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Ep.16-3 黄金の神に

 エスがミダを抱え神殿を出た時、神殿の衛兵とカティアの部隊とは、睨み合ったままだった。カティアは言う。

「血の気の多い貴様らが、よくぞ堪え忍んだものだ」

「好き好んで女を殺したいとは思いませんからな」

 そう答えたのはマイヤーだ。

「それに、隊長の指示も無く攻撃を仕掛けるのは、軍規違反というものでしょうよ」

 マイヤーも軍人である。カティアは薄く笑み、そうか、と感慨深げに言った。

 一体何があったのか。スケグルは衛兵達に尋ねられ、苦々しく答えた。

「……詳細は追々語る。だが、先ずこれだけは言っておかねばならん。巫女を手に掛けた」 女達の間に動揺が走った。

「何があったにせよ、わたしのこの手で殺したのは事実だ。今この場で処罰してくれても構わない」

 毅然と言い放つ。剣を抜いた時点で、その覚悟は出来ていた様である。

 いざという時は止めようと、エスは考えていた。ミダを助けた女をみすみす死なせる訳にはいかない。だが、

「……その様な事、出来るはずもございません」

 一人の兵士が声を上げる。更に別の兵士が続けた。

「そうです。スケグル様は正義のひと。理由も無く凶刃を振るうなど、考えられません」

「巫女様は錯乱されたご様子でした。やむにやまれぬ事情があったのでしょう?」

 口々にスケグルを擁護する言葉が発せられる。そしてその一々に、全員が一様に頷いていた。

「……わたしがただのか弱い娘なら、泣いている所だ」

 忠義に篤い兵らに囲まれて、スケグルは嬉しかった。その身に集まる信頼や敬愛の眼差しを、一度噛み締めるかの様に目を閉じる。

 スケグルの背中に向けて、カティアが声を掛けた。

「姫は返して貰った。我々は退く」

 振り向いて聞き返す。

「良いのか?」

「反逆者は死んだ。貴様とは二度と会う事もあるまい」

 カティアは言い捨てて、踵を返し、隊に向けて撤退命令を下す。

 エスの腕の中から頭を持ち上げて、回れ右をして引き下がっていく兵士達を見送ったミダは、尋ねた。

「……あいつ、オレを捕まえに来たんじゃなかったのか?」

「助けに来たのさ」

 答えたエスは、細めた目から、視線をカティアの背へ注いでいた。

 漸く解放されてか、出て行く様促されてか、ルッツが神殿から出て来てエスの元に駆け寄った。後からクラウスが歩いて続く。

「ものものしいですね。一体何があったんです?」

 全く蚊帳の外だったルッツは何も知らない。世の中には知らなくても良い事があるんだ、とエスは誤魔化した。

「あ、クラウス」

 ミダは抱えられたままクラウスへ手を伸ばした。クラウスは顔を上げてその指先を嗅ぐと、気に入らない臭いだったのか、そっぽを向いた。

「……この犬、喋ったりしないよな?」

「何を馬鹿な事を言っているんだ」

 エスは目一杯に怪訝な顔をして、小馬鹿にする。ルッツなどは、

「犬はね、喋らないんだよ」

 などと、物心つき始めの子供に言い聞かせる様な事を言う。もう良い、とミダは拗ねる。夢なんてものはどれも馬鹿馬鹿しいものだ。そう言えば先日見た夢は、果実を取りに木を上っていると、幹がどんどん伸びて、いつまで上っても果実に手が届かないという夢だ。そんな事を思い出して、どうでも良い、とミダはもう一度呟いた。

「もう行こう。あまり長居をしたくはなくなった」

 エスは軽く振り返って、神殿の佇まいを見遣る。相手がどんな悪人であれ、ひとが目の前で死んだのだから、気分は晴れない。心に差し込む陰を振り払う様に、エスは笑った。

「抱っこがお好きですか、お姫様?」

 あ、と気が付けば、ミダはドレス姿のままエスに抱かれている。突き放して飛び降りると、スケグルの元へ着替えるべく一目散に駆けて行った。


 ミダの居なくなった寝台へ、巫女は肘を突き、崩れ落ちそうな身体を支えた。

「……まだ、まだよ……」

 新しい杯があれば生き延びられると、しがみつく。

「わたくしは永遠……わたくしは永劫……」

 呪文の様に唱えながら、這い上がる。四年前に死んだ肉体は、巫女の命で動かされた。そして今、再び死んだ肉体は、巫女の執念で動かされている。

 もう暫くすれば、誰かがやって来るはずである。その身体を使えば良い。

「醜いわね」

 不意に、女の声がする。女はいつの間にか、今この瞬間に現れた様でいて、以前からそこに居座っていた様に、寝台に腰掛けていた。

 巫女は握り締めた短剣の刃先を女へ向けた。

「だ、誰……? いつから……」

「この声、聞き忘れたのかしら」

 女は巫女を見下ろし、微笑む。嘲笑だ。

「ついこの間久しぶりに、二十年ぶりに聞いた声のはず。これだから、(ばばあ)は困るわ」

「……あなたが、神……?」

 巫女は二十年も前から、神の声が聞こえなくなっていた。預言者としてのアイデンティティは、既に崩壊していたのである。神へ近付く術を考えた一因だ。それがつい先日、突然に、また神の声を聞いた。声は女ものと同じだった。

「私は神じゃない。あなたが勝手に勘違いをしただけ。話しかけはしたけれど」

 残念ね、と女はせせら笑う。騙されているとも知らず、巫女は女の言うがままだった。

「あなたの出番はもうお終い。潔く死になさい」

 冷たく言う。嫌だと巫女は呟いた。死ぬのは嫌だと、願った。

「陰が光と共にある様に、死は生と共にある。生まれてこなければ死んで行く事もない。死んで行かなければ、生きていない。あなたは死んでいるの。百年も昔から」

「嫌だ! わたくしは永遠に生きる!!」

 巫女の執念が、怨念が、死した肉体を突き動かした。弛緩した四肢が力を取り戻し、短剣を握り締め、女の喉元へ突き立てる。刃は咽喉を破り、深々と鍔まで刺さった。

 引き抜かれ、傷口から吹き出したのは血潮ではなく、黒々とした闇。どくどくと溢れかえり、巫女の目を覆い、身体を覆い、部屋を覆った。


――いくら踏みにじろうと、小石を投じようと、殺そうと、陰は死なない。


 巫女の断末魔は暗闇に飲まれていった。

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