Ep.5-2 黄金色の追跡者
ルッツ青年は良く喋る。色々とひとに語る事の出来ない事情を抱えた二人は、このお人好しに辟易した。ルッツ自身一人旅の身ならば、それなりの経緯はあるはずだ。そこはお互い旅人の弁えとして余計な詮索はしないものだが、ルッツは会話に飢えている様だった。
「僕はずっと西の方から来たんですよ。ずっと西です。あてもなく東へ東へ歩いていたら、いつの間にかここに出てしまいまして。食料も底を突き水も尽きた。そこで僕はもうばたんきゅーですよ。いや、彼らに助けられなければどうなっていた事か」
エスもミダも、ルッツの事などどうでも良かった。エスは思う所があって考え込みたい所だし、ミダもミダでいつ置き去りを食うか解らない。とても他人に構っていられないのだった。
「あなた方は砂漠を抜けて来た様ですが、良く持ちましたね。こっちはまだ良いけど、あっちは暑い。見たところそれ程荷物もない様だし、水や食べ物なんかは……」
「それは?」
溜まりかねたエスが、ルッツの言葉を遮って彼の足元を指差した。寝台の脇、ルッツの脚の後ろ側に、白い布にくるまれた長いものがある。長さはルッツの身長より僅かに短い程度で、太さは無い。
「ああ、これですか? これは……釣り竿です」
「釣り竿?」
「ええ、好きなんですよ、釣りが」
針を投げる真似をして、ニコニコ微笑む。エスは元より、ミダの目にもこれは嘘だと解った。竿にしては太いし、長さも中途半端だ。何より、東へ行けば釣りの出来る所など減る一方なのだ。
その時、クラウスが吠えながらテントの中に飛び込んできた。ルッツは声を上げる事も忘れるほど驚き、寝台に飛び上がった。
「どうした?」
エスの問い掛けに、クラウスはその鼻先を外に向けた。外で何かが起きた、そういう事である。
エスはミダに残る様言い付け、素早くテントから飛び出した。
外には十数人の帝国兵が居た。そしてそれを引き連れていたのは、あの女剣士・カティアだ。西日の中、カティアはラムドと対峙し睨み合っていた。
「帝国の方が何のご用ですかな」
ラムドは毅然として腕を組む。
「ここに子供を連れた男が来たはずだ。我々が探しているのはその二人。他に用は無い」
矢張り帝国に尾行されていたかと、エスは舌打ちした。
「ほう。我が客人にご用の向きで。理由をお尋ねしようか」
「説明は無用。貴君はその客人とやらを差し出せば良い。でなければ、我らの手で以て燻り出すだけの事」
兵士達はそれぞれの手に松明を携えている。
「待て」
エスは自ら進み出て、二人の間に割って入った。先に立ち寄ったかの国の様になるのは、御免だった。
その様子をミダとルッツはテントの中から、ハラハラとしながらそっと覗き見ていた。「君達、帝国に追われてるの?」
ルッツの質問にミダは答えず、手袋の内側をじっとりと湿らせた。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。あとは僕が……」
背後のラムドに呼び掛けると、ラムドはゆっくりと後退った。
「自ら出てくるか。良い覚悟だ」
「褒めてくれてどうも」
エスは鼻で笑う。
「この覚悟を買って見逃してくれたら幸いだがね」
「黙れ」
カティアは一喝するが、エスは何処吹く風と苦笑した。
「俺から口を取ったら何が残るんだ? まあ色々残るか……。それで、狙いは俺への報復か?」
「違う。貴様ら二人を連行する事だ」
「二人? 待て待て。俺の連れは無関係だろう?」
「惚けても無駄だ」
青い瞳は見透かす様に真っ直ぐエスを捉えている。エスは再び舌打った。
「あんたらも泉に立ち寄ったか。なら、どうする? ふん縛って無理矢理捕まえるか?」
「大人しくするのならな」
エスは不敵に笑う。
「抵抗するぜ?」
「そう言うだろうと思ったさ」
兵士達が一斉に剣を抜く。そして取り囲み、全員が切っ先をエスに向けた。
「待て!」
カティアが手を挙げて制し、サーベルを抜いて言い放った。
「一人相手に大勢で掛かっては、騎士道に悖る」
ゆっくりと姿勢を低く、地面と水平に構えた剣をその目線に合わせた。
「私は騎士だ。決闘は一対一の原則がある」
「成る程、騎士道か。ならその騎士道に誓えるか? 俺が勝ったらこの場を退き、ここの人々には一切手出し無用」
「笑止。元よりそのつもりだ」
「なら……安心だ!」
マントの内側から左腕を突き出し、雷電を繰り出す。電撃はカティアを捉えた――と思われたが、その刹那、カティアはサーベルを地に突き立て、柄から手を放した。雷はサーベルに落ちた。
「貰ったッ!!」
カティアは髪を翻し、黄金色をした一陣の風となってエスの懐に飛び込むと、大地を踏み込み、拳でエスの顎を突き上げた。
「あッ」
声を上げたのはミダである。跳ね上がるエスの顎。余程の衝撃だったのか、地に踵が着いていない。女剣士の拳は大の男を一撃で昏倒させるだけの力を秘めていた。ミダは負けを確信した。
しかしエスは倒れない。カティアの横面を目掛けて思い切り右拳を振るう。辛くもその反撃を避けたカティアは飛び退り、サーベルを掴み取って構えを取り直す。エスはよろめきながらも立ち続け、顎を手の甲でさすった。
「痛ェなあ! まさか剣を捨てるとは思わなかったぜ」
