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僕と彼女の灰色の青春  作者: 稗貫三郎太郎
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1-3話 「スタフカ」

8月上旬


閑散とした放課後の校舎内、その一角を占める「スタフカ」と表記される教室があった。

普段ならグラウンドで威勢良く健康的なかけ声を掛け合う運動部も、校内にトランペットの音を反響させる吹奏楽部もいない。そのため室内は、首を回しながら絶え間なく、冷風を送り続ける扇風機の稼働音だけであった。

この扇風機は「無音」がウリだったが、10年ほど使い古されているため、そのアイデンティティは失われて久しい。

扇風機は専ら使われることのないこの教室同様ダンボール箱の中に眠っていたのだが、今は弱風で小さな埃を隅にと追いやっている。この埃は存在意義の薄い場所に対する掃除当番のサボりが原因である。

普通の教室と同じ構造、同じ備品しかないこの空間で、学生机がコの字に並べられそれぞれに男女数名が座していた。

スタフカ総長マトリョーナ・アレクセーエフを先頭に、左右対称にずらり並べられた机につく彼らは学級委員長もとい軍司令官クラス、露草に全10個ある軍の司令官10人が座っているはずだったが、5人しかいない。

しかも内一人は本来いる資格のない人物、八軍猊下の軍団長カレディンだった。

カレディンはここに集う顔ぶれを見る。

対面は左奥から空席を置いて四軍司令官アンドレイ・エーヴェルト、彼はスマートフォンをいじっていた。

次に三軍司令官ニラデコル・ルスツキー、彼は入室してから十分も経っていないにもかかわらずうたた寝していた。

空席を跨いで目の前の一軍司令官レンネンカンプは机に足を掛けながらカレディンを睨み付けていた。

左隣には彼女、八軍のブルシーロフが腕組みしていた。

席順はアレクセーエフから反時計回りに一から十の軍司令官が並んでいるのだとカレディンは理解した。

順当にいくと彼は9番目の座るはずだった席にいるのだ。


気まずい。カレディンは思った。というのもブルシーロフ先輩に連れられてアポなし出席した身だが、入室から20分沈黙が続いているのだ。

そもそも今回の会議の目的自体知らされていないのだ。

ただ「全軍司令官が集まる会議が15分前に始まる予定だった」と言うことまでは把握している。

もじもじとしているアレクセーエフと目が合う。彼女は恥ずかしそうに視線をそらし、再びキョロキョロし出す。

会議を始めたいけれどその契機となるもう一押しを、誰かに求めているのだろうとカレディンは推察する。

彼は沈黙を打破すべく彼女に一声掛ける。

「アレクセーエフ先輩、そろそろいいんじゃないですか」

「えっ!?ああうー、えっと、注目!」

アレクセーエフは不意打ちに面食らったが、ようやく会議を先に進められると内心ホッとしていた。

「15分経過しましたが他の方が来ないので、これより第一回戦略ブリーフィングを行いたいと思います」

「っんだよ。サボり多いじゃねぇか。」

レンネンカンプが苛立った表情をアレクセーエフに向けた。

彼の顔にはゴルゴンのような、睨み付けた者を蛙に変える一種の金縛り効果があった。

彼は教師のいない場では平然と悪態をつく。教師陣と密な連絡を取り合うスタフカ総長の前であってもそれは変わらない。気の弱いアレクセーエフであったら尚更である。

だがアレクセーエフは物怖じせずに平静に言う。

「メールもしたし休み時間声かけたんだけどみんな急用があるとかで…彼らには後で内容をメールすることにします」

「だったら俺も欠席しときゃよかった」

呆れかえった様子でレンネンカンプが言った。

自分を除く3年が全員欠席していることにえらく苛立っていた。これでは自分だけが損をしているではないか、と。

そんな彼がこの場に出席しているのは、全て教師達の評価を受けるためだった。

「そんなこと言わないで。情報の漏洩を防ぎたいし、みんなの顔合わせもしなきゃだし」

2年生にしてスタフカ総長の肩書きを持つアレクセーエフだが、人柄が災いして威厳がない。

そのことが普段の業務に加えてさらなる苦悩をもたらしていることは言うでもない。

「じゃなんで部外者がここにいんだよ」

レンネンカンプはギロリと視線の矛先をカレディンの方にむけた。

「彼は私の連れだ。アレクセーエフのことだから会合の定員割れは必須、席が余っているなら構わないだろう」

