Ep.8-2 戦う黄金
「え?! またあのネエちゃん?」
ミダもぶつけた頭をさすりながら、オスマンとスィベルの間に割って入って妨害者を覗き見る。エスはミダを見て眉毛をハの字に曲げた。
「おっさんか? お前」
「エス・ライト!」
立ち塞がった女、カティアが叫ぶ。
「改めて貴様に決闘申し込む! 馬車から降りろ!!」
サーベルの鞘を握り、鋭い視線を飛ばしていた。カティアは兵を連れていない。
「兵も無く俺に挑むか。理由は?」
「この手には、まだ勝利も、敗北さえも掴んでいない。決着の無い決闘など、騎士にとってあるまじき行為。私は私の信念に基づき、貴様を倒す」
「騎士の信念か……成る程。信念には答えなくてはいけないな」
エスは納得してオスマンの肩を叩く。
「ここまでだ。君らは村へ引き返してくれ」
「ええ? で、でも、街へはまだ随分……」
「僕からも頼みます」
背後からルッツが声を上げる。
「こんな無益で馬鹿げた戦いに、貴方方を巻き込む訳にはいきません」
それを聞いたオスマンは躊躇しながらも頷き、エスは苦い顔をする。考える事は同じでも、ルッツに言われると悔しいものがある。ミダも同じだった。
回頭して去って行く馬車。それを見送ったのは、エスとミダ、そしてルッツだった。
「どうして降りるんだよ?」
「僕も一緒に戻って行って、また送らせる訳にはいかないからね」
当然だろ、とルッツは肩を竦めた。言う事はもっともだが、ミダは素直に頷けない。ルッツは出しゃばりだ。エスはチラリと振り返って、彼に尋ねる。
「止めるか? ルッツ」
「止めませんよ」
平然として答えた。
「僕に何かある様なら、抵抗はしますが」
闘争を阻止するつもりも無ければ、エスの身に何が起きても手を貸すつもりも無い、そういう意図である。
「安心しろ。私が望むのは一対一の抵抗だ。他者に手出しはしない」
カティアは仁王立ちに立ち尽くし、真っ直ぐにエスを見据えている。彼女の眼中にエス以外の人物は存在しなかった。
「ああ、安心だ」
エスは一歩進み出て、カティアと対峙する。
山肌を這う風は強く吹き付けていた。足場はさして広くない。道脇に一歩でも足を踏み出せば、そこは急斜面の崖。先日の様に大きく場を使う戦い方は不可能だ。
この地形の勝負に於いて逃走は無く、また正面以外からの攻撃は為し得ない。正に決闘である。
だがこの期に及んでミダは首を傾げ、向かい合う二人に質問を投げ掛けた。
「なあなあ、オレ達を捕まえるつもりも無い相手と、なんで戦わなくちゃなんねぇんだ?」
ミダにとって、カティアの言う騎士の信念による決闘は、殆ど意味の無い戦いだった。
「お前は馬鹿か?」
「馬鹿って言うなッ」
「彼女は信念に基づいて勝負を望んでいる。信念は尊重しなければならない。俺やお前が決意を貫く事を誓った。その信念を踏みにじる事など出来ない様に、俺は全力で、彼女の信念に応えなくてはならない」
おお、とミダは手を打った。
「信念の戦いか」
「そうだ。それにな……」
エスはニヤリと笑う。
「……俺も戦いたいんだ」
エスは決して好戦的な男ではない。それでもカティアとの決闘を欲するのは、彼女に並々ならぬ意志が存在するのを、敏感に感じ取ったからに他ならない。
「話は終わったか?」
カティアが急かす様に尋ねる。エスは頷いた。
「やるか」
「やろう」
エスは身構え、カティアは剣を抜く。
ミダは二人から離れてこれを見守り、クラウスはミダの横で腰を下ろす。一方のルッツは木陰に入って幹に寄り掛かった。
「力を使うのはやめておこう」
「殊勝な判断だな!」
