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Ep.14-1 黄金の故国

 喚く様な声を上げ、少年は床に寝そべる。投げ出された脚が、杯や壁用の石材、乱雑に切り出された椅子の脚など、積み上げられたそれら積み木の代用品を崩した。丁度、ミダはミダで、城の様なものを完成させたところである。

「ああ、積み木も飽きたな」

 始めてから十分としていないが、しかし当然だとミダは思う。二人とも積み木なんて年頃でないのは明らかなのだ。

「お前、歳は幾つだ」

 唐突に少年から尋ねられ、ミダは少しばかり狼狽えた。歳を数えた事は無かったし、時間の感覚が希薄な時期が長過ぎた。ただ解らないと答えるのは何となく悔しい気がして、色々な出来事から年数を推測しながら指折り数える。

「……九歳、くらい?」

「なんだ、一つ下か。それにしてもチビだな!」

 身体が小さいのは生まれ付き、余計なお世話だとミダは言おうとしたが、言い返すのも面倒になって、代わりに積み木の城を崩壊させた。

 しかし、少年が十歳だとすると、そちらの方が余程子供っぽく見える。積み木遊びにしろ鬼ごっこにしろそうなのだが、何より外見的な幼さが強い。確かにミダより背丈はあるが、十歳と言えばもうまともに働きだしても良い歳だ。にも関わらず、体付きは華奢で繊細。四肢などは思い切り曲げれば折れてしまいそうだ。顔付きにしても、くりくりとした目が顔の割合の多くを占めているし、その肌の白さたるや、ミダが新調してもらった服の絹よりも白いのではないかという程である。

 ミダは意味も無く、本当に意味など無しに、羨ましく思った。

 不意にむくりと起き上がり、少年が質問を重ねる。

「おい、外の世界はどんな感じだ」

 意味が解らない、と表情だけで答えると少年は、だから、と焦れったそうに言い換えた。

「この城の外はどうなんだ? 楽しいのか?」

「ああ……何だよ。変な事訊くなよ」

「知らない事は訊けってギルベルトも言うぞ」

「知らない?」

 ミダは首を傾げ、少年は頷く。

「だって、ボクは外に出ないから。外に出るとギルベルトに叱られる」

「それは……」

 奇妙な事だ。

「前は屋敷に住んでたけど、隠れん坊して樽に隠れてたら、いつの間にかここに居た。驚いたけど、ギルベルトが『誕生日のお祝いだ』って」

 拐かしだろうかと、ミダは腕組みをして首を逆向きに捻る。

「で、どうなんだ? 楽しいのか?」

 せっつかれて、疑問は絶えないが、ミダは答えた。

「……別に楽しくはねえよ」

 楽しいと感じた事など無い。ミダの暮らしぶりは娯楽などとは縁遠いのだ。世の中には不幸と苦難とが蔓延していて、矛盾と不条理とがはびこっている。何も楽しい事なんて無い。

「本当に? 少しも?」

 前のめりに問い詰められて、ミダは短い記憶の糸を手繰る。過去を掘り下げてみても、やはり仄暗いものばかりが出てくる。少年の期待する様な事は、何一つ見当たらない。

「……いや」

 ふと思い付いた。

「今は少し、楽しいかも知れない」

 エスと旅をしていて、ただ生きているからという理由で諾々と生きるのではなく、生きる事の中に理由を探すようになった。意志を持つようになった。そうする事で色々な事柄に目が行くようになり、様々な物事について考えるようになった。閉じた空間で目を落としていたのが、開けた世界で周りを見るようになった。見て聞いて、知識が増える。それは楽しい事かも知れない。

