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「私、抱き枕が無いと寝れないんですよね」
寝室として用意された、だだっ広い一室で一通り枕投げに興じた後、遥香が思い出したようにそんな事を口にした。
「枕なら、ここにいくらでもあるじゃない」
居場所を寝室に移してから、俺達が枕投げに使った枕の数は、実に二十を軽く超えていた。可乃曰く宿泊者用という事だが、それにしてもいささか多すぎるようにも思える。
「これはただの枕です。私は、抱き枕が欲しいんですよ!」
「そう言われても、それっぽいのは多分無いわよ」
妙なこだわりを見せる遥香に、可乃は困ったように首を傾げる。
「ぬいぐるみとかどうかな? 可乃ちゃんの部屋にちょうど良さそうなのがあったけど」
「ああ、あれなら、貸してあげてもいいわよ」
「うーん……それより、白羽ちゃんを抱いて寝た方が気持ち良さそうかな」
「わ、私!? 別に、いいけど……」
「わーい! へっへっへ、今夜は寝かせないぜぇ」
白羽の許可を得て、遥香が勢い良く抱きついていく。仲睦まじい事は良い事だ。
「じゃあ、俺は可乃を抱いて寝るか」
「いや、無いから。ありえないから」
「そうだな、たしかに言われてみれば可乃を抱いて寝るなんてありえないな」
「……なんか、それはそれでムカつくんだけど」
こちらも適当にじゃれ合っていると、ふいに白羽が大きな欠伸を漏らした。
「ふぁぁ、ちょっと眠くなってきちゃったかも」
「えーっ、ダメだよ、白羽ちゃん。お泊り会の楽しいのはこれからなんだから」
「これからって、何するつもり?」
「それはもう、恋バナに決まってますとも。お泊り会と言えば、布団の中で恋バナ!」
一人張り切った様子の遥香に、しかし可乃は冷たい目を向ける。
「恋バナって言っても……ねぇ」
「遥香ちゃんは、好きな人とかいるの?」
「うーん……私は、そもそも彼方さんと先輩くらいしか男の人の知り合いがいませんから」
「でしょ。ここにいるのはみんな、そんな感じだから」
放課後は毎日のように集まっているのが俺達という集団であり、そんな中では異性との出会いなんてものもほとんど無い。一応女性陣は学校に通っている以上、クラスメイトとのやり取りくらいはあるだろうが、それも大したものではないらしい。
「でも、白羽ちゃんも可乃先輩もかわいいですし、告白された事とかあるでしょう? 私はそういう話が聞きたいんですよ!」
「全然そんな事無いよ。私、一度もそういうの無いし」
「えっ!? そんなわけ無いでしょう、こーんなにかわいいのに!」
すでに抱き枕のように白羽を腕の中に収めた遥香が、両手で雑に白羽の頭を撫で回す。
「白羽は、ほら、彼方の妹だし、志保もいたから男が寄って来なかったのよ」
「あー……なるほど」
「いや、彼方はともかく、俺は関係無いだろ」
あえて自己主張せずともとにかく目立つ存在だった彼方、その妹という肩書きが白羽から悪い虫を払っていた事は否定できないが、その彼方の友人であるところの俺は、存在感としても立ち位置としても白羽の恋愛に影響を及ぼすようなものではないはずだ。
「何言ってんの。むしろ、あんたの方が関係あるわよ。中学の時なんか、ほとんどみんな志保と白羽が付き合ってるって信じてたんだから」
「ええっ!? そんな、ちゃんと違うって言ってたのに」
「……ああ、道理で。俺も誰からも告白されないと思った」
可乃が冗談を言っているのかとも思ったが、白羽の反応からするにどうやらあながち間違いではないらしい。白羽と俺の関係は、たしかに傍からはそう見えてもおかしくない。
「それで、結局二人は付き合ってたんですか?」
「見ればわかるだろう、そんなわけ無いって」
「いやいやいや、ぱっと見だと、むしろ付き合ってるように見えますって。下手なカップルなんかより、全然仲良さそうですし」
「それはお前や可乃も同じだろ。仲がいいのと、付き合うのは別だ」
「……んー、私はまぁともかく、先輩と可乃先輩も付き合っててもおかしくないと思いますけどね」
難しい顔をしてみせる遥香の言葉も、間違ってはいないのだろう。
ただ、外からどう見えようとも、俺達はあくまで友人であって恋人ではなく、そうであった事もないというのが事実だ。
「でも、あれですよね。さっきの感じだと、可乃先輩は告白された事あるんですよね」
「あるか無いかと言えば、たしかにあったわね」
「そ、そうなんだ」
可乃が告白された、という話は俺も、おそらく白羽も初耳で。こうして口端にのぼってしまえば、興味の沸く話題ではあった。
「何回ですか? 最初はいつ、どんな人に?」
「何回……五回くらいね。全部断ったけど」
指折り数える可乃は、自慢気でもなくそう言い切った。
「五回か、案外少ないな」
「そうですか? 十分だと思いますけど」
「まぁ、そうなんだろうけど。彼方と比べると」
「お兄ちゃんは、すごかったからね……」
下ノ瀬彼方という人間は、顔も頭も運動能力も、全ての水準が高いどころか考え得る最高に近く、つまりモテる要素の全てを極め尽くしていた。いつだかに比較対象には相応しくない、と言ったのは俺だが、どうしても自然と感覚は麻痺している。
「そうね、私も彼方が好きだと思われてたみたいだし」
「と、言いますと?」
「私が告白を断ると、相手が言うのよ。やっぱり、下ノ瀬の事が好きなのか、って」
そう言うと、可乃は何か複雑そうな顔で笑った。
「まぁ、それで納得してくれるから、私も否定はしなかったんだけど」
「付き合ってもいいな、っていう人はいなかったの?」
「……ん、そうね。そういう気にはならなかった」
もし、可乃が告白されたという五人の内の誰かと付き合っていたなら、今、俺達の中に可乃はいなかったかもしれない。そう思ったから。
「良かった」
ごく自然に、感じたままを口走っていた。
「へぇ……そうですか、良かったですか、先輩」
いい事を聞いた、とばかりに、にやけ顔の遥香が煽る。
「そんな、別に、いい事なんて無いでしょ」
可乃はどこか照れくさそうな顔で俺と遥香から視線を逸らし、結果としてそっぽを向いた。そんなやり取りも、なぜか今はやけに楽しく感じられて。
「いや、良かったよ」
気恥ずかしさはとりあえず無視して、もう一度繰り返した。




