Ep.11-2 奪回せし黄金
腹を満たしたミダの足取りは、元気はつらつとして、意気揚々。腕振り脚振り、大股に歩く。表情は明るく、この捜索さえ楽しげに見える。
「お次は何処に行くんだ」
活き活きとした瞳でカティアを見る。方々聞き回ったが、どちらへ向かうのを見た、という程度の話しか聞き出せていない。だからこその意気込みだ。
「そうだな、取り敢えず……」
カティアが見下ろすと、ミダの衣服が目に入った。ずだ袋に頭と腕とが出る穴を開けただけの様なその服は、袖にしろ裾にしろあちこちほつれているし、砂やら泥やらでどうしようもなく汚れて、まるでぼろ雑巾を身に纏っているかの如く、見られた代物では無い。
「……先に服を調達するか」
「え? 別に良いよ。不便してねえし」
そういうものに頓着しない性格で、きっとそう言うだろうとカティアは思っていた。故に、別の理由を設ける事は容易に思い付く。
「いや、奴の着る服だ。裸のままではろくに街も歩けまいよ」
「ああ、そうか。そうだな」
ミダはすんなりと頷いた。
洋裁店に入ると、作業台で青年がナイフを振るっていた。なめらかな手付きで生地を裁断して行く。
「頼めるか?」
カティアが声を掛けると青年は顔を上げ、驚いたのか肩をびくりと震わせた。
「は、はい。何でしょうか……?」
「男物の服を頼みたい。本人不在で申し訳ないが、背丈は私と同じくらいだ。どうだろうか?」
「たぶん大丈夫ですけど……いつ頃までに作れば宜しいでしょうか」
「出来れば明日までに、と言いたい所だが……」
青年の手元を見遣る。
「もし他の仕事が立て込んでいる様なら、遅れても構わないが」
「あ、ああ、いえ。こっちは別に急ぎという訳ではないんで」
「そうか。助かる」
カティアと青年が服の仕立てについて打ち合わせを始めた頃、ミダは店内をぐるりと見回し、溜息を吐いていた。壁には色取り取りの織物が掛けられ、服の完成見本もある。その中の一着が目に止まり、思わず見とれる。
ミダの様子に気付いたカティアは背後から近寄り、一緒になって覗き込む。
「気に入ったのか?」
「いやさ、これ、きらきらして綺麗だなと思って」
服に使われている生地は、皺の寄り加減、光の当たり加減によって白く輝いていた。
「それは絹だな」
絹と言えば高級品である。流石貿易都市、需要はあるのだろう。ミダは感心して、じっと見ていた。カティアはミダに見られぬ様忍び笑い、再び青年を呼んだ。
「これと同じ仕立てで、この子に合うものは作れるか?」
「え?!」
「ええ、出来ますけど……でもすぐに小さくなっちゃうだろうし、高いですよ?」
「構わんさ。代金の心配なら必要ない。いつ出来る?」
「明日頃には、ご注文の服と一緒に出来ると思いますよ」
「なら頼む」
「良いのか?!」
ミダは目を真ん丸にさせて、嬉々としながらカティアを見上げる。カティアは答える代わりに、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
日はとうに落ち、一向にベックマンの所在は知れず、人通りも減った。ミダもカティアも無言。恐らくは近くにまで迫っているはずだが、此処に居る、と指し示す様な確とした情報も無く、まさに暗中模索といった状況である。
だからと言って、諦める事などミダには出来ず、そう勧める事をカティアは出来ない。互いに確固たる決意を持って街を彷徨っているのだ。後には退ける訳も無い。
ミダは弱音が口を突いて出そうになるのを堪えた。旅路に比べれば一つの街を徘徊する程度は屁でもないが、やはりエスが傍らに居ないというのは辛い。その寂しさは闇夜が助長しているらしい。更に先程から、首筋の辺りに妙な視線や気配を感じている。幾度も振り返るが、人影すら見当たらなかった。
