3章
創られた世界で起きた悲しい現実。そこには世界に対する神の強い意志があった。
何故、神はそこまでして自分の考える「平和」にこだわるのだろうか。
自らの偽りの決まりを己で崩してまで守りたかった信念は果たしてなんだったのだろうか。
話はずっと昔。37年前、神が幼い10歳の頃まで遡られねばならない。
「お母さん・・・?どうして目を覚ましてくれないの?」
多くの犯罪が平和を蹂躙する悲しい世界で、神は何を見て何を知ったのだろうか。
2050年から37年前、2013年 福岡。
この都市は昔から治安の悪いことで有名だった。治安の悪さでは日本で3本の指に入るほどであった。それが影響し福岡は二つ名で修羅の国と呼ばれた。
だがそれは悪の暗い場所や近くに暴力団の家がある場合の話。
明るい場所にいれば事件に巻き込まれる可能性は少ない。
そう、たとえば父親が麻薬に手を染めず借金を背負っていなければいい話だ。
手塚 明。(てづか あきら)
10歳 彼が後に偽りの世界の神となる少年。彼はこの街で少年時代を過ごした。
父と母、3人家族のごく普通の一般的な家庭であり、近所の評判もまったく悪くなかった。
「ただいま!」遊びから帰り、明は玄関で靴を適当に脱ぎ捨て手を洗わずに自分の部屋に戻ろうとする。しかし明は部屋に戻ろうとしたが母に服の後ろの首部分をつかまれた。
「あーきーら!いつも言っているでしょう。帰ってきたらちゃんと手を洗いなさい」
「ちぇ、しょうがないな。分かったから手を放してよ」母の手から解放された明は渋々、洗面所に向かう。「ガラガラ・・・ぺ!」明は口の中をうがい終わり、勢いよく水を吐き出す。
「お母さん、ちゃんとやったよ」母は台所で夕飯の準備をしている。
もう夕方の6時だ。「グ~~」明の腹の虫が台所に響いた。その音は母にもはっきりと聞かれた。明のお腹は明が気づかないうちにかなり空腹になっていたようだ。
「フフ、はいはい分かったわよ。できるだけ早く夕飯つくるからね」
明はお腹が鳴った後、恥ずかしさで母と目線を合わせたまま黙り込んだ。
それが母からしたら面白かったのだろう。可愛いやつだとも思ったかもしれない。
「べ、別にお腹が減ってるわけじゃないし。い、今のは腹の虫が鳴っただけだ!」
恥ずかしさからか。明は母に背に向け急いで部屋に戻った。
「それ、お腹減ってるんじゃん」母は包丁で食材を切りながら笑っていた。
一方、明はその頃、先程とは別に自分の部屋で今日渡されたランドセルの中身を思い出し、危機に陥っていた。さてどこに隠そうか、この20点の社会のテスト。
見つかれば怒られることは確実。怒られないためにはこの事実を隠ぺいするしかない。
だが安易な所に隠せば勝手にされる部屋の掃除の最中に見つかってしまう。
前回の15点の社会のテストを含め、万が一にも見つかれば母の怒りは2倍だ。
正座で説教は免れないかもしれない。だからこそ見つかるわけにはいかないんだ。
明が自分の部屋で20点のテストと睨み合っていると玄関では父親が仕事から帰ってきた。
「たっだいま~」父は陽気な人物だ。だが今日は特にテンションが高い。
「うわ!あなた酒臭い。飲んできたの?」母は玄関で父を出迎えた。
「しょうがないじゃないか~。取引相手の社長がお酒大好きなんだよ。
一緒に飲まないと相手さんに気分悪くされちゃうだろ」
父は玄関に座り込んだ。「まったく、あなたお酒弱いんだからちゃんと注意してよね」
「は~い。気を付けますよ」そう言うと父は突然立ち上がりどこかへ向かい始めた。
「どこ行くの?」母が父に聞いた。「お風呂入ってくるよ。酔い覚まし!」父は母の気苦労を知ることはなく軽い気持ちでお風呂場へ入っていった。
まったく、身勝手な。て言うかまだ水、温めてないんだけれど。
あと、ご飯だってせっかく温めていたのに覚めてしまう。だが起きてしまったことは仕方ない。
母は仕方なく台所に戻ろうとした時、玄関のマットの上に謎の袋が落ちていることに気づいた。その袋を手に取ると何やら中には白い粉らしきものが入っていた。
「なに…これ?」母は興味本位で袋を開けようとしたが嫌な予感がしてやめた。
まさか、父さんを信じてはいるがここまでそれっぽいものだと流石に疑ってしまう。
すると明が自分の部屋から出てきた。どうやらテストの隠し場所は決まったようだ。
「あれ?お父さん帰ってきてなかった?声が聞こえたんだけど」
その時、母は白い粉が入っている袋を陸に見られないように急いでズボンのポケットに隠した。「ああ、父さんなら酔っぱらってお風呂入っていったわよ。まぁカラスの行水になると思うけどね」だが明はカラスの行水の意味を理解していないので話の全容がよく分かっていない。
「ふーん。て言うかお母さん。ご飯まだなの?」母は先程のことを思い出した。明を見てニヤッと笑う。「なに?母さん。なんでそんなジロジロ見て笑ってるの」 明も先程のことを思い出して照れだした。親子とはいえ恥ずかしいものは恥ずかしい。
「なんでもないよ。それより夕飯だったら先に食べちゃおうか。父さんもすぐお風呂から出てくるだろうしね」そう言って母は明の肩を軽く押しながら食卓に向かう。
「そういえば今日のご飯なに?」・・・「頂きます」そして二人は何事もなくご飯を食べ始めた。
一方その頃。
「ヘックショーン!ああ、寒い」父は体を震わせながらお風呂という名の冷水に浸っていた。「た、たまには、水風呂も、ももも 悪くない」何故お風呂から出ないのか?その理由は酔っぱらっていて感覚と頭がどこかへ飛んでいるのかもしれない。
その日の夜。
「ヘックショーン!ああ、寒い、寒いよ」父は鼻から鼻水を垂らしながら布団に潜り込んだ。今は夜の11時、明はもうとっくに寝ている。
「まったく・・・そりゃ冷水に長い間浸かっていればそうなるわよ。風邪引かないでよ」
お風呂から出た母親はパジャマ姿に着替えていた。明日の朝の準備を終わらせあとは寝るだけだ。ちなみに母はお風呂に入った時の水の温度はちゃんと約40度、普通に平温です。
「分かっているよ。俺はこの家の大黒柱だからな。そう簡単に倒れるわけにはいかないよ」
父親らしく頼もしいことを胸を張って言うが体はまだ小刻みに震えている。
