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波的な生命の住まう場所

 ヒトが複雑な生物であることは、疑いようもない事実だと大抵の人は思っているでしょう。だから、その遺伝子も多いはずだと。ところが、遺伝子の量でいえば実はヒトはそれほどでもないのです。なにしろ、タマネギは人の5倍の遺伝子を持っていると言われていますし、ヒトに比べれば単純な生物のアメーバの中には、なんとヒトよりも100倍も大きい遺伝子を持つものがいるのです。

 旧い本だと、この信じ難い事実を受けて「遺伝子にはまだ多くの謎がある」などと書いてあるものもあるのですが、比較的新しい本になるとその理由がちゃんと書いてあります。

 タマネギやアメーバーには“フリーローディング遺伝子”が大量に含まれていて、その所為で、不相応な規模の遺伝子を抱えてしまっているのだそうです。

 その“フリーローディング遺伝子”ってなんじゃいな? って話に当然なると思いますが、これは平たく言ってしまえば何にもしない遺伝子の事です。何にもしないで、生命体にタダ乗りしているのですね。

 ヒトの場合でもこの“フリーローディング遺伝子”は実に3分の2を占めるのだそうです(と言っても、本当は役に立っているものもあるのだそうですが)。この話はそれ自体でとても興味深くあると思いますが、冒頭でこんな事を書いた理由は別にあります。

 これは遺伝子の一部を主体として、タダ乗りしていると表現している訳ですが、このように“それ”を主体と見做しさえしてしまえば、それ自体をまるで生命であるかのように記述する事ができるのです(もっとも、定義によっては生命と捉えても良いのですが)。もちろん、そこには生き残る意思などないのですが、少なくともまるで意思があるように見えます。

 例えば、光を感じる遺伝子を主体とするのなら、それはヒトにもハエにも乗る事で生き残っていると表現できるのですね。

 では、それと似たような発想で、こんな事を考えるのはどうでしょう?

 

 人間の社会上で語られる“主義”や“思想”などの人間の脳の中にあるものを主体と見做し、それをまるで生命のように捉えて記述してみる。

 

 便宜上、それを“波的な生命”とでも呼びましょうか。

 その波的な生命は、生物が後天的学習をし始める事によって初めて誕生できました。ただし、だからと言って生命体の性質から影響を受けていない訳ではありません。当然、その性質に強く影響を受けています。それはその誕生当初において最も顕著で、特に注意を向けるべきなのは恐らくは“縄張り争いの本能”でしょう。

 縄張り争いは、昆虫や魚類といった生物にも観られます。だから、人間が波的な生命を自らの中に発生させた際にも、それを引き継いだと捉えてまず間違いないでしょう。もちろん、それは一部の権力者が社会を統治する封建主義の事です。

 ただし、この封建主義には大規模になると不安定になるという弱点がありました。アフリカなどの少数民族が、その社会を何千年と継続させているのに比べ、規模の大きな封建主義社会では下手すれば数十年しかその体制を保てない場合があり、大規模化した際のその脆さは致命的ですらあると言えるでしょう。

 しかし、それでもライバルのいない状況下では、それも大きな問題にはなってきませんでした。社会が崩れてもしばらくすれば混沌の時期を経て再構成されます。そこで採られるのは言わずもがなで封建主義です。それしか選択肢がない訳ですからね。

 ところが、そこに変化が起きます。封建主義の打倒と共に、民主主義・資本主義という新たな種が誕生してしまったのです。

 この二つは共生生物のようなもので、それぞれで独立して存在できますがとても相性が良く、二つ合わさる事で生き残る上で強力な力を発揮します。そして、この民主・資本主義は封建主義の弱点を克服し、大規模化に耐え得るという特性を身に付けたのです。

 封建主義社会では、権力が一部に集中する事によって社会が不安定になりましたが、民主・資本主義社会では、国民が政治家を選ぶ選挙制度によってそれが緩和されました。権力を独占しようとする者達は、選挙によって排除されてしまうからです。

 また、封建主義では大規模化する事によってどうしても弱くなってしまう統率力を、民主・資本主義では“統率という発想を捨てる”という大胆な方略で解決しました。個人の自由を認め、その自由な行動で自然と社会全体が調整される(需要と供給のバランスで市場が安定する市場原理が最も典型的ですが)という方法を執るようになったのです。これは自己組織化現象を社会が積極的に利用しているとも表現できます。