「そうか。楽しいのか」

 感心してか納得してか、少年はうんうんと何度も頷く。そして脚を胡座に組み直して、その膝をぽんと打つ。

「お前、ボクと友達になれ」

「ええ?」

 いきなり何を言い出すものかと、ミダは憮然とした。

「ボクの友達はギルベルトだけだ。だけど外に出たい。外から来たお前と友達になって、外で遊ぶんだ!」

 声高々と宣言する。ミダが呆気にとられているのも構わず、そうと決まれば、と立ち上がった。

「早速ギルベルトにも教えてやらなくちゃならないな。外は楽しいものなんだって!! お前も来い」

 ミダの腕を掴んで立たせようとする。何が何だか解らないが、ミダはそれに従う事にした。

「そうだ!」

 やや興奮した様子で思い付き、叫んだ。

「友達だから教えてやる。ボクの名前はアーデルだ」

 アーデルは目を輝かせて、ミダの手を引き、それ、と走り出した。


 カティアの隊は奴隷市場に程近い宿屋に停泊していた。この辺りの宿場に来れば、帝国の兵だというだけで部屋を空けてくれる。飲み放題食い放題、いくら騒ごうが文句一つ言われない。

 食堂でルートガーはふて腐れていた。酒に強ければやけ酒でもしたい気分だった。マリナが現れた事で、案の定カティアのご用聞きは役目御免となってしまったのだ。それに当の世話役が、自らに与えられた立場の良さを全く解っていないというのが、ルートガーの嫉妬心に拍車を掛ける。

 宿屋の者に代わって配膳をするマリナは、兵に近付く度に顔を強張らせる。酒を差し出すのもおっかなびっくりだ。きっと本来の世話役としての務めというのが常時念頭にあって、その恐怖心が作用しているのだろう。それは寧ろ哀れむべき事なのだが、しかしカティアの意向があって免除されているものであり、言い換えればカティアの庇護を一身に受けているという事でもある。もっと晴れ晴れしくやれば良いものを、マリナがそんな調子だから、ルートガーには悔しくて、苦々しくて堪らなかった。

 机に頬杖を突いて、マリナの所作を憤然と眺めていると、視界の隅に兵士達数人が顔を見合わせて、小さく頷き合うのが見えた。

「おい、世話女」

「は、はいッ?」

 その兵士の一人が呼び、マリナは背筋を緊張させる。

「おれ達は部屋で飲むぞ」

 そう言ってぞろぞろと席を立つ。つまり部屋まで酒を持って来いという意味だ。

 間も無く、言い付け通りに人数分の器と、人数分以上の酒とを携えて二階へ上がろうとする。そんなマリナを見てルートガーは、意外と気の利く小娘だという印象を持ったが、しかし称讃するつもりは無い。ただ、大の男四人分の酒という大荷物をがちゃがちゃいわせながら、重たげに足を縺れさせながら歩く様を見ると、少しばかり憐憫の情が涌く。

 何処までも甘い男だ、と自分を叱責しながら立ち上がり、マリナを呼び止める。

「手伝うよ」

「あ、いえ……」

 マリナの表情に明るい色が差すが、それは束の間、また翳った。この時マリナが何を思ったのか、同じく控え目な性格のルートガーには手に取る様に解る。目上の人間に自分の役目を手伝わせてはならないと、そう思ったに違いない。

 口で言ってもらちが明かないのは目に見えていて、時として強引さも必要と、ルートガーは無言でマリナの手から荷物を奪う。マリナの手には、ルートガーよりも少ない量だけが残った。

 部屋に向かうまでの間、マリナは幾度も詫びを入れたが、ルートガーは半ば無視する形でそれに応えた。

「早かったな。……なんだ、ハイドリヒも一緒か」

 入るなり、兵士の一人が言う。ルートガーの視界に入ったのは三人。一人はベッドに腰掛け、一人は椅子に、もう一人は窓辺に佇んでいた。しかし、先程二階へ上がったのは四人のはず。後の一人は便所にでも行ったのだろうか。そんな事を考えながら足を踏み入れた、その時だった。

