4-11
初めて遥香を見た時には、少しだけ驚いた。
二年生になってすぐ、彼方が溜まり場に連れてきた少女は、特に奇抜な外見をしているわけでもなく。間違いなく美少女と呼ぶに相応しいが、桁外れというほどでもない。少なくとも、可乃と白羽で目の肥えていた俺が、一目で気圧されるほどではなかった。
驚いたのは、彼方が連れてきた、という事実。
中学の頃からの仲であった俺達の集まりに、新たに部外者を連れ込むような事をするのは、それが初めてだったから。
今日から、遥香も仲間に加えていいか、と聞いた彼方に、俺は勘ぐったものだ。望月遥香という少女は、彼方の彼女なのではないか、と。
実際、それが間違いだったかどうか、俺は今になっても確信がない。特別にそれらしい振る舞いこそ見せなかったものの、それこそ俺と可乃、白羽の関係と同じように、他人から見れば恋人に見えなくもないくらいには仲が良かったから。
初対面の遥香に対して、彼方はすでに俺達の紹介を済ませていたようで、その場で彼方が行ったのは、俺達へ向けての遥香の紹介だった。
その時の言葉は、今でも覚えている。彼方は、遥香を『天使か、あるいは悪魔みたいな子』だと言って、一人満足そうに笑ったのだ。
「天使、じゃないのか?」
声に出すと実に馬鹿げて聞こえる問いに、遥香は頬を緩めて笑みを浮かべた。
「実際、それは定義次第ですけど。私としては、天使っていうと善のイメージだから、神様の方がしっくり来ますね」
つまり、自分は善ではない。そう言いたいのだろうか。
「リビングの【無】。あれは、遥香のお父さん、お母さんの分です」
自らを名前で呼ぶような事を、普段の遥香はしない。そこには、特別な意味がある。
しかし、それより先に片付けるべき事があった。
「【無】は人を呑み込んでいる、って話は正しいのか」
「ああ、そこもでしたか。でも、やっぱり先輩は話が早くて助かります」
一説によれば、【無】は空間を呑み込んでいるのではなく、人を標的と定めた結果として、その周囲の空間が消えているのだという。空に、そして海にもほとんど【無】が存在しない事からの逆説的な推測は、遥香によればどうやら正しいらしい。
「それなら、遥香はその【無】ができる前からいたのか?」
「はい。むしろ、その前にしかいなかった、と言ってもいいくらいです」
問いに楽しそうな笑みを浮かべて返し、遥香は再びコーラを口に含む。
「望月遥香は、両親と一緒に【無】に呑まれました。その後、どうしてだか、その【無】から出てきたのが私、って事になります」
おそらくそれが、遥香の翼の生まれた原因。しかし、それだけでは無いだろう。
「遥香は、【無】の前の望月遥香と同一人物なのか?」
「……ちぇっ、わかってるなら、聞かないでくださいよ」
「確認くらいは、許してくれ」
俺が遥香と出会ったのは、彼方に引き会わされたのが初めてだ。そしてその時には、すでに遥香は【無】に呑まれた後だっただろう。『以前』の遥香を知らない以上、それは本人の口から聞くまで推測の域を出ない。
「記憶は、結構普通にあるんですよ。でも、それが自分の記憶って感じがしないんです」
「記憶喪失の逆、みたいな感じか」
「他人の中に入っちゃった、みたいな感じですかね」
それが、自らを『遥香』などと呼んでみた理由。自分のものではない記憶と身体を持って過ごす日々は、一体どのように感じられるものなのか。
「記憶は二つあるのか?」
「本当に、話が早いですね。やっぱり、先輩はすごいです」
驚くよりもどこか嬉しそうな顔を浮かべ、遥香が首を振る。
「記憶は一つ、望月遥香のものだけです。だから、羽はともかく、精神的なものに関しては、勘違いとか精神病の可能性もあるんですけど」
「それでも、【無】以前の遥香と、今の遥香は別人だと思ってる」
遥香が頷く。
「そう、彼方が言ったのか?」
「……もう、そこまで来ると怖いですよ」
「可乃に言わせれば、俺は彼方よりも話を読むのが上手いらしいからな」
単なる論理的帰結ではあるものの、今の俺は自分でも冴えていると思う。
「彼方さんに声を掛けられたのは、学校での事でした。それ以前の遥香は、彼方さんの名前くらいは知っていましたけど、直接知り合いではなかったと記憶しています」
手探りに言葉を選びながら、答え合わせは進む。