 この民主・資本主義は大変な威力を持っていて、急速に封建主義を圧倒し始めたのですが、初期のそれは様々な大きな問題点を抱えてもいました(今でも解決し切れてはいませんけどね)。そして、それに反発するような形で平等思想を掲げた共産主義という種が誕生したのです。

 ところが、この共産主義は“新種”と呼ぶには少しばかり未熟でした。理想や理念だけがあり、それを実現するだけの理論がなかったのです。モラルハザードという社会に甘えることで個人が努力しなくなるという致命的な問題点を解決する術すらありませんでした。平等思想を掲げている以外は、封建主義とそれほど変わらないとも言えるでしょう。そして、だからなのか、直ぐに衰退したり、或いは専制政治や独裁政治に堕していったりしてしまいました。

 ただし、では共産主義という“種”が完全に失敗だったかと言えばそれも違います。その発想の一部は、社会にセーフティーネット制度を用意する発想として、民主・資本主義に取り入れられ、生き残り続けています。そこにはやはりメリットばかりでなく、デメリットもありますが、それでも決して馬鹿にはできないでしょう。

 やがて、封建主義が戦争によって自滅していった事も手伝って、民主・資本主義は人間社会に生きる波的な生命の中で最も成功した種と言っても良いような存在になっていきました。しかも、恐らくは共産主義の発想を一部取り込んだからでもあるのでしょうが、格差が広がると懸念されていたのとは裏腹に、その発展と共に民主・資本主義社会はより平等になってすらいったのです。

 ただし、これは冷静に考えるのなら自明でもあります。供給量が充分な状態であるのなら、需要量が増える“平等な状態”というのは実体経済にとっては有利なのです。だから、モラルハザード問題さえ克服できれば、平等な社会というのは、実は発展し易いのです。

 ですが、この好ましい傾向は長くは続きませんでした。

 実体経済ではなく、金融経済の活発化に伴って富の集中化が……、つまり、格差の拡大が起こってしまったのです。実体経済の取引には平等化するという特性があるのに対し、金融経済の取引には富が一部に集中し易いという特性があるのですが、恐らくはそれが主な原因でしょう。もちろん、これは実力主義的傾向が強い社会でより顕著です。これにより、低所得層の人々の不満が強くなるのは言うまでもありません。

 更に同時期に平等思想のデメリットが再び顕在化し始めてしまいました。セーフティーネットが充実した社会に、救済を求めて労働スキルをあまり持たない人々が外の社会から大量に集まって来るようになってしまったのです。当然、そういった社会では負担が重くなっていってしまいます。ならば、負担を課せられた人々の不満が強くなるのも当然でしょう。

 そして、そこにいたって封建主義にとてもよく似ている波的な生命が、世界の様々な場所で蘇って来てしまったのです。なんと言っても、それは人という生物の縄張り本能に直結する波的な生命です。非常に生命力が強いのでしょう。それにより、多くの人々が、かつての戦争による失敗を忘れ、縄張り争いに拘り、排他的で、他の社会を敵視、或いは支配するべき対象として捉えるようになってしまいました。

 つまり、地球規模の環境破壊や資源の枯渇、それに対応する為に労働力や資源を活用しなければいけない時期に、それをしなければとんでもない事態に陥ってしまうかもしれない時期に、あろうことか、その貴重な労働力や資源を用いて、人間は再び戦争をし始めようとしているのです。

 しかも、近代兵器の破壊力は過去のものとは次元が違います。もし、全面戦争にでもなれば冗談でも誇張でもなく、本当に文明が崩壊してしまうかもしれません。

 戦争をしたがってる人間達が、その現実を把握しているとはとても思えませんが。

 

 ただし、そういった封建主義的な波的な生命に対しての反発も確かに観られます。一体、どんな波的な生命が勝つのか。その結果として、波的な生命が住まう場所である人間社会はどうなるのか。

 願わくば、より好ましい結末に至るようにと、小さな、とても小さな波的な生命であるこの小説を記してみました。

参考文献:

 遺伝子の社会 イタイ・ヤナイ+マルティン・レルヒャー NTT出版

 大不平等 ブランコ・ミラノヴィッチ みすず書房

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