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大学生 宮嶋愛梨の場合

 私が、小学生の低学年の頃。校外学習のお弁当を忘れた事があった。

 泣いていた私に声をかけてくれたのは、他学年交流で、ペアになった高学年のお姉さん。よく見たら、他の人とは違った色の目をしていたことを、なんとなく覚えている。

『あいりちゃん、これ、私が作ったの。飲んでみてくれる?』

 穏やかな気風の彼女は、私に水筒の飲み物を渡す。言われたままに私が飲んでいると、お姉さんはお弁当の蓋をひっくり返した。そこに予備で持ってきていたという割り箸を使い、自分のお弁当から次々とおかずを乗せた。

 すると班の皆も、真似して自分のお弁当の蓋におかずを乗せていく。お姉さんはそれを見て、うーん、と考え込むと、レジャーシートの真ん中にお弁当と蓋を並べた。

『みんなのお弁当、みんなで食べよう。ひろき君の卵焼き、美味しそうだよ』

 そう言って、お姉さんは私に自分の箸を渡してくれた。

 色とりどりのお弁当は、私だけでなく、班の皆の心を柔らかく包み込んだ。


 すいすいとパスタを巻いていく。ちょっと多過ぎたかな。少しだけ浮かせたフォークから麺を抜いて、ハーブが絡まないように緩んだパスタを再び巻いていった。

 ブブッとテーブルの上に置いたケータイが音を立てた。ちらっと目をやる。ロック画面には、チャット通知の相手と送られてきたメッセージが表示されていた。送り主は、明日香だ。

『みやじーは???』

 これだけじゃ、何のことか全く分からない。けど、二十分前のやり取りから察するに、グループチャットで交わされていた会話の続きなのだろう。

 再来週末のライブに参加出来るか否かという話だ。チケットが抽選式のライブだから名前を貸してくれ、と明日香に言われたのは確か先月の頭頃だったと思う。それから、最近になって当選したと連絡が来た。それも、三枚も。そこで彼女は、急遽ライブ参加者を募っているのだった。

 『みやじー』とは、私のあだ名だ。けど、私の名字は宮嶋(みやしま)だから、微妙に違う。二人に一人の確率で読み間違われるから構わないんだけど、やっぱりモヤっとするのは私が細かいからなのかな。

 片手を伸ばして、携帯を伏せた。

 食べてる時は、食事の席に集中。他のことは、食べ終わるまで後回し。お残しはご法度。よく噛んで食べること。

 そんな我が家の決まりごとは、未だに私の核となっていた。悪い決まりじゃないし、直すつもりもタイミングもなかったから、そのままだっただけとも言える。とはいえ、家族以外と食べる時は、周りに合わせるけど。

 一口、パスタを頬張って咀嚼する。トマトソースが口の中いっぱいに広がった。ほんのり舌を刺激するのは、アンチョビと唐辛子だ。ぷりっとしたアルデンテのパスタが、噛むたびに口内で弾けると、独特なケッパーの風味が鼻を抜けた。

 ここのプッタネスカ、好きかも。糸唐辛子だから、ちょっと辛さが足りないのは惜しいところだ。目の前の一味唐辛子かタバスコを入れれば良いんだろうけど、わざわざお店の人が作ったものの味を変えちゃうのは、なんとなく躊躇ってしまう。

 暫く噛んで、飲み込む。ハーブを避けて、パスタを巻く。量を調節して、口に運ぶ。暫く噛んで、飲み込む。お皿が綺麗になるまで、ひたすらこれの繰り返し。私にとっては、習慣付いた単純作業だ。

『愛梨さ、食べてる時何考えてんの?』

 食事を終えた私へ、健司がそう質問してきたことがあった。その回答を探したが、間も無く私は結論に至る。

『だいたいなんにも考えてないかも。ご飯の神さまに失礼じゃん』

 そう、正直に答えた。その瞬間の彼の表情は、未だに忘れられない。信じられないものを見たような――っていうのは、生易しい例えか。言葉を選ばず表現すると、ドン引きされた。次の瞬間には、いつもの表情に戻ったが、その後私は家族以外と食べる時は、周りに合わせてペースを変えるようになった。

