Ep.15-1 黄金の乙女
「どうしてオレがこんな格好……」
磨き上げられた鏡の前に立ち、ミダは長嘆息する。
半ば強制的に着せられた衣装は、純白のシルク生地という点で今までと変わらないが、繋ぎ服の上には袖が無く、下は脛まで伸びるひらりとしたスカートだった。
「……股がスカスカする……」
風が吹けば通り抜けてしまう様な感覚は、下半身を露出している様な錯覚を引き起こす。女はよくこんな格好で落ち着けるな、などと、要らぬ感心をしてしまう。
古城を発った一行が半日もしないうちに行き着いたのは、とある屋敷だった。屋敷は広大。壁も屋根も白く、荘厳ささえ感じさせるが、庭を埋め尽くすのは花園だ。
「ルッツ、この屋敷は何だ? 十年程前までは、こんなもの無かったはずだが」
「ああ、神殿ですよ。四年前に出来たそうです。神の巫女の神殿と呼ばれてるみたいですが、まあ決まった呼び名は無いのでしょうね」
「城の次は神殿か」
エスは小さく唸った。まだ日も高く、さして疲労もしていない。それに宗教がらみの土地には以前の嫌な記憶も新しい。道も太くなりつつある事だから、もう少し行けば街の一つや二つあるだろうと、ここは通り過ぎてしまおうという考えに偏りつつあった。
尋ねられてもいないのに、ルッツはこの神殿についてを語り出した。恐らくこの近辺の出身なのだろう。
「この神殿には巫女、つまり神様の言葉を聞き、神託をする女性が居るそうですよ。何でも、巫女は代々の世襲ではなくて、四年に一度年若く麗しい女性が選ばれるのだとか。巫女の侍女、護衛、巫女を志す人達、総勢百人近く、それも全員が女性でまさに女の園と……」
ルッツが得意げに話している内に、エスの足は既に神殿の方へ向けられていた。
「ええ? 寄るのかよ」
ミダは不服そうに言う。
「そうだな、まあ、ここいらで一休みするのも悪くないだろう?」
「とか言って、女目当てだろ?」
「だったら悪いか?」
平然と開き直るエスに、ミダは返す言葉も無い。しかも間の悪い事に、ミダの腹の虫が、雨蛙の様な鳴き声を上げた。
「そら見ろ。お前だって腹が減ってるんだろう」
フフン、と鼻先で勝ち誇ったせせら笑い。ルッツは呆れた様子だったが、
「立ち寄るつもりなら、僕も反対はしませんけどね。ここなら帝国の息も掛かっていませんし」
「結構。なら行くぞ!」
声を弾ませ、息せき切って駆け出すエスに、ミダもルッツも揃って頭を振った。
成る程、ルッツの言う通り、この神殿には女しか居ないらしい。門扉の両脇に佇み、槍で十字を作る衛兵も、女だった。
「何用であるか」
問われ、エスは恭しく辞儀をする。
「わたくしは信仰の旅をする者。あちらに居りますのが、従者二名と拾い犬でございます。こちらに巫女様がいらっしゃるというこの神殿へ、祈りを捧げるべく参りました」
よくも真顔で口から出任せを言えたものだ。嘘も方便とも言うが、これはきっと、動機が不純なだけに、ただの騙りである。
それは誠に大儀な事、とすっかり信じ込んだ衛兵は労う。
「生憎、巫女様のお目通りは適わぬが、祭壇へ祈るのみなら良いだろう」
「ありがとうございます。それともう一つ、旅の途中食料が尽きてしまいまして、厚かましい事とは承知の上でですが、何かご馳走頂けるとありがたいのですが……」
少々ムッとした顔付きになるのを見て、咄嗟に付け加える。
「いえ、何より子供連れでございますから。腹を空かせたまま長旅をさせるのは、不憫で仕方がございません」
ミダはだしに使われるのを予測していたが、しかし何と無く悔しい。
甲冑を纏っていても女は女、やはり子供には弱いらしく、
「相談した上で善処しよう」
