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「……んだ、おめぇ」
寝起きの乾いた喉から、ひび割れたような低い声が漏れる。それが凄んでいるようにでも聞こえたのか、俺を見下ろすように立っていた少女の肩が僅かに跳ねた。
「何って、起こすのは悪いかと思って」
「気持ち良く寝かせるつもりなら、出てってくれた方がありがたいな」
凄むつもりもないが、特別愛想を振り撒いてやるつもりも無い。その程度の関係性でしかない少女が青空を背景にそこに立っている事は、少し意外だった。
「用が無ければ――」
「だろうな。彼方の事以外で、南雲がわざわざ俺に会いに来るわけがない」
南雲小夜という少女にとって、俺は彼方の友人でしかない。俺にとっても、南雲は彼方の事を好きな女というくらいの認識でしかなく、互いに直接の接点は無いに等しい。
「図書委員の仕事とか、頼みに来たかもしれないでしょ」
言葉を遮られて腹を立てたのか、南雲は少しだけ口を尖らせる。
「そんな面倒な事、するわけないだろ」
同じクラスで同じ委員会に所属しているというのは、接点と言えなくもないが、授業にも出ない俺が委員会活動などするわけもない。南雲だってそんな俺を無理に説得するよりも、いないものとして見る方が楽なはずで、これまでもそうしていた。
「それで、今になってまた、何の用だ?」
南雲は随分前に彼方に告白し、そして失恋したらしい。彼方も南雲もあえて詳細を語ろうとはしなかったが、一時期を境に南雲から俺への接触が途絶えた事から、そのくらいは察する事が出来ていた。
「用ってほどじゃないけど……彼方くんは元気?」
「あいつが風邪を引いたところは、見た事が無い」
曖昧な問いに、答えにならない答えを返す。
「なにそれ、彼方くんが馬鹿だって言いたいの?」
「彼方が馬鹿だったら、俺より頭の悪い奴を指す言葉は思いつかないな」
「何言ってるのかわかんない。ちゃんと会話してよ」
「会話がしたいなら、お前から合わせるんだな。俺にはお前と話す事なんて無い」
言葉を交わす度に、南雲の機嫌が悪くなっていくのがわかる。本人は抑えているつもりだろうが、明らか過ぎるほど表情に出ていた。
「そう、私に話す事は無いんだ」
「無いな。特別仲が良くもないクラスメイトなんて、そんなもんだろ」
「……ふざけないで、ふざけないでよ!」
だから、南雲が突如として激昂した事にも、それほど驚きは無かった。南雲小夜という少女の情緒が不安定な事は、以前の出来事から知っている。
「彼方くんが行方不明なんでしょ!? なんで隠すの!?」
「彼方が学校に……いや、可乃にでも聞いたのか?」
適当にはぐらかそうとも思ったが、この状況では遠回りにしかならないと見て、止める。
「今朝、天川くんが妹さんと話してたから」
「だから、盗み聞きしてみたと。大したもんだ、全く気付かなかった」
「そういうつもりじゃ……ただ、珍しいと思って」
痛いところを突かれたとでもいうように、南雲は口籠る。
「珍しい? 俺と白羽が話してる事の何が珍しいんだ?」
「そうじゃなくて、二人で登校してるのが……」
「良く知ってるな、俺達が一緒に登校してるかどうかなんて」
「いや、それは、あ、天川くんはまともに登校してないし」
南雲の言葉には、見るからにその場しのぎの感が否めない。どこかが、あるいは最初からほとんどが嘘なのだろうが、それを明らかにしようと思うほど南雲に興味は無い。
「それで、結局、何が言いたいんだ? ああ、何を聞きたい、か?」
問答を切り上げ、本題に戻すと、忙しなく動いていた南雲の瞳が俺を見据えた。
「彼方くんは今、どうしてるの?」
「行方不明なんじゃないのか? さっき自分でそう言ってただろ」
「……っ、私に言うつもりは無いって事」
苛立ちが頂点に達したのか、上履きの先が屋上に強く叩きつけられる。かと思えば、その勢いのまま、南雲は屋上の出入口へと向かって行った。
「……やっぱり、あなたは気に入らない」
扉の閉まる音に掻き消されかけた捨て台詞は、どうにか聞き取る事が出来ていた。
「まったく、嫌われたもんだ」
南雲小夜は、俺の事を嫌っている。一度面と向かって言われたからこそ断定できる感情は、俺が南雲と接するよりも前にはすでに彼女の中に存在していたらしい。そんな俺に関わってでも彼方と近づこうとした南雲の執念は、告白を断られてから随分経った今もまだ生き続けていたという事なのだろう。
「……少し、遊ぶか」
南雲の訪問は、あちらにとっても無駄足だっただろうが、俺の方も睡眠を妨げられ、両者にとって損でしかない。あちらが声を掛けなかろうと、足音に気配、息遣いだけで浅い眠りは覚めてしまう。
昼食までの中途半端に空いた時間を潰すべく、鞄から携帯ゲームを取り出す。どうにも集中できない中、それでも指は惰性で動き、時間は滞り無く過ぎていった。




