くクラウスの助力があっても、一息に僅かな分しか持ち上がらなかった。ひと一人の重さではない。

「エス、誰か一緒に居るのか?」

 ミダは井戸に向けて訊ねた。しかし、返事が無い。

「エス?」

 井戸を覗き込むと、薄ぼんやりとエスの脳天が見える。エスはぐったりと俯いていた。sどうやら気を失っている様だ。昏睡しながらも、その左手はしっかりと縄を握り締めている。

 これはいけないとクラウスに呼び掛け、縄を引く手に一段と力を込める。ゆっくり、ゆっくり引き上げていく。

 滑車が軋む。支柱がしなる。いつまで持つか知れない。持ち堪えてくれと祈るばかりだ。

 しかし無情にも、突然支柱の一本が折れた。片足を失った柱は大きく傾げ、ミダは思わず井戸に引きずり込まれそうになり、クラウスでさえ足を滑らせた。

 このままでは、エスを助け出すより先に、残りの足まで折れてしまうか、滑車が負けるかだった。万事休す。

<どうしてオレは女なんだろう? どうして子供なんだろう?>

 そんな自問がミダの脳裏に過ぎった。

 腕は、掴んだ縄と殆ど同じくらいに細く、頼り無い。落ちて行こうとするエスを支えているのは全くクラウスで、ミダの力では、僅かの助勢にもなっていない様だ。

 力がなければ誰も助けられない。自分の身さえ守れない。だから、己が女であるのに目を逸らし、子供であるのを拒んで来た。だが、それが力を付ける事には繋がらなかった。

 拒むだけ。抗うだけ。しかし拒み切れず、抗い切れず。ただ諾々と、事態に流されていくだけ――。

 まるで全然意味が無い。認めたくない事実に背を向けるのは、薄暗がりに蹲っているのと似ている。

 自分に出来る事は何か。ミダは考える。腕力の無い自分に出来る事は何か。自分にしか出来ない事は何か。

 考える事をやめてはならない。思考を停止させれば、お前は馬鹿だとエスに嗤われてしまう。そんなのは嫌だった。笑われるのなら、良くやったと褒められる方が嬉しい。頭をくしゃくしゃに撫でられて、微笑まれたい。

「……クラウス! 支えてられるか?」

 ふと思い付き、叫ぶ。クラウスは、ああ、と唸り声で答えた。

 ミダは縄から手を放し、今にも真っ二つになりそうな柱に駆け寄った。ミダにはある策があった。

 何故柱は折れてしまうのか。それはくたびれた木で出来ているからだ。

 何故滑車は壊れてしまうのか。それは酷く錆び付いているからだ。

 もしこれらを頑丈なものへ――例えば金属へ変えられたなら、何も恐れる事は無くなるはずだ。今この時にそんな芸当が出来るのは、ミダを差し置いて他には居ない。

 ミダは手袋を脱ぎ捨てた。汗ばんだ手は、焼けた空気の中にあっても冷たく感じる。

 事足りるだろうか。ミダは不安な面持ちで支柱を見上げる。身体二つ分は背丈があり、ミダの腕がやっと回る程の太さがある。これ程巨大なものを一度に金に変じさせようというのは、初めての試みだった。

 もしかすると、命に関わるかも知れない。

 いや、自分の命が惜しくて、誰かを助けられるものか。触れるのを躊躇いそうになる己を、ミダは鞭撻した。

 一思いに、柱へ両手を付ける。途端、血の気が全て掌から抜け出ていく様な感覚と共に、朽ちかけた木柱が黄金へ変わっていく。じわりじわりと黄金色に染まっていく。

 くらりと視界が揺れ、意識が地の底に飲み込まれそうになっても、ミダは目を開き続け、立ち続けた。じっと広がり行く黄金を見詰める。滑車まで行かなければ意味は無い。だがここで意識を失い、縄やそれを咥えるクラウスまで黄金にしてしまおうものなら、元も子も無い。だから、ミダは耐え続けた。

 滑車が金色に輝くのを見極めて、ミダは手を放す。そしてそのまま、仰向けに倒れた。「やった……やったぞ……!」

 微かに笑う。何とか意識もある。頭の中にもやが掛かった様だが、まだ意識もある。

 ミダの胸は満足感でいっぱいだった。エスを助ける力になれた事、己の限界を突破出来た事。それらが笑顔になって溢れ出していた。

 ミダを呼ぶ声がする。クラウスがエスを見える所まで上げ切った様だった。そうだ、まだ眠ってはいけないのだと、ミダは身体を起こす。手袋を拾い上げ、四つん這いで井戸の縁に這い上がった。

