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不思議学園 短編集

七夕後日談

作者: 吾桜紫苑

「あのー、すみませーん」

「はい?」


 かけられた声に内心うんざりしながらも自然な表情を作って振り返れば、けばけばしい化粧をした女3人が俺に笑顔を向けていた。世間一般的には可愛いと評される顔立ちで、本人達もそれを自覚して計算尽くの笑顔を浮かべているのがありありと分かる。


「ちょっと私達とー、お喋りとかしませんかー?」

(とかって何だよ、日本語不自由な奴。つーか間延びした声で媚びてくんな、鬱陶しい)

「ごめん、彼女と待ち合わせしているんだ」

 本心を完璧に隠して当たり障りの無い言葉で断り、有無を言わさぬ笑顔を浮かべてみせた。大抵の女はこれで引き下がるのだが、目の前にいる3人は相当図々しく、そして機微の分からない馬鹿女らしい。

「じゃあじゃあ、彼女が来る時までの間とか。ね?」

(ね? じゃねえよ気持ち悪い)

 どうやら断られるなどありえないとでも思っているらしい。小首を傾げてみせるその仕草は非常にわざとらしく、嘘くささにげんなりしてくる。ちっとも可愛くない。

「いや、遠慮しておく。変な誤解されたくないからさ」

「えー」

 妙に息の合った大合唱が鬱陶しい。どうせ俺が応じれば奪い合いの見苦しい争いを繰り広げるのだ。他人から見ても分かるそれを、知らぬ振りして仲良しごっこ。嫌いなら嫌い、関わりたくないなら関わりたくないと切ってしまえば良いだろうに。

「悪いけど、他当たって。そろそろ彼女来るし」

 きっぱりと言って少しだけ冷ややかな雰囲気を出せば、流石の馬鹿女達でも脈無しと理解出来たらしい。一瞬本性丸出しの醜い表情を浮かべ、女達は去って行った。


(……めんどくせえ)


 これで一体何度目だろうか。着いて30分も経っていないが、入れ食いの如く次から次へと寄ってくる。人の多い所に止まると必ずこうなるから、誰かと待ち合わせる時は基本時間ぎりぎりか遅れて到着するようにしている。

 ……まあ、遅れるのは咲希と待ち合わせする時くらいか。クラスメイトは悪印象を持たれないよう時間を守るし、その他待ち合わせをするような奴らは、遅れようものならそれを口実に何か要求してくる油断ならない人間ばかりだ。

 後何人相手をすれば良いんだと(何せまたこっちの様子を伺う視線を感じる)堪えきれず小さな溜息が漏れたその時、待ち人の——唯一、先に来て待つ相手の姿を視認した。


 ほっそりとした足首が覗く青い七分丈のパンツに白のプリントTシャツ。靴とバッグは赤。大抵の人間なら野暮ったいか色が浮くそれを着こなし颯爽と歩く彼女は、こんな風に時折モデルのように見える。道を歩く男性のみならず女性まで振り返るのがいい証拠だ。


 寄りかかっていた待ち合わせの目印である像から背を離し、軽く片手をあげる。既に気付いていたらしく、相手は微かに笑って歩を早めた。

「哉也って待ち合わせするの楽だよね。視線が集まる方を見れば良いんだもの」

 自分の事を棚に上げてそう言ってから、微かに首を傾げた。先程の馬鹿女と同じ仕草なのに、わざとらしいどころか様になっている。

「待った?」

「いや」

「哉也っていつもそう言うね」

「この暑い中延々待たされたから何か冷たいもの奢れ、とでも言えと?」

「あはは、その方が似合うよ」

「言ってろ」

 軽口を叩き合い、俺と待ち合わせ相手——琴音は、並んで歩き出した。



***



 七夕から数日経った、夏期休暇直前の日曜。節句に忠実と言うべきか、七夕の日はバイクで駆け回っても大した事はなかったのに、今日は歩くだけで汗が滲む。入ったアーケード街は屋根付きだから直射日光が当たらない分ましだが、それでも暑いものは暑い。こうなると、七夕の予定が今日に回された事が腹立たしく思えてくる。いや、そもそもあの日駆けずり回る羽目になった事自体が不本意極まりないが。