母はそんな父を見て先程の白い袋のことを思い出しながらも笑顔で言った。
「まぁ、でも無理しないで頑張ってね。辛いことがあってもできれば私にも相談して。家族なんだから」母の言葉は優しかった。自分の想いを言葉の表面に出すことはない。
「そうか、ありがとな」母の想いは伝わらず父は母の言葉を軽く受け止めた。鈍感である父は母の言葉の奥行きを察することはない。
だがそれ以前に父は本当のことを正直に言うつもりは最初から微塵もなかった。
だがこの時、母は心を鬼にして聞いておくべきだったのかもしれない。後悔は人生で一生、心の傷として残るものであると思うから。特にまだ人生の先が長い子供の場合はとくに・・・。
時は少し過ぎ深夜、暗い別室の中でゴソゴソとなにやら怪しい物音が聞こえる。
その音で母は深夜でふと目覚めた。こんな時間になんの音だろう。
「ねぇ、あなた」隣で寝ているであろう父を起こそうとするが父はいなかった。
トイレにでも行っているのだろうか?でも明を起こすわけにもいかない。
そう思い、疲れた体をなんとか起こして怪しい音のする別室(クローゼット置き場)の場所へ武器(家庭用具)を持って向かった。そして母はその部屋のドアをひっそりと開ける。
「くそ・・・どこだ。あれがないともう我慢できない」
そこにいたのは父だった。しばらく様子を見るとどうやら今日、自分が今日履いていたズボンを執拗に探しているようだった。おそらく今探しているものは、母が持っている白い袋なのだろう。母はドア越しに父の姿を見ていたが話しかけるのはやめた。黙っていれば家庭が崩れることはないと思う。私達は普通の家族。ただそれだけで良いんだ。あの袋は捨てよう。
そして忘れよう。私はなにも知らなかった。家族を守る影の大黒柱としての判断。
その考えに否定はしないが賛同はできない。この世界の罪はすべて一つ。
唯一それを崩すことができるのは神の人間である。まだ確定な訳ではないが事実を偽った罪はいずれ一点の綻びとして家族に襲い掛かることになるだろう。
そして母は長く、二つの意味で薄暗い夜を過ごした。朝になると当然息子の前では平常を装わなければならない。だが母の思いを知ることはない明は欠伸をしながらだらしなく起きてきた。
「お母さん~・・・おはよーう」明の髪はボサボサだ。よく見ると目グソもついている。
「明、ここに来る前にちゃんと顔を洗ってきなさい。ご飯はそれからよ」
だが明は顔を洗いに行くのを面倒くさがった。「え~、別にいいじゃん。今日くらいさ」
「ダーメ。もし顔を洗ってこないなら今日の朝ごはんは特別にピーマンの丸かじりにします」その瞬間、明の顔が少し暗くなった。
「そんなバカな!」バンッ!!明は食卓の椅子に座る寸前だったが予想外の言葉に思わずテーブルを手の表面で思い切り叩く。明は昔から唯一食べ物でピーマンが苦手だ。
「さぁ明。顔を洗うのとピーマン丸かじり、どっちがいいの?」この時点では母が一歩上手だ。母は明を笑いながら見る。一方の明はもうなすすべがなくなった。
もう顔を洗いに行くしかない。ピーマン丸かじりよりは大分マシだ。
「分かったよ・・・俺の負け」そして明は顔を洗うため仕方なく洗面台に向かった。
その時、丁度、明が顔を洗いに行ったタイミングで父親が起きてきた。
「おはよう。今日は起きるのが遅いわね」昨日の出来事は知っている。
母は母なりに探りを少し入れてみた。ただこれを探りだと思うことは誰でも思わないのではないか。「そうだな・・・これは酒飲みすぎたせいだな」当然、昨日のことはお互い話そうとしない。
母と父とではその出来事に対して母は秘密を知っている、だが父は家族への秘密が母にばれたことは知らない。
その想いの間にあるのは母親の父に対する想い、いや、それはただの母の甘い考えだった。
「はい、水」母は父に水を差しだす。「ありがとう」父は母からもらった水を勢いよく飲みほした。
そして父は飲み干したコップを洗面台に無造作に置く。そのタイミングで父は母に聞いた。
「そういえば昨日、お前、俺のズボン洗っていたよな。それでさ、お前昨日ポケット確認した?」母は知っている。だが正直に答えることはできなかった。
「ごめんなさい。急いで洗っちゃったから確認してなかったわ。なにか大事な物でも入っていたの?」母がそう言うと父は安心したような表情を見せたような気がした。
「いや、そうか。それならいい」そう言った後、父は顔を洗うために明と入れ替わりで洗面台に向かった。「あ お父さん」「明 今日はいつもより起きるのが早いな。学校で楽しいことでもあるのか?」「別になにもないよ」明は父と入れ代わりで食卓の場所へ戻ってくる。
「ちゃんと顔洗った?」明の顔を見ると先程と比べスッキリしていた。
「言われた通りちゃんと洗ったよ。ピーマン食べるのは嫌だからね」
母は暗い気持ちになった心を偽って明に明るく接した。
「そう、偉いわね。でも次からはちゃんと最初からやりなさい」
「ハイハイ分かったよ」また一日が始まる。だが一秒、時すぎるごとに終わりに近づくその瞬間を明は知ることはない。
三日後
一日前、父が何故か家に帰ってこなかった。母は父を心配そうにしながら帰りを待っている。なにか事故や事件に巻き込まれたのではないか。それとも・・・
母の中に一抹の不安がよぎる。しかし現実の出来事は台風の荒れた大波のようにあっという間に押し寄せてくる。父が行方不明になり二日後、母は父が逮捕されたことを警察の言葉から知った。それはあっという間に起きた出来事だったようだ。
父は平和から離れ暗い場所へ行き麻薬というスリルを求めてしまった。
そして家族には内緒で違法に闇金融から麻薬を買うためお金を借りていたようだ。
父は自分の麻薬のことしか考えることができなくなり、よく考えたら一年ぐらい前から明と遊ぶことは急激に少なくなっていた。もしかしたらその頃からかもしれない。
それだけならまだ良かったのだが一番の問題は闇金融の借金による利子だ。
一般的に闇金融は法律で定められた登録もせず、また法定利息を守ることがなく高利の利息をとっている。これらのことは全て違法行為になり法律では闇金で借入をしても返済義務は発生しない。そして誰もが一度は聞いたことがあるのではないだろうか。闇金融の驚くべき高利の利子を。一般的な消費者金融なら利息は18%前後になる。