 エスは依然気を失ったまま、握り締める左手を解かずにいた。いや、その手を放さなかったのは、右手も同じ。もう一人、気絶した人物が右腕に抱えられていた。カティアだ。

「どうして……?」

 何とか二人を井戸から出し、横たえる。

「何なんだよ、これ……」

 カティアの様子は惨いものだった。服は焼け焦げ、体中に火傷が広がっている。左脚には深い切り傷。そして何よりも、左の頬が酷く爛れ、元の形を保っていなかった。

 エスの方は全身煤まみれだが、これといった怪我は無い。だが、どういう訳か、左の肘までだった筈の文様が、頬にまで伸びていた。


 降りしきる雨が、喧しく雨戸を叩く。殊眠れぬ夜にその音が忌まわしいと思う事はあれど、この日今晩に限っては感謝せねばなるまいと、町医者は寝台に横たわりつつ思った。

 昼間は雲一つない晴天だったが、煙が雨雲を呼んだのか、突然の雷雨となった。豪雨は、一晩は収まらぬだろうと思えた大火災をたちどころに鎮め、町民達に歓喜をもたらした。

 だが、喜んでばかりも居られない。確認の取れるだけでも怪我人は百を超え、死者は数十を上った。日が昇れば、その数は膨れ上がる事だろう。大半を焼かれた町が復興するにも、数年はかかる様に思われる。大変なのはこれからだ。

 医者は真夜中になって漸くの仮眠を許されたが、目を閉じていても開いていても、眠れる気配は一向にしなかった。ほんの僅かでも眠っておかなければならない。そう自分自身に言い聞かせるが、それでも目は冴えていた。

 噂で聞くには、放火であるらしい。詳しい原因は城の方が調べている最中だし、医者の身分としては与り知らぬ所ではある。しかし、誰かの手によるものならば、許せぬ所業だ。医者として、ひととしての怒りが、眠気や疲労を押し退けてしまっている。

 今頃も街中の医者が奔走しているに違い無い。睡眠は諦めた方が良さそうだと、医者が思い始めた時だった。

 コツン、と雨戸から音がする。雨音とは別の音だ。続けて、二度三度と小さく鳴る。

 医者が不審に思いながら雨戸を開け放つと、一斉に雨が吹き込んできた。と同時に、小石が一つ飛び込んで、医者の胸の辺りに当たる。

 二階から地上を見下ろすと、一人の少年が佇んでいた。少年はその大きな瞳の中に雨粒が入るのも厭わずに、じっと医者を見詰めていた。

「わたしに用かね?」

 雨音に掻き消されぬ様、声を高く訊ねる。だが少年は答えず、真っ直ぐに見返していた。

 医者は勘を働かせた。いくら貧富の差が小さな国と言えど、町の中には少なからず浮浪者も居る。路頭に迷う者を出さぬ完璧な社会など、この世には有り得ないのだ。浮浪者達はその暮らしぶりが故、病に掛かりやすい。そして、彼らは度々医者の元を訪れるのだが、金は無く、患者として門を叩く事も出来ず、ただ必死に懇願する他に手立てが無い。少年をそうした人々の一だと、医者は見たのである。

 少年は酷く疲れた顔をしていたが、この大雨の中を立ち尽くしている。親しい者が倒れた様子だ。

 普段なら、こういった客は断る事にしている。医者は生業、治療は商売、患者は客だ。金を取らずに慈善家然としてしまったら、瞬く間に廃業してしまうだろう。

 しかし、この時ばかりは医者も考えが違った。何せこの非常時だ。怪我人が居るのなら一人でも手当をしてやりたいし、これ以上の死人は増やしたくない。医者としてよりもひととして当たり前の感情だったが、何よりも心を突き動かしたのは、只ならぬものを語る少年の目だった。

 幸い、火傷や様々な怪我を治療する道具は揃えてある。医者は鞄とランプとを引っ掴み、階段を転げる様に下りていった。

「親御さんかな?」

 雨に打たれながら少年に走り寄り、努めて事務的に訊ねるが、少年は口を利かない。黙ってぶかぶかの手袋をした手で医者の袖を引き、走り出した。

 医者は疑問を抱いた。よく見れば、少年の身なりは浮浪者のものとは違う。濡れそぼり、煤けてはいるけれど、服は絹織物で仕立ててある様だった。さる高貴な家柄の――というのとも違うらしい。手袋の口から覗く真っ白な手首には、入れ墨が彫られているのだ。あどけない顔立ちも相まって、全ての印象がちぐはぐだった。

 医者を見付け出すのに相当苦労した事だろう。暫く雨の中を駆けずり回り、路地を抜けた先の空き家に、患者は居た。

 若い男女が床に寝かされている。男の方は細かな擦り傷を除けば、無傷と言って良い。煙を吸ったのか昏睡状態だが、暫く寝かせておけば大丈夫そうだった。

 しかし、女の方は目を覆いたくなる様な状態だ。全身に軽度の熱傷を負っている。特に顔面に関しては無惨だが、一番の重傷は腿の裂傷である。何かの刃物で肉を抉られた傷は、骨まで達していた。応急処置の止血は施されていたが、しかし、かなり出血していたはずだ。それでも女はまだ息があり、何とか持ち堪えている。並大抵の生命力ではない。

「……助かるのか?」

 医者が一通りを診終え、所見を出した頃、初めて少年が口を開いた。

「何とも言えんな。だが……」

 投げ出す訳にはいかない。医者は鞄を開いた。

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