という前向きな回答があった。ただし犬は外で待たせておけ、というのは、最早通例である。クラウスも承知済みとばかりに、その場に腰を下ろした。
衛兵の手によって門扉が開け放たれる。そこは礼拝堂だった。屋外と思わせる程の開けた空間は揺らめく蝋燭の明かりに照らし出され、外壁と同じく白い壁と石柱とがそそり立ち、仰がねば視界に入らない高さの天井には、彫刻と絵との細工が施されていた。正面の程遠い所、最も奧に位置する祭壇には、神の偶像が祭られている。
「素晴らしい……!」
エスは嘆息を漏らした。芸術に疎いミダも、この神殿の様式美は直感的に解る。宗教者にとっての神聖な場所、という以前に、人間の手によって生み出された意匠の数々に、感嘆せずにはいられなかった。
「まずは祈るが宜しい」
促されるまま、赤い敷物の上を真っ直ぐに祭壇へ向かう。神を象った像は、近付けば近付く程その巨体を露わにし、その足元に辿り着いた頃には、威厳の籠もった目付きで一行を見下ろしていた。金槌を振り上げていて、それを見たミダは、
「大工の神様か」
と、とんちんかんな事を呟いた。
「巡礼者か」
横様から声がする。女の、凛と張った低い声だ。ミダはそちらを見遣る瞬間、カティアかと聞き間違えた。それ程似ている。
聖堂に似付かわしくない薄着の所々から覗く、素肌の色は褐色。白色の髪は短めに切られているが、若干癖毛気味に外へ向けて跳ねている。端整な顔立ちをしているが、左目に眼帯をして、残った右目は黄金色に輝いていた。
蛇だ。ミダはそんな印象を持った。
「はい。礼拝に参った者です」
案内をしてくれた衛兵が受け応えると、蛇は鼻で笑った。
「フン。そう見えないのは、わたしの目が節穴だからか?」
困惑する兵士に、まあ良い、と言う。
「後は任せろ。お前は持ち場に戻れ」
衛兵は女に敬礼して、門へ戻って行った。女は兵らの上官にあたる人物の様で、成る程、腰の左右に変わった短剣をぶら下げている。片刃の刀身は、中程が大きく半円を描いていて、切っ先に行くとただの短剣と同じく、柄と同軸に戻る。短剣と言えど、かなりの重量がありそうな代物だった。
しかし、武器などに着目しているのはミダだけだった。いや、少なくともエスに限っては特異な形の剣に興味が無いらしく、冴え渡る刃物にも似た女の顔付きや体付き、特に大きく開けた胸元に視線を注ぎ込んで、口の端を軽く嘗めた。
「帝国から来たのか?」
「いいえ。ずっと南から」
「だがこの辺りの出の様だな」
詰問する口調も視線も、鋭かった。カエルどころか人間までもが竦み上がりそうな目で睨まれるが、エスは動じない。
「世界を放浪して、戻って参りました。二年がかりの旅でした」
二年という数字は、ミダに準じている様だ。帝国から逃亡し、帝国へ向かいだして、二年。
「大きく移り変わる世界をこの目で目の当たりにして参りました」
軽く一礼する。そうだろうな、と蛇は表情を変えずに言う。
「しかし、変わらないものもある。そうだろう?」
「はい。信仰は、この世界において唯一無二のもの」
エスがそう嘯くのに対し、女は唐突に笑い声を上げた。
「笑わせる。神など信じていないと、お前の目が語っているぞ」
「……ご冗談を」
エスの顔が強張った。蛇の隻眼が、どんな嘘も通じないぞ、と言っている様だ。
また面倒な事になる予感がする、参ったな、とミダは頭を掻いた。
「まァ!」
不意に、蛇の後ろから甲高い声がした。三人の若い女が、一行の姿を見付けて、嬌声を上げたのである。
「ねえ、見て、殿方よ」
「きゃ! 本当だわ。でもそれよりも……」
「うん。あの子。あの子可愛い」