しかし闇金融の場合は300%を超える10日に一割のトイチや、さらに高くなり1,000%を超えるトゴという10日に五割という闇金融も出てきている。
ちなみにトイチは10日で1割の金利、つまり年利にすると365%以上、
トゴが利息が10日で5割の金利、つまり年利にすると1825%以上という意味だ。
更に分かりやすく言うとするなら10万円をトゴで借りたとすると1年後には2293憶も返済しなくてはならなくなる。だがまだかろうじて幸いなのは父がトイチで借りていたことだろうか。
いや、そんなことで普通は幸いとは言わない。
それからしばらく時が経った。手塚一家に襲い掛かった騒動は未だ近所で止むことはない。
「手塚さん、大丈夫かしらね?」「まさか手塚さん家のお父さんがあんなことするなんてね」近所ではこの話題で持ちきりだ。
そしてそんな状況に追い込まれた手塚家の中ではとても重苦しい雰囲気が流れていた。明は一向に部屋から出ようとはしない。
一方の母もテーブルで静かにうずくまっていた。分かっていたような気はした。
いずれこんな時がくるのではないのかと。しかしいざ、その時が来てしまったら
ショックで言葉が出てこない。そんな時、ふと上を見上げ戸棚を凝視する。
その中には大事な物、貯金通帳が入っている。そして母は戸棚を開け通帳を手に取った。
「明の為に貯めていた貯金・・・」母が頭に考えつくのはそのことだった。
本当ならば明のために使うはずだった将来の為の貯金。それを今、こんなことに使うのか。
これを使えばいくら闇金の借金といえども全額一括で返せる。だが、
「どうすれば正解なの・・・誰か教えてよ」母は精神的に追い込まれていた。
身近に頼れる人間はいない。一人で抱え込むしかなかった。
このお金を渡せば楽になれる。というかもうこれしか方法がないのではないか。
これからは私がこの家の大黒柱か。急すぎて、とても信じられないし自信もない。
その日からさらに二日後。
結局、闇金融の借金は貯金を使い返すことができた。だがそれ以外にもあまりに代償が大きすぎる。ご近所の目、明の不登校、稼ぎなし、貯金ゼロ。これからは死に物狂いで働かなければならない。しばらくは周りの目もあるだろうが明のためにはそんなことは言っていられない。昼のパート、夜の少し怪しげなバー。
疲労や寝不足になることは安易に想像できるが明のためなら我慢ができる。申し訳ないがあの男のことはもう知らない。私にはもう明しかいないの。
明は早く元気になってくれるといいがそれはいつになるか分からないけどしょうがない。
私にできることは気長に少しずつ接し続けること位しかできないのだから。
そしたらお金を貯めたら今度は二人で静かな場所で楽しく暮らしましょう。
その頃、明は部屋の中で心と共に目から涙を流していた。
10歳にして悟った悲劇の出来事はこれからの人生で忘れることはできないだろう。
数日前、家に怖い人が入ってきてお金がドウとか玄関で言っていたのを部屋から少しだけ聞いた。
母は僕の部屋の前では明るい声で毎日話しかけてくれる。でも実際は心が苦しいのだろう。
何故なら夜中に母の泣き声が僕の部屋にまで聞こえてくるからだ。
なんで僕は今、そんな状態の母に守られているのか。子供な僕でもお母さんに寄り添うことくらいはできるはずなのに。でも僕はお母さんの前でお母さんみたく強く笑えるのか。正直に言って自信がない。この時、ふと明はどうしてか社会のテストのことを思い出した。
部屋の隠し場所から社会のテストを取り出す。ちなみに隠し場所は部屋のジュータンの下。
今、このテストをお母さんに見せればどんな反応をするのだろう。
普通に前の日常のように怒ってくれるのだろうか。僕はバカだった。
怒ってくれることだって幸せの一部だったのに、僕はそれを自ら捨てていたんだ。
明はテスト用紙をグシャグシャに強く握りしめノールックでゴミ箱へ捨てた。
だが、いままでの日常はサヨナラしてしまったけれどまた新たな日常を過ごすためには
過去を捨て乗り切らなければ駄目だ。明は覚悟を決め勇気を出し部屋のドアを勢いよく開けた。よそ道に大きく逸れてしまった明の道筋は少しずつもとに戻ろうとしていた。
1年後、明 11歳。
家から勇気を出して改めて学校に登校してから約10か月の時間が過ぎた。
登校拒否してからまた学校に登校するということは予想していたことよりもかなり緊張した。
明の場合はそれ以外にも登校を緊張する理由はあったがもう母には余分な心配はかけられない。明は母が自分のために寝る間も惜しんで働いてくれているということを分かっている。だから明は仕事が忙しい母のためにも学校から帰ったらよく家の手伝いもするようになった。
最初のうちはぎこちなくやらかすこともあったがそんな明を母は優しく見守り、そのお陰で今では母ほどではないが家事全般は大抵できるようになった。
しかしそれが原因なのか友達は前と比べればかなり少ない。
今は学校終わりに友達と遊ぶなんてまずありえないことだ。
前のあの騒動が原因なのか、それとも単純に明が友達としてつまらなくなっただけか。
どちらの理由かは分からないが今は教室を一人で過ごす時間の方が圧倒的に長い。
そんな理由で今日も明は帰宅路を一人で静かに歩いた。
「そうだ。帰ったら洗濯物と夕飯のために買い物に行かなくちゃ」
ふと思い出し独り言をつぶやいた。その言葉からはとてもやんちゃ盛りの小学5年生の男の子とは思えない。彼は一年で体だけでなく心も大きく成長したのだろう。
そして明は小学校からの帰宅路から約10分歩き、だれもいない家に帰ってきた。
前まではお母さんが「おかえり」と優しく言ってくれたがそのお母さんは働きに出ている。
分かってはいるのだが時々、寂しく思ってしまう。母の帰りは仕事の影響でいつも夜遅い。
だから明は母が仕事から帰ってくる前にあらかた全般の家事をこなす。
料理だって卵焼きなら簡単に作れるまで上達した。ある程度、明の家事に隙はない。
