Ep.15-3 黄金の乙女
神殿内が俄に慌ただしくなった。食堂に衛兵が飛び込んで来て、女達に部屋へ戻る様告げる。エスとルッツに関しては、
「申し訳無いが、こちらに止まって頂く」
との事だった。ルッツは何事かと腰を浮かし、エスは詰まらなさそうに口を尖らせた。
すっかりがらんどうになり、静まりかえった食堂。出入り口には兵士が二人を監視する様に佇んでいる。
「何があったんでしょうね?」
エスは、さあね、と素っ気無く答えた。ルッツは、らちが明かないと兵士に尋ねた。
「外で何かあったのですか?」
しかし彼女さえも答えない。目を泳がせて聞こえなかった振りだ。
その所為で気付かなかったのだろう。足元を悠々と通り過ぎる、黒毛の犬に。
「わあ!」
漸くその存在を察知した兵士は飛び上がる程驚いて、咄嗟に槍を突き付ける。エスが立ち上がった。
「クラウス、どうした?」
クラウスは低く、一声だけ吠えた。それが初めての答えだった。解った、とまるで犬の言葉を知っているかの様に、エスは頷く。そして一息にテーブルを飛び越え、猛然と駆けた。
悪い、と軽く詫びを入れながら兵士を突き飛ばし、食堂を飛び出していった。
「久しいな」
神殿の門扉前にて、カティアと対峙したスケグルが、再会を喜ぶでも無く、言った。双方の背後には、それぞれの軍勢が立ち並んでいる。
「この左目の恨み、忘れはしまいぞ」
左目は、以前にカティアと戦い、奪われたものだ。
「私とて、この胸の傷、忘れてはいない」
その戦いでは、カティアも負傷していた。胸を斜めに走る、最も大きな傷痕がそうだ。
「愚かな皇帝の傀儡が、意趣返しにでも来たか」
「抜かすな、裏切り者め」
「裏切り者はどちらだ。裏切り者は、神に背を向け、神の御名を騙る皇帝に、尻尾を振っているお前の方ではないか」
「笑止。神の虚像に縋り付く剰り、忠義も忘れたか戦よ。信仰者ぶるのは大概にしろ」
低く罵り合う。ルートガーはこれを見守りながら、冷や汗をかいた。
スケグルは、フ、と片笑いを浮かべた。
「やはり相容れぬか。かつての友情も、今や遙か彼方で萎え果てた」
呟く様に言って、目を細める。その言葉はカティアの耳にも届いていたが、聞こえていない風を装った。
「ここに、三人連れが訪れたはずだ。こちらへ引き渡して貰おう。さもなければ、武力行使も辞さない」
「彼らは巫女の客人だ。お前の薄汚れた手には渡さんよ」
「ならば、やむを得まい」
カティアは右手を軽く挙げた。その手が振り下ろされた時が、総攻撃の合図だ。ルートガーは唾を飲む。互いの兵が、一斉に身構えた。
突撃の号令が下ろうとした、まさにその時、睨み合う軍勢の間へ、落雷が割って入った。文字通りの、青天の霹靂。雷鳴が轟き、土煙を巻き上げる。
雷は言う。
「そのくらいにしておけよ」
スケグルとカティアの視線がかち合った、丁度その場所に、エスが立っていた。二階の窓を破り、飛び降りたのである。突然の介入に、全員が同様に驚いた。
「女の喧嘩は見るに堪えない」
向かい合う二人の女を交互に見遣り、ニヤリと笑った。
「俺の取り合いで死人を出すつもりかい?」
「……笑えない冗談だ」
カティアはエスを睨め付け、退け、と凄む。
「目当ては貴様などではない」
「まあ、知ってて言っているんだけど」
エスは頭を掻いた。
兵士らは崩れた姿勢を立て直し、この闖入者を睨む。エスはこの時二つの勢力を敵に回したが、そんな視線など気にも留めず、やおらに、カティアへ向けて言った。
「少し遊ぼうじゃないか」
