海上からの救難信号2
義経たちを乗せた船は救難信号を発信する観光客船に船をつけた。接近することで観光客船から何かしらアクションを見せてくると警戒していたものの、襲撃も乗船客の悲鳴や助けを乞う声もないまま順調に事が進んだ。
錨を下ろして船を停泊させてから観光客船に梯子をかける。調査班として選抜された五人の隊員が順に上っていく。その背後から義経は跳躍だけで観光客船の甲板に乗り込んだ。彼からすれば大したことではない動作が、隊員からすれば常軌を逸脱した身体能力をまじまじと見せつけられて悔しがる。悔しがるのは現段階では義経の部下として甘んじている鬼祓いたちにも十八席に選ばれたい野望があるということだ。
先に乗船を済ませた義経は視界を落として梯子を上りながら悔しさを滲ませる隊員の表情に満足感が心を満たす。野望と聞けば悪いイメージが付き物だが、己を高めるには必要な欲求とも言える。仮に十八席の座を脅かす実力者が隊員から出現したら、それは鬼祓いの戦力の底上げに繋がったことの証明だ。ただし野望を叶える方法が邪道に抵触するものであれば問答無用で断ち切るだろう。
隊員は乗船すると誰に命令されるわけでもなく横一列に整列した。
「これより観光客船の調査を始める。調査はツーマンセルで進めていく。常に通信できる状態を確保しつつ調査に当たれ」
義経の指示に隊員たちはキレのある返事をすると、事前に決めていたチームで固まって調査を開始した。遠ざかっていく隊員の背中を見送った後、義経はチームを組む隊員に振り返った。
「俺たちも行こう。まずは手筈通りブリッジを目指す」
「はい!」
ブリッジを目指すべく船内に侵入した。
船内に入った義経たちを出迎えたのは夥しい数の死体だ。服装から乗船客と船員の両方から被害者が出ていることが分かる。足を止めて死体を調べれば鉤爪で引き裂かれたかのような裂傷の痕が目立つ。しかし、義経達の目を惹いたのは別の傷痕。それは風穴とも呼ぶべき大きさと深さに到達しており、強引に引き千切ったような歪な形を残している。
「とても人の手で殺された傷痕ではありませんね。……やはり船を襲撃したのは――」
「結論を出すにはまだ早い。とにかく今はブリッジを目指そう」
義経は隊員の推測は早計だと判断したのは観光客船に侵入してから鬼の気配を感知できなくなったからだ。これまでに意図的に気配を消すことの出来る鬼と遭遇したこともなければ、過去の記録にも書き記されていない。気配もあくまで感覚的なものであって目に見える物ではないことから絶対はない。記録にない鬼が誕生したのか、勘違いか、答えを出すにはあまりにも不明確で不明瞭な部分が大きかった。
改めてブリッジを目指す。その合間にも死体は廊下に転がっている。その多くが先程確認した死体と同じ傷を負って命を落としている。義経たちはいつ襲われても反撃できるように腰を低めて柄に手を添えながら少しずつ前進していく。
「……どうやらここがブリッジのようですね」
両扉の頭上に操舵室のプレートが貼られていた。義経はジェスチャーで扉を開く合図を隊員に見せ、隊員から返答の変わりに頷いた。
義経は体を扉に密着させて押し込む動作だけで静かに扉を開けて操舵室に入る。隊員もその後に続いて入室すると、義経が指差す位置に移動してブリッジの左半分の調査に当たり始めた。義経も右半分の調査を進めていく。当初は警戒心から注意深く調査を進めていたが、ブリッジにあるのはこれまでと同様の死体だけで、その犯人はいないと確信してからは柄からも手を離して自然体の姿勢に戻した。そこに調査を済ませた隊員が戻ってきた。
「その様子だとそちらも似たような状況みたいだな」
「はい。生存者は確認できませんでした」
「後は他チームの報告待ちだが……」
タイミングを見計らったように通信が届いた。
「こちら才守義経だ」
応答するも返答はない。その代わりに機械特有の耳障りな雑音と一緒に悲鳴にも似た切羽詰まる声が辛うじて聴き取れた。
「おい! どうした! 応答しろ!」
緊急事態と察した義経は通信機に口を寄せて叫ぶも返答はなく、思わず通信機を傍から遠ざけてしまう大きい音が襲った。おそらく地面に落としてしまった衝撃音だろう。
「才守隊長――」
事態を把握しようとした隊員の声に被さる形で悲鳴が船内に響いた。義経にしても隊員にしても聞き間違えることのない慣れ親しんだ戦友の声音だ。
「急ぐぞ!」
悲鳴のあった場所に駆け足で向かう。気付けば鬼の気配が再び出現していた。