涙
ここまでは長々とどうでもよさそうな話をしてきましたが、今回から少しずつ話が動いていきます。
急展開というわけではないですが、ここから着実に前に進んでいきたいと思います。
世界には大きくわけて2つの種類の問題がある。答えの出ている問題と、答えの出ない問題だ。僕たちがやっている数学なんてものはどれほど難しかろうと、回答解説集でも読めば答えが載っている。ただ、社会には、答えが出ない、あるいは答えなんてものがないという問題が山積している。
例えば人権とか。劣等種である僕らにも一応、人権なるものが与えられている。基本的に優良種よりも弱いけども、何百年も昔にあったという奴隷制とかそういう扱いを受けてる訳ではないので、国がこれを保つのになかなか苦労しているらしい。
あと、最近では数百年前に『持続可能エネルギー』とやらとして作られ始めたソーラーパネルの老朽化のせいで電力が枯渇してるとかどうとか。今じゃ半永久的に壊れない素材で作られてるから、そんなこと起きないんだけど。
…なんかすごい勉強できる人になった気分。
なぜこんな話をしているのか。勉強嫌いな僕がなぜこんなことを学んでいるのか。
目的はただ一つ。あの女を言い負かしてやろうと思い立ったからだった。
あいつは正論しか言わない。つまり、正しいと分かりきったことで言い争いをしても地頭の出来で僕が負けるのは目に見えている。
ならば答えの出ない問題で勝負すればいいのではないか。
安直と思われるかもしれないが、割としっかりした根拠が僕にはある。
まず一つ!こういう話題は調べたら調べただけ話し合いで有利になりやすいらしい!現社の先生が言ってた!つまり、僕がめっちゃ調べてから何も調べてないあいつにいきなり挑戦すれば勝てる!
二つ!あいつ実は現社のテストが一番できない!俺より3倍ぐらい点数いいけど!
最後に三つ!僕をめっちゃパシリにするようなやつにまともな“倫理観”なんてあるはずがない!倫理観とかすげー頭良さそうな単語!
以上から僕が勝てる見込みは大いにある!
よっしゃ!見とけよ早見!メタメタにしたるかんな!いやっほい!
※
「人権についての話をしているようだけれど、それに関しては劣等種・優良種間の、ではなく、劣等種・劣等種間や優良種・優良種間の話をすべきよ。劣等種と優良種では政策の趣旨が根っこから違うから、話したところで意味が無いわ。それに比べて優・優間での格差が今は大きく問題視されているわ。特に老後の対応とか、職業の選択の面とかでね。どこの大学を出るか、とかいわゆる“ブランド”に左右される会社が増えてきているようで…」
…ソンナニアマクアリマセンデシタア。
何こいつ、優良種の人の格差問題とかなんで考えてんの?俺らに関係ないじゃん。
いつもの勉強会のとき、はじめる前にちょっと話があると言って議題を言ってみたら、この饒舌っぷりである。
「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ」
やはり、早見は恐ろしく頭がよかった。ソーラーパネルの話も人権の話も全く歯が立たなかった。こいつ本当になんで劣等種なんだろう。というか劣等種なのか?この学校に来てるからそう思い込んでたけど。
…そういえばこいつのkara-ring、色が付いてないんだったよな。それ、なんでか一度も聞けてないな。それのせいでこんな勉強会やらされてるんだけど。ちゃんと説明責任を果たしてもらわなくては…説明責任って頭良さそうな単語。
気付いたら早見はある程度、気の済むとこまで話しきったようで、ふう、と満足げに息をついていた。
kara-ringといえばもう一つだけ“答えのない問題”があったな。せっかく調べたし、これで華々しく散って次の作戦でも考えますかね。
「なあ、」
「何?まだそういう感じの話をするの?」
「これで最後だからさ!」
「まあ、私があなたを言い負かして終わりだからいいけれど」
「嫌な言い方だな…」
まあそれは事実だからぐっと我慢しよう。
「じゃあ言うぞ。」
「はい、どうぞ。今回の議題は何ですか?」
僕は一拍置いて言った。
「出生前診断について」
彼女の表情が固まったのがわかった。
少し不思議には思いながらも話を続けた。
「kara-ringが発明されて、人は劣等種と優良種に分けられるようになった。親は皆、自分の子供が優良種であってほしいと願うようになった。kara-ringより少し早く発明されていた出生前診断、母親が妊娠してすぐに子供がどんな子供かを調べることができる技術だった。この2つが発明されたことで、親はこぞって劣等種と判断された子供を堕ろすようになった。それが倫理的に大きな問題となり、すぐに法律で劣等種の子供の人工妊娠中絶を禁止した。しかし、人工妊娠中絶自体を廃止するのは難しく、今だに裏では行われているという。この問題について、お前はどう…」
「やめて!!!」
いきなり早見が叫んだ。
「な、なに?どうしたの?」
「もうやめて!その話は!もう…」
言葉の最後の方は力なくしぼんでいった。
「な、なんか変なこと言ったか?ごめん、よくわかんないけど、」
「ごめん、かえる」
そう一言だけ残して鞄をつかみ、彼女は逃げるようにして教室を出ていった。
「どうしたんだよ…」
机の上には、彼女の涙だけが残っていた。