Ep.12-1 黄金と奴隷
世の中、自然と均衡が保たれるものである。二つのものがあれば、片方が栄え、もう一方が廃る。例えば、道端で物乞いが飢えに倒れたら、その脇を肥えた者が服飾品をじゃらじゃら言わせながら通りすがる。世界はそうした不平等さでもって、帳尻を合わせながら、破滅を逃れている。
ヴァローナを離れた旅の一行は、道なりに北へ進み、草原を抜け、とある街へ到着した。街全体は周囲を緑に囲まれ、吹く風もさわやかである。だが一行が目にしたのは、その長閑な雰囲気とは裏腹の実態だった。
大通りに十台ほど並んだ荷馬車は、人を乗せている。格子を組み、乗り降り口を封じた荷車で、暗い顔をした人々が裸同然の格好でひしめき合っている。それぞれの手足は鎖で繋がれていた。
それに歩み寄るのは、身なりの良い貴人ばかり。御者へ頻りに話し掛けては、荷馬車を指差しながら、あれは違うこれは違う、それは良いどれが良いと、喚いて見せたり笑って見せたりしながら、商談している。
「エス、ここは……?」
「奴隷市場だ」
ミダは眉間に皺を寄せた。いくら世間を知らない子供と言えど、ここが一体どういう場所かは解る。
奴隷達は品物として扱われ、人格もその尊厳も無視されて、命を二束三文で売り買いされる。そんな蛮行がまかり通る場所だ。
男も女も、子供も年寄りも、老若男女の区別無く奴隷として売りに出されていた。難民、孤児、拐かし――理由はそれぞれだが、いずれにせよ決して軽んじられるべき者らではない。
商談が纏まって、若い男の奴隷が引き摺り出される。両脇を使用人に囲まれて、連れて行かれる。続いては女。筋の浮いた首に縄を掛けられて、引き摺られて行く。一人、また一人と買われて行く。彼らの今後がどうなるかは、誰にも解らない。
ミダの胸が痛んだ。しかし同情と言うのとは少し違った感情である。元はと言えば彼も奴隷に近しい身。過去に自らが置かれていた境遇を思い出し、その記憶に胸を締め付けられていた。
「……なあ、早く行こう?」
エスのマントを引っ張って、ミダは急かす。見上げる視線は悲痛な色に満ちていて、見下げたエスも直ぐ様それに気付いたが、頭を振った。
「駄目だ」
「何故です?」
異を唱えたのはルッツだ。肩を竦めて言う。
「僕もこんな所に長居はしたくありませんよ」
「別に俺だって好き好んでこんな街に居たい訳じゃないさ。しかし日暮れも近いし、俺達は『世話焼きの敵さん』のお陰で良い格好をしてはいるが、『粗暴な敵さん』のお陰で無一文だ。ここらで路銀を稼がなくては」
「こんな治安の悪そうな所でですか? だったらいっそ、彼の力で黄金を作ってもらった方が早いんじゃ?」
「俺達の力を利用しようなんて考えはよせ」
エスは厳しい口調で言う。帝国は同じ理屈でミダを苦しめてきた。エスにはそれがよく解っている。
「それに、ちょっと荒れた場所の方が良い事もある」
「へえ、そうですか。それじゃあ、多少のゆとりがある僕は、宿を探してきますかね」
踵を返して離れて行く。誰も彼を止めなかったし、クラウスも後を追わなかった。だが誰もがここでの別れがルッツとの別れと思わず、いずれまた合流するつもりなのだろうと察していた。
「……全く、面倒な奴だ」
遠回しにルッツを引き連れて来た者を批難するが、当のクラウスは何処吹く風という様子だった。
さて、エスの言う路銀調達方法だが、勿論の事手元に金になる物品は一切無いから、ものを売るつもりではない。かと言って、短期的な肉体労働の賃金を得るつもりも、まだ傷が癒えていない事もあって、毛頭無い。では何をするのかと言うと、実に意外な方法だった。
まず酒場に入って、日の出ている内から酒を飲む。当然代金の持ち合わせなど無い。だが飲み逃げ食い逃げに走ったりはしない。ミダには一体何を考えているのかさっぱり見当も付かなかったが、エスに勧められるまま食事を取った。そしてすっかり食べ切った頃、ミダは不安感から身体を小さく丸めていた。
