3-13
「……志保は、私に顔を出してほしいの?」
俺の問いに対して、少しの間を置いた後、白羽は答えではなく別の問いを返した。
「ああ、そうだな」
間を空けず、即座に返す。
「どうして?」
「どうして、か。……どうしてだろうな」
自分の感情を完全に言葉に変換するのは難しい。少なくとも、俺には不可能だ。
「あの集まりが好きだから、かな」
それでも絞り出した理由は、完全でなくとも真実には違いない。
「集まりって、何?」
だが、続いた言葉には、明確な答えがありながらそれを返す事ができない。
俺、白羽、可乃、遥香、そして彼方により構成される友人の集団。その答えでは、白羽を納得させられない事に気付いたから。
「私も、好きだった。みんなと過ごすのは好きだったよ」
会話の流れは、すでに白羽に握られていた。
「ねぇ、志保。お兄ちゃんは、消えちゃったのかな? もう、戻って来ないのかな?」
「それは……」
彼方が行方不明になって、すでに一週間と数日が過ぎた。それだけの期間、連絡の一つも付かず、目撃情報の一つも無い人間が、いまだ【無】に呑まれずこの世界にいると考えるのは甘すぎる楽観に違いない。
それでも、俺はまだ理屈でない直感のような部分で、彼方は【無】に呑まれてなどいないのではないかと思っていた。しかし、この状況でそんな事を口にしたところで、下手な慰めにすらならない。むしろ白羽の感情を逆撫でするだけだろう。
「私は、まだお兄ちゃんは消えてなんかいない、もしかしたらどこかにいるんじゃないかって、そんな風に思っちゃってるんだよね」
しかし、どうやら白羽も俺と同じ思いだったらしい。こんな事なら先に口にしておくんだった、と悔やむも、今更同意するのでは遅すぎる。
「馬鹿だよね。そんなわけないってわかってるのに、諦められないんだ。みんなと一緒にいると、いつの間にか目でお兄ちゃんを探してて、その後にいつも気付くの」
「馬鹿なんかじゃない。……俺だって、同じだから」
自分を卑下する白羽を見ているのに耐えられなくなって、遅すぎる同意を零す。それが同情にしか聞こえないとわかっていても、そうするしかなかった。
「辛いんだ、みんなと一緒にいるのが。お兄ちゃんがいない事を見せつけられてるみたいで、次は可乃ちゃんが、遥香ちゃんが、志保が消えちゃうのかと思うと不安で」
目を伏せた白羽の言葉に、今はすでに別れた母親の言葉を思い出す。
母もまた、白羽と同じで身の周りの親しい人間、俺や父が消えてしまう事を、そしてそれに取り残される事を恐れていた。
あの時は家族と別れる為、そのまま受け入れた言葉を、今は白羽と同じ時間を過ごす為に説き伏せる。そんな自己中心的な自分の思考を、俺は肯定しているから。
「白羽、人は、いつか死ぬんだ」
小さな呟きを聞き逃さず、白羽が顔を上げて俺の目を見る。
この会話は、考えたくない事柄の塊だ。楽しさなど欠片も無く、問題を解決する建設的な意見が出る事も期待できない。それでも、そんな苦行を踏み越えるからには、例えどれほど厳しい事を言おうと、何かを得るしかない。そうでなくては意味が無い。
「【無】なんてものが無くても、世界が終わらなくても、人はいつか死ぬ。だから、例え誰が死んでも、誰が消えても、俺達は自分が生きている時間を楽しむしかないんだよ」
俺は、死が怖い。
その事に気付いたのは、まだ年を二桁重ねるよりも前の事。ふと、眠りにつけない夜に死について考えてしまった時から、自分の存在が消えるという未知の現象の恐ろしさに追われる日々が始まった。
それからは、考えないように、思い出さないように過ごしていても、ふとした時に死についての思考を始めてしまうようになった。そして、そんな事が、今になってもまだ無くなる気配すら見せない。
思えば、死について考えるようになった事こそが、今の俺という人格の始まりだったのかもしれない。自分本位な性質も、自分が他人より優れていると思い込むようになったのも、元を辿ればその影響が大きい。
人間は必ず死ぬ。にもかかわらず、あまりに死について鈍い。【無】が発生してやっと慌て始めるくらいなら、なぜ確実に訪れるとわかっている死へ対抗する努力をしていなかったのか。【無】は、人がいずれ死ぬという事をわかりやすく具現化した存在に過ぎないというのに。そんな死への考えの甘さが、俺が他人を見下す理由の一つだから。
そして、そうでありながら、俺は死生観を他人に語って優越感を得ようとする事はなかった。哲学めいたやり取りを楽しむ彼方が相手であっても、それは同じで。
人は死について考えるべきではない。それを知っているからこそ、俺の恐怖を他人に共有させる事は、これまでしてこなかったのだ。
「……志保も、お兄ちゃんと同じ事言うんだね」
ぽつり、と白羽が空虚な呟きを漏らす。
彼方もやはり、死について考えた事があったのだろう。そして、出した答えが俺と同じであった事を、状況を考えずに喜んでしまう自分がいる。
「私にはわかんないよ。可乃ちゃんの家が、お兄ちゃんが、みんなが消えちゃうかもしれないのが当然だなんて。楽しい事を考えるなんて、できないよ!」
白羽の叫びは、どこまでも純粋だった。
きっと、人は本来こうあるべきなのだろう。自分を誤魔化さず、余計な事など考える事もなく、ただ目の前の世界だけを見て生きられるのが理想に違いない。だが、それをするにはこの世界はあまりに厳しすぎた。
「わからなくてもいい、考えなくていいんだ」
白羽には優しく、そして正しい世界が必要だ。後者は限りなく不可能であっても、せめて前者だけは出来る限り叶えてやりたい。
「俺は消えない。誰を、白羽を犠牲にしてでも、最後まで生き残る。誰が消えても、悲しむよりも楽しんでやる」
それは。意味の無い決意だ。だからこそ、胸を張って宣言する。
「だから、一緒にいよう。せめて白羽が消えるまでは、傍にいてやるから」
「……ずるいよ、志保は」
白羽の瞳から涙が溢れる。それは瞬く間に嗚咽に変わり、やがて号泣に達すると、細く白い腕が意外な力強さで俺の足を縋りつくように締め付けた。




