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終末的日常論  作者: 杉下 徹
二章  無
23/54

2-8

可乃の家の風呂は、記憶の通り軽く十人は入れそうな大浴場だった。

 ただ、流石に男湯と女湯、二つの浴場があるわけではないようで、風呂の時間は女性陣と俺で分けられる事となった。一度は皆で水着を着けて風呂に入るという案も出たが、そもそも水着が無いという事で普通に棄却された。

「……ふぅ」

 そんなわけで、現在、俺はこうして遊戯室で一人黄昏れている。

 七星邸に遊戯室なんて一般家庭には聞き慣れない部屋があったのも驚きだが、そのおかげで俺達は退屈するどころかむしろ新鮮な体験を味わう事が出来ていた。経験者の可乃以外、俺を含めて皆が苦戦しながらビリヤードと格闘したのは滑稽だったが。

「やぁ、志保くん」

「……お父さん? どうも」

 遊戯室の扉が開き、そこから顔を出した可乃の父親と今日二度目の挨拶を交わす。

「お父さん、か。それはそういう意味で取ってもいいのかな?」

「取ってもいいですけど、そういう意味で投げてはいないです。可乃さんのお父さん」

「あっはっは、そうか、それは残念だ」

 おおらかに笑う可乃の父親に合わせて、笑みを浮かべる。

 友人の親、くらいの距離感は、それほど苦手ではない。そもそも人間関係というものが苦手という自負はあるが、互いにそもそも踏み込もうとしない遠慮があれば、表面上のやり取りだけで済ませられる。

「……実は、君に話しておきたい事があるんだ」

 だから、この状況はあまり嬉しくなかった。

 それが何であれ、可乃の父親は何か表面上で済まない事を話そうという声色で。

「なんでしょうか」

 それでも、聞きたくない、と突っぱねるわけにもいかない。それはそれで、一種の本質的なやり取りに違いはないのだから。

「彼方くん、で合ってたよね。君達の友達、行方不明になっている彼は」

「はい、合ってます」

「彼の目撃情報は、現時点ではまだ見つかっていないようだ」

「……そう、ですか」

 可乃の父親には、可乃を通して彼方の情報を集めてもらうように頼んでいた。あくまで一般人の間の伝言ゲーム、本格的に捜索したというほどではないだろうが、それでも幅広い人脈を持つという可乃の父親にすら証言の一つも集まっていないという事実は、良い知らせとは言い難い。

「それは、可乃さんには?」

「言ってはいない。ただ、見つかったと嘘をついたわけでもないから、多分気付いてはいるんじゃないかな」

「そうですか」

 語らないという事実が、物を語る事もある。

 可乃が父親と毎日のように顔を合わせていて、それでも彼方についての知らせが無いのであれば、その意味を察するのはすぐだ。あるいは、もう少し可乃が焦れて来たら、自分から答えを聞きにいくかもしれないが。

「それで、他には?」

 だが、彼方についての話はあくまで本題ではない。そもそも可乃を通せばいいだけの話をするために、わざわざ俺一人の時間を伺って足を運ぶ必要はない。

「……そうだね、大した話ではないんだけど」

 少したじろいだように息を呑みながらも、予想通り可乃の父親は切り出した。

「もし、何かが起きた時には、娘を頼まれてはくれないかな」

 それは、どこかで聞いたような言葉だった。

 程度は違えど、皆が【無】は世界を終わらせるかもしれないと恐れている。仮に世界が終わる前に、【無】の出現が止まる、もしくはそれに類する対策が生まれたとしても、世界より先に自分が【無】に呑まれる可能性も否定できない。

 可乃の父親は恐れているのだ。娘よりも先に自分が消えてしまう事を。

「……出来る事はするつもりです」

 返した言葉は、嘘になるかもしれない。

 結局、俺が最も大切なのは自分だ。家族を慮る可乃の父親のような感情は、俺には大きく欠けていて、それを恥じるつもりもない。

「そうか、ありがとう。悪かったね、変な事を言ってしまって」

「いえ、お気持ちは何となくわかります」

 今も少しづつ、人々の心に不安は積もりつつある。そして、きっとその不安は大切なものが多ければ多いほどに重くなるのだろう。例えそれが気休めだとしても、重さを肩代わりしてくれる相手を探したくなるほどに。

「じゃあ、私はこれで。何があるわけでもないけど、楽しんでいってほしい」

「はい、それでは」

 可乃の父親が静かに去っていき、再び一人に戻った部屋の中、もう一年以上目にしていない、これからも目にする事のないであろう両親の顔が朧気に頭に浮かび、消えた。

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