 どこに入るでもなく、店を眺め他愛ない会話を交わす。興味を引くものがあれば店に入っても良いのだが、琴音は余り俺を買い物に付き合わせない。

「買うならゆっくり選びたいし、待たせてると気になるから」

 以前理由を聞くと、そんな答えが返ってきたが。おそらく、女性の買い物の大半を占める(ように見える)衣類や装飾品は、異性と買うより同性と買った方が楽しいのだろう。実際、琴音は咲希と会う度に何を買ったと楽しそうに報告してくる。


「哉也?」

 しばらく歩いていると、琴音が1点に目を止めて呼んだ。

「何だ?」

「哉也って、かき氷好き?」

「滅多に食わないが、嫌いじゃない」

「正直だなあ」

 揶揄のような言葉に肩をすくめる。然程親しくない奴なら話を合わせて好きと言うが、琴音にそんな取り繕いをしても直ぐに気付くし、そもそも必要ない。

 それに。

「暑いし、食べるか?」

「……いいの?」

「その為に聞いてきたんだろ」

 付き合わせて良いか遠慮しているようだが、嫌いでも食わずに見ていれば良いだけだ。

「うん」

 途端に嬉しそうな笑顔で頷くのは、流石の甘党と言うべきか。普段なかなか見せない素直な表情に小さく笑って、琴音の視線の先にあったかき氷屋に入った。



***



 古めかしい店内で出されたかき氷は、思った以上に大きかった。祭で売っているのより二回りは大きそうだ。

「……でかいな」

「うん、値段の割に凄く大きいんだ。でも、氷が細かくて美味しいよ」

 目の前に置かれた宇治(「1番甘くないもの」と言ったらこれが出てきた)を眺めて思わず呟くと、琴音が上機嫌に教えてくる。同じ宇治でも琴音のは更に練乳がかけられ白玉に餡にアイスが乗せられて、かなりの分量だ。相変わらず甘いものだけはよく食べる。

 ……以前琴音に請われてスイーツ食べ放題の店に入った時は、咲希に忠告されていたにも関わらず本気で絶句した。何故食事はごく普通量しか入らない胃袋が、甘いものになると店の人間がもうやめてくれと泣きつく分量を受け付けるのだろうか。謎だ。

「うん、やっぱり美味しい」

 まあ、顔を綻ばせて堪能する琴音を見ている分には何ら問題無いから良い。ただ、食べ放題以外の場所には決して連れて行けないが。破産する。

「どう? 食べられないなら食べるよ?」

「いや、平気だ」

 細かな氷は舌触りが良いし、然程甘くない。暑い中歩いた後だ、大きいが食べられる。

「そう、残念」

「……狙ってたのか」

 俺の分まで食べるつもりだったらしい。本当に、こと甘味では驚かされる。


 呆れながらも氷を楽しみ、出された茶を飲む。汗も引いたし、丁度良い休憩になった。そうなると改めて出るのが少し億劫になるのは仕方ない事だろう。自然会話に華が咲く。


「……あ、そういえば」

 会話がふと途切れて互いに茶を飲んだその時、琴音が何かを思い出したような声を上げる。目で促すと、琴音は悪戯じみた笑みを浮かべた。

「今日、あの2人もデートらしいよ」

 半ば反射的に顔を顰めてしまう。それを見た琴音が苦笑した。


 あの2人。咲希と空瀬の事だろう。七夕の傍迷惑な妹の暴走の後、ついにというかやっとというかとうとうというか、あの2人はつきあい始……いや、空瀬が咲希を捕捉した。


「何するんだろうねえ、あの2人のデートって。咲希だけなら思い付くけど、宏はなあ……あの朴念仁にエスコートなんて出来るのかな」

 俺の渋い表情にも構わず琴音が楽しげに続ける。琴音の主張は尤もだが(そもそもあの空瀬が恋をしているという事実が未だに不気味だ)、疑問の答えは大体分かる。

「本だろ」

 あの2人が共通して楽しめる場所なんぞ、他に一切思い付かない。

「…………そうだね」

 物凄くつまらなさそうな顔で琴音が首肯する。あの理解不能な妹と、俺と致命的に相性の合わない鉄面皮に、一体全体何を期待しているのか。


 一応血の繋がりはある筈だが、自他共に認めるとことん似ていない兄である俺にとって咲希は、本当に、さっぱり、これっぽっちも理解の出来ない謎の生物だ。

 何せ、頭は良いくせに思考が破綻している。それだけの馬鹿ならその辺にごろごろ転がっているが、咲希の場合は馬鹿ではないのだ。計算の早さは人外じみていて、理数は知る限り最も優秀(何せ意図的にミスしなきゃ毎回満点である)、俺や翔が解けない謎をさらりと解く。なのに馬鹿でも分かる事が分からない。本気で意味不明だ。