 小さなアンチョビの欠片まで咀嚼し終えた私は、そっとフォークを皿の上に乗せた。

 口直しに水を含む。常温の水は、喉を通り過ぎても存在感を示すことはなかった。

 私は、やっと携帯を持ち上げた。繋がらないと、仲間外れにされてしまうかもしれない。だから私は、数十分前の明日香のチャットに返事をした。

『その日カレシとランドだわ、、、』

 用意していた答えを打って、ブサイクだけど愛嬌のあるおじいちゃんのスタンプで『すまんな』と添える。それから既読が付く前に、チャットアプリを即閉じた。所謂、未読無視態勢だ。既読無視も世間的にはありよりのなし(・・・・・・・)みたいだけど、あっちからすればなしよりのなし(・・・・・・・)かもしれないし、既読付けないのが無難だって思う。

 彼氏と遊園地に行くのは、もちろん嘘ではない。ただ、乗り気じゃない。健司は、お化け屋敷がお気に入りみたいだし、きっとまた行くんだろう。最初は私も怖かったが、何回もおんなじ所のおんなじアトラクションに入れば、いい加減慣れるし飽きる。でも、きっと彼は私の反応を見たいわけだから……。

 間も無く、重いため息がコップの水を波立たせた。


「また、あれ?」

 夕方、玄関のドアが開くなり、声が飛ぶ。ネクタイを緩めながら、後ろ手で鍵を閉めたのは健司だ。

 私は、じゃがいもに串をさしながら、顔を上げた。火は、しっかり通っているようだった。

「お帰りー。ねえ靴下……」

 黒い靴下が宙を舞う。頼りなく靡いて落ちた先は、洗濯機の蓋の上だ。

「ラーメンがいい。炊いて」

 続いて、ネクタイも放られる。パサッと、私が整えた掛け布団の上に落ちた。狭い部屋の中で、次々と草臥れた衣類がベッドに飛んだ。

 スーツもネクタイもシワよるのに……。

「もう作っちゃったよ。明日で良い?」

 目の前のフライパンの中には、きっちり二人分の肉じゃががある。端に寄せた鍋には、味噌汁も出来ていた。

「俺疲れてんだけど……」

 健司が、気だるそうにバッグを置く。フローリングとぶつかって、それは深い音を立てた。床が傷付いてしまいそう。どうやらかなり苛立っているようだ。

 ここ一ヶ月程、彼は大学の講義に出ていない。必修は半期で取ったから、後はインターンで免除、更に色を付けて貰えるらしい。

 ただ、忙しくなったからか、健司は最近変わってきた気がする。前だったら、折り合いをつけてくれてたのに。

 味噌汁は、一旦水筒に入れておこう。ここの家主は彼だ。頼まれてないのに、勝手に料理を作ってしまったのだから、仕方ないだろう。

 水筒を用意しながら、私は部屋着に着替える健司に声をかけた。

「何ラーメン?」

「豚骨」

「無いよ。土曜買いに行くって、健司言ってたでしょ」

 はあ? と苛立たしげな声が上がった。

 ……私の言い方がまずかったかな。水筒に味噌汁を注ぎ入れながら、反省する。

「じゃあ何あんの?」

「塩と味噌と醤油と魚貝」

 すっと、真後ろを健司が通り抜けた。

「マジ使えねえな」

 少しして、その意味を頭で理解できた時には、玄関の扉が閉められていた。


 ……なんかもう、分かんないなぁ。

 こういうの、何回目かもう忘れるくらい、慣れてきてる私が居た。とはいえ、健司の気分が理解できないのは、やっぱり変わんないけど。

 私は、プラスチックの容器とインスタントラーメンの入ったエコバッグを右手に持ち替えながら、道路の端に寄った。傍を、早歩きのサラリーマンが通り抜ける。どこか弾むような足取りだ。私と同じ方向に進む彼の向かう先は、きっと温かい場所なのだろう。