とりあえず帰ってきてから明はランドセルを自分の部屋に適当に放り投げ洗濯機の前に無造作に置かれている服を洗った後で外に干す。洗っているまでの間は宿題を急いで片付ける。漢字ドリル一ページ、算数ドリル一枚。漢字はできるだけ文字を早く書き写し算数は答えを見ながら特に問題なく終わらせた。真面目にやっていたら時間が足りない。
しょうがなくなんだ。明は社会だけでなく算数も苦手だ。計算式がどうも覚えられないらしい。「バレなきゃ問題ない」明は怪しまれないようにわざと問題を間違えたりもする。
非常にズルくなった。だが明は思う。上手くサボる事は大事なことでもあると。
あと明は最近学校に対して思っていることがある。
「学校は人間性や勉強を教わる場所ではなく社会の規則を押し付けられる場所」だと。
要は社会に対しての洗脳教育みたいなものであると明はこの一年で悟った。
11歳でそこまで悟ることができるのは今までの経験と影響なのだろう。
そして明は宿題を終わらせた次に洗濯物を干す作業に入った。
あいかわらず濡れた服やタオルは結構重い。洗濯機から濡れた服を籠に入れその籠を持ち
庭へ向かい干し作業をなんなくこなした。そこから少しの自由時間を過ごし空が黄昏になった頃、明は夕飯の下準備を始めた。今日は簡単にマヨネーズとジャガイモを使ったオムレツにしよう。割った卵にマヨネーズを入れそれとは別にジャガイモを細かく切る。この時にジャガイモは5分温める。そして後はお母さんが帰ってくる時間帯に卵を焼き始めれば問題ない。・・・ジャガイモ温めたけどまだ時間早いから冷蔵庫に入れておこう。
まだ夕方の6時、一人で食べるにしても流石に早い。明はいつも夕飯を7時に食べている。
そしてお母さんは帰ってくるのがたまに早い時で11時、遅いと深夜になる。
だから明はいつもお母さんが食べるぶんの夕飯を明は眠る前に作り置くのだ。
今日も夜遅くなり明は夕飯を作り終えた。その後に明は明日の学校の準備をして眠りについた。しかし、悲しいかな。その夜、母が帰ってくることはなかった。
明が母が帰ってきていないことに気づいたのは朝になってからだった。
理由は母のために用意した夕飯がそのままだったことといつもテーブルに置いてあるおき手紙がなかったからだ。いつもの母は仕事に行く前に必ずテーブルの上に昨日のお夕飯の出来のことや一日のエールなどを書き残してくれる。
それは母がどんなに忙しくしていても必ず書いていてくれていたものだ。
明にとって母からの手紙は楽しみの一つでもあったのだ。はたしてお母さんに限って書き忘れるなんてことがあるのだろうか。明は不審に思いながらも手紙がないのはたまたまだと思い学校へ行く準備を進めた。そしていざ学校に行こうとしたその時、急に家の電話が部屋に鳴り響いた。明は玄関から急いで戻り電話機の受話器を取った。「もしもし」
「もしもし、手塚さんですか?福岡警察署です」「警察?」明は驚きのあまり声が大きくなった。
「はい。実は手塚さんのお母さんの件で残念なお知らせが・・・」警察の人は言葉を詰まらせた。「・・・なんですか?」警察と聞き、明の受話器を持つ手が緊張で震える。
「交通事故で死にました。ひき逃げです」警察の人の言葉を聞いた瞬間、明は固まった。
「は!?・・・えっ・・・どういうことですか?」「事故の原因は不良グループの無免許運転によるものです。警察では今、懸命な捜査をしています。ご家族の方、どうかとりあえず警察署まで来てくださいませんか?聞きたいこともありますしお母さんの遺体も、署の安置所に有りますので」
「・・・・・・」ガタッ、明は衝撃のあまり受話器を落とした。
死んだ?こんなにもあっけなく?「もしもし!?大丈夫ですか?」
受話器の向こう側から明のことを心配する声が響いた。
だがその声は明には届いていない。今、明の頭の中には母のことしかなかった。
(お母さん、死んだ 嘘だろ・・・夢だろ、これ。お父さんがいなくなって、お母さんまでいなくなるなんて、不平等すぎるよ。そんなこと、ある訳がない)ドサッ、明は現実を受け入れることができず地面に倒れ込んだ。「もしもし!手塚さん!大丈夫ですか!?」受話器の声はもう明に届いていない。(ほら、力が抜けた。やっぱり夢なんだよ)「手塚さん!?手塚さん!?」・・・・・・。
明は受話器からの言葉がはるか遠くに感じた。そして明はショックのあまり意識を失ってしまった。
福岡警察署、生活安全課。
「先輩、どうしましょう。手塚さんからの電話の反応がなくなりました」「しょうがないな。じゃあ家まで様子を見に行ってみるか。調べたけどあそこは母子家庭だったそうだからな」
「そうなんですか。じゃあ残された子、可哀そうですね」
その日の夕方、とある家の中でニュースが流れた。
「ニュースをお伝えします。今日午前一時頃、福岡の街中でひき逃げ事件がありました。
事件があったのは場所は福岡県福岡市久山町の路地裏、被害にあったのは福岡市久山町に住む 手塚 亜由子さん。40歳。また警察はひき逃げ事件として加害者の車の捜査を行っております」ニュースに取り上げられたのはそれだけだった。番組はすぐに次のニュースを取り上げた。「この事件、私ん家の近くじゃん」「怖いわー。あなたも気をつけてね」
関係のない人からしたらこの事件は、ただ知らない人が悲運で死んだだけであるだけのことだった。そしてそれから少し時は経ち福岡警察署、地下。
明は廊下の片隅に置かれているソファーに寝そべっていた。
「ウッ、・・・ここは?」明はそしてふと目を覚ます。
「おはよう。いや、こんばんはと言うべきだな」目を覚ました明の目の前には大柄の男が立っていた。「おじさん誰?ここはどこなの?」明がそう言うと男は後ろを振り返りドアの前を向いた。
「俺の名前はどうでもいいだろう。この場所は警察署の地下、そして霊安室の目の前だ」
明がドアの方向に目を向ける。薄暗い廊下の先には霊安室がありそこには異質な雰囲気があるように感じた。「それでおじさん。どうして僕をこんなところに連れてきたの?」
明は自分の母が死んだことを忘れているのか。それとも現実逃避か。
そんな明の様子を見た男は言葉を詰まらせた。「・・・早く母さんの所に行ってやれ」
その言葉を聞いた明は、「え!?お母さんがあの部屋にいるの?どうして?」
