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Ep.1-1 ゴールド・ガントレット

 この街に名前は無い。砂漠の中央にたまたま水が沸いて出た。砂の大地を渡る行商人達はこのオアシスに目を付け、この地で商売を初めだす。小さな露店を開くものから、店舗を建てる者――様々だ。東西南北からあらゆる人種が寄り集まり、足を休め、路銀を稼ぐ。繁華街となり往来でごった返す様になった今も、定住する者はその、ほんの一握りに過ぎない。だからこの街に名前は無い。付けるべき名前も無いのだ。

 馬車に巻き上げられた砂が、道端でうずくまる少年に降り掛かった。少年は、ボサボサに伸びた金髪を掻き毟って砂を振り払い、舌打ちを一つ。人通りを避ける様に、身に纏ったボロ布をガサガサ言わせながら路地へ這って行った。

 一方、大通りから少し離れた酒場では、マントを着た黒髪の青年がゴブレットを煽っていた。なみなみと注がれていた水をすっかり飲み切って、店主に言う。

「おかわり」

 ゴブレットの底でカウンターを打ち、乾いた音を立てる。

「ここいらの水は只じゃねえよ」

 無骨な店主は無愛想な調子で言う。見れば青年は旅人である。そうした客は大抵の場合金の持ち合わせが少ない。店主は経験からそれを知っていた。

「知っている。心配無いさ。金ならあるよ」

「なら良いがね」

 訝しげながら、店主はゴブレットに水を注いでやる。青年は軽く礼を言って、余程喉が渇いていたのか、二杯目も一口に飲み干した。その様子を見ていた店主は尋ねた。

「一人旅かい? 何処から来たね?」

「ずっと西の方から。だけど一人じゃない」

 そう言って、青年は足下を指差した。店主が身を乗り出して見ると、そこには黒毛の犬が一匹伏せっていた。

「犬か。珍しいな。馬やラクダなら兎も角……」

 旅に犬など不要。無駄な手間が掛かるだけである。

「しかし、大人しい犬だな」

「彼は特別だからね。……そうだ。彼にも一杯やって良いかな」

 そう言って、青年は三杯目を犬に与えた。犬も犬で相当に喉が渇いていたらしく、忙しなく舌を動かして、瞬く間に空にした。

「ところで、何処に行くつもりかね」

「ひたすら北へ。北へ行けば、ここよりは涼しいから」

 青年はカウンターの上で空のゴブレットを弄びながら笑う。だが店主は真顔だった。

「北か。まあ、行き過ぎない程度にな」

「行き過ぎると、どうなるかな」

「帝国の領土に入っちまうよ」

 店主の言葉に、成る程ね、と相槌を打った。

 帝国とは、近頃急激に領土を広げている侵略国家だ。元は小さな王国だったが、数年前から小国の王は帝王を名乗り、強大な兵力でもって隣国を脅かし始めた。一体如何様にして兵を蓄える財源を得たのか。一説には金脈を掘り当てたそうだが、真偽は定かでない。