「別にいいんじゃないですか」

エーヴェルトが視線を液晶に貼り付けたまま、無関心そうに相づちを打つ。

「えっ、私ってそんな人徳無い!?」

一拍おいてアレクセーエフがショックをうける。そんな彼女にブルシーロフは的確な指摘をする。

「人望というより統率力の欠如だな」

「ひどい…」

アレクセーエフはシュンとする。

リーダーとしていまいち魅力がない冴えない人間であると自覚してはいたものの、こうもはっきり言われるととても胸が締め付けられる。

「まあ、カレディンのことはゲストと思ってくれ。さしずめ、水辺に佇むエルクの群れを奇襲するタイミングを計っている虎みたいなものだ」

とってつけられたような蛇足、むしろ語弊がある表現を誰か突っ込むべきなのか。しかしカレディンを除いてそういった様子は見受けられなかった。

「先輩、例えおかしいですよね」

「まったくだ。こいつは虎じゃねぇ。鞭打たれながら走り続けるバカ馬だよ」

ここでレンネンカンプ、同調すると見せかけてカレディンを罵倒。

カレディンは机の下で拳を秘かに握りしめた。

だが彼の言っている事と自己評価は一致している上に、厳粛な会合にて口車に乗り手を上げ、乱痴気騒ぎをするほど愚かではない。

カレディンはアレクセーエフをチラリと見る。

彼女にはこの会合の主催者としてレンネンカンプを止める義務がある。

しかし彼女は不穏な空気を感じ取って、おろおろとカレディンとレンネンカンプの顔を交互に見るばかりで、どう止めようか迷っていた。

止めないにしても、黙ってないで話を先に続けて強引に雰囲気を作ってくれればよいのだが、しかたがない。カレディンは堪えることにした。その矢先

「もっともこの女は頭にニンジンぶら下げて走らせてるんだろうがな」

レンネンカンプはブルシーロフの、そこまで膨らんでいるとは言えない胸部に目をやりながら嫌味ったらしく言う。

「こいつ!」

何のジャーゴンかすぐ理解したカレディンは激昂に立ち上がる。

自分に対する侮辱なら眉をひそめるだけでいい。だが彼女に対するものであったなら話は別だ。

暗闇の淵にいた自分を光導く存在であるとは大袈裟だろう。けれど曲がりなりにもカレディンは彼女を尊敬しているのだ。

らしくもない衝動に駆り立てられたのが、その証左だ。

「おおっ、やるか?図星突かれて立ち上がるとか惨めだな!」

相手が挑発に乗ったのを見てレンネンカンプも立ち上がる。

「まあまあ2人とも落ち着いて」

アレクセーエフが扇風機の音にかき消されそうな小声で言う。

「よさないか、カレディン。私の名誉を重んじてくれているのは嬉しいが、とりあえず座れ」

ブルシーロフのこの一声があってカレディンは渋々席に着く。

「はっ、すっかり鞍と手綱をつけられた馬鹿に成り下がったみたいだな」

レンネンカンプはなおも引き下がらない。

「別にいいんじゃないですか」

エーヴェルトはスマートフォンから25cmの距離に目を固定しながら、全く関係のないタイミングで、いかにも適当に相づちを打つ。

「俺はお前のそう言う…」

レンネンカンプがカレディンに次なる罵声を浴びせかけた瞬間、彼の体は椅子へと引き戻される。

体ごと強引に引きずり下ろしたのはいつの間にか席を一つ移動しているメタボ男、ルスツキーだった。

「なっ、てめぇ!」

「レンネンカンプ先輩、俺もこんなめんどくさい会議をさっさと終わらせたいんでねぇ。黙っていてもらえますか」

ルスツキーはゆっくりとした低くドスの利いた声で牽制する。レンネンカンプを睨む目は開いているかどうか定かではない。だが威圧は効いたようでレンネンカンプは舌打ちを最後に椅子を引いた。

二年相手に引き下がったと見られるのは癪だったが、それを勘定に入れても妥協するべきなのだ。

ルスツキーはその体型と怠惰な性格から『昼行灯』『鈍重ルスツキー』『ダラケ熊』とあだ名されているが、畏怖と親しみを持った呼称に過ぎない。

彼は見かけに反した実力者なのだ。めんどくさがりつつも言われたことは|(期日ギリギリだが)完璧に仕上げる。

降りかかる火の粉も気だるそうに、だが容易く払いのける。

そうして積み上げた安定した実績故に第3軍司令官に抜擢されたのだ。

彼を真に形容するならばさしずめ『冬眠中のグリズリー』なのだろう。

騒動が一様に収まったのを見てアレクセーエフが口を開く。

「え、えっとじゃあ続けていいかな」

思えばまだ会議は始まってすらいなかった。


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