 言い様が酷いと思うなら、整った顔立ちの少女が人形そっくりな無表情あるいは微笑のまま毒を吐き、不機嫌な声を上げ、溜息をつく所を想像して欲しい。プログラムされた通りに動作しているようなそれは、不気味としか言いようがない。咲希を親友だと公言する琴音の神経は鋼鉄製だと思う。


 そして、学校では円満な人間関係を構築・維持している俺が唯一学校全体に「嫌っている」と認識され、しかも事実である空瀬もまた、理解不能の生き物だ。

 元々思考回路がイカレているとしか思えなかったが、「咲希が欲しい」と照れも躊躇もなく言い切った時は本気で引いた。好きとか愛してるじゃなく、欲しい。しかも抱きたいという意味じゃないらしい。じゃあどういう意味だ、いや聞きたくもないが。

 しかもあの男、行動力は無駄にあった。咲希は恋愛感情どころか他人の恋情を察する機能が故障している(琴音の時だけはまともだったが自分の事はさっぱりだ、小中高あいつと関わった俺と翔が断言する)のだが、1年かかったものの、振り向かせ手に入れるまで確実に手を打っていったのだ。

 あのストーカー以上の執着(……やはりアレを恋愛というカテゴリに入れたくない、琴音への感情と同じと思ってたまるか)と粘り強さで咲希を手に入れる様は、少しばかりの同情と多大なる不気味さと僅かな感心を抱く程だった。


「そういえば……哉也、まだ宏の事苦手なの?」

 琴音に投げ掛けられた問いに、仏頂面で答える。

「苦手じゃない、嫌いなだけだ」

「ええと、その違いは?」

「思考回路は把握したし理解した。だからこそ嫌いだ」

「……打つ手無しか」

 諦め気味に溜息をつく琴音には悪いが(従兄と彼氏の仲が悪いと多少居心地が悪かろう)、嫌いなものは嫌いだ。意見を曲げる気はこればかしも無い。

「何でそんなに嫌いなんだ……普段は無関心か切り捨てるかどっちかのくせに」

「何事にも例外はある。歓迎しない例外だがな」


 琴音の言う通り、俺は誰かを嫌う事は珍しい。「嫌いじゃない」や「気に入った」はそこそこあるが、大抵はどうでもいい。そうじゃなきゃ、平等かつ良好な関係を維持するなど不可能だ。同じ事を俺以上に計算尽くでやっている翔も同様だろう。

 咲希だって気味は悪いが何をしようとどうでもいい……偶に飛び火がきて迷惑だが。翔は人使い荒いが信頼しているし、龍也は胡散臭い部分もあるが好敵手だ。雪音もあの重度のブラコンはともかくとして、強かさが気に入っている。池上ですら、空瀬に盲目的に付き従う姿勢は理解不能だが、体術や行動力、頑固とも言える姿勢は嫌いじゃない。


 だが、空瀬だけは、嫌いだ。


「宏と出会ってからの咲希の変化も見てるし、七夕の時に協力してたから、認めたと思ったのに」

「人をどこぞのシスコン共と同じにするな、妹を判断基準に置いてない。七夕のあれは心の底から不本意だ、いつか絶対返させる」


 咲希は空瀬と関わってから、出来の悪い人型機械のようだったのが次第に自然な感情を見せるようになっていった。最近では感情表現が希薄なだけの普通の人間に見える。あれは確かに驚かされたが、それがどうして空瀬への印象を左右するだろうか。

 龍也や翔のような病的なシスコンと違って、というか世間一般よりも遥かに、俺達兄妹は同族意識が希薄だ。よって空瀬が着々と外堀を埋めていこうと、何をトチ狂ったか翔が協力しようと、琴音が応援なのか茶々なのか分からない手出しをしようと、一切合財完全なる無関心不干渉を貫いた。

