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終末的日常論  作者: 杉下 徹
四章  類
42/54

4-3

 悠の言った通りに、翼どころか羽の一枚すらも無い、見慣れた【無】だけが残る目的地を一通り眺めた後、俺達は近場の喫茶店に腰を据えていた。

「じゃあ、翼が落ちてたっていうのは本当なのか」

「そうそう。なんか、画像とか出回ってるじゃん。あれ、合成とかじゃないんよ」

 悠が携帯を弄り、突きつけてきた画像は、俺の見たものとは違えど、写しているもの自体は同じ、【無】の周りを囲むように立つ二本の翼だった。

「本当は三本あったんだけど、上手く一枚に収まりきんなくって」

「自分で撮ったのか?」

「だって、普通撮らね? こんな事あったら」

「まぁ、撮るな」

 明らかな異常事態は気楽に画像に収められ、そして電脳世界を通して全世界に広められる。それを見て、はたして人々は何を思うのか。

「志保はさぁ、神とか信じてる?」

 話題の転換は、唐突で奇抜だった。しかし、その話題は以前にも行っている。

「信じてはいないけど、いないと信じてもいない」

「おぉ、面白い言い方。やっぱり、志保に声掛けて良かった」

「お前が声を掛けたのは、可乃やら女連中だろ」

「それを言うなよ。今日の話、今日の」

 軽く戯れ合うように言葉を交わし、悠は本題を進める。

「俺が言ってるのはさ、キリストがどうとかいうんじゃなくって、あの羽が何なのかって事でさ。天使の羽、とか言われてるから、天使がいるなら神もいるんじゃないかって」

 ここから先は、俺が、彼方が話した時には無かった展開だ。あの時、世界にはまだ白い羽の噂も、それにまつわる天使の逸話も存在していなかった。

「だとしても、神がいるとは言い切れないな。そもそも、あの羽が何かの一部だったとしても、それを天使と呼ぶかどうかは俺達が勝手に決める事だ」

 それでも、俺の結論は変わらない。

「まぁ、そうなるかぁ。たしかに、神が何でもできるとも限らないし」

「神がいたら、どうするんだ? 世界を救ってくれるように、祈りでも捧げるか?」

「まさか。わざわざそんな事しないって」

 言葉に違和感を感じたのも束の間、悠は更に続ける。

「俺はさぁ、世界が終わるって信じてるし、それでいいと思ってるんだよね」

「変わってるな」

「やっぱり、そうなのかねぇ」

 あっけらかんと笑う悠は、自殺願望があるようにも、何かに絶望しているようにも見えない。だからこそ、世界が終わってもいいと考える理由がわからない。

「働きたくないんだよね、俺」

「は?」

 あまりに軽すぎる理由に、口から間の抜けた音が漏れる。

「勉強したくないし、働きたくない。毎日朝早く起きるのも嫌だし、嫌いな奴なんかは顔も見たくない。馬鹿な教師に説教されるのなんて、最悪じゃん」

「……ああ、そうか」

 並べ立てられるのは、子供の我儘。しかしそれゆえに、誰もが頷けるもので。

「でも、世界が終わるなら、そんな心配は要らない。今はまだだけど、多分もう少しすれば、働くとかそういう事言ってる場合じゃなくなるし」

 今の社会は、このまま行けば、おそらくそう長くは続かない。まだ視界のほんの一部を【無】が占めているだけの今ですら、犯罪率が数倍にも数十倍にもなったと言われているのだ。後はほんのきっかけだけで、世界の終わりは可能性でなく未来に置き換わる。そしてそうなれば、まともに労働を行おうとする者は激減するだろう。

「世界が終わるんじゃなきゃ、多分、俺も志保もこんなとこで油売ってらんないと思うんだよね。先が無いからこその自由、っていうかさ」

 悠の言いたい事は理解できた。

 未来が無いからこそ、考えないからこその自由。その結果として、たしかに『今』は恵まれたものとなっているかもしれない。

「それなら、世界が終わらなくても今みたいに過ごせばいい」

 だが、悠の考え方に納得はできない。

「今が自由なのは、世界が終わるから、先を考えなくていいからだ。それなら、世界が終わらなくても、先を捨てて、考えなければ今と同じように自由でいられる」

 そう、俺達は、失われた未来の分の幸福を必死に取り戻そうとしているだけなのだから。

「世界が終わるから自由なんじゃない。元から自由な中で、未来の事を考えて生きる選択肢が無くなっただけなんだよ」

 久しぶりに、語った気がした。そして、そんな自分を少し恥じた。

 相手は彼方ではないのだ。なぜか話しやすい空気感こそあるものの、ほとんど赤の他人を相手に、気持ち良く語り聞かせるのはいかがなものか。

「……なるほど、そういう事だったんだな」

 しかし俺の懸念を余所に、悠は何やら感慨深げに頷いていた。

「志保は、多分トモと同じなんだな。あいつ、口下手だから何言ってるのかわかんなかったけど、今のでなんとなくわかった気がする」

 悠の中での疑問の解決は、当事者でない俺には何の事やらわからない。

「でも、やっぱり俺は世界が終わってくれた方がいいな」

 やがて自分の中で一段落付いたのか、顔を上げてこちらを見た悠は、ムキになった様子でもなく、噛みしめるようにそう言った。

「みんながまともじゃなくなった世界の方が、多分俺には生きやすいから」

「そうか」

 相変わらず納得はできないものの、これ以上悠に文句を付けるつもりはない。

 人と人とは違って当然だ。それを捻じ曲げる事は、とうに諦めた。論理的に間違っているという事はあっても、感情の領域に間違いは存在しない。

「志保、怒った?」

「そんな風に見えたか?」

「わかんね。ただ、妹に同じ事言ったら、なんか怒ってたから」

「怒ってないよ」

 悠の感性は、きっと異常だ。だが、それは俺にとって不快な異常ではないから。

「悠とは、仲良くできそうだ」

 種類は違えど、この感情はどこか彼方に抱いたものと似ていた。

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