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終末的日常論  作者: 杉下 徹
三章  刹
26/54

3-1

 辛い時に昔の事を思い出せる者は、きっと幸せなのだ。

 どういう脈絡で、彼方がそんな事を言ったのかはよく覚えていない。ただ、それに俺が頷いた事は覚えている。

 彼方のそういった言葉は大体が俺にとって賛同できるもので、ただ同時に自分では考えつかないであろうものが多かった。

 辛い時、昔の事を思い出すのは、幸せな過去があったから。幸せな未来を思い浮かべるしかない者には、きっとそれすらも無いのだろう。

 彼方が口にし、俺が頷いたはずの言葉に、しかし今は素直に頷けない。

 まさに今、過去を思い出している自分が、幸せであると素直に思う事はできなかった。


 初めて可乃に出会ったのは、中学に入って少し経った時の事だった。

 面と向かって語った事は無いが、可愛い、とそう思ったのを覚えている。ただ、それは一目惚れだとかそういうものではなく、例えばアイドルグループの中で好みを一人指差すような、そういう類のフラットな容姿への評価だった。

 だから、何か特別な事が起こるわけでもなく、あの時までの彼方と同じように、あるいは、クラスも違った可乃はそれ以上に、俺にとっては他人でしかなかった。

「あなた、下ノ瀬の友達でしょ?」

 可乃から俺への、記憶にある中で最初の言葉はそれだった。

 もしかしたら、『あなた』ではなく、呼び方は『天川』か『天川くん』だったかもしれない。『ねぇ』が前に付いていたかもしれないし、その頃には二年生になり、同じクラスになっていた俺達は、それ以前にも何度か会話に満たないやり取りを交わしていたかもしれない。何にせよ、重要なのは、その時の可乃にとって俺の認識は『下ノ瀬彼方の友達』だったという事、そして、俺がそう記憶しているという事だ。

 敗北感があったかもしれない。まだ親しくなったばかりの彼方と友達であると、そう思われていた事に驚いたかもしれない。それを喜んだかもしれないし、喜んでいる自分を悔しく思ったかもしれない。

「俺が彼方の友達なら、お前は誰の友達なんだ?」

 様々な感情が折り重なった末、俺の口から出たのはそんな言葉で。

「……っ」

 おそらくは想像していなかったであろう返しに、可乃はしばし呆けた面を晒し、そして何かを恥じるように顔を逸らした。

 あの時、『下ノ瀬の友達』である俺に可乃は何を伝えたかったのだろう。少し前に思い至っていれば気軽に問う事ができたであろう疑問は、今の状況ではそうもいかない。

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