1-3
昨日と言う日は、何か特別な日というわけではなかった。
俺が昼過ぎにようやく学校に着いた事も、彼方が放課後になってすぐに溜まり場である旧応接室に現れた事も、それに少し遅れて皆が集合した事も、全くいつもと同じとは言わないまでも、よくある月曜日の一日といった括りから外れた特別な事は無かった。
そして、話を聞く限りでは白羽にとっての昨日もそうであったらしい。
俺達と別れた後、彼方と白羽は二人で家に帰り、二人で夕食を作り、食べ、そして彼方は出掛け、そのまま消えた。朝、起きて白羽が学校に行くまでの短い時間も含め、彼方の言動や行動、様子すらも普段のそれと変わりは無かったという。
もちろん、彼方ならば表面上取り繕う事くらい可能だろうが、自ら姿を消そうと考えていたのであれば、実の妹である白羽を含めた俺達の全員に黙っているとも思えない。暫定ではあるが、彼方は能動的ではなく受動的な形で行方不明になったと考える事にする。
「一応、俺からも連絡してみるか」
携帯をポケットから引き摺り出し、彼方へと通話を試みる。あまり期待はしていなかったが、延々鳴り続けるコール音に、連絡を寄越せとメッセージだけを送っておく。
「……やっぱり、駄目?」
「ああ、出ないな」
事実を告げれば白羽の顔が歪むのはわかっていたが、くだらない嘘を吐いても仕方ない。
「彼方が家に帰らないのは、珍しいのか?」
「珍しい、ってほどではないけど。ただ、そういう時はいつも連絡してくれるから……」
大人しくはなったものの、白羽の様子は落ち着いたというよりも落ち込んでいるという方が近い。
「まぁ、心配するな。彼方が下手を踏むところなんて見た事あるか?」
頭を撫でながらの慰めの言葉は、口にしながら微妙だと感じた。俺よりもずっと長い時間を共にしてきた兄妹、妹の白羽ならば兄の失敗を目にした事くらいあるだろう。
「……うん、そうだね。お兄ちゃんなら大丈夫だよね」
しかし、白羽は力が抜けたように呟き、俺に頭を預けてきた。肉親にすらここまで信頼されているとは、流石に彼方は違う。
「そこ、人が働いてる間に乳繰り合わない」
「そ、そういうのじゃないもん」
電話が終わったらしく、こちらに向かってくる可乃の言葉を受けて白羽が顔を赤くする。
「それで、どうだった?」
「今のところは、ダメね。まぁ、どこかしらで出てくるでしょ」
可乃の家は、いわゆる金持ちだ。両親の正確な職業は可乃自身にもわかっていないという事だが、顔が広いのはたしかで、知り合いを辿っていけば結構な数になる。今も可乃の家から知人へ、更にその知人へと彼方の目撃情報を探らせているのだろう。
「だから、そんなに落ち込まないの。ほら、手、退けて」
「……わっ、可乃ちゃん?」
白羽を慰めるため、頭を撫でる可乃の手は照れ隠しなのか少しばかり雑だった。
「二人で一緒に白羽ちゃんを撫でて、家族ごっこですか?」
可乃に続いて、今度は遥香が手を止めて声を掛けてくる。
「だ、誰と誰が夫婦に見えるのよ! って言うか、志保が手、退けないから!」
「元々俺が撫でてたんだ。白羽の頭の所有権は俺にある」
「ちょっと、あっ、私の頭の上で争わないでぇ」
無理矢理俺の手を退かそうとした可乃の手により、白羽の頭が前後に揺れる。
「むぅ、白羽ちゃんだけじゃなくて、頑張った私の頭も撫でてくださいよ」
「頑張った、って事は、終わったのか。どうだった?」
「徒歩で行こうと思える範囲には、1つだけ。自転車や電車を考慮するとかなり範囲は広がりますが、常識的な行動範囲の中だと4つほどです」
「4、か……」
遥香の方に寄り、ノートパソコンを覗き込むと、地図にいくつかの黒点、そして赤い線が円を形作っていた。この円の中が、遥香の言う行動範囲なのだろう。地図にある地名と見比べてみると、おおよそ妥当に思える。
「どうする、白羽? これから行くか?」
「あっ、先輩! ちょっと、頭、撫でて!」
地図を携帯の写真に収めて、白羽へと向き直る。遥香の言葉は気にしない。
「ん……いや、放課後でいいよ。みんなに迷惑掛けたくないし」
未だに可乃の手の平の下で、白羽は力無く笑った。
「迷惑な事なんて無い。彼方の事が気になるのはみんな同じだろ」
他人の考えについて断言するのは好きではないが、ここで異論を挟まれるようなら、そちらの方が問題だ。
「そうそう、白羽ちゃんは気にしすぎだって。どうせ教室に戻る気もなかったし、私は全然大丈夫だよ」
撫でられるのは諦めたのか、逆に白羽の頭を撫でながら遥香が明るく笑う。
「でも、可乃ちゃんは真面目だし、委員長だし……」
「委員長って、保健委員長でしょうが。あれだって、押し付けられただけだし」
即答の無かった可乃は、白羽に上目遣いで見られて息を吐く。
「……別にいいわよ。一回くらい授業休んだって、そんなに困るわけでもないから」
「本当に? いいの?」
「いいのっ。ほら、行くわよ」
渋々立ち上がった、と見せているつもりだろうが、可乃だって彼方が、そして白羽が心配なはずだ。あえて指摘すると反発されるので、黙って後ろに着いていく。
「ありがとう、みんなっ!」
今日初めての白羽の笑みに感化されるように、笑い合いながら部屋を出た一行は、何も知らない他人からは、何か良い事があったかのようにも見えたかもしれない。