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Ep.8-3 戦う黄金

 決意を固めたミダの前に、恐怖など無かった。ただただ、決して曲げる事の出来ない強い意志が、少年特有の頑固さに伴われ、ミダの背中を押している。

「何を考えているんだ! 馬鹿か!!」

「オレは馬鹿でも良い!」

 背後から喚くエスに、ぴしゃりと言い放つ。

「でも馬鹿は馬鹿なりに通してぇ意地があるんだ!!」

 喉の奥から、腹の底から叫んだ。

 ミダの両手が作り出すのは、歪められたひとの感情ばかりではない。小さな幸せを生み出す事も出来たのだ。それを知った今、ミダは自ら力を振るう事を望んだ。

「この力は誰かを傷付ける為のモンじゃない。ひとを苦しませる為だけのモンじゃない。オレはこの力で守ってみせる! 自分も、他人も、守ってみせるんだ!!」

 両手に宿した力をどう戦いに用いるか、ミダ自身解っていない。だが、それでもその力で、自身の力で、守るべきものを守り通したかった。

 カティアは非力な少年の太刀打ち出来る相手ではない。かと言って、作戦がある訳でもない。だが諦念も策略も今のミダには不要だった。何でも良い。必死に、がむしゃらに、勝利や敗北以上のものを掴み取りに行けるならば、掴み取れるのならば、それで良い。決闘が信念の戦いなら、ミダの信念は誰にも打ち負かす事は出来ないものだ。剣や拳では、切り刻む事も叩き潰す事も出来ない、水の様で清らかで、炎の様に激しいものだ。

 エスを守る。何としてでも、命に代えてでも、その信念を貫き通したい。その為になら忌むべき力さえ拒まない。いや、寧ろその為に神から託されたのだと信じ、そう願った。

 この非常事態に発生した強い気持ち、エスを守りたいというその想いは、ミダの決意を根底から支える黄金の支柱となる。永遠に朽ちず、折れず、失われない。

 ミダはその小さい胸の中で膨張する感情の名前を知っていた。しかし、それとこれとを結び付けられる程は、知らなかった。

「……まだ、私とその男との決着が付いていない」

 カティアは静かに言った。ミダは言い返す。

「あんたの勝ちで良いだろうが、そんなモン!」

 どうでも良い、と叫喚する。

「どうでも良いんだよ、勝ち負けなんて! 他人に斬り掛かって、勝って、それで通す意地なんざ、信念なんざ、騎士道なんざ、下らねぇや!!」

 カティアの表情が険しくなる。少年の口から出た言葉でも、騎士道を侮辱する言葉は許し難いものに違いない。

「……黙れ」

「いいや、黙んねぇ」

「黙らなければ、例え皇帝陛下の命があっても、容赦しない」

「やれよ。あんただって信念貫けば本望だろうが」

 ただし、とミダは両手を広げる。

「エスには指一本触れさせない。オレは死んでもあんたを止める。あんたの腕の一本や二本、死ぬ気で食らい付けば金に出来るだろ」

 押し黙りギラリとした眼光を放つカティア。ミダは真っ直ぐにその目を睨み返す。

「オレはエスを守る。オレを倒してみせろ。オレと戦え! オレの決めた事よりも強い信念なら、貫き通してみせろよッ!!」

 何一つ怖い事など無かった。カティアの勝敗に拘る信念など、今のミダの前では何の意味も持たないのだ。そんな者の刃に脅され、負かされる事など有り得ない。

 逃げるだけのミダはもうここに居ない。困難に立ち向かう勇敢な少年が居るだけだ。

 不意に、カティアは険しい表情から一変して柔和な顔付きになった。フ、と笑いながら構えを解く。

「……私の負けか」

 剣を収め、髪を掻き上げる。

「騎士道は本来主に忠誠を誓い、忠義を尊び、忠節を重んじるものだ。その点で、私は自らの信念に恥ずべき行いをしていた。勝負に拘るのは私の意地でしかない。私闘に大義名分を持ち込んだ時点で、私は負けている」

 信念を貫く、その意志に於いて、カティアはミダに負けた。

 ミダは意外でならなかった。ここまで素直に引き下がる女とは思っていなかったのだ。

「集合!」

 カティアが大声を立てる。すると、崖の斜面や木の陰に身を潜めていた十数名の帝国兵達が、ぞろぞろと道に飛び出してカティアの背後に集結する。

「こ、こいつら、こんなに隠れてたのかよ……」

 唖然としたミダが、呆れた様に呟く。

「衛生兵。あの者に手当を」

 カティアの言い付けに、兵士は敬礼をしつつも、

「は……?」

 きょとんとする。カティアにキッと睨み付けられ、ビクリと背筋を伸ばした。

「この私に二度同じ命令をさせる気か、二等兵。彼に応急手当をしろ! やるか死ぬかを選べ!!」

「か、かしこまりましたッ!」

「口で糞を垂れる前と後ろに『サー』を付けろ!!」

「サー、かしこまりました、サー!!」

「……鬼か、あの女……」

 ミダの口から、はは、と乾いた笑いがこぼれ落ちる。

 衛生兵は怖ず怖ずと、それでいて手際よく、エスの上着を脱がせ、肩の傷へ消毒と止血とを施し、腹部の二カ所に付けられた打撲傷に湿布薬を貼り、それぞれに包帯を巻いた。その間、胡座をかいたエスは沈黙してじっと衛生兵を見ていた。

