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終末的日常論  作者: 杉下 徹
三章  刹
27/54

3-2

「今日も、遥香だけか」

「そうみたいですね。ご不満なら、少し前に戻って選択肢を選び直してみては?」

「たしかに、やっぱり満足ではないな」

 顔をしかめる遥香に笑いかけ、椅子に深く腰を下ろす。

「現状に不満を訴えているだけでは何も変わらない、ですよ」

「この世界の全ての問題は時間が解決してくれる、らしい」

 それらしい事を言い合い、互いに小さく笑う。彼方と俺を除けば、俺達の中でこういったやり取りを最も好むのは遥香だった。

「でも、この世界には全ての問題を解決するほど時間が残ってるんですかね?」

「残り時間がゼロになったら、問答無用で万事解決じゃないか」

「なるほど。でも、それはまた、随分と乱暴な解決ですね」

 もしもこのまま世界が終わるのならば、その終わった先に存在するのはただ【無】のみだ。問題を提起する人間も、その解決を望む人間も存在しない世界には、問題など存在しようがない。

「可乃先輩は、今日も学校に来てないんですか?」

「多分、な。少なくとも、俺が家を出る時はまだ部屋にいた」

 家と両親を同時に失った日から、可乃は俺の家を仮の住処としていた。幸いにも、とは流石に言えないが、可乃の両親が銀行口座等に預けていた多額の資産は問題なく可乃へと引き継がれる事となったようだが、その金でホテルの類に泊まる事や親戚の家に引き取られる事もなく、可乃は今もただ俺の家の一室、かつて俺の両親のものであった部屋で半ば死んだように過ごしている。

「白羽は?」

「白羽ちゃんは、授業は受けてましたよ。話もしました」

「そうか……」

 白羽がこの場所、いつもの溜まり場であった旧応接室に顔を出さなくなったのは、可乃の家が【無】に呑み込まれてから少し経った頃だった。

 可乃とは違い、学校には普通に通っているものの、俺が白羽と顔を合わせる事はかなり少なくなった。その為、白羽の心境にどんな変化があったのか今一つ計りきれずいる。

 あえて推測するなら、俺達五人からなる集団の、その内二人もが欠けていると状況から目を逸らしたい逃避願望、あるいは可乃の家と両親の喪失をたしかな現実として目の当たりにした事で、彼方の喪失を一際強く受け止め直したゆえの落胆が原因だろうか。

「遥香は、どうしてここに来てるんだ?」

 単純な引き算の結果、今もこうしてこの場所に集まるのは俺と遥香の二人だけになってしまった。既に楽しい集団は形を崩し、遥香にしてみれば、俺という個人に会いに来ているのとほぼ同義。

「先輩と同じ、って言ったらずるいですかね?」

「俺の考えを当てた上でなら、ずるくはないな」

「ですよねぇ」

 遥香が降参というように両手を掲げる。

「まぁ、単純な話ですよ。先輩と話してるだけでも、家に帰るよりは楽しいですから」

「それなら良かった」

 未練と期待に引かれてこの場に足を運んでいるのだとしたら、それはあまり良い傾向だとは思えない。そのままの意味で受け取るのなら、遥香の言葉は理想に近い。

「前から思ってたんですけど、先輩はなんで学校に来てるんです?」

「なんで今ここに来てるか、じゃないのか」

「だって、それは私と同じでしょう?」

 自らを指さし口元を緩める遥香にも、特に反論は返さない。

「学校に来てるのは、その方が授業をさぼってる自由の実感が沸くからだな」

「……えーっ、意外にしょうもない」

「それと、ここの屋上が好きなんだよ」

 家のベランダや屋根の上では、快適に過ごせるほどの広さはない。空が見える手頃な場所と言えば、俺にはこの学校の屋上しかないのだ。

「空を飛びたい、とか思いますか?」

「そういうわけではない……いや、やっぱり飛びたいかもな」

 俺が空に、その青さに感じているのは救いだ。だから、もしも空を飛ぶなんて事が出来たなら、【無】によって終わった後の世界の上で、俺だけは生きていられるのかもしれないと妄想してしまった。

「羽、か」

「私も、ちょうどそれを想像してました」

 駅前と、そして可乃の家だった場所で拾った白い羽。俺がそれを発見したのとほぼ同時に、世界もまたその存在に気付いていた。

【無】の周囲には、新雪のように真白な羽が落ちている事がある。そんな噂は、【無】が世界を終わらせるというものよりは少しだけ小規模に、それでも社会と関わりを持っていれば誰でも知っているくらい、瞬く間に世界中に広まっていた。

 曰く、【無】の規模が大きければ大きいほど、羽が生まれる可能性、その数や大きさも増す。曰く、その羽は天使の羽である。また曰く、その天使こそが世界を終わらせようとしている、あるいは救おうとしている。

 噂から派生した噂は後を絶たず、どれがどの程度信憑性があるのか、それともどれも信憑性が無いのか、希望と諦観と面白半分が入り混じった一種の混沌のようになっていた。

「空を飛べるよりも、天使が世界を救ってくれる方が嬉しいな」

 あまりに夢見が過ぎた呟きに、遥香はやはり苦笑を零した。


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