そこである事を思い出したミダが、カティアへ向けて唐突に尋ねた。
「……なあ、幽霊に会った事あるか?」
「いきなり何だ」
聞き返すカティアの声には怒気が籠もっていた。見付からぬ事に苛ついているのが、思わず出てしまった。カティア自身その事に気付いて、いや、と言い直す。
「妙な質問をする。どうかしたのか?」
「オレさ、あいつらの船の中で会ったんだよ」
見たのではなく、会ったのだ。闇の中から現れ、闇の中に消えたその女の事を話して聞かせた。
「……成る程。それは確かに奇妙だ」
「あんたらの仲間じゃないのか?」
「知らん。そんな者が在るとすれば噂にもなっているだろうが、私は聞いた事すら無い」
「じゃあ何なんだろう? あれも『力』なのかな……」
何にせよ、帝国とはまた違ったものがエスとミダを付け狙っている。望みが何なのかは全く知れないが、ミダは深く考えるのをやめた。考えて解らない事は、いくら考えても無駄だ。今は他にすべき事がある。
突然に、カティアがミダの肩を押さえて立ち止まった。問い掛けようと口を開くミダを、カティアは、シッ、と黙らせた。
「……尾行されていたらしい。誰かが見ている」
「え……?」
まさかあの女かと周囲に視線を巡らせるが、何処にも人影は見当たらない。カティアはサーベルの鍔に指を掛け、路地の方を睨む。路地には月明かりさえ差し込まず、真の闇。目を凝らしてもその先は全く見えない。だが視線は確かにそこから発せられている。ミダは思わずカティアに取り縋った。
「そこの者、出て来い!」
カティアは闇の中へ向けて声を張り上げた。路地に声が反響する。
呼び掛けに答えるかの様に、視線の主がぬっと現れた。しかしそれは、人間ではなく、
「……クラウス?!」
ミダが驚いて犬に駆け寄る。黒金の様な鈍い光沢を放つ黒毛の犬。まさしくクラウスだった。
「奴の犬か?」
カティアは身構えたまま険しい顔付きをしたが、ミダは構わず側に寄って屈み込んだ。思わぬ再会に首元へ抱き付くが、クラウスは擦り寄るでもなく泰然として立ち尽くしている。
「どうして此処に居るんだ?」
尋ねたミダの目を見返し、そしてちらりとカティアの方を見遣ってから、クラウスは回頭して歩き出した。二人が進んでいた方向とは真逆の方だ。立ち止まり、軽く振り返る。
「付いて来いってさ」
「解るのか?」
再び歩き出すクラウスをミダは追い、カティアは疑いながらもそれに従う。
悠々とした足取りで歩を進めるクラウス。カティアの眉間には未だ深々とした皺が消えない。ふと、小声でミダに尋ねた。
「……あれは本当に犬なのか?」
妙な質問に、ミダは怪訝そうに言う。
「見りゃ解るだろ」
「見たところはそうだが……いや、そうだな。すまない」
剣に掛けた指は、外される事が無かった。
クラウスの導きで一軒の宿屋に辿り着いた。閉じられた雨戸の隙間から明かりが漏れている。しかし中はひっそりとしたもので、話し声一つ聞こえない。
「ここなのか?」
クラウスは腰を下ろした。間違い無い、という証明だった。
カティアは歩み出て、扉の前に躍り出た。下がっていろとミダに手で合図を送り、扉を蹴破る。一撃の下に錠は破壊され、勢い良く内壁に叩き付けられた扉が盛大な音を立てる。二人は一斉に広間に飛び込んだ。
音に気付いた兵士達が部屋からぞろぞろと涌いて出て、カティアとミダとに一定の距離を置き、広間や二階へ通じる階段を埋め尽くした。籠手を取り返しに来るのを見越して、備えていた様である。しかしカティアが乗り込んでくるとは予想だに出来ず、一様に驚愕の相だった。
「諸君、出迎えご苦労」
落ち着き払ったカティアが言い放つ。
「ベックマン少将は上か?」