「だから、彼方さんはわかっていたんだと思います。私がこう……普通ではないという事を。おかしな話なんですけど、それも不思議だと思えなくて」
本当に、おかしな話だ。しかし、彼方には、たしかにそういった万能を当然と思わせる雰囲気があった。
「君は神だ、って、言ったんです。互いに協力し合おう、君は不自由なく生きていけるように――俺達は生きていけるように、って。それで、私は彼方さんと、先輩達の仲間になる事を決めました」
「……ああ、そうか」
遥香にしてみれば、特別に意識していなかったかもしれない。ただ、その何気なく口にした一言は、あまりに重かった。
「それと、多分これが一番大切な事なんですけど――」
「最後に一つ、聞いていいか?」
遥香の言葉に上書きするように、問いを重ねる。遥香の言おうとしている事は、今の俺には、ほぼ間違いなく推測が付いていたから。
「遥香は、俺の事をどう思ってる?」
聞きたい事なら、いくつもあった。ただ、一つと言ってしまった以上、この場では一番聞きたい事を聞くしかない。
その他の事は、また別の機会に聞けばいい。
「……志保は、偽悪者だ」
意図的に変えた声色、口調。つまりは、引用だ。
「第一印象の前、彼方さんから聞かされた、先輩の紹介はそうでした。その時の私には意味がわからなかったけど、それ以上は、いつかわかるって誤魔化されて」
偽悪者、つまり偽善者の反対。
偽善者という言葉にいい印象はないものの、その反対が良いものだとも思えない。悪に見られたい、なんていうのは、まるで何かを拗らせた思春期のようではないか。
「私に言わせれば、先輩は完璧主義者なんです」
遥香の言葉の意図がわからず、それでも口は挟まない。俺が問うたのは、もっと単純な事で。それを遥香もわかっていて、あえて遠回りをしていると信じる。
「先輩は十分に頭が良くて機転も効きます。運動もできて話も面白いし、それに、わかりづらいけど優しいです」
その他の事は、自惚れかもしれないが頷ける。だが、最後の言葉だけは違った。
「優しくは――」
「だから、偽悪者、なんて言われちゃうんですよ」
「……それは、違う」
遥香の言葉は理解できた。しかし、それでもやはり違う。
別に優しいと思われたくないわけではない。自分を正当に評価した上で、ただ俺は自分を善人でないと判断しているのだ。
「俺の優しさなんてのは、自分の為のものだ」
仮に外から見て優しさに見える俺の行動があったとしても、それは他人との関係性や世間体を気にした結果生まれた、利己的な理由によるものに過ぎない。現に、先程も、遥香が翼で男達を追い払わなければきっと――
「だから、完璧主義者だって言ったんです」
不意に、頭の後ろを掴まれる。そのまま引き寄せられた先、遥香の顔が向こうからもゆっくりと近付き、やがてその唇が頬に触れるのを、俺はただ受け入れていた。
「……ほら、振り払わなかったじゃないですか」
言葉が出ない。その事実とこれまでの話に、関係性が見い出せない。
「嫌だったら、そうしてた」
なんとか絞り出した声に、遥香はしてやったりという風に笑う。
「みんな、そんなものですよ。嫌な事は嫌だ、やりたい事をしたい。その結果として、どのくらい人を喜ばせられるかどうかが、優しさっていうものなんだと思います。自分より人の為に動けるなんて、そんな人は完璧すぎますよ」
反論できなかった。
遥香の言葉が本当に正しいのかどうか、俺にはわからない。だが、俺という主観から見た人間とは、自分の利益の為に行動する生き物だ。そうであるならば、遥香の結論こそが俺の理屈に適合する。優しい人間、善人だけは自分よりも他人を優先するなど、そんな例外がなぜ俺の中で答えとして収まっていたのか。
「……やっぱり、俺はそんなに頭が良くないみたいだ」
「そんな事は無いですよ。ただ、私が頭がいいだけです」
胸を張って誇ってみせる遥香に、自然と笑いが溢れる。
ああ、そうだ。俺は、なんて頭が良くて優しい友人達に囲まれていたのだろう。
「先輩も、可乃先輩も、白羽ちゃんも、それに彼方さんも。私はみんなが大好きです。私が人間でも神様でも、望月遥香でも、それだけは言い切れます!」
俺の問いに、遥香は完璧な表情と答えで返してくれた。




