海上からの救難信号
鬼の存在が確認されたのは戦国時代と記録されている。戦場に転がる屍を喰らって生きる異形の怪物として姿が確認された。捕食対象は屍に限らず、生きた人間はもちろんのこと犬や蛇といった生命体であれば全てが当て嵌まる。
会話を試みるも鬼は言語を使用できなかった。唸り声や奇声となる音を鳴らすことで留まる。その姿は獣が敵を牽制する為の威嚇と類似する部分が強い。その最中で獲物であるか否かの判断をして捕食か逃走の行動を選ぶ。八割がた捕食を実行することから欲求に忠実で、圧倒的な物量差を前にしても捕食を優先するなど判断力が著しく低い。これらを踏まえて鬼は知性と理性が皆無に等しいと判断された。故に当時の人間は鬼を絶滅させることに時間を要しない高を括った。
後にその判断が最大の過ちであり、人間の失態だと語り継がれた。
結論だけを先に述べれば鬼は二十一世紀を迎えても絶滅することなく生き永らえて人間に猛威を振るっている。犠牲者だけを数えれば現代の方が多い。それは争乱が日常茶飯事だった戦国時代から平和が日常となった時代に変化したことが要因の一つとして考えられる。良くも悪くも平和ボケした一般人が増えたことで鬼に対する知識や危機感、何より抵抗手段を時代の流れと共に失ってしまった。それとは反対に約五百年の月日が流れても鬼と対峙する人間たちもいる。彼ら彼女らは“鬼祓い”と呼ばれ、国家直属の独立部隊として鬼の絶滅に尽力してきた。
部隊名は“鬼祓隊”。その名の通り鬼討伐に特化した精鋭部隊で、その中でも十八席に座る部隊長は卓越した実力を持つ。基本は調査隊の尽力によって発見された鬼の報告を受けて全国各地に散らばって行動している。または一般人から政府に寄せられた被害報告を受けて討伐に当たる任務に就いている。例外を除けば多忙の十八人が一堂に会することは滅多にない。
例外に当て嵌まるのは定例報告の時期。季節の変わり目の定められた日に部隊長は京都にある鬼祓隊の本部に招集がかかる。
鬼祓隊の七席に座る才守義経も四国の地から船を使用して本州を目指す。本州に降り立てば本部からの迎えの車で京都を目指す手筈になっている。確立された移動手段と距離から然程、苦労しない楽な旅路だ。
義経は一刻の安息を満喫するように船上に出て海風に当たっていた。肌を刺す肌寒い海風が冬の兆しを感じさせる。息を吐けば白く濁っては空に昇り、消えていく。
「十一月にもなれば船上での休憩は堪えるな……」
吐いては消えていく白い吐息を眺めながら義経は独白した。船内に戻れば暖房が稼働していて寒さに耐える必要はない。それでも船上に留まり続けるのは彼が一人の空間で休憩することを好むからだ。任務に同行した面々もその事を承知していることから船上に出てこない。
今回は違った。船内の扉が開かれた音が鳴ると、慌てた様子の鬼祓いの青年が姿を見せた。何かを探すように周囲に視線を配り、義経を視界に捉えると駆け寄った。
「何かトラブルか?」
「先程、近海で救難信号を受信しました」
「救難信号だと?」
「はい。この辺りは観光客船が航路として利用していますから、その関連でトラブルが発生したものかと推測されます」
報告を受けた義経は更なる情報を求めるため船内に足を運び始めた。報告にきた青年も肩を並べて並走する。
「通信は試みたのか?」
「今しているところです」
報告にきた青年の言う通り、義経が船内に戻ると通信機器を使用して呼びかける部下の姿があった。義経はその背後に歩み寄って部下の肩を叩く。
「首尾はどうだ?」
進展があったか訊いた義経に振り返った部下は首を左右に振った。
「ダメですね。一切の応答がありません。救難信号事態は今も発信はしているようですが……」
「悪戯か機器の故障か或いは……」
いくつかの可能性から義経は思考を働かせる。仮に救難信号の発信元が観光客船と前提としたら悪戯の線は限りなく低い。海が孕む危険性を一番知る船乗りが生死に関わるような悪質な悪戯を起こすはずがないからだ。ただしプライベートで船を持つ金持ちの道楽息子による悪戯の線はゼロとは言えない。
「機器の故障もないでしょう。出港後も本部と通信を繋げて連絡をしていましたので」
「……とりあえず救難信号の発信先へ向かおう」
「よろしいのですか?」
「知ったからにはな。放置するのも後味が悪い。航路を救難信号の発信地に変更してくれ。それとこの一件について本部に連絡を頼む」
方針を決めた義経は各員に指示を出した後、再び船上に出て周囲の海上を確認していく。一直線に進んでいく船の進行方向に視線をやれば遠くに船と思われる物体の影が小さく姿を見せた。遠くからではっきりしたことは分からないが、一見しては異常が見受けられない。ひとまず沈没する心配はなさそうだ。
「船を横に付けたら調査に入る。それぞれ準備しておいてくれ」
「わかりました」
義経の指示を受けて各自が準備に移った。それを見送ってから再び目的地の船に視線を向ける。先程よりも船体が大きく視界に捉えた。
「この肌がピリつく気配は……船を襲ったというのか?」
海風に乗って全身を襲った気配は鬼と相対した時に味わうものだ。そのことから船の救難信号は鬼の襲撃を受けたことによるものと分かった。だが同時に疑問も生まれた。鬼の存在が確認されてから一度として海を渡った記録はないからだ。本州と陸地で繋がっていない北海道や沖縄の鬼が独自の進化を遂げているのもこの辺りに理由がある。
不測の事態に義経は最大限の警戒を張って船内の調査に挑むことにした。