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終末的日常論  作者: 杉下 徹
二章  無
25/54

2-10

 結局、自分の身に降り掛からない限り、あらゆる状況は想像の域を出ない。

 そして、仮に自分の身に降り掛かったとしても、やはり同じような状況にある他人の心情なんてものは想像してみるしかないのだ。

 そんな事を言ったのは、やはり彼方で、しかし珍しい事にそれは俺に対しての言葉ではなかった。

 相手は白羽かもしれないし、遥香かもしれないし、可乃かもしれない。あるいは南雲だったり、他の誰かだった可能性もある。ただ、俺には彼方がその言葉を口にするのを、第三者として傍観していたという記憶だけがあった。

 彼方は、良く俺にそんな類の事を言って聞かせていた。逆もまた然りで、それに対して互いの反応は、頷いたり、あるいは反論したりといった具合で。

 それは、何と言うか俺達にとってはただの雑談であり、哲学を表面で撫でて遊ぶようなやり取りが二人共に案外に好きだったのだ。

 でも、あの時の彼方の口調は、俺と駄弁っている時とは違って真剣で。俺はその理由をわからないまま、なんとなく滑稽な気分に浸っていた。


 今日という日は、いつも通りの日常の地続きであるはずだった。

 目を覚まして最初に目にしたのが見慣れない天井であった事、やけに高級そうな朝食が用意されており、普段は朝食を取らない俺もそれを口にした事、そして何よりも彼方がいない事など、普段との違いこそあれど、それらは『日常の中の特別』としてのもので、大本の日常はそこそこ揺るぎなく保たれていると思っていた。

 ただ、その時が訪れるのは一瞬なのだ。いや、あるいはすでに訪れていたのか。そんな簡単な事すら、俺はこの期に及んでまだ、理解したつもりになっているだけだった。

「今日はどうしましょう、何かやりたい事ありますか?」

 放課後、集まった俺達にまずそう問いかけたのは遥香だった。

「うーん……特に無いかなぁ」

 少し疲れたように応じたのは、白羽で。

 おそらくは、遊び疲れていたのだろう。結局、昨日は遅くまで夜更かしをしていたわけで、その後に真面目に授業など受ければ疲れるのも仕方ない。

「じゃあ、とりあえず今日は解散にしますか。可乃先輩もいないみたいですし」

 だから可乃がこの場にいなかったのも、疲れから早退したか、もしくはただ家まで直帰しただけだと思っていた。別に集合は強制では無いのだから、そんな事だってある。

「うん、そうしよっか」

 目を擦り、立ち上がった白羽が背中で俺を待つ。

「……ん、ああ、少し待っててくれ。携帯を屋上に忘れたみたいだ、取ってくる」

 そこでちょうど、ポケットに携帯電話が無い事に気付いた。可乃の家に忘れたか、とも一瞬頭に過ぎったが、屋上で一度弄っていた事を思い出す。

 着いて来ようかと迷っていた白羽は遥香に絡まれ、それを尻目に俺は一人屋上に向かう。

「……おい」

 屋上の扉を開け、まず目に着いたのは誰かの背中だった。

 落下防止の柵のすぐ手前、どこか遠くを眺めているような背中は、そのまま飛び降り自殺の志願者を連想させる。

「志保……」

 その人影が振り向き、目に入った見慣れた顔に、一度安心しかけて、しかし次の瞬間にはその安堵は深刻な不安へと反転した。

「可乃、か。どうした? 今日は解散になったけど」

 紛れも無く、その少女は可乃だった。

 ただ、同時に、勝ち気で冷静な普段の表情は跡形もなく、無表情の上に薄っぺらな、狂人のような笑みを貼り付けたその顔は、今まで見た事の無い少女の顔でもあった。

「志保、ここから何が見える?」

 俺の言葉を無視、それどころか聞こえていないかのように、可乃が平らな声で問う。

「街、空、もしくはその両方」

 これが望んでいる答えでない事はわかっていた。

 悪い予感は、すでにあったのだ。望んでいる答えなんてものが最初から無い事すら、わかっていたのかもしれない。

「ここからは、私の家が見えるのよ」

 言いたい事、あるいは言いたくない事だけを言って、可乃が指をさす。

「……あぁ」

 指先を追わずとも、視界はそれを中に捉えていた。

 可乃の家は豪邸だった。だから、昨日まで無かった、それを覆い尽くすほどの黒色が風景を塗り潰していれば、一目で異常に気付いてしまう。

「どう、見えた?」

「…………」

 望んだ答えなど、あるわけがない。返せるわけがない。

「……ねぇ、私、どうすればいいのかな?」

 怒りではない、悲しみでもない。

 ただ力の抜けきった空虚な声を耳に、俺もまた同じ事を思っていた。

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