俺、初めて戦います!
俺が酒を作りたいと言ってからのシェリルの行動は、ものすごく早かった。
造酒に必要な材料を伝えると、それらを揃える為に、山を下り、エルバンスという町に行くと言い出したのだ。
さすがに女の子一人ではと、俺も着いて行くと言ったが、知り合いの行商人と一緒だから大丈夫と言われてしまった。
まあ、俺みたいな普通の高校生が着いて行っても、護衛にもならないのは確かだし仕方がない。
俺は造酒に必要な材料とその作業工程を半紙に記し、シェリルに渡した。
エレバンスまでは馬車で一日は掛かるらしく、最低でも戻ってくるには三日は掛かるらしく、その間はこの家で一人で過ごさねばならない。
多少の不安はあるものの、そんな事を女の子に言えるわけもなく。
そうそう、女の子と言えば、シェリルを迎えに来た行商人は、金色の長いブロンドの髪に、尖った長い耳の綺麗な女性だった。 ちょっと安心した。
もしかしてエルフの方ですか? と質問したら、
「そうだけど?」
と、なぜそんな当たり前の事を? みたいな顔をされながら聞き返された。
改めてここが異世界なんだと実感したのは言うまでもない。
「さてと、何すっかな。 暇だしまた本でも……ん? これは」
ふと、玄関に置かれた物に、俺は目をやった。
グラディウス。 刃渡り五十センチほど、刀身は肉厚で幅広の両刃剣だ。
普通の鉄剣と違い、軟鉄なども使用され、刃こぼれし難く切れ味が良い。
俺はグラディウスを皮の鞘から抜いた。 よく手入れされていたのか、刀身には俺の顔が映りこむほどだ。
シェリルが護身用にと置いていってくれたものだが、包丁すら満足に扱った事がない俺に、果たしてこれが振るえるのか?
「傷もだいぶ癒えてきたし、ちょっと練習してみようかな?」
グラディウスを鞘に収め、俺は玄関を出て、庭先へと向かった。
「さてと、まずは、」
庭に着いた俺はそう言って、鞘からグラディウスを抜いた。
そして一本の立ち木の枝に狙いを定める。
試し切りってやつだ。 まずは軽く、
そう思った時だった。 立ち木の上の枝に、何やら毛むくじゃらの物が。
「何だあれ?」
リス? いや鳥? 羽の生えたリスのような生き物。 でもよく見ると羽を怪我している。
フワフワした羽の一部が、色濃い赤に染まっていた。
「あいつ、もしかして降りれないのか?」
どうも羽を怪我して枝から降りれないらしい。 心なしか震えている様にも見える。
「これに登るしか、」
立ち木に目をやる。 細い。 細すぎて登れない。 よしんば登っても木が揺れてアイツが落ちかねない。
かといって下で落ちるのを待ってなんかいたらそれこそ手遅れだ。
「あの木……こいつで切れるかな?」
グラディウスの刀身に目をやった。 四の五の言ってられない、やるしかない。
「やっ!」
豪快な素振り。 刃渡り五十センチと言えど、重さはある。 振ったグラディウスに、俺の体は思わずよろけてしまった。
「くそっ!」
悔しさに顔をしかめながら、俺はもう一度柄に力を込めた。
焦るな、落ち着け。 バカみたいに振り回しちゃダメだ。
とは言うものの。 こんなもの振り回すこと自体が初めてなのだ。
本当にうまくいくのか? 気が散りそうになる。 頭を振って心の中に掛かった靄を払う。
できないじゃない、やらないと!
