表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/77

Ep.5-1 黄金色の追跡者

 西へ西へと足を進めると、徐々に荒野にも緑色をした背の低い草が見え始め、地平線に山々が浮かぶ様になる。だがエスとミダの一行の間に、それを歓喜する素振りは見られなかった。

 沈黙が支配していた。いくら帝国へ向かう目的を尋ねてもエスは答えず、ミダはとうとう訊く事をやめた。だが彼に付いて行くのを諦めた訳ではない。ミダの境遇を理解出来るのはエスだけ、信用の置けるのもエスだけだ。彼から離れてしまえば、ミダはまた不安を抱え、孤独に生きていかなければならなくなる。そんな事は耐えられなかった。

 エスもまた、ミダを捨て置いて良いと考えた訳ではない。ただ、帝国へは行かなければならない。それが彼の定めであり、覆す事は不可能だからだ。かと言ってミダを帝国へ連れて行く訳にはいかず、そのつもりも初めから無い。目的はエス個人のものだ。誰も道連れには出来なかった。しかしてミダと別れる時期が早まり、そして気掛かりが増えた。それは彼としても辛い事だ。エスの理解者たるのもまた、ミダ一人なのである。

「……死にに行く様なモンだ」

 ミダがおもむろ口を開く。

「あんた死にたがりかよ」

 エスはぴたりと足を止め、ミダに向かって斜に構える。

「そうじゃない」

「いいや、絶対そうだ。でなきゃ帝国に行くなんて自殺行為が出来るか!」

「出来るさ」

 断言しミダを睨む。

「俺は生きる」

「ハ?!」

「俺は俺の生を取り戻す。定めに従い、決意を成し遂げ、そして俺を肯定する。その為に行かなければならない。俺の人生は俺だけのものだ」

「意味解んねぇって!」

 エスはミダが叫ぶのを無視し、そっぽを向いてまた歩き出した。

「……何なんだよ、もうッ!!」

 エスの歩幅は広い。慌てて後に続いた。

 ミダには解らない事、知らない事が多過ぎる。生まれてからの数年間を帝国に監禁されていた所為で、世の中の事も、人間の感情の機微も、ミダには全ての事が難しい。

「オレは絶対行きたくねぇかんな!」

「だから置いて行くんだろうが」

 もっともである。

「はっきり言ってやろうか」

 再び立ち止まってミダに向き直る。

「お前は邪魔なんだ。何かと足を引っ張るし、お前と出会ってから運に見放されている。おまけに帝国と関わり合いまで持ってしまった」

「それは、あんたがブチギレたからだろ?」

「どうかな。お前の所為で一日ロスし、挙げ句進行ルートまで狂った。お前さえ居なければあんな後味の悪い場面に出くわす事も無かったさ」

 確かにその通りかも知れないだが、ミダは気に食わない。かと言って、返す言葉も見当たらなかったのだが。

「そうかよッ」

「ああ、そうだよ」

 ミダは腕を組み頬を膨らませる。エスは構わずまたも足を踏み出した。

 こうも言われているが、ミダは不思議な気分だった。存在否定は少年を憤慨させるはずだが、そればかりという訳でも無かったのである。邪魔だとか、居なければ良かっただとか、そんな風にミダを扱われる事はこれまでなかった。あったとしても、それはミダが盗みを働いた時、ただの盗人としてされる邪険だ。しかしその力を知っても尚ミダを捨ててしまおうとするのは、エスだけだったのだ。