「いいから、母さん早く待ってるぞ」明がそう言った時、今度は男に肩を霊安室の方へ強く押された。そして明は肩を強く押されたままに霊安室の方に向かい、そしてドアを開けた。
ドアを開けるとそこには顔に白い布をかぶせられ台の上で横に寝そべっている女の姿があった。この部屋にはお母さんしかいないとあの人は言っていた。そしてここは霊安室。
本当はここで起きた時から分かっていた。自分で自分を誤魔化していただけだったのだ。
お母さんが死んだという事実を。そして明はゆっくりと死んだ母に近づき顔の白い布を取った。
布を取り死んだ母の顔は目を開けることはなく死んでから約半日経った顔はただ冷たかった。
「おじさん。お母さんは死んだんだよね」明は下を向いたまま後ろで静かに眺めていた男に話しかけた。「・・・そうだ。この世の身勝手な奴のせいで君の母さんは・・・」
その時、明の目から涙が流れた。そして言葉を詰まらせた男の言葉に被せ、明は言った。
「不思議なんだよね。お母さん死んだはずなのに、苦しいはずなのに、お母さんが僕に向けて笑っているように見えるんだ。でもこんな時にそんなことを考えるなんて僕は馬鹿だよね」
すると男はいつの間にか明に近づいており手を優しく肩に置いた。
「それは君の思い込みじゃなくて実際そうなんだよ。彼女がこの世から完全に去る前に君の顔が見れたんだから」その瞬間、明の目からはさらに大量の涙が流れた。
「お母さん・・・?どうして目を覚ましてくれないの?僕を置いていかないでよ」
明は地面に膝をついて目を手で覆い隠した。暗い霊安室の中で明の悲しみの叫びが地下中に
響き渡った。これから僕はもう何もできない。でもただ僕は一つ思う。
「この世界は、平和じゃない。僕が見てきたあの景色はすべて嘘の平和だった。
だから僕は将来ヒーローになる。テレビの中のヒーローのように、人を助けられるヒーローになる。僕はこの想いを・・・いずれ現実にするんだ」
そしてその日から36年後、2050年。
36年前に抱いた少年の夢は結局叶うことはなかった。
男は雨が降るマンションの中、無意識に一人でテレビを見る。
「緊急ですがニュースをお伝えします。先程、10時15分ごろ殺人事件がありました・・・」テレビから読み上げられるニュースを聞き、男は悲しみに暮れる。
なにも変わらないじゃないか。そして男は決意した。私は世界を創る。
その為に男はまず、あらゆる最新のパソコン機器をそろえた。
3D360度内視プリンター、人口自動進化AI、感情データメモリー。他にも細かい部品を集めた。こんなことは今まで誰もしたことがない。初めての未知の領域だ。私が先駆者となる。そして最初にまず世界を創るためには決まりや設定を作らなければならない。
まず一つ、「不罪の契り」不罪の契りとはこの創った世界にインプット、又は既に存在する生物同士の繁殖行動により生まれた生物に自動で植え付けられる思想。
不罪の契りの意味はただ一つ、「罪犯すことなく意思は永遠の純粋」である。
そして二つ、次は外からの侵入の阻止だ。その役割を果たすのはバクテリアと言う菌である。本来バクテリアは「人食いバクテリア」など恐ろしいものであるのだろう。
しかしバクテリアの脅威はそれだけではない。バクテリアは人食いだけではなく生物に侵入し、その生物の脳を操り生物の体を支配する。この世界ではそれを複雑に応用し不罪の契りを死ぬまで全うさせると同時に、外から入ってきた菌や思想を排除する役割を持たせる。
また他のバクテリアの役割は別次元で創った世界の磁気が災いしその世界に住む普通の人間では異常をもたらしてしまう。
重い症状なら脳に腫瘍が大量に発生したり、軽い症状でも一生の時間を頭痛に悩まされるだろう。その症状を阻止するためこの世界の人間はバクテリアに寄生されることは必須であるのといえるのだ。そして世界の人口は今の人口を基準に9700万人。世界の面積は日本と同じ。男が創った世界では言語は日本語しか存在せず外国人は存在しない。
何故ならそれは容量もかかるし単純に面倒くさいからだ。男は外国語をよく分かっていない。そしてそこから更に長い時間を得て誕生させたのが「犯罪のない平和な世界」だ。
その瞬間、男は喜びに浸り続けた。「私は創り上げた。偽りではあるがこの平和な世界を。これで私が創造神だ」男はそう言うとすべての電源を入れ込み画面を見渡した。
そして男は優越感に浸りながらシャンパンをラッパ飲みし、椅子に勢いよく座り込んだ。
「素晴らしい笑顔だ。これこそが私が望んだ世界。創り上げたかいがあった。フッハッハッハッハ!」男は椅子に身を任せ、楽になった。だらしのない格好でいつの間にか服もかなり汚れている。「おお!ちゃんとプログラム通りちゃんと生物どうしが繁殖している。私の意思がどんどん増えていくぞ」男のテンションはシャンパンと気分の高揚の影響もあり最高潮に達していた。
そして今、この時。創られた世界の中のある家でお互いの愛が交じり合い、新しい命が誕生していた。初めての生命の誕生、しかしこの時、神は危惧するべきだった。最初のバグが影響したその命は異変を持っており、不純物が含まれていた。
しかし喜びを爆発させていた神はその事態に気づくことはなかった。
そして始まりの2068年、事態は大きく動きだした。
安藤 陸。この世界で初めて殺人が起きてしまった。何故、起こりうるはずがない殺人がこの世界で起きたのか。それはバクテリアに寄生されておらず、洗脳が解けていたからであった。すべての真相は殺人が起こる一日前、彼が頭痛の中で見た確かな記憶にある。この世界の歯車は最初からすべて狂っていたのだ。謎に迫るためにはすべての真実から時は遡る。ズキッ!・・・「痛!今日は今かよ」唐突に陸を襲う頭痛は終わる事はない。男がその異変に気づいたのは陸が高校生になってからだった。
「なんだ?この男は?安藤 陸・・・」陸には欠陥があった。バクテリアに寄生されていなければ不罪の契りにも囚われていない。男は世界のことを考えればとても危険な状態であると判断し、修正、もしくは排除することを決めた。だがこの世界に排除は相応しくない。誤作動を起こしたのは自分の責任でもあるので平和的に解決することが良いはずだ。