 背後で勢い良くドアが閉まる。見当たらなかった兵士はドアの陰に隠れて居たらしく、その男がドアを封じ、後ろ手に鍵を掛けた。

 マリナの短い悲鳴が上がる。窓辺の男が飛び付いて、手首を捻り上げた所為だ。酒の陶器が床に落ち、砕け、四散した。

「お、おい。何の真似……!」

「まあ落ち着けって」

 扉を閉めた兵士がルートガーを羽交い締めにする。

「ミクラス、何をする気だ!!」

「まあまあ。解るだろ? お前も男なんだからさ……」

 ミクラスはルートガーの耳元で、下卑た笑い声を上げた。

 マリナがベッドに押し倒され、二人掛かりで身動きを封じられる。抵抗などする術も無い。

「こいつに仕事を返してやるだけだ」

「マイヤー!」

 一人手の空いた兵士、マイヤーは襟首を弛めながら、平然と言い放った。ルートガーは憤然、飛び掛かろうとするが、新兵の腕力では、筋骨隆々のミクラスを振り解く事は出来なかった。

「解ってるのか?! こんな事をしたら、カティア様が……!!」

「軍曹殿は何も解っていらっしゃらない。将軍閣下が折角にも慮って寄越してくれたのを、配膳係に登用などして無駄にする。あの女は処女か? 男の事をちっとも解ってない」

「下種め……!!」

 やはり、カティアもルートガーも甘かった。腹を空かせた野犬を鎖で繋いでも、鎖を引き千切ってでも餌に食い付くのは必至である。

 罵られたマイヤーは、ルートガーの鳩尾に強烈な一撃を加えた。マイヤーは顔面に戦の古傷を刻んだ屈強な兵士。その拳で、ルートガーは先程胃に入れたばかりの全てを、吐瀉物として床にぶちまけた。

「汚ねえな、童貞野郎」

 喉を詰まらせて咳き込むルートガーの髪の毛を掴み、顔を上げさせる。

「タマ付いてんだろ? 本当はテメェだってヤりてえんだろうが? ああ、そうだ。テメェは『カティア様』一筋だったな」

 言い返そうとしても、声が出ない。睨み付けようにも、目の焦点が合わない。そんなルートガーの顔を見て、マイヤーは思い付いた。

「ここで半殺しにしてやっても良いが、それじゃあ面白くないな」

 おい、とミクラスに指示して、ルートガーを解放させる。崩れ落ちそうになったルートガーを強引に立たせ、ベッドの方へ突き飛ばし、冷酷に言った。

「ハイドリヒ、その女を犯せ。でなきゃ、二度と起き上がれなくしてやる」

 この命令を聞いたミクラスが、嬉々として笑った。

「そいつは良い。良い見せ物だ」

 ルートガーは脚に力が入らず、ベッドの縁に肘を突いて、漸く身体を起き上がらせた。その時、押さえ付けられたマリナと目線がかち合う。怯えた目である。僕がそんな事をする訳が無いだろう。ルートガーは胸の内で、マリナを詰りながらも、励ましていた。

 だが、もし――もしマリナを犯せば、姦淫の罪を甘んじて受け入れれば、自らの身が助かる。こんな所で一生を棒に振らずに済む。そう、マリナは自分にとって好ましくない存在だ。彼女がどうなろうと知った事ではないはずだ。どうだって良いのだ。奴隷の小娘の低層や、その生涯や、倫理などは、自らの生命と比べれば、踏みにじってしまっても良いものなのだ。

<……アホ抜かせ、ルートガー! ルートガー・ハイドリヒ!!>

 心の上へ静かに降りてくる悪意の帳を振り払い、ルートガーは奮い立った。

 震える膝を殴り付け、蹌踉めきながら立ち上がり、マイヤーと対峙する。

「……ぼくには妹が居る。ぼくが悪い事をしたら、きっと妹は悲しむ。だから、お前の言う通りになんかしない。絶対に、してやるもんか」

 ぐらつく身体を支えているのは、意地という頼りのない松葉杖だった。

「ああ、そうかよ。やっぱりテメェは甘ちゃんだ」

 マイヤーが拳を振り上げる。ルートガーは、男として悪くない生き様だったと、覚悟を決めて目を閉じた。

 その時、ドアが蹴破られる。破壊されたドアがミクラスの後頭部に打ち当たり、どうと倒れた。

 憤怒の形相を浮かべて、カティアが立ち尽くしていた。

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