 健司も、ああだったら良かったのにな。ぼんやりと思って、思考を振り払う。いや、健司も疲れてるんだから、仕方ない。……ご飯のことも、仕方ない。人と比べるなんて、駄目だ。

『好きな人には、尽くしたくなるじゃん?』

 友達の誰かの言葉が蘇る。

 半年前は素直に頷いていたが、今では即答できない私が居た。


 なんで私、すっごいもやもやしてんだろ。

 あれから、作ったおかずを全部冷蔵庫に詰めた。待つのも気まずくて、健司が戻って来る前に私は健司の家を後にした。

 そのままアパートに帰るのも、逃げ帰ってるみたいで嫌だな。ぼーっとする頭で考えた私は、昼に行った喫茶店に向かってみた。

「いらっしゃいませ。こんばんは」

 黒いエプロンを付けたウェイトレスが、歩み寄って来る。穏やかなその声のトーンに、ふわっと漂ったコーヒーの香りに、不思議と安心感を覚えた。

 古風な店内は、全体的にアンバーとかのブラウン系。西洋というよりは、明治とか大正っぽいレトロモダンだ。誘われるように、私は店内に入って行った。

「お決まりになりましたら、お声かけください」

 店の中の、中央側。仕切り用の低い壁に面した席に座った私は、間も無く出された水を一口飲んだ。

 ウェイトレスは、小さな本を捲るサラリーマンに会釈しながら、店の奥へと歩き去った。本じゃなくて、手帳かな? 表紙は革っぽいように見えるけど、ここからでは判別できない。

 ちらりと、壁側のメニュー表を眺める。コーヒーは、チェーン展開してる店より少し価格が高めだ。改めて見てみれば、期間限定のスイーツもあった。美味しそうだけど、今はスイーツの気分じゃない。だからといって、何か食べたい訳でもない。

 ……もう、なんでも良いや。今は何も考えられない。私はメニュー表を手に取ったまま、手を挙げて店員さんを呼んだ。それからぱらっとページを捲って、適当に目に付いた物を頼む。荒んだ気持ちの私は、ウェイトレスが背を向けた瞬間、即座に思考を飛ばしていた。

 ――そもそも私って、本当に健司のこと好きなの? ずっと目を向けないようにしていた問いを、遂に私は投げてしまった。

 付き合う当初は、好きでも嫌いでもなかったと思う。ぼーっとする頭の中をかき回してみた。そもそも、なんで告白OKしたんだっけ。

 友達に彼氏が居たから。今まで人と付き合ったことがなかったから。健司とはグループの一人として楽しく過ごしてたし、悪い人じゃないのは知ってたから。そしてなによりも、そのうち好きになるんじゃないかと思ったから。

 確かに、付き合ってからなんとなく好きになったし、ちょっとカッコイイかもって思うこともあった。愛着が湧いたんだと思う。

 それでも、疑い用もなく好きだって思えたことは、あっただろうか。友達みたいに、尽くせるのが幸せだって、本気で感じたことはあっただろうか……。

 改めて考えてみると、私最低だ。私は、自分のことだけしか考えてなかったんだ。

 思考の中にどっぷり浸かってた私は、柔らかく鼻を刺激する香りで我に帰った。

「お待たせしました。ミントとホットミルクのバニラティーです」

 カチッと、ソーサーとカップが小さな音を立てる。ほわっと甘くも爽やかな湯気が、私の視界を遮った。

「ごゆっくりどうぞ」

 ウェイトレスは伝票を筒の中に入れると、柔らかな笑みを浮かべながらゆったりと会釈した。いつもだったら、私も会釈を返している。でも今は、そんな余裕は無かった。

 ミント?