方法は一つ、記憶消去。これを陸に埋め込めば事態はすぐに解決する。神は記憶末梢プログラムを陸に埋め込んだ。ただこのプログラムにも問題があった。
「ガッ、ウガアアアアアァァァ」プログラムを埋め込まれた陸の脳内が悲鳴を上げた。
「ハァハァ、ウ!ウアアアアアア」理由は一つ、プログラムが暴発し、陸の脳を蝕んだ。
「どうして!どうして私の世界に異変が起きるんだ」男が陸に埋め込んだプログラムは不手際があり正常に作動することはなかった。そしてこの暴発したプログラムは陸だけでなく美佐にも大きく影響してしまった。パソコンの設定上で暴発したプログラムが美佐のデータにも侵入し暴走してしまった結果、記憶ではなく、存在を消してしまった。男は頭を抱え込んだ。「そんなバカな・・・こんなことがあるのか」この時、創られた世界の中で美佐の存在が消えたことを理解した人間は美佐の両親と友人の友里である。
その様子を見た男はとっさに混乱を防ぐために3人の美佐に関するすべての出来事の記憶を消した。そして先程の行動を振り返り男は罪悪感にさいなまれた。記憶を消してしまった。大事にしていた人間の記憶が消える。それはとても悲しいことである。男は過去の自分を思い返し、苦しい時はいつも母を思い出し乗り越えてきた。もし母の記憶がなければ男は今を生きていないかもしれない。記憶は時として人を救う事もあるのだ。
美佐が消えてから数日経った。今のところはなにも問題はおきていない。
だが男にとっての一つの懸念は陸であった。陸はバクテリアに寄生されておらず洗脳が解けてしまっている。これでは洗脳し美佐の記憶を消すことができない。
男には流れに運命を託すしか選択肢がなかった。だがその希望も陸が目覚めてからあっという間に消えた。「美佐だよ!俺の妹!安藤美佐!家族じゃないか!?」
家族間の間で話の折り合いがついていない。当然だ。美佐に関する記憶を消したのだから。
そのことを陸は分かるわけもなく、陸は母に対して疑問の感情を持った。
「いや、だって・・・美佐は俺が倒れる前から」「陸、いい?聞いて。私達の家族に美佐なんて人間は存在しない。今、あなたは夢と現実の区別が出来ていない。美佐なんて人間は存在しないの。分かった?」その様子を見た男は不思議なことに陸に対して怒りと悲しみを覚えた。後に起こる出来事を察し、陸という存在が邪魔になったからだ。悲しみはアイツらと同じだ。間接的に人を消し、一人の人間を不幸にした。理想だけを想うからこんなバカなミスをした。警察という立場から犯罪者を見て、当たり前のように見下していた。
(コイツらの人生はもう終わったな。でもしょうがない。犯罪者なんだから)
犯す理由は悪い事だけではない。恨み、病気、他にもあるだろうがどれも自分勝手ではなかった。自分勝手は私だったんだ。自分の好きなようにやりその結果、最悪の形を生んだ。
そして陸は病院から無事に退院した。いや、無事ではない。根本が治っていないんだよ。
最初のプランで二つの考えを出した。その内の一つ、修正案はほとんど可能性がないだろう。そうなれば自然と選択肢は一つ、排除だ。消すしかない。それも物理的に。
誰かを操ればなにも問題ないだろう。ことは一瞬で終わるはずだ。心苦しいが・・・。
もう、こうするしかないんだ。私のために、この世界のために死んでくれ。
そして実行の前日、記憶が見た景色と共に、陸の意思が世界に悪を生んだ。
場面は変わり世界の中、安藤宅。
退院から翌日、学校の屋上で倒れ込んだ日から久しぶりに学校に登校する。
「陸、ちゃんと学校の準備は終わった?」玄関で靴を履いていると、母が寄ってきた。
「母さん、大丈夫だよ。なにも問題ない」そっけない態度をとり母と目をあわせることなく陸はドアを開け学校へ向かった。「なによ。今さら反抗期かしら」今の母には分からないだろう。苦しみを理解されない苦しみを。陸はなにも考えようとせず、ただ学校へ向け静かに歩いた。いつも通っているはずの20分の通学路の道のりはいつもよりも遠く長く感じた。そしてやはり思おうとしなくても自然と思ってしまう。警告の答えはいつ来るのだろうか。顔には出さないが臆病になり少しの物音にも反応してしまう。
だが陸は気持ちを堪え、なにごともなく学校までたどり着いた。教室まで行くとクラスの注目は陸に向けられた。「あ!安藤だ!」「安藤君、久し振り」「体はもう大丈夫なの?」
様々なクラスメイトから声をかけられた。ただ物珍しい病気で倒れたことが影響したのか、
ほとんど病気のことしか聞かれることはなかった。陸はクラスメイトと話し終わった後、疲れながら自分の席に座った。「陸、来てから早々に大変だったね」下を向きうなだれ込んでいた陸に対して話しかけてくる人はこのクラスに一人しかいない。
「香菜、本当だよ。こっちはまだ病み上がりなのに大変だったよ」聞き慣れた声は陸の心を安心させた。「それだったら先に敦に会いに行ってあげたら?表には出さないと思うけど内心きっと喜ぶわよ」「敦か・・・」隠し事は結局まだ言えないな。て言うか警告され消えるかもしれないなんて言える訳がない。不安を更に増してかけてしまうだけだ。陸は敦の方をチラッと見る。そして
「後でいいかな。もうすぐホームルームも始まるし」「そっか、じゃあまた後でね」
そう言って香菜は自分の席に戻っていった。それから一分近く経った後、担任が入ってきた。「さぁ!ホームルームだ。皆席に着けー」担任のテンションが何故かやたら高い。
「先生、なにか良い事でもあったの?」ホームルーム前にクラスのテンションは上がる。
だが、「いや・・・良い事はなかった。むしろ悪い事だ」予想外の担任の反応に皆は驚く。
「え?じゃあなんであんなにテンションが高かったの?」クラスの一人が質問した。
担任は言葉を溜めた後、「5年も付き合った彼女と別れちまったんだよ。無理してでも笑わなくちゃやってられないんだよ」その瞬間にクラスの雰囲気が大きく変わった。
「でも皆、気を遣うことはないからな!いつも通り接してくれ。安藤も無事に帰ってきたし、またいつも通り楽しくやろう」この時、クラスの全員は思った。凄くヤリずらい。
何故、担任の恋愛事情に巻き込まれなきゃいけないのか。そりゃ、聞いたのは我々だけども。