「……何だよ。変にちょっかい出してきたりつんけんしたりさ……」

 ぶつくさ言っている内に、エスの背中は遠ざかっていく。それに気付いたミダは、あ、と声を上げて走り出した。

「待てってば! 置いて行くつもりか?!」

「だから、そのつもりだと言っているだろうが」

 エスは呆れた。こうした遣り取りも楽しいとさえ、ミダは感じている。

 この青年との別れを積極的に受け入れる事は出来なかった。


 山脈に近付いて行くと、小さな集落に出くわした。動物の皮や特徴的な織物を張ったテントが幾つか集まり、家畜の馬が十頭前後繋がれ、羊が十数頭放し飼いになっている。

「何だか随分な村だな」

 ミダが呟くと、エスがすかさず訂正した。

「ジプシーだな。彼らは特定の場所に留まらない、移動型民族だよ」

「ふーん……」

「彼らは季候や牧草の様子を見て牧草地を転々としながら、家畜を売るなどの貿易で生活しているのさ。だから住居もああして、解体・移転の出来る作りになっている」

「わー、すごい。エスって何でも知ってるんだね」

 ミダは意趣返しのつもりで理屈屋に嫌みたらしく言ったが、当のエスは寧ろ、だろう、と自慢げにした。子供の企みなどお見通しである。

「今晩は彼らの世話になろう」

「大丈夫なのか?」

「何。気さくな連中さ。人当たりを良くするのが彼らの処世術だからな」

 そう言って、一番大きなテントの前まで歩き、声を張り上げた。

「すみません。旅の者ですが、どなたかいらっしゃいますか」

 エスの声に応える形でぬっと顔を出したのは、若い男だった。日焼けした茶褐色の肌。骨張った顔付きに、大きな目がぎょろりとしていた。

「旅の方で御座いますか?」

 顔にそぐわない丁寧な口調だ。

「ええ。訳あって旅をしているのですが、宿に困りまして。今晩一晩だけ宿をお借り出来ませんか」

「ほう」

 男は身体ごとテントから出て来て、二人と一匹を眺めた。彼の目からは奇妙な取り合わせに見えた事だろう。

 エスが簡単に事情を説明すると、男は感心と同情とで頻りに頷いていた。勿論エスとミダの力や、帝国とのいざこざについての言及は避けた。

「成る程。それは大変で御座いましたね」

「ええ、まあ、大した事ではありませんが」

「……何っ処が大した事ねぇんだか……」

 ミダが小さく呟く。

「何か言ったかな、ミダ君?」

「いいえ、何にも」

 その時、テントの中から声がした。

「旅人かいね」

 老人の声である。

「立ち話では失礼だ。入って貰いなさい」

「解ったよ、父さん」

 答えた男は一行を招き入れた。犬は遠慮願われたが、クラウスは弁えた様子で出入口付近に寝そべった。

 入って正面に腰を下ろしていたのは真っ白でまばらな髭を蓄えた老人だった。男のギョロ目は父親譲りらしく、垂れ下がった眉毛の隙間から上目遣いにエスを見た。

「お掛け下さい」

 男に勧められ、エスとミダは手近な腰掛けに座した。

「僭越ながら、一族の長の方とお見受けしますが」

 エスは老人に尋ねる。老人は、いやいや、と人好きのする笑顔を浮かべた。

「老いぼれは引退しましてな。今は息子に譲っとります」

「私はラムド、こちらは父のダラムです」

 ラムドはダラム老人の横に立ち、エスは二人に向けて一礼する。ミダも真似て頭を低くした。

「宿くらいならお安いご用ですな。生憎お持たせ出来る程食糧の余りはありませぬが、当座の凌ぎ程度の食事ならご馳走出来ますぞ」

「大助かりです。ありがとう御座います」

「ただし」

 ダラムは一つだけ付け加えた。

「先客がありましてな、寝泊まりはそちらと一緒になってしまいますが、宜しいですかの?」

「先客?」

 こんな所に訪れる者が自分ら以外にもあるのか。ミダは首を傾げた。

「先客と言いますと?」

「先日この辺りで行き倒れていましてな。気の優しい青年です」

 行き倒れとなれば他人事ではない。端から構わない訳だが、そういう事なら、とエスは快く了承した。

 エスの言う通り、彼らは気持ちの良い一族の様だ。他民族や異文化への敵意にも似た嫌悪感は一切感じられない。恐らくは、行商人の如く方々の国々を回り様々な人種と接触を持つ事が多いからだろう。

 ラムドの案内で向かった一番外れの小さなテントで、青年は寝そべっていた。三人連れに気付いて身体をむくりと起こし、寝癖の立った頭をガリガリ掻いた。気の弱そうな、青白い顔をした優男である。ミダは彼を一目見て、行き倒れる事に今更ながら納得した。

「おや、ラムドさん。そちらは?」

 細い喉から出る少年の様な声で尋ねた。

「旅の方だよ。明日まで同じ部屋に泊まって貰う事になったが、良いかい?」

 青年はすっかり彼ら一族の中に溶け込んでいるらしく、ラムドも砕けた口調で訊く。そりゃあもう、と青年はニコニコした。

「似たもの同士仲良くさせて頂きますよ」

「それは良かった。じゃあ、私は仕事があるので」

 エスに一言告げるとテントを出て行った。青年はひょいと寝台から飛び降りて二人に歩み寄り、握手を求めた。

「僕はルッツ。ライナー・ルッツです。どうぞ宜しく」

 エスはルッツの手を握り返さないまま応えた。

「俺はエス。こっちのチビ助はミダだ」

 エスが握手を返さないのは、決してルッツに対して好感が持てないからではない。左利きなのか、ルッツが差し出した手が左手だったからである。エスの左手には黄金の籠手がある。不用心に見せる事は出来ないのだ。とは言え、そんな事情を知らないルッツには不遜な態度に見えた事だろう。

 しかし青年は笑顔を崩さず、突き出した左手をそのまま平行移動させてミダに向けた。ミダは戸惑いながらも軽く握り返す。ミダもその手の特性から手袋をしたままの握手だった。これも捉えようによっては無礼な事だが、ルッツは実ににこやかな顔で腕を振った。鈍感な男らしい。

「ぼく、おいくつ?」

 年齢を尋ねられ、ミダはエスの後ろに隠れた。ひとと接するのに酷く不慣れな少年である。握手をするだけでも勇気が要った。

「人見知りをする頃かな。お子さんですか?」

「そう見えるかい」

 エスは肩を竦める。

「母親似かと思ったけれど、そういう訳じゃなさそうですね」

 冗談のつもりだったのか、ははは、と笑う。

「それにしても子供連れの二人旅ですか。さぞかし大変でしょう?」

「そうでもないさ。外に犬も居る」

 犬も、と驚いて見せながらテントの外を覗く。黒毛の犬が地面に横たっているのを認めると、うえ、と明らかな嫌悪感を声にした。

「犬は嫌いなんですよ」

「心配は要らない。クラウスは特別だ」

 無闇にひとに噛み付く事は無い。ミダもよく知っている。だからと言って嫌いなものを好きにはなれない。それに、

「クラウスか……。嫌な名前です」

 名前さえ嫌われてしまったら、どうしようもない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