声と共にカティアが飛び出し、初太刀を放つ。エスはこれを紙一重に躱し、右拳を振るう。カティアも素早く避け、飛び退りつつ切っ先を横薙ぎに払った。
「またその動きかッ」
剣先を籠手に当て、斬撃をいなす。
「一度通用しなかった事を繰り返すな!」
「どうかな?」
確かに攻撃を躱したと思われたが、ふと気付けば、エスの衣服の左脇が僅かに切り裂かれていた。
「何だと……?」
剣先が籠手の上を滑る直前、湾曲した剣が触れていたのである。
「次は、服だけでは済まさない」
「……クッ!!」
もしまた次の攻撃で同じ様な回避法を取れば、間違いなく肉を斬られる。惨敗を知らないエスにも、そう確信させるだけの実力がカティアにはある。
過去二度の戦いでカティアは確実に、驚異的なまでにエスの動作を学習していた。
彼女は天才的な剣術の使い手だ。その類い希な身体能力は鍛錬だけで習得可能な範疇を超えている。何より、戦闘中であっても敵を見据える鋭い眼差しと、その洞察力は天賦の才としか言い様が無い。真綿が水を吸う様に、カティアは戦えば戦う程強くなっていく。
カティアは本来、容易い事で闘志を燃やす性格の女ではない。カルディアスの命に背き、任務に無い戦闘を行うのもこれが初めてである。務めを果たす為に剣を振るう事は多いが、そこに私情を差し挟む理由も意義も皆無だった。
そんな彼女がエスとの戦いに固執するのは、騎士としての才能が本能的に刺激されたからに他ならない。彼女の剣技の前に屠った男は数あれど、エス程の強敵は無い。初戦では一撃も受けないまま逆にカティアへ反撃を加え、更に第二戦では顎に渾身の一撃を食らっても平然としていた。恐るべき男だ。だが、これ程にカティアの冷ややかな表情の下に、静かなる炎を燃やさせ、心を震わせる男も、他に居ないのである。
エスにとっても同様だった。柄にも無く額に冷や汗が滲む。
「チッ」
苦笑と共に舌打ちし、腹を決めた。
「……後先を考える余裕は無いか」
エスが雷の力を用いないとしたのは、敵に対応策を見破られたからという単一の理由には拠らない。体力の消耗は旅路に支障を来す。帝国へ行くのは何よりも優先すべき事柄である。だがこのカティアという女剣士は、それが如何なる決意であっても、他の事情を考慮しながら対決に臨める相手ではないと、そう判じた。
「前言撤回だ! 全力で戦う!!」
「賛成しよう。でなければ私も張り合いが無い」
答える言葉には余裕さえ感じられる。エスの最後の切り札さえ、カティアはその技と知能で切り捨てる自信があった。
一方で、ミダは相変わらずこの戦いの意味を考えていた。一度は納得して見せたものの、未だに理解に苦しんでいる。ミダが掲げた信念は、生きる為に戦うというものだ。戦闘そのものを信条にする者の気持ちとは全く違う。
ルッツが言う利益の有無、損得の計算などは、この際どうでも良いのだという事は解る。要は勝敗が大事なのだ。どちらかが勝ち、どちらかが負ける。カティアにとってはその結果こそが全てなのだろう。
では、勝つとは何なのか、負けるとは何なのか。勝つ事を望みながら、負ける事さえ受け入れるなら、勝負の決着に、その勝敗に何の意味があるのか。得るものも、失うものも眼中に無いのなら、最後にその瞳に映るのは何だ。
解らない。ミダには解らない。
ただ、無性に腹が立った。
「行くぞ」
掛け声と共に、カティアの刺突が矢よりも速くエスの胸を狙う。点に狙いを定めた直線的な攻撃を躱すには、横方向への回避のみが有効である。カティアの思う壺と知りつつも、エスは身体を捻り、僅かな動作で避けた。同時に、左手でサーベルの刀身を握る。