「じゃあ、気をつけながら行くとしよう」

「もう行くのかい」

「ここは少し騒がしいからね」

 苦笑いと共に代金を置いて、青年は店を出た。犬もゆっくりと立ち上がり、伸びをしてから後に続く。

 通りに行くと、何やら人だかりが出来ているのが目に止まった。取り囲む野次馬の中央で、巨体を持つ商人が喚いている。

「俺様の店で盗みを働くとは、良い度胸じゃねえか」

 商人は林檎売りだった。商人の手には少年が捕まえられている。髪を掴み上げられて、宙に浮いた脚でじたばたともがいていた。

「放せッ! 放しやがれってんだ、クソオヤジ!!」

 手袋の指が余った拳で必死に商人の腕を叩くが、その細腕では無駄だ。

「どうしたんだ?」

 青年が野次馬の一人に尋ねる。

「あの坊主、林檎を一個盗もうとしたみたいだぜ。可哀想だが相手が悪いや」

 そう言う男の口ぶりは、言葉とは裏腹に何処かこの見せ物を楽しんでいる様だった。この街の人間は、殆どが娯楽に飢えている。

「普段ならぶっ殺してる所だが……今日の俺様は機嫌が良い。腕一本で許してやる」

 林檎売りは腰から大刀を引き抜いた。鏡の様に磨き上げられた刀身はひと一人を優に映し出した。刀を振り上げて見せると、野次馬共の息を呑む音が聞こえた。

「さあ、小僧。覚悟しやがれッ」

 まるで魚でも捌くかの様に、屋台をまな板がわりに少年の腕を押さえ付けた。少年は窮地に陥り、泣きながら、自らのものの十倍はあろう大男の腕から逃れようとする。

「おい! 離れねえと、腕どころか首ごと両腕がちょん切れるぜ?」

 商人は醜悪に笑った。いよいよ刀が振り下ろされる――と、その時だった。

「その私刑、待て」

 青年が野次馬を掻き分けながら声を上げる。男は刀を振り上げたままぴたりと止まり、首をぐるりと回して青年を睨む。

「何だテメェ。文句あるってのか?」

 ドスの利いた声で凄むが、躍り出た青年は涼しい顔をしていた。

「文句なら大いにある。医者も居ないこんな所で腕を切られたら、そいつは死んでしまうよ」

「あるいは、そうなるかもな。でも俺には関係ねえ。俺の国じゃ、盗人は腕を切るのが習わしだ。それで死のうが知った事じゃねえ」

「だがここはあんたの国じゃない。よってあんたの国の習慣も無関係だ」

 青年は落ち着いた口調で商人を丸め込もうとする。しかし野蛮な男に言葉は無意味だった。

「五月蠅ェんだよ、出しゃばりが」

 商人のがなり声に青年は、やれやれ、と頭を振ると、早足に歩み寄って屋台の林檎を一つ右手で掴んだ。林檎売りの制止も待たず、青年は林檎を丸かじりする。

「おっといけない。喉が渇いて思わず売り物に手を付けてしまった」

 口の端から果汁を垂らし、ニヤリとほくそ笑む。この行為が商人を憤慨させた。

「テメェ喧嘩売ってんのか?!」

「その通り。僕は喧嘩を売っている。あんたなら買ってくれるだろう?」

「上等だ!!」

 商人は少年の腕を放し、青年に向き直った。漸く解放された少年はここぞと逃げ出す。青年は走り去る少年の背を横目に見送ってから、言う。

「じゃあここは一つ、あんたの国の作法に従おう。盗みを犯した者は腕を切られるのだったな」

「ほう! 潔く切られようとでも言うのか」

「その通り」

 青年は林檎を放り投げてから答え、屋台の上に左腕を投げ出した。マントの中から差し出された左腕は、日光を浴びて眩しく輝いた。

「う……」

 商人は思わず唸る。野次馬からも、おお、という声が上がった。

 青年の左腕には籠手が着いている。それも並のものではない。それは鉄や銅ではなく、くすみや錆の一つも無い永遠の象徴、すなわち、

「き、金か……!」

 黄金の籠手だった。肘から指の先まで、至る所全てが金なのである。

 逃げ延びて物陰からこの様子を覗いていた少年は、驚愕した。

「安心しろ。金は比較的柔らかい物質だ。あんたの刀でなら切るのも苦じゃない。僕の腕を切ったなら、このガントレットをくれてやる」

 再び群衆から声がする。今度は羨む声だった。

「ず、随分と気前がいいじゃねえか……!!」

 商人は生唾を飲んだ。彼に限らず、これ程までの黄金を目にする機会も、また手に入れる機会もまた、皆無なのだ。

 少年にしたのと同じように、腕を掴み押さえ付けて、刀を振り上げる。この時商人は画策した。龍の鱗を思わせる見事な黄金の籠手、それを傷付けずに手に入れるには、無防備な肘から上を狙えば良い。その時誤って旅人を斬り殺してしまっても構いはしない。金が手に入れば、それで良いのである。

「どうした? いっそ一思いにやってしまえよ」

 青年がけしかけ、大男は刀を握る手に力を込めた。

 だが商人の身体は、刀を振り下ろすのと逆の方向に仰け反った。そして籠手を掴んだ左手がずるりと滑り、大刀の重みに負ける格好で仰向けに倒れた。砂埃を立て地面に伸びる。商人は気絶していた。

 野次馬達も少年も一様にしてぽかんと口を開いた。ただ青年の連れた犬だけは、退屈そうに欠伸をかいた。

 青年は気を失った商人に歩み寄り、刀を取り上げた。

「いけないよ。こんな物騒なものを持っていたら」

 軽々と持ち上げて肩に担ぎ、そのまま悠々と立ち去ろうとする。野次馬共は青年の左腕に目を奪われていたが、担ぎ上げられた凶器に道を空けた。

 身を潜めた少年のすぐ側を青年が通り過ぎて行く。だが後ろを歩く犬は、少年の前で足を止めた。少年は息を殺す。犬は鼻を動かしながら振り返り、少年の方を見遣るが、やがて去った。 

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