担任の涙を朝から見てクラスの空気が変な感じにはなったが、それ以外は特に問題なく、普通に授業が始まった。ちなみに一時間目の授業は英語の田中。因縁の相手だ。だが話を聞く限り助けてくれた恩人でもある。どっちかと言えば嫌いだがこれからは反抗的な態度はとれない。もう周りの人には大変な迷惑をかけることはできないのだ。
「よう安藤、久し降りだな。退院明けだからって今日はサボらずにちゃんと授業を受けろよ」
授業が始まる直前、田中が陸に歩み寄ってきた。「まぁ、程々には頑張りますよ」
「なんだその情けない言葉は!よし決めた、今日の授業はお前を集中的に当てる」
マジかよ・・・。この時、陸は思った。余計なことは言わず素直に嘘でも良いからちゃんと聞いておけば良かったと陸は後悔した。「先生、それはちょっとキツいです。俺、まだ病み上がりなんで程々にしてください」「それならお前の内申点下げちまうぞ」このハゲ野郎。完全に俺のことを嫌っている。教師として最低だ。しかし今、田中が言った言葉は冗談であるのだが陸は気づかない。「フッ。安藤、お前はやっぱり可愛げがないよな。無意識だろうがいつもそうやって俺を睨みつける。そんなんだから俺からイジられるんだ。気をつけろよ」そう言って田中は黒板の前に戻り授業を始めた。なんだあのハゲ。俺の考えていたことが分かっていたのか。と言うことは今田中のことをハゲと思ったこともまさか分かっていて?この時の陸は警告のことをすっかり忘れていた。ただ単純に普通の日常のことだけを考えられている。これはかなり久しぶりだ。
するといつの間にか一時間目のチャイムがなり英語の授業が始まった。
「~・・・はい、じゃあ今言った英文を・・・安藤答えてみろ」ほらやっぱり来た。田中は答えられない俺の様子を見て楽しむつもりだったろうがそこはもう入院中に予習済みだ。
「~君が卒業式の春の桜の下で泣いたとき、僕はとても不思議な気持ちになり泣きたくなった」
この英文は心を閉ざした少年とその少年に優しく接した先生との想いを書いたものだった。
海外の話で実話を元にしたそうだ。だが陸は内容よりも外国に桜があるのかという所に関心を持った。「おお!安藤よく言えたな。俺はてっきり怠けていて答えられないと思ったよ」
やはりそうだったのか。田中の言葉を聞き陸はイラつきながらも顔に出さないように我慢して静かに座った。そして自然に陸の顔は窓の外を向いていた。どっかのクラスが楽しそうに球技をしている。それを見ながら静かに授業を受けた。だが穏やかな時間はそう長くは続かない。
ズキッ!・・・不意に陸はいつものように頭痛に襲われた。・・・今日はなにもないな。だがそう思ったその瞬間、辺りの景色が暗くなった。前と同じく夢の中だがはっきりと意識がある。
「ここは?もしかしてまた俺は倒れたのか?」陸の目の前、いや陸のへその緒には謎の光る糸がくっついていた。その糸のはるか先にはずっと先に小さな光がある。
俺はなにを見ているんだ。陸は辺りを見渡した。すると今、この場所には他にも謎の光る糸が辺りに多く,はるか先の光に繋がっている。陸は自分の糸を持つがこれが一体なんなのか分からない。その時、周りから複数の足音が聞こえた。陸は足音のする方向へ振り向き衝撃を受けた。「香菜、敦、それに父さんや母さんも・・・どうして?」だが四人は陸の問いに答えることはない。「アシタ シッコウ スル ユウガイ インシ ヲ ハイジョ スル」「ワタシノ タメニ キタイニ コタエロ」その言葉を聞き終わった後、突如陸の意識は途絶えた。そして現実に戻る。
(あれ・・・?俺はなにを)陸には先程の記憶がなくなっていた。意識を失っていた数分の時間の記憶が抜き取られたようにしてなくなった。前にも経験がある。だが今は授業中、陸は心の中で意識を引き締めなおし、無意識に落としていたシャーペンを手に取りなおした。
ズキッ!「?!!」二回目の頭痛、その頭痛の痛みは今までの人生の中でもあまりの痛さに屋上で倒れた時に次いで二番目の痛みが陸の脳を駆け巡った。「ウグッ」あまりの痛さにおもわず声を出し頭を抑え込んだ。その声を聞いた田中は黒板から振り向き陸の方を向いた。
「どうした、安藤。具合でも悪くなったか?」しかし陸からの反応はない。この時、香菜は陸の様子を見て屋上の出来事と照らし合わせた。「先生!この状態は屋上の時と同じです。陸はまさかまた同じ症状に・・・」香菜の言葉を聞きクラスが騒然となるなか、田中は陸の肩を揺らし大声で陸に話しかけた。「おい!安藤 しっかりしろ!」だがその声はまだ陸の意識には届いていない。「・・・!?」今、陸の脳裏には世界を創った男の記憶のすべてが映像として脳に入ってきた。ここでふと疑問が浮かぶ。何故、陸だけは頭痛を起こした時、男を見るようになったのか。
そこには契りやバクテリアが大きく関係している。理由は陸は契りやバクテリアに支配されていないため外の影響をすべて受ける。その中で世界の欠陥によって生まれた別次元の世界の磁気が創った世界に隙間から入り込み頭痛と共に映像と記憶を運んだ。2050年に世界を創るために利用した機材は技術が発達しすぎていたため、奇跡的に発生したバグが意思を持ち、
男の姿や行動を記憶としてバグに残した。そしてこの世界で唯一、支配されない陸がそれを受け取り、世界でただ一人、「世界を秘密を知る人間」となった。「おい!安藤!安藤!」田中は大声でまだ話しかけ続けていた。そして陸は田中の声とは関係なしに目覚めた。
「・・・先生、すいません。もう大丈夫です」目覚めてから陸は落ち着いた声で言った。
「そ、そうか。よかった」田中は安心してほっと胸をなでおろした。「でも先生」「ん?どうした?」
陸が田中にこう切り出した。「今日はもう帰らせてください。申し訳ないがこのままではとても授業に集中できません」陸は田中の言葉を待つことはなく帰りの支度を始めた。「お、おう。まぁ・・・いいぞ」田中は陸の雰囲気の変わりように戸惑いながらもこのまま無理して倒れでもしたらまた困ることになるので素直に陸の言う通り早退を特別に許可した。
「すいません。じゃあ帰られてもらいます」そう言い残し、陸は教室から早々と出て行った。その様子を見た香菜は思わず机から立ち上がり陸の後を追った。