「大丈夫なのかよ、こんな只食い……」
声を潜めて尋ねると、エスはテーブルに足を投げ出して大声で答えた。
「なァに、心配する事はひとッつも無いぞ」
もう酒に酔っているのか、くだを巻く。
「金ならいくらでもあるんだ。こんな糞みたいな街で散財するのも悪くないだろう?」
「ちょ、ちょっと……!」
途端に酒場中の視線が突き刺さる。ミダは慌てた。
そこへ、三人連れの男が席を立ち、エスの元に詰め寄る。
「おい、見ないツラだな」
「何処から来た?」
ドスを利かせた声で言う。どうやらこの一体に縄張りを持つ、いわゆる香具師の構成員らしい。エスは挑発的に眉毛を吊り上げる。
「どうしてあんたらに言わなきゃいけない? 俺の自由だろうが」
手をひらひらと振って、あっちへ行け、とあしらう。これは男達の怒りを買うには十分な行為で、
「ちょっと表で話しようや。ここじゃ迷惑になるからなァ」
そう言い出す。話をするだけで済まない事は明白だったが、エスの口元が薄く笑むのを、ミダは見逃さなかった。男達に連れ立たされて店を出る間際、店主に向けてエスが言う。
「少し出るけど、すぐ戻る。代金は支払うから」
店の裏手の壁際にエスとミダは追いやられていた。背後に壁、前と左右に男達。四方を封じ、まして相手は酔っ払いと子供、小悪党共は勝ち気になって言う。
「随分良い格好してるじゃねえか」
「その様子じゃ、まだ『買い物』は済ませてねェらしい」
「よう、その分の金こっちに寄越しなよ。自分の身体買うつもりでさ」
ちょろいものだとばかりに、揃ってほくそ笑む。こうした脅し文句は連中にとって十八番だが、しかしミダにとっても慣れたものである。恐怖や不安を抱く要素を感じなかった。勿論、エスにも通用しない。
「そう言うお前らはいくら持ってる?」
余裕の表情で聞き返す。もう酒に酔っている素振りは無い。正面の男が顔中に皺を作って、
「意味の解んねェ質問してンじゃねェぞ! 立場を考えろよ、あァ?!」
がなる声に顔を顰めつつ、エスは、そうか、と答えた。
「まあ、自分で調べる事にするさ」
そう言うや否や、エスの拳が男の顔面に叩き込まれる。続け様に左右の男を殴る、蹴る。
暴漢らがこてんぱんにやられて三つに重なり、エスが手を打つまでの時間は、それこそ瞬きをする間程に早かった。こうなる事は端から解り切っていたし、エスの強さは折り紙付きなのだから、ミダは驚く事も無く、また心配するでも無く、尋ねた。
「あんた、傷は大丈夫なのかよ?」
「このくらい、何の事やない。砂を払うより簡単だ」
言葉通り、マントに付いた砂を払って見せる。どうやら回復能力も桁外れらしい。
さて、とエスは屈み込み、男達の身体をまさぐる。そして探り出したのは、三つの財布だった。これには、流石にミダも辟易した。
「金稼ぎって、これか?」
「そうさ」
平然と答えながら、財布の中身を検める。
「簡単で確実な方法だぞ。良くやったモンだ」
「これじゃ追い剥ぎと同じじゃねえか」
「馬鹿を言っちゃいけない。俺は自分の身を守っただけだよ。それでもって、こいつはその見返りで、連中の勉強代だ。……何だ、時化ていやがる。チンピラ相手じゃこんなものか」
小銭を自らの財布に移し替えて、空になった袋を気絶する輩の近くに放り捨てた。
「……悪い奴だな、あんた」
「今頃気付いたか?」
エスは希に見る活き活きとした笑顔で開き直る。ミダは溜息を吐いた。
同じ頃、同じ街で、ルートガー・ハイドリヒは憂鬱としていた。カティアの傍に居られるという素晴らしい時間が、僅か数日で終焉を迎えたからである。
夕刻になって、派遣の帝国兵らに連れられて現れた少女は、マリナと名乗った。この華奢で臆病そうな娘が携えていたのは、ガルデロイからの、辞令と伝令の書状。