カティアはエスの異常なまでの頑丈さを驚いたが、決して隙は見せなかった。
「雷は避雷針を伝い、地に落ちる。その術は見切った」
「考えたモンだな。あんた腕も良いし、頭も良い。おまけに顔も良い。三拍子揃ってる訳か」
「茶化すな」
「しかし騎士さんよ。剣を捨てるのは騎士としてどうなんだい?」
「捨てた訳では無い。剣は腕力で振るう武器ではない。知力で扱うのだ」
「深いね」
肩を揺らして笑う。それに、とカティアは付け加えた。
「二度とこの手を使う必要は無い」
「そんな小賢しい技で俺の力を封じ込めたつもりか?」
「違うな。貴様も頭が働くのなら、もう雷を放たないからだ」
エスは鼻を鳴らして腕を組んだ。
「貴様の術も神の御技なら、使う事によって体力を大きく消耗する。先日の戦いで私に雷を撃たなかったのは余力が無かったからだ」
事実、エスの電撃を使える量はかなりの制限がある。もし無闇に雷を放てば、身動きも取れぬまま敗北を喫する事になる。そこまで見抜かれているとは意外だったが、ミダの事も知識に含まれているのだろう。
「なら、ここから先は人間の対決だな」
嘆息を吐いて、エスは腕を解いた。
「俺はエス・ライト。あんたは?」
「……カティア。姓は捨てた」
「宜しい。ならば、カティア。いざ尋常に……」
エスも重心を低く身構える。
「勝負!!」
叫ぶや否や、カティアは駆け、下からエスの腹目掛け刺突する。エスは身体を捻って躱し、マントを切り裂かれながらも拳を振り下ろす。横飛びでひらりと避けたカティアは横薙ぎにサーベルを振るい、切っ先でエスを追うが、空を切った。互いに退いて距離を取る。
「ハッ! 矢張り、良くやる」
エスは満足げな笑みを浮かべ、カティアは口を開かず構え直した。
ラムダもミダも、帝国の兵士達も、ただこの戦いを傍観する事しかできなかった。常人を超越した青年と、常軌を逸した身体能力を持つ女との対決である。並の人間に立ち入る術はなかった。
そんな中、ルッツただ一人はテントの中で何やらガサゴソとやっている。彼の唯一の持ち物、件の白い布に隠された荷物を開いていた。
「次は逃がさない」
剣の尖端はエスの眉間に向けられている。エスは肩を竦めた。
「抱き締めてやろうか?」
「減らず口を……ッ」
今にもカティアがエスに飛び掛かろうという、その時だった。
空を割る様な轟音が起こり、一同は刹那にその方向を見遣った。
ルッツが立っていた。彼は鉄の棒を縦に掲げている。その棒の先からは僅かな煙。ゆっくりと水平に構え、肩に当てた。棒は、二つに並んだ筒である。
「……鉄砲か」
カティアが構えを解く。
「帝国でもまだ鉄砲は珍しいみたいですね」
ライフルの銃口をカティアに向け、引き金に指を駆けると、真っ直ぐに標準を合わせた。
「これの弾丸はあなたより速い。避けようなんて無理な事は考えない方が無難でしょうね」
「何の真似だ?」
尋ねたのはエスだ。
「こっちの台詞ですよ。ここはあなた方が戦って良い場所じゃないでしょう?」
ここはジプシー達の土地だ。第三者が踏み荒らして良いものではない。
「戦いなら他の場所でやって頂きたい。僕の一撃で戦いを終わらせられるなら、あなたに当てたって良いんだ」
ルッツはそう言って標準をエスにずらす。彼の言葉は本物だ。
カティアは剣を収め、深く息を吐いた。
「……横槍が入った。勝敗は暫く預けよう」
「カティア様!!」
兵士が諫める声を上げた。カティアは横目にその兵士を睨み、言い放つ。
「私は騎士だッ。決闘での勝利以上に何を望む。決闘に水を差された今に何を求める!」
視線を戻し、エスに尋ねる。
「貴様の向かう先には我ら帝国領が待ち構えている。道筋は考えた方が良い」
「変えない。俺は俺の道を行く。それに……」
フ、と含み笑い、エスは頭を振る。
「……そっちに行けば、あんたとも決着が着けられるんだろう? カティア」
「ハハッ!! 貴様も勝負を欲するか? 面白い。では、またいずれ会おう。エス」
強張っていた面持ちを微かに弛めて、カティアは踵を返した。背筋を伸ばして立ち去り、兵士達は困惑の色を浮かべながら後に続いた。
エスは振り返り、ラムドに向き直る。そして無言で深々と頭を垂れた。ラムドは顎をさすった。人間に持ち得ない力を扱う青年とそれを追う帝国。この争いを見て、それでもエスを留めて置くつもりにはならなかったはずだ。
「これ以上、貴方方のお世話になる訳にはいきませんね。お心遣いに感謝します」
再び一礼し、ミダを呼んだ。ミダは慌てて掛け寄る。
ミダは文句の一つも言わなかった。彼もまた良く解っていた。神の力は戦いを呼び、争いの元凶となる。ミダとエスは、戦争から逃れられず、恒久的な安息の地を得られない宿命の元にあった。
ルッツは二人をじっと眺めていた。青年の胸にあるのは僅かな満足感と、そして嫉妬心である。
では、と暮れなずむ中立ち去ろうとするエス。
「お待ち下され」
呼び止めたのは、テントから出て来たダラム老人だった。
「稲妻を扱える様ですのう」
「……ええ」
エスは立ち止まって小さく頷く。ふむ、と唸ったダラム老人は髭を撫でた。やがて何か思い詰めた様子で口を開いた。
「この老いぼれに、少し話を聞かせて下さらんか?」