「捕まえたァ!」
エスは左手から雷土を放った。放出される電撃は見切られている。ならば直接流し込めば良い。カティアと言えど生身の人間。雷をまともに受けては、戦闘不能に陥る事を免れない。エスは勝利を確信した。
しかし、この反撃はカティアの予想していたものだった。力を使うと宣言した以上、エスは必ず電撃を使う。遠距離からの雷撃は回避可能だと知れているのだか、残された手段は、攻撃で間が詰まったその瞬間を捉えての直接攻撃しか有り得ない。エスの勝算は見破られていたのである。
電流が刀身を伝うその刹那、カティアの手がサーベルから放れた。自由になった身体を回転させ、その勢いのまま放たれた右の手刀がエスの右脇腹に食い込む。この反撃の応酬は一瞬の間に行われた。
エスの身体が横様にくの字に折れる。片足が浮いて重心がずれるのをカティアは見逃さず、右手を切り返し、抜き手で鳩尾を突き上げた。
「うぐ……ッ」
腹を突き破ろうというまでの強烈な一撃である。カティアが加減をしたものか、エスの強固な身体の恩恵か、鋭い指先の刃は皮膚を貫いてはいなかった。だが肋骨の下に滑り込む様な抜き手は、一時的にエスの呼吸を封じた。並の人間であったら、衝撃は心臓にまで達し、その活動を容易に停止させていたかも解らない。
この一打で勝敗は決した。
サーベルを奪い返すと、カティアは駄目押しにエスの左肩を突き刺した。筋肉を切り裂かれる激痛に、声にならない叫びを上げながら、エスはよろよろと後退り、尻餅を突く。ミダが駆け寄り、その背中を支えた。
「お、おいッ。しっかりしろよ!」
その声は早くも泣き声に変わっている。エスが負けるなどとは考えてもみなかった。勝利を信じていたと言うと、ニュアンスが異なる。ただ、彼の敗北した姿が想像出来なかったのである。
クラウスは立ち上がり、耳を後ろに倒して毛を逆立て、カティアを睨んでいた。一方で、ルッツはこの光景に冷ややかな視線を送っている。
「決着か。それとも……」
刀身の鮮血を振り払い、切っ先をエスに向ける。
「……ここから終わらせるか」
エスは腹を押さえ激しく噎せた。そうする事で漸く呼吸を取り戻し、カティアの問いに答えた。
「……戦う。俺は、誰にも負けられない」
膝を立て、立ち上がろうと蹴り出すが、地面を掻くばかりで一向に腰は浮き上がらなかった。カティアの多重攻撃に、エスの肉体は確実に損傷していた。
「下がっていろ、ミダッ。怪我するぞ」
正に満身創痍。それでも戦う意志を示し続けるエスに、ミダは噛み締めた奥歯で音を鳴らした。
「敵が戦意を失っていないのなら、例え身動きの出来ない相手でも、私の刃は容赦しない」
カティアはサーベルを構えた。
いよいよ窮地を迎えるエス。この場面を、ミダは指を咥えてみている事など出来なかった。
「もう我慢ならねぇッ!」
叫びながら、エスの前に立ちはだかり、
「馬鹿げてんな、決闘なんて!!」
吐き捨てる様に怒鳴る。カティアは構えたままミダを睨め付け、威嚇した。
「下がれ。これはその男との戦いだ」
「そうだ。お前は、離れていろ」
背後のエスも言う。しかしミダは、
「嫌だッ」
激しく頭を振った。
「オレにも信念があンだ! オレも戦う! オレと戦え!!」
「何……?」
カティアは眉を痙攣させ、エスはぽかんと口を開ける。
「ま、待てよ、お前……正気か?」
ミダは誰になんと言われようと狼狽えない。両手の手袋を脱ぎ去り、人差し指を突き出した。
「あんたに決闘申し込む!!」