どうやらミダの事を言っているらしい。エスは複雑な面持ちになった。
文字通りに姦しく黄色い声を上げながら、蛇を抜き去って、女達はミダに駆け寄る。
「見て、この子。髪の毛が凄く汚いわ」
「本当だわ。でも、洗えば綺麗になるかも……」
「うん。洗ったら絶対綺麗」
口々に言う。ミダは見上げながら、言葉を発する女の方へいちいち目を向けていたが、次第に目が回ってきた。
「そうだわ。綺麗にしてあげましょうよ」
「本当ね。それじゃあ浴場に……」
「うん。浴場に行きましょ」
それからミダは、半ば攫われる様な格好で、三人に連れて行かれてしまった。エスが止める間も無かった。と言うより、立ち入る隙が無かったと言える。害は無さそうだ、とも思った。
やれやれ、と蛇は頭を振り、これまでとまるで違った態度を取った。
「来い。飯を用意してやる」
ルートガーは苛々としていた。
昨晩の一件は、カティアの擁する部隊の中で、あまり大事にはならなかった。マイヤー、ミクラスらの四人、それからカティア、ルートガー、マリナ。当事者全員が、一様に口を閉ざしたからだ。別に申し合わせたのではない。暴漢の四人としては、女を襲おうとして女に迫られ、怖くなって逃げた、などとは言えない。マリナが語らないのは当然として、カティアも、己にも非はあると、四人を処罰する事は無く、不問とした。無かった事にするのが、それぞれの利害を考えれば、最良だった。それだけである。
それが少しばかり不服だった。一体何の為に殴られたのか解らない。それに、さんざ愛しい女を虚仮にして、あまつさえその裸まで見た男達を許す気には、到底なれないのだ。かと言って、表沙汰にすれば二人の女性に傷が付く。結局、優しさから口を噤んだ。
しかし、ルートガーを、何よりも頭を掻き毟りたくなる思いにさせたのは、マリナのカティアに対する態度だった。
騒ぎの後、マリナはカティアの部屋で、跪いてめそめそと泣いていた。悲鳴に似たしゃくり泣きが、顔を覆った掌の隙間から洩れる。それは無理も無い。どれ程怖い思いだったか、男のルートガーには見当も付かない。
上着を着たカティアは、じっと彼女が泣き止むのを待っていた。窓辺に腰掛けて、じっとマリナの丸まった背中に視線を落としていた。
ルートガーは居たたまれなかった。今すぐにでも顔を隠して退散したい気分だったが、その機会を逸し、この時はただ立ち尽くしているしか無かった。
「落ち着いたか?」
マリナの泣き声が少し和らいだのを聞いて、カティアが声を掛ける。はい、と力無い返事が答えた。
「お前は処女か?」
唐突な問い掛けには、ルートガーがどきりとした。カティアの口からそんな言葉が出るとは、意外である。惚れた女だから、尚更だった。思わず、顔が上気する。
マリナは一瞬逡巡した後、小さく頷いた。
「そうか」
カティアの口元が、心持ち弛んだ。
「私もだ」
間が悪かった。息を吸った、丁度その時にそんな告白をするものだから、ルートガーは大いに噎せた。カティアはそれを見て、微笑の色を濃くした様である。
「貞操は美しいな」
詩を読むかの様に言う。マリナは顔を上げた。ルートガーからその表情は見えなかったが、きっと、その目を輝かせていた事だろう。マリナを守る理由は、それ以上も以下も無い。それこそが世界の理だと、断言してしまう様な響きを持った、素敵な言葉だった。
一言にすっかり勇気付けられたマリナは声を上げる。
「……カティア様」
「ん」
鼻歌に似た声で答える。またも、ルートガーの聞いた事の無い声色だった。
マリナは突然に、場違いとも思える、こんな申し出をする。
「『お姉様』とお呼びして、宜しいですか?」




