4-5
「ねー、先輩」
俺の部屋のベッドの上で堂々と寝転がってマンガを読みながら、遥香が間延びした声を零す。
「どうした、帰るのか?」
「いえ、これを読破するまでは帰りませんけど」
「まだ一巻だろ、それ」
可乃と白羽も戻り、四人になって久しい溜まり場で日が暮れるまで過ごした後、遥香はマンガを借りる為、俺の家にまで着いてきていた。いくらマンガとは言え、十巻を超える長編を、この場で読み終えるのは厳しい。
「ねー、先輩」
「どうした、帰るのか?」
「これ、さっきもやりましたよね!? そんなに帰ってほしいんですか!?」
「わかったわかった、いいから続きを話せ」
天丼を楽しむのもいいが、これでは肝心の話が進まない。
「可乃先輩がいなくなって、寂しいですか?」
声の調子こそ変わらないものの、会話の内容が少しばかり真剣なものに変わる。
可乃が俺に告白し、そして結局その告白を取り消してからすぐ後に、可乃はこの家を出てホテル暮らしを始めた。
あくまで俺の家に泊まっていたのは一時的なもので、元々いずれ部屋を借りるつもりではあったのだろうが、もしも俺と可乃が付き合う事になっていたら、少なくともこのタイミングではまだ、可乃はこの家にいたかもしれない。
「寂しくはないな」
だが、それでも俺は現状を悔やんではいない。
あの結末はきっと最適で、下手にそれを捻じ曲げるべきだったとは思えない。
それに、元から俺は、一人が好きだ。可乃や遥香、白羽と過ごすのもいいが、自分の家でくらいは一人の時間があった方が安らげる。
「そうですか、ちぇっ」
「今の答えの何が気に入らないんだ?」
唐突に舌打ちをした遥香に、その理由がわからず問う。
「寂しいと言ったら、泊めてもらう口実になるんじゃないかと思ったので:
「なんだ、泊まりたかったのか。それなら、別に構わないぞ」
「いいんですか?」
「特に泊まって面白い場所だとも思わないけどな」
あえて口にはしないものの、先日に泊まった可乃の家と比べれば俺の家など本当に何もない。今は可乃の家の方が何もない、というのはあまりに笑えない冗談だが。
「それは、どのくらいの期間で? 年単位ですか、それとも一ヶ月単位?」
「その単位だと、泊まるというよりは住む、になるな」
「じゃあ、ここに住んでもいいですか?」
「……本気で言ってたのか」
「それはもう、本気ですとも」
てっきりいつもの軽口かと思いきや、どうやら俺の家に長期的に滞在したいというのは冗談ではないらしい。
「どうして、俺の家なんかに住みたいんだ?」
「先輩、女の子にそれを言わせるのは、野暮ってもんですよ」
「女の子とやらは、随分と便利なんだな」
鼻で笑い飛ばしてやると、照れたように笑っていた遥香が少しだけ真顔に戻る。
「まぁ、実際のところは、私の家がボロいからなんですけど。いい家に引っ越せる上に家賃も浮いて、そこに先輩もいるなら、私としては万々歳でしょう?」
「俺に聞かれても知らないけど。……まぁ、事情はなんとなくわかった」
遥香の生活環境、そして家庭事情については、直接目の辺りにした事も、整理して聞かされた事もない。
ただ、数多く交わした会話の断片から推測するに、遥香はおそらく一人暮らしだ。そしてその家は、遥香曰く相当に『ボロい』という。
「でも、やっぱりやめておきます。先輩に迷惑をかけてまで、という気はないですから」
「そんなに迷惑そうに見えたか?」
「全然そんな風には見えませんけど。でも、迷惑でしょう?」
遥香がこの家に住むのが迷惑かどうかと自分に問えば、実のところそんな事はない。
意外と律儀な遥香の事、おそらく家事くらいは進んで請け負うだろうし、生活費等も俺に負担をかけようとはしないはずだ。話し相手で遊び相手が同じ屋根の下にいる事も、悪い事ではない、むしろ良い事ですらあるかもしれない。
決して迷惑ではないのはたしかで、だが、その上で、やはり俺はどちらかと言えば一人で暮らしたいのも事実だった。デメリットがどうこう、というよりも、単純に自分以外の人間と生活を常に共にするというのが苦手なのだ。
「ああ、迷惑だな」
「ひどっ! そこは、嘘でも迷惑じゃない、って言ってくださいよ!」
遥香の問いには、冗談のように軽く返しておく。それで、この話は終わりだ。
何も、心情の全てを遥香に語る必要はない。なぜなら、きっと遥香は俺の心の内をほとんど見透かしていたのだから。




