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Ep.12-2 黄金と奴隷

 昼間から仄暗い通りを、エスは小銭をじゃらつかせながら行く。ミダは荷馬車に積まれた奴隷達の視線を浴び、その小さな身体を一段と縮めて続く。

「もう良いだろ? 早く離れたい……」

「駄目だ。これっぽちじゃ足りない」

「あんたが昨日飲みまくった所為だろうが」

 飲み代と宿泊費で、三人組から巻き上げた金はもはや雀の涙ほどにしか残っていない。果物一つ買えるか怪しい。

「もう一回くらいしてからじゃないとな」

「だったら、わざわざこんな所歩き回る事ねえだろ?」

 既にこの通りだけでも三巡。何を考えているのやら、日が昇ってから街中を徘徊していた。エスには何かしらの思惑があるらしい。

「同じ店に二度までも迷惑は掛けられないし、そもそも入れてくれないだろう。かと言って別の店でもいけない。こっちは見付けて貰わなくちゃ困るんだ」

「何が?」

「周りを見てみろ。金持ち連中ばっかりだろう。ここに混じってれば、俺達も金持ちだ。お陰様で良い格好しているしな」

 確かに、傍目にはそう見えるだろう。昨日の連中は酒場でもそう判じたのだから。しかし、

「昼間っからこんな人混みで、カツアゲなんかされっかよ」

「馬鹿だな。だから昨日のが必要だったんだろう?」

 さも当たり前の様に言う。

「昨日ぎっちょんぎちょんにやられた奴らは、俺達を付け狙っているはずさ。しかし一方的に負けたから迂闊には手を出してこない。なら、どうすると思う?」

「……強い仲間を呼ぶ」

「そうだ。そして強い奴は立場も強い。そういうのは、見栄張って結構な額を持ち歩いているものだ」

 だから人目に付いた方が良いと言う。相変わらず、理屈屋は考える事が周到である。ミダは頭を振った。

「……オレはもう疲れた。あんたに付き合うのに疲れた」

 馬鹿馬鹿しいと思う。要するにひとを痛め付ける為の策略なのだから、ミダには付き合いきれない。

「何言ってるんだか。腹っ減らしのお前の為でもあるんだぞ。それにお前も奴らを釣る餌なんだから」

「勝手にひとを餌扱いすんな! もう良い。オレはこの辺で待ってる!! どうせ恨まれてるのはあんたなんだ。オレが居なくたって平気だろ」

 立ち止まり、腕組みをする。エスは肩を竦めた。

「解ったよ。子供には悪影響だからな。クラウスと待っていろ」

 そう言い付ける。クラウスが残るなら、ミダも安心だった。

 エスが立ち去った後で、ミダは建物の陰に入り、立ち尽くしたままじっとしていた。なるべく奴隷達の方を見ぬ様に、足元を見ている。カティアに奢られた折角の服を汚してはいけないと、地べたに腰を据える事は憚れた。その事に、ミダは苦笑せざるを得ない。

 服を着替えるまでは汚れる事など毛程にも気にしていなかったのに、それがどういう訳か、そういう考えが出来上がっている。原因がカティアへの恩義にあるのか、それとも高級な生地にあるのか、そこの所は明確でない。だが、まともな衣服も無く身体が汚れるに任せている奴隷達の、その視線に晒された中で、彼らを買う浅ましき者共と似た様な格好で、贅沢にも身嗜みなどを気に掛けている。

 きっと奴隷と貴族の違いなど、そうした、本当に些細な事なのだ。生まれや与えられた何か、巡り合わせ。差違はいつでも己の外側にある。それを運命や宿命と呼ぶのならば、覆すのもまた外的なものだ。そんな世界の真相は、馬鹿馬鹿しくて仕方が無い。

 独り、乾いた笑みを浮かべていると、そこへ横合いから声を掛ける者があった。

「お坊ちゃん、お坊ちゃん」

 顔を上げると、少女が立っていた。年の頃はミダよりも二つ三つ下だろう。栗色の髪は短く、まるで少年である。あどけない顔立ちに笑顔を貼り付け、小箱を抱えて立っていた。

「お靴を磨きましょうか」

「え? い、いや、いいよ」

「磨きましょうか」

 断られても構わず、少女は笑顔を崩さず、繰り返す。

「いいって! 金持ってないし……」

 思わず声を荒げた。しかし、少女の表情は変わらない。

 一人の男が飛んで来て、即座に少女を叩く。少し離れた所で豆を売っていた男だ。その男は握り手を作り、ミダに向かって小刻みに頭を下げた。

「申し訳ございやせん、お坊ちゃん。こいつがとんだご無礼をお掛けした様で」

「オレは、別に……」

 何でもない、とミダが言うのを待たず、商人は再び少女の頭上に平手を振り下ろす。

「お許しくだせえ。何分、こいつは頭が悪いもんで」

 二度までも殴られて、それでも少女の顔は笑っている。

「……もう解ったからさ」

「へい。それじゃあ失礼いたしやす」

 卑しい口調の商人は、少女を引き摺る様にして離れて行った。その間も少女は通りを行くひとへ、磨きましょうか、と声を掛ける。

 ミダは暫く少女を眺めていたが、誰一人としてその声に足を止める者は無い。それでも少女は挫けず、笑顔を絶やさず、けなげにも声を張り上げ続けていた。彼女を突き動かしているのは恐怖だろうかと、ミダは想像する。

 思い起こすのは囚われの日々。じりじりと地獄の業火に炙られる様な毎日が、あと一週間、いや、あと一日でも続けば、ミダはあの少女と同じく、自我を崩壊させていたかも知れない。心身を切り裂かれる痛みや恐怖から解放されるには、それらにさえ順応してしまえば良い。苦しみを感じる心が無ければ、苦しまずに済むのだ。