「お、終わりましたァ!」

 声が裏返っていた。ご苦労、とカティアに声を掛けられながら、隊列に戻って行く。

「……何のつもりだ」

 低い声でエスが言った。感謝などは微塵も感じていない。

「敵に情けを売るか?」

「貴様は捕獲対象だ。こんな所で死なれては困る」

「ならば何故ここで俺を捕まえない」

「言っただろう。私は負けたのだ。『黄金の指先』に」

 ミダを顎で指し示す。

「勝者には敬意を払う」

「それも騎士道か」

 エスは皮肉めいた笑みを浮かべる。

「厄介なものだな、騎士道は」

「ほざけ。命を拾われた人間の言う言葉か」

「何を言っているんだか。初めから殺すつもりなんて無かった癖に」

「当たり前だ。貴様は生け捕りしなければ意味がない。それに……」

 眉間に皺を寄せ、苦々しげに言った。

「手心を加えた相手を倒しても、意味がない」

「手心って……えぇ?!」

 ミダは驚いて声を上げる。

「手加減してたのかよッ」

「あの時、この男が本気になって雷を放っていれば、例え剣が私の手から離れていたとしても、雷は決して私を逃がさなかっただろう」

 ああ、そうか、とミダは手を打った。放出出来るだけの電撃の量を使っていれば、剣を伝った先からも、カティアに落ちていたはずなのだ。つまり、それだけ力を抑え込んでいた事になる。恐らくは、ミダが最初に見た様な、籠手を介して直接電流を送り込む様な、その程度の力しか出さなかったのだろう。

 エスは舌打ちを一つして、頭を掻いた。

「バレバレか」

「嘗めるな。私の力量を軽く見たのだろう?!」

 ずかずかと歩み寄るカティアを上目遣いに見て、それからエスは、いやあ、と頭を掻く手を頻りに動かしながら、下を向いた。

「まあ、そういう訳でもないが、ね。強さは重々承知していたけどな……」

 言い難そうにする。そんな奥歯に物が挟まった様な答え様では、カティアは納得しなかった。

「なら何だ!!」

 目を見開き、エスを見下すカティア。対してエスは、頭を掻くのをやめ、泰然としてカティアを見上げる。そして言い放ったのは、

「女だからだ」

 という理由だった。カティアは顔を引き攣らせた。

「貴様ッ! そんな甘い考えで……!!」

「女が好きなのは男の(さが)だよ」

「な、嘗めるのも大概に……ッ」

「あんたが女なんだから仕方がない。否定しようの無い事実じゃないか。真実に目を瞑る事は出来ないね」

 よっ、と立ち上がり、ずいとカティアに迫る。そうして見て初めて解るが、カティアはエスよりも頭半分程度、背が低い。間近に向かい合えばエスが若干見下す形になる。下から睨むカティアとの間に、見えない火花が散った。

「女と思って戦うから、詰めが甘くなる」

「後悔はしていないさ」

「痛い目を見てもか?」

「俺は女を殴らない主義だからな」

「この前は殴ったが?」

「あの時は気が動転していたんだ。謝るよ」

「やはり女と思って馬鹿にしている」

「馬鹿にはしていない。ただ立派なモンだと思ってね」

「ほう。何がだ?」

「胸に押し当てられているものが、だ」

「ただの胸当てだ」

「中身は空か?」

 尋ねながら、エスは右手でカティアの胸を押し返す。ひやりとした感触の甲冑の下に確かな柔らかみを感じた所で、その手をカティアに払い除けられた。

「何をするかッ」

「やっぱり女だな」

 にたりと笑う。

「恥ずかしい事か? 女が」

「五月蠅い、黙れ!」

「照れるなよ。俺の身体を見て疼いたか?」

「貴様! 今すぐ斬り伏せてくれる!!」

 カティアがサーベルに手を掛けた所で、ミダが慌てて割って入る。

「ちょ、ちょっと! 落ち着けよ。ここは一旦休戦だろ?」

「ああ。俺達は仲良しこよしだ」

 エスはニヤニヤ笑う。

「殺す!!」

「おう、やるか?! この距離なら俺の雷の方が速いぞ!!」

「ああ、もう! 落ち着けってば! エスも無駄に挑発すんな! あんたはこの変態に乗せられるなッ!!」

 ミダはエスを押さえ、カティアを宥めるのに大忙しだった。戦士の闘争本能なんて全く理解出来ないし、理解したくもない、ミダは心からそう思う。

 ふと、ルッツの声がする。

「何て野蛮な人達でしょうね」

 この言葉に水を差されてか、急速に二人の闘志は萎えた。

 カティアは踵を返しエスに背を向けると、声だけで尋ねる。

「……貴様らは何処を目指している」

 エスは隠す事もなくさらりと答えた。

「帝国だ」

 回答を聞いたカティアは嘆息を漏らし、そうか、と呟く。

「貴様との勝負はまだ終わっていない。死ぬなよ」

「当然だ」

 エスは鼻で笑い、カティアは振り返らないままクスリと笑う。

「……撤退するぞ」

 カティアに告げられた兵士達は、それぞれ疑問の色を顔に浮かべるが、口答えせずにカティアの後に続いて行った。

 兵を引き連れて去るカティアの姿を見送る一行。ミダは安堵の顔付きをし、エスは愉快そうに頬を弛ませていた。

「……何なんだろう、あの女……」

 ミダがぽつりと呟く。敵である事には違いない。だが悪人とも思えない。理解に苦しむ人物だ。

「それにしても」

 不意に大声を上げたのはエスだった。

「少し格好良かったぞ、お前」

「そ、そうかな……?」

 ミダは肩を縮めて照れ笑い。エスに褒められると素直に嬉しく思えた。その身体を這う新しい感覚に、ミダは身をよじった。

 エスはそんなミダの様子を見て、意地悪く冷笑する。

「……特に『戦いの踊り』が最高だった」

「いや、待て。そんな事してないぞ、オレは」

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