そして二人は靴箱へ向かう階段の途中でお互いの顔を見合い話し合った。「陸?急にどうしたの」香菜は陸に対して違和感を覚えていた。入院明けからどこか陸の様子がおかしいと。「香菜、悪い。でも今は学校よりも心の覚悟が必要なんだ」「覚悟ってなに?なにか大変なことがあるなら相談してよ。私達。付き合ってるでしょ」だが陸は秘密を打ち明けることが出来ない。警告のことは誰にも言えない。
「ごめん、無理だ」そう言うと陸は香菜に背を向けて歩き始めた。しかし香菜には今の陸だけの言葉では納得ができない。「どうして!?私は陸のこと信じてるよ。陸は私のこと信じてないの?」これ以上優しく言ってもどうしようもない。「香菜、今のお前、うざいよ」「え・・・?」陸はそう言い残し学校を早退していった。一方香菜は陸から聞いた言葉にショックを受けていた。
「陸・・・変わっちゃったな。前は優しかったのに」階段の前で香菜は一人立ち尽くした。
ほんの僅か、夏休み前の陸と今目の前の陸を頭の中で重ね合わせて。香菜は一人寂しく教室に戻っていった。そして陸は靴箱にて先程見た映像、そして今までの記憶。すべて理解した。(本名は手塚 明。正体はこの世界の創造神。この世界はこの男によって創られた。この世界にはルールが存在する。不罪の契り、バクテリア。そして神としての意思を即座に世界へ伝えるためのバクテリアを利用した意思と神経の支配。あとは明日、すべての決着は明日つく)
俺は日常を手に入れる。例え殺人という行為をしてでも、それがお前の望まない世界になったとしても。意思を手にしてしまったら人はわがままになるんだ。それはお前のミスであり誤算だ。そして運命の一日がおとずれた。
「父さん・・・。父さんもかよ」陸の体は神の力により既に包丁で貫かれ大量に出血していた。
「オマエモ サッキイッタダロウ フツウノニンゲンハ イシ ト シンケイガ ツナガッテイル。オマエイガイノ ニンゲンヲ アヤツルナンテ カンタン ナンダヨ」この対決は神に軍配が上がった。
「く・・・そ」そして陸は薄れる意識に逆らうことなく静かに目を瞑った。
これで世界を騒がせた一連の騒動は無事に終わった。画面の前では男がホッと胸を撫でおろしていた。(これで終わりだ。あとは関係者全員の記憶を消して、陸の存在がない世界に造り変えるだけだ。陸の父と母は母の子宮に問題があり子供を産むことができなかった)
世界の時間と記憶を編集し、美佐が生まれてからの年月から今日、陸が死んだ日まで。存在のデータを完全削除。これで本当にすべては終わった。しかし男には、いまだ足りぬことのない復讐心と申し訳ない気持ちがあった。矛盾するこの気持ちはどうすれば収まる。そもそも世界のためとはいえ私自身のために自分勝手に殺して憎しみを抱き申し訳なく思う私はなんなんだ。バカだな。後悔しても遅い。男は特にすることもなかったのでふと陸のデータを見た。
すると過去に想った陸のある言葉が男の心を動かした。(受験なんてこなければいいのに、このままずっと高校三年生が続いていけばいいのに)分かったぞ。これなら私の想いを両方体現できる。お前はこのままずっといたい空間へ。私はお前に対する憎しみの気持ちを晴らすため。
男はこう思ってしまった。それはもう思想平和とはほど遠い哀れな憎しみだった。
だが男は自分の昔との気持ちの違いに気づくことはなく、新たな準備を始めた。
2068年、秋。
自然に咲く風が少し肌寒くなり、木々は紅葉色に美しく染まった。この世界から消えた陸はもう記憶と共にこの世には存在しない。本来であれば身内には悲しさの感情に包まれる。
だが記憶をなくした家族にとっては特になにもない。家族二人で幸せに暮らしていた。
不幸なことに望んでも子宝には恵まれなかったようだが、今の二人を見ればそれでも良かったのかもしれない。もし最初から陸がいなければこの二人ももっと前から付き合っていたかもしれない。二人は昼休み、屋上で話していた。「敦、今日の放課後はどうしようか?」「じゃあ俺の家来いよ。受験勉強だってあるし一緒にやろうぜ」二人は高校一年の時、幼馴染から恋人になった。敦の告白により香菜の心は動かされたのだ。「そうだね。色々大変だったけど志望校一緒だし」香菜は敦の顔を見た。「ハハッ過去最高に勉強したよ」大変だったと言うのは敦の成績のことだ。香菜に比べ敦は成績が悪い。
別にそれだけなら受験を受けること自体は受けると決めてからでも勉強すれば悪くはないだろうが二人の通う高校は面談の前のテストで志望校に見合った点数でなければ受けさせてもらえることは学校の校風で出来ない。故にテストの前の敦は必死だった。いままでにない勉強のし過ぎで夢にまで勉強した単語が出てきた程だ。そしてなんとかギリギリで志望校に必要な点数を取ることが出来た。敦のモチベーションの高さが生んだ奇跡ともいえる出来事だろう。
「ねぇ・・・そういえばさ敦。話は変わるんだけど」香菜はここ最近、心のどこかで疑問に思っていることがある。少し他愛もない話をした後で、今の疑問を敦にも聞いてみた。
「私達、なにか大事なこと忘れてないかな?」「大事なこと?・・・ああ!そういえば最近お前太ったな!夏休みの時ダイエットとかしていたけどあの時の苦しみを忘れてまた太りだしたか」敦の遠慮のない言葉を聞いた香菜は自然と敦の顔に向けて手の甲が飛んでいた。バチン!!
凄く気持ちが良く素晴らしい音がした。香菜のビンタを見事ジャストミートされた敦のほほは赤く腫れた。「あんた最低」「じょ、冗談だって。本当ごめん」敦は叩かれたほほに手を当てながら起き上がった。「だからさ、そんな冗談じゃなくて真剣な話よ。本当に最近思うの。何故か心に空洞ができたような感じがするから」「気のせいじゃないの?ていうか記憶がなくなるならそれは大したことじゃないでしょ。考えすぎだ」「そうかな?・・・」香菜は違和感を感じながらもこれ以上深く考えることをやめた。香菜の心の中には陸はもういないのだから。こうして世界は元通り「犯罪のない平和な世界」へ無事に戻った。少しの人間の汚れを犠牲にして・・・。
そして今、違う世界では、新たに時が大きく動き出した。