 ミダは少女を他人と思えなかった。寧ろ幼い頃、ほんの二年前に別れた人生の、もう片割れに出会った様な、そんな気分だった。二分したのは救い主、外側の存在である。

 だとすれば、彼女を救うのは誰だろう。ミダは考える。彼女を救う者など、居ない。そうだから、そうならば、救われた方の己は何をするべきで、何が出来るのか。答えは目を落とした道端に転がっていた。

 小さな石を摘み上げる。このつまらない、誰の目にも止まらないものこそが、奇跡となるのだ。

「そんな石ころをどうするつもりだ?」

 頭上から声がした。我に返って見上げると、エスが戻って来ていた。

「……もう、済んだのか?」

「ああ。存分にな」

 腰を揺らして貨幣の詰まった財布を鳴らす。

「大人しく待っていたか?」

「……ああ」

 どうしても奥歯に物が挟まった様な答えになる。流石に勘の良いエスは、ミダの異変に直ぐ様気が付いた。

「何をそんなに狼狽えているんだ?」

「いいや、何も……」

 横目にちらりと少女を見遣る。その視線の動きも、エスは見逃さなかった。

「あの子と何かあったのか?」

 少女は相も変わらず、道行く人々に誰彼構わず声を掛けている。しかし耳を貸す者は一人として居ない。

「無いよ。何も無い」

「そうか」

 エスは目を細める。そうした目付きは身体中を透かして見る。それをミダは知っているから、ただ俯いて逃れた。

「ミダ」

 呼び声に、唸る様な声で答える。

「……何だよ」

「彼女を買う事が、彼女を救う事にはならない」

 キッと睨み上げれば、やはり見透かす目。

「奴隷の売り買いなんて、するモンじゃない」

「五月蠅い!」

 意図せず声が張った。一瞬、通りからの眼差しがミダに集まる。皮肉だ。少女の声は誰の耳にも届かないのに、喧嘩の声には好奇心で振り返る。

「何も知らない癖に、解った風な事を言うな!!」

「お前は解るのか?」

「奴隷の気持ちは、奴隷にしか解らない! みんな好きで奴隷になったんじゃないんだ。誰だって、解放されたいんだ!!」

 しかし、願いを叶えられるのはごく一部、星の数程にも居る奴隷の中の、ほんの数人。そしてその限られた人間は、外側から願う。奴隷という制度の中に放り込まれ、踏みにじられている人々が救われる事を。

 なら、とエスは問い返した。

「お前は何故ここに居る?」

「え……?」

 不意の質問でミダは答えに窮した。

「……あんたに付いて来たから。あんたに助けられたから……あいつに救われたから……」

「違う」

 エスは屈み込み、ミダと目線の高さを合わせる。

「全て、お前が選んだからだ。俺に付き従う事も、生きる事も、奴隷から脱する事も、全ては、目の前に現れた選択肢の中から、お前が望むものを選んできたからだ」

「じゃあ、あいつだって、あの子だって……!」

 小石を握り締める右手、その手首をエスは掴んだ。

「選択肢を与えるのと、選択を強要するのは違う。彼女を買う事は、彼女から限られた自由を奪う事だ。エゴなんだ、そんなものは」

 エスの声と眼差しがミダを突き刺す。ミダにも、エスの言わんとする事は解る。理解出来るけれど、昂ぶる感情は抑え切れない。少女を救いたいという思いを覆すには、エスの言葉は不十分だった。

「……あんたは良いよ」

 ミダの唇が震える。

「運命だの宿命だのに任せてりゃ、全部決めて貰えるんだから……!」

 言われて、エスはミダの手を離した。と思いきや、その手でミダの頬を打つ。

「……ッ!」

 きっと、さして痛くはなかった。エスは自分にどれだけの腕力があるかを心得ている。だが、頬を殴られた事よりも、エスに殴られた衝撃に、ミダは手にしていた石をぽろりと取り落とした。

 視界が滲む。心根の優しい少年は、その優しささえ否定されてしまった様な気がして、ミダは駆け出した。この場所から、エスの傍から、理不尽から、一刻も早く逃げ出したかった。

 クラウスが後を追おうと立ち上がると、

「放っておけ!」

 とエスが怒鳴る。しかし間髪入れずに、いや、と言葉を翻した。

「……行ってくれ。あいつを独りにしないでやってくれ」

 眉間に深々と皺を刻む。クラウスは従って、ミダに続いて通りへ消えた。

 エスが立ち上がると、いつの間にからか様子を見ていた野次馬がゆるゆると歩き出し、雑踏に紛れていった。

「お靴を磨きましょうか」

 少女が明るい声で言う。

「ああ、頼むよ」

 エスが片足を木箱の上に載せると、少女は笑顔の度合いを強めて、この日最初の客を大いに喜んだ。

 靴を磨き始めると、それまでとは打って変わって、少女の顔色は真剣なものに変わった。せっせと埃を払い、汚れを拭い、油を塗る。あまり手際は良いと言えないが、手付き顔付きは懸命だった。

 終わった頃には、少女の手も顔も油だらけになっていた。

「どうもありがとう」

 二枚の硬貨を両手に受けて、少女は再び破顔する。屈託の無い笑み。

「働くのが楽しくて仕方無いって顔だな」

 エスは呟いて、少女の頭を撫でた。少女はくすぐったがっているのか、それとも喜びに胸を掻き立てられたのか、幼さを恥じる様子もなく、無邪気な笑い声を上げた。

「お前は良い子だな」 

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