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終末的日常論  作者: 杉下 徹
三章  刹
28/54

2-3

昔から、人に弱みを見せるのが嫌いだった。

 それは隙を晒す事への警戒というよりは、もっと感情的なもので。更に言えば、俺は慰められたり同情されたりといった、哀れみの類を受けるのが嫌いなのだ。

 同情なんてものは、要するに見下しているのと変わりない。慈愛だなんだと綺麗に取り繕ってみても、弱みを晒した者に対してそうでない者は、どうしても優越感と自分がそうでなくて良かったという安堵を感じるに決まっている。だから、俺は愚痴を吐かない。吐く奴の気持ちもわからない。

 何かの弾みでそんな事を言い切った俺に、彼方はいたく感心した様子で。

 志保は本当に人の汚い部分について良くわかってるね、なんて事を言った。

 きっと、それは素晴らしい事なんかじゃなくて。愚痴を吐いて少しでも自分の中の靄が晴れる者とそうでない者では、前者の方が得であるのは間違いない。でも、彼方を感心させたという事だけで、俺は割と満足してしまっていた。

 愚痴を吐きたい。

 ふと、そう思ってしまった事は、だから俺にとってはかなり意外で。

 思えば、現状があまりに息苦しかったのだろう。今までの俺は、他人の目を気にする余裕を失うほど切羽詰まっていなかっただけで、本当に追い詰められた時、人はただ自分の鬱憤を晴らす事だけを考えて愚痴を吐けるのかもしれない。

 ただ、実際に愚痴を吐く相手となると、全くと言っていいほど心当たりがなかった。

 別に相手が賢い必要は無い。解決策を求めているわけではないし、そもそも彼方を除けば、心から俺よりも賢いと思える者にお目に掛かった事もない。ただ、俺の愚痴を余計な事を言わず聞いてくれる相手であればいいのだ。

 とは言え、愚痴の内容が俺達、白羽、可乃、遥香、そして彼方と俺で形作っていた集団についてである以上、その内の誰かが相手では意味がない。それは愚痴というよりも相談でしかなく、例え愚痴として吐けるとしても、親しすぎる相手に弱みを見せたくないという程度の矜持はまだ残っている。

 ただ、そこを除いてしまうと、俺に残された人間関係なんてものは、ほぼ存在しないに等しい。旧友を呼び出して愚痴を吐くのは下らないし、それほど親しくない顔見知りではそもそも聞いてもくれないだろう。ネットの知人や掲示板に書き込むなんてのも、あまりに馬鹿らしい。教師やカウンセラーなどもってのほかだ。

「やっぱり、向いてないか」

 愚痴を吐ける人というのは、俺が否定した選択肢のどこかで肯定できるに違いない。俺の場合は、愚痴を吐きたいと思っても、それ以外の感情が押し潰してしまう。

「……いた」

 諦めようかとしたその時、頭の片隅になんとか残っていた、その程度の存在の他人の事をふと思い出した。

 ポケットを探る。

 無い。

 鞄の底を掬うも、同じく無い。部屋を見渡しても、それらしいものは無い。

「まぁ、そうだろうな」

 ボウリング場で出会った他人、『悠』とかいうナンパ男の片割れに渡された紙片は、ここ数日の間にどこかへ消えてしまっていた。特に大切に保管していたわけでもないのだから、そうなるのは妥当なところで。

「……ふぅ」

 結局、愚痴なんて吐くべきではないのだろう。

 そう諦めてしまうと、何となくそれだけで少し気分が晴れた気になった。

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