 なんで、私わざわざミントなんか頼んだんだろ。ハーブは苦手だ。『ツンとするし、草食べてるみたい』――。

「……あ、れ?」

 思わず、小さく声を上げてしまった。

 これって、誰の言葉? 私じゃない。だって、残すなんて、ご飯の神さまに失礼でしょ。

 じゃあ、なんで私はハーブが苦手なの? わからない。今まで、ハーブを出されたら避けてきたから。食わず嫌いではなかった。何年か前まで食べてたから。

 記憶を辿って行き着いたのは、あるファミレスの光景だった。

『ハーブとかの葉っぱ系とか、マジねえよな。草食ってるみたいだし』

『それな! オレも無駄にサワヤカ過ぎて無理だわ。飯食ってる気ぃしねえもん』

 健司と、同じグループの男子の言葉だ。それに同調するように、私の周りの女子も頷いたから、食後のデザートをミントアイスからバニラアイスに変えたのだ。その出来事以来、私は口にしてない。

 そうやって周りに合わせて、流されて。私はこのままで良いの? 好きな物も、自分の考えも主張しちゃいけないの? 誰かと対立するくらいなら、我慢してた方が良い?

 ふと、小学生の頃の出来事が蘇った。班の皆でそれぞれのお弁当をシェアしあったこと。それは、今でも私の根底にある。だから私は、皆と仲良く波風を立てないことが大切だと、周りに合わせることが重要だと思った。

 ――でも、本当にあの時、皆は波風を立てないためにお弁当をシェアしてくれたの? いや、違う。きっとあのお姉さんの行動で、気付いて、行動してくれたんだ。皆笑顔で、譲り合って、たまにおかずを取り合って過ごしたんだ。それは、決して自分を殺していたわけじゃなかった。

 じゃあ、私がやってることは? 無理して周りに合わせて、好きな物を苦手になるように思い込んで、挙句周りを見てから人と付き合った。自己犠牲だけならまだしも、他人まで――健司まで巻き込んでる。そんなの、気遣いなんかじゃない。

 ……明日、私は健司と話し合おう。謝って、私の本当の気持ちを話して、健司の言葉と向き合おう。どう転んでも良いじゃない。多分、健司と二人で会うのは明日が最後になるんだろう。そうしたら、明日香のライブにでも行ってみようかな。それで、自分の主張をどうやって入れるのか、彼女を見て学んでみよう。

 すとんと、重いものが落ちた。心が、あるべきところに戻ったような気がした。まだまだ動いてないけれど、でも今夜の空は晴れている気がする。

 きゅっと目を瞑って、開く。よし、決めた。一息吐いてから、健司に連絡入れてみよう。

 私は、華奢な取っ手を持ち上げた。ふぅっと何度か息を吹きかけて、カップを傾ける。

 口の中に広がったのは、優しい甘み。バニラの突き抜ける香りを、ミルクがまろやかに包み込んで、まったりと味覚を刺激した。あとを追うように、ミントの香りがすうっと通る。飲み込むと、まだ熱いのにひんやりとした清涼感が食道まで満たすのを感じた。

 ……美味しい。私は、これ(・・)が好きだった。似た物じゃない。正にこれだ!

「す、すみません!」

 私は、慌てて席を立ち上がった。がたんと椅子の足が床を叩く。サラリーマンは、ちらっとこちらを振り返ったが、再び何事もなく手元に目を落とした。

 驚いたように振り返ったウェイトレスは、私と目が合うと、早足にこちらまで来た。

 ――似てる。記憶の中よりかなり大人っぽくなったが、きっと彼女だ。

「どうかなさ……」

「あのっ」

 急いた私は、彼女の言葉を遮ってしまった。

「もしかして、東麻平(ひがしあさひら)小学校、通ってませんでした?」

 柔和な目が、見開かれる。その虹彩は、綺麗なヘーゼルだった。ああ、やっぱり。やっぱり、彼女だ。

「かなざわ、いちかさん……でしたよね」

 古い記憶から、名前を引っ張り出す。低学年だったから、名前はひらがなしかわからない。

「……みや、しま、あいりちゃん?」

 それでも彼女は――かなざわさんは、確かめるように私の名前を呼んでくれた。

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