そう心の内で叫んだ時だった。
スゥッと、肩の力が抜けた。 同時に握っていたグラディウスが恐ろしく軽くなった。 しかも体が自然と動く。
見たことも取った事もないない構え。
腰を落とし、上半身を捻るようにしながらグラディウスを構える。
そして逆袈裟に刀を振るった。 まるで自分の体ではないような感覚。
──ズバッ
という音と共に、枝がスッパリと断ち切られた。 だが、
「し、しまった!」
訳の分からない感覚に気を取られ、反応が遅れた、すぐさま落ちる枝に手をやろうとしたが間に合わない。
「大丈夫だ」
「えっ?」
突如背後から聞こえた声、気が付くと枝は地面に落ちていた。
声の方に振り向くと、そこには鎧に身を包んだ髪の長い女性が居た。
その手には、先ほど枝の上で身を震わせていたアイツが。
俺はその姿を見て驚いていた。
その身のこなしは勿論だが、特にその姿にだ。
全身を蒼いプレート装備で身を包み、所々に銀色の紋章と美しい装飾が施されている。
見るからに名のある騎士のような威厳を放ちながらも、その女性はとても美しかったのだ。
白銀の髪、切れ長で艶やかな瞳。 紅く濡れた形の良い唇。
今朝会ったエルフの女性も綺麗な人だったが、それよりも人目で分かるほど次元の違う美しさだった。
「庭に勝手に入ってすまなかったな。 何度か呼んだのだが返事がなくて、悪いとは思いつつもつい」
大人の微笑とも言うのだろうか、女騎士はにこやかにそう言った。
「あ、いや、気が付かなくって、すみません……それより、そいつ」
「ああ、フリフニか? 羽を怪我しているようだな」
フリフニ? そのリスもどきの名前みたいだ。
「あ、はい。 そのフリフニ、助けてくれてありがとうございます」
そう言って俺は慌てて頭を下げた。
「フフ、おかしな奴だな。 助けたのは貴公じゃないか」
「そ、そんな! 助けようとしましたけど結局は」
「実は無礼は承知で、さっきの一部始終見せてもらったよ。 良い太刀筋だった。 どこの流派だ?」
「流派? いえそんな! こいつを振るうのも今日が初めてで、無我夢中というか何と言うかその」
「初めて? 本来なら剣気を悟られて、フリフニが枝から飛び降りていたかもしれかった。 そうなれば大怪我だ。 だが、貴公はフリフニに剣気を悟られずに、枝を一瞬で断ち切った。 なのに素人だと?」
鋭い眼光に気圧されそうになりながらも、俺はコクコクと何度も頷いて見せた。
「ハハハ! 面白い奴だな。 私の名はブリュンヒルデ。 貴公の名は?」
気持ちの良い笑い声だ。 悪い人じゃない、俺は直感的にそう思った。
「あ、ひょ、氷堂 誠っていいます」
「ひょう、どう? 変わった名前だな? あ、いやこれは失礼した。 名前を聞いておいて変わった名だなんて、すまん、許されよ」
「と、とんでもない! この世界じゃ仕方がないですよ」
「この世界……?」
「へっ? あ、いや、そうじゃなくて。 いや、そうなんだけど」
思わず頭を抱えてしまった。
何を喋ってるんだ俺は、美人だからってテンパり過ぎだろ。
「プッ……ハハハ、本当に面白い奴だな誠は。 誠と呼ばせてもらって良いか? もう呼んでしまってはいるが」
そう言って軽やかに女騎士は笑って見せた。
一々仕草がカッコイイ。 だけど嫌味じゃない、むしろ気持ちの良い部類だ。
「じゃ、じゃあ俺はヒルデって呼んでも?」
「そう呼ばれるのは初めてだが、まあ誠ならいいさ。 それより実は折り入ってお願いがあるのだがいいかな?」
「お願い?」
俺がヒルデにそう聞き返すと、ヒルデはフリフニの頭を優しく撫でながら、気恥ずかしそうにしながらこっちを見た。
「もし良ければ一晩、こちらに泊めて頂けないだろうか?」
「ああ一晩ね、そのくらい全然……ええっ!?」
「やっぱりダメか……?」
「いやいやいやダメじゃない! 全然ダメじゃない!」
これは何のフラグだ? あれか? ラッキースケベでも起こって、そこにシェリルが偶然帰ってきて、修羅場みたいな奴か!?
「本当か? その割には悩んでいるように見えるが?」
「へっ? ああ、これはその……と、とにかくどうぞこっちへ」
苦笑いを終始浮かべながら、俺はぎこちない素振りで、家の中へとヒルデを案内した。