全く場違いで、馬鹿げた提案だ。カティアは口を閉ざし、代わりに哀れむ様な目を向ける。エスは、じゃあ始めよう、と勝手な事を言う。
「お前はミダを奪い返しに来たんだな?」
「他に誰が居る」
カティアが答え、エスは一歩だけ歩み寄る。先程と同じ、愉快さの欠片もない遊戯だとスケグルは気付いたが、しかし、エスが剰りに理不尽な事の運び方をするものだから、止める機会も無く、ただその後ろ姿を眺めている他、する事が無かった。
「本当は少し俺の事も気掛かりだっただろう?」
「微塵も考えていなかった」
残念、と下がる。
「だけど、彼女をやっつける良い機会だと考えた事も、否定出来ないな?」
「……まあな」
「巫山戯た事を訊くなって?」
「解っているなら、やめろ」
エスは後一歩の所まで近付いていた。じゃあ質問はこれで最後にしよう、と、エスは大袈裟な手振りで言う。スケグルは、最後の問い掛けを知っていた。
「お前は、男に抱かれた事がないだろう?」
予想通りの質問。無遠慮で、下品で、不親切な質問だ。カティアが処女だというのは、もし純潔を保っているのなら、スケグルも知っている。スケグルでさえ恥じらいを覚える問いを受けた、カティアの心情は如何ばかりか。
カティアは泰然として答えた。
「ああ、その通りだ」
剰りにもはっきりとした、迷いの無い回答だ。エスはしっぺ返しを食らって、顔を顰めた。
凄いひとだ。ルートガーは改めてそんな感動を覚えた。カティアにとっては、寧ろ誇りなのだ。エスは羞恥心で戦意を喪失させようとしたのかも知れないが、そんな手は通用しない。見事に失敗だ。男の思い通りにならない女だ。そんな彼女だからこそ、ルートガーは惚れている。
スケグルは、堪らずに吹き出し笑いをした。
「ハハ、ハ、ハハハ……! やっぱりお前には敵わない。変わらないな、カティア」
当のカティアは眉を顰めて、何の話だ、と顔で言う。
不意に、手を叩く音がした。緩やかな一定の拍子を打つ。
二階、エスのぶち破った窓辺に、巫女が居た。
「素晴らしいわ。それが正しい乙女のあり方ですわ」
一同が巫女を見上げ、スケグルら神殿の兵士は跪いた。カティアは表情を険しいものにした。
「巫女か。あの子は無事なのだろうな」
安心なさい、と巫女は答えた。
「ここに、ほら……」
後ろへ向けて手招きをすると、ミダが顔を覗かせた。着せられた服を見られたくなかったのか、視線は窓の縁へ落とされている。エスは笑った。
「なんだ、その格好は? まるで女の子だ」
存外に似合ってるな、と口の中で呟く。カティアは横目にエスを睨み、
「何を寝惚けた事……」
そう言い掛けて、ある事実に気付いた。
「……まさか、知らないのか?」
何をだ、と聞き返すエスの顔を見て、カティアは苦々しいものを感じた。
巫女はミダの肩にそっと手を添えた。
「今日よりこの子はわたくしのもの」
「ええ?!」
ミダは肩を震わせて、巫女を見上げる。やはり顔は見えない。
「させるものか!!」
カティアは剣を抜く。巫女はベールの下から、鈴を転がす様な笑い声を出した。
「そなた達はこの子に何を与えただろう? この不運な子に、不幸以外の何を上げただろう? この悲運な姫君に、悲哀しかやらなかった」
「姫君?」
エスが口を挟む。
「姫君とは、誰の事だ」
訳が解らないと、カティアを見る。カティアはエスに怒罵の目を向けていたが、しかしその目付きは、どこか物憂げだった。
重い口は開かれず、ただ視線をミダの方へ戻す。エスは閃いて、あ、と喫驚の声を上げた。
「ミダが姫君? ちょっと待て。あいつが女だって……?」