「『我、火急の任有り。よって合流適わず。引き続き追跡行動を続けたし。ついては世話役としてこの者、マリナを遣わす』……か」
カティアが表情を曇らせながら読み上げた文面は、実に簡素なものだった。ルートガーはこれを聞き陰惨な気持ちにさせられ、マリナは怯えた目を床の上に泳がせた。
長く国を離れ、任務下に置かれた兵士達は鬱憤が溜まり、士気が低下する。世話役とはつまりその捌け口、即ちそういう事の為の女という事である。そしてその多くは奴隷で、彼女も多分に漏れない。
「年は幾つだ」
カティアに尋ねられ、マリナはびくりと震えた。
「じゅ、十五です……」
「……そうか」
カティアは、世話役の有用性・重要性を理解している。兵士の士気を保つのは、指揮官としての責務である。しかし、そうした理屈では覆しきれないものを感じているはずだった。カティアもまた、女なのだから。
ルートガーは国に残して来た妹の事を思い出した。兄に似ず活発な気性をして、マリナと同年。徴兵された時の、妹の心無しか寂しげな顔を思い返すと、ルートガーの中に沸々と義憤が沸き上がる。女は、ましてや人間は、粗末な道具の様な扱いを受けて構わぬ訳が無い。ルートガーはそんな人道や倫理を捨てられないから、兵士としては新米だが、人としては良い男なのだった。
「……貴様はどう思う?」
怒りと憐れみから拳を握っていた所を、カティアに尋ねられた。彼女が何を言わんとしているのかはすぐに解ったが、ルートガーは敢えて聞き返した。
「どう、と仰いますのは?」
「彼女は我が隊にとって有益か、否か……必要か、不必要か。それを尋ねている。元より、女の私には必要の無い事だ。貴様が決めて良い」
意外な言葉付きだ。自らが女であるという理由でものを言うのは、カティアにとって弱みを見せる事なのである。ルートガーが信用されているという表れか、或いは、それだけ困惑しているか。いずれにせよ、そんなカティアを裏切る様な事を、ルートガーは言えるはずも無く、
「自分にも、必要がありません。他の者がどうかは解りかねますが、しかし、規律の維持という面では望ましい事とは思えません」
マリナが今にも泣き出しそうな顔を見て、ですが、と続ける。
「今この時、直ぐ様彼女を追い返すという事も、避けるべきでは無いでしょうか。ガルデロイ閣下のご意向という事もあります。全て、自分が単に思う事、ですが……」
役目を失った奴隷ほど、惨めなものは無い。ひとにとって彼女達が物ならば、役に立たない物はただの塵芥だ。塵は掃かれ、芥は捨てられる。
「ではどうする?」
カティアはルートガーを見据えて、提案を促した。その権利を与えられたルートガーは、素直に思う所を口にした。
「彼女の同行を許してはいかがでしょうか? 『世話役』として」
「ほう?」
「世話役と申しましても、主にカティア様の『お世話』をさせては? 名目上の『世話役』としての体面は保たれる様に思います。それに、我々の中には妻や子、妹を持った者が居ますが、その者らにとっては、食事係や洗濯係としての『世話役』であれば、それだけで一定の効果は見込めるのではないでしょうか」
あくまで軍事的な意義だけを強調して語った。内心では、カティアの元に女手が必要である事や、十五の娘が慰み者にされる心苦しさがある。ルートガーは理屈を捏ねるのが苦手だが、マリナを思い、カティアを想えば、表層を取り繕うのは、いとも容易い事だった。
「ふむ……それは良い考えだ、ルートガー」
一言でルートガーの一案は採用された。
カティアから褒められ、マリナの立場は守られ、一時は誇らしげな気持ちにはなったが、けれど、これまでのご用聞きの様な立ち回りをしていたルートガーは、その役目を終える。そこに気付いたのはすぐ後の事で、その時、ルートガーは酷く落ち込んだ。