立ち塞がる兵士達などは全く意に介さず、足を踏み出す。途端に眼前の群れが割れ、道を空ける。兵隊はカティアを恐れているのだ。迂闊に手を出せば、骨の一本や二本は平気で折られてしまう。例え全員で一度に襲い掛かっても、死屍累々を築き上げ、踏み越えて進むだろう。カティアがそういう女だという事を、無鉄砲な二等兵も、武勇に溢れた下級士官も、才知に富んだ上級士官も、誰も彼もが知っていた。
ミダは悠然と歩を進めるカティアに、ぴったりと寄り添って続く。
二階に上がると、ベックマンの部屋はすぐに解った。兵士が慌てて飛び出した部屋のドアは全て開け放たれたままだが、廊下の突き当たりの部屋だけは、固く閉じられている。
再びのカティアの強烈な蹴りによって、ドアは蝶番ごと破壊され、無惨に倒れた。
「度々お騒がせして申し訳無いな、ベックマン少将」
乗り込むと、ベックマンは正面のテーブルに着き、怯えた顔付きでその重い腰を半ば浮かせていた。テーブルの上には杯と、エスの籠手が載せられている。
「ほう。強奪した品を眺めての晩酌と?」
「カ、カティア! き、貴様、裏切るつもりか?!」
「任務を放棄し、手柄欲しさの独断行動。あまつさえ、捕獲対象を海に落とし痛め付ける。皇帝陛下の彼らを大事とする意を裏切ったのは、貴殿ではないか」
言われたベックマンは喚き散らす。
「黙れ黙れ、黙れッ! 知った風な口を利きおって! ガルデロイに拾われただけの、没落貴族の貴様に何が解る!!」
「ハッ! 単に悔しかっただけでしょう? 配下だったガルデロイ様に追い抜かれ、占領地周辺の哨戒などという華の無い任を与えられ、悔しかったのでしょうね」
カティアは目を細める。
「だが、生まれた家柄だけで禄を食み、軍人の栄誉を失った貴殿は、努力を忘れ己の失態を棚に上げ、他人に責任を求める。ハエにすら成れぬ、哀れみすら持てぬ、ただの肥えたウジに成り果ててしまった。貴殿の行いは帝国軍全体を辱める。だから私は、それを正しに来た」
醜悪に顔を歪ませて、ベックマンは唸る。カティアはミダに言い付けた。
「籠手を取れ。漸く探し当てたのだ。その手で取り戻すが良い」
「あ、ああ……」
ミダはそろそろと近寄り、籠手に手を伸ばす。口元を戦慄かせていたベックマンは、耐えかねて立ち上がった。
「これは、これはワタシのモノなんだァ!!」
鞭を取り、振りかぶる。破れかぶれとなった男は、戦利品を奪うのが如何なる人物であっても構わないと、錯乱した頭で考えた。
しかし、鞭を振り下ろす事、ミダを傷付ける事はカティアが許さなかった。瞬く間に剣を抜き、一歩跳び込むと、ミダの頭越しに、切っ先をベックマンの喉へ突き付けた。
「見た目通り、諦めの悪い男だ」
「ぐ……ッ!」
「さあ、早く取れ」
ミダは言われた通りに籠手を取り上げる。細腕には重すぎる為、抱き抱える様にして持つと、素早く後退った。
「……何故だ? 貴様は、いつもいつも、ワタシの邪魔ばかりする? ワタシを目の敵にする……?!」
「お忘れか、少将? 十年前、貴殿が私の故郷に何をしたのか」
剣を微動だにさせないまま、低い声音で言う。ベックマンは目を見開いた。
「い、いつ知った?!」
「二年前、記録に目を通してから……。自衛の手段しか持たぬ小国を滅ぼして、何が武功か、何が武勲か」
カティアの双眸に憤怒の火が灯る。
「……だから言ったのだ、ワタシは。その娘はいつか我々に仇為すと、ガルデロイに。ワタシは言ったのだ。それを、奴めが……」
感嘆を漏らし、崩れ落ちる。床を揺らし、椅子が倒れた。
「復讐などではない。そんな感情は、私には必要が無い。私は一介の軍人として、許せんのだ」
カティアは剣を収め、ミダの肩に手を掛けた。
「行こう。奴が待っている」
ミダは力強く頷いた。