 それなのに、だ。よりにもよって最後の最後、空瀬に手を貸す羽目になった。

 外堀どころか内堀まで埋めた空瀬が咲希を落とすのはそう遠くないだろうと誰もが思った矢先の七夕、咲希がまた訳の分からない暴走をしでかしたのだ。どうやら失踪を企んだようだが、碌な説明のないまま琴音に請われバイクで街を駆け回ったので、詳細は未だによく分からない。あの謎生物は何がしたかったのか。

 咲希の突発的な(かつ無駄に頭良いせいで周到な)暴走で積み上げてきた全てがひっくり返りそうになった間際、俺だけが万策尽きかけた空瀬に手を貸せた。

 行きたきゃどこへでも行きやがれ、と思わなくもなかったのだが。残念ながら、素直じゃない幼馴染みの執着や琴音が泣く事を考えれば、あの場で知らぬふりは出来なかった。

 よって、本当に、本当に嫌々ながら、俺は奴の背を押す役を受け入れ、それにより空瀬は咲希を引き留め、そのまま口説き落とした。

 全く、思い出すだに気分が悪い。この貸しは妹共々耳を揃えてきっちり返させると心に決めている。


「……もう、あの時凄く格好良かったのに……」

「何か言ったか?」

「何も。宏も哉也も優秀なんだから、タイプの違う者どうし切磋琢磨し合えば良いのにって思っただけ。頑なに認めないの、勿体無いだろ」

 小さな声で何かを呟いた琴音は、聞き返せば明らかに誤魔化していたが。追求しても良い事は無さそうだったので、誤魔化された振りで話を合わせる。

「冬休みに俺達がどこまでも平行線なのは証明されたろ。それに……認めてはいるぞ」

「え!?」

 仰天した表情を浮かべる琴音は、人を何だと思っているのか。嫌いだから何でも否定するようなみっともない真似を俺がする筈ないだろうに。

「主義主張は訳分からんなりに筋が通っていて矛盾もない。口だけじゃなく行動力もある。何より、他者に影響を受けないスタンスを貫ききるからこその統率力は一種の才能だ」

 議論しても1度も矛盾を感じた事は無いし、頭の回転の早さも相当なものだ。生徒会で共に仕事した時は相性こそ致命的だったものの、期限内に効率よく(どこぞの馬鹿のように体調を崩す無茶もせず)仕事を片付けていた。

 文芸部員、特に空瀬以下の学年は、空瀬に心酔一歩手前の盲目さで従う。その分傍迷惑な事もしでかしたが、個性的な部員を纏め上げる力量や求心力が空瀬にある事は確かだ。


 よって、評価はしている、のだが。


「空瀬は優秀だ。それは認める。その上で嫌いなんだよ」

「うー……」

 琴音が不満げに唸る。顔にはありありと「納得出来ない」と浮かんでいるが、こればかりは琴音の顔を立てる気になれない。

「そろそろ行くぞ」

「あ、うん」


 話も一区切り着いたし、いい加減店員に睨まれかねない。会計を2人分支払い(琴音は抵抗したが押し切った)、アーケード街へ戻る。


「どこ行く?」

「このまま歩いても良いが……映画でも観るか?」

 滅多に観ないのであまり詳しくないが、琴音はそこそこ映画好きだ。だから提案したのだが、琴音は肩をすくめる。

「今やってるのは前評判から微妙なのばかりだし、いい。このまま歩こう」

「そうだな」

 頷き、そのまま適当に歩き出す。途中互いに買うものを思い出し文具店と書店に立ち寄ったが、それ以外に店に入る事無く、冷やかしばかりを続けた。


 そろそろまた喉が渇いてきたので喫茶店にでも入るかと思い始めたその時、スマホが震えた。メールなら無視したが電話なので確認してみれば、最も見たくない名前。

(…………)

 無視した。

 留守電の応対で止まった振動はもう1度きたが、また無視すると沈黙した。緊急の連絡ではないらしい。だったら俺に電話してくるな、宇宙人同士のデートを堪能してろ。

 そう思った矢先、琴音が何かに気付いたような素振りを見せた。

「ごめん、電話だ」

 怪訝そうな顔で出て良いか尋ねてくる琴音に、じわりと嫌な予感がする。かといって駄目とも言えず、頷いた。琴音がスマホの画面に触れ、電話に出る。

「どうしたの? ……え? うん、そりゃあ……分かったよ、代わりに当番ね」

 応対で相手を確信した上に内容も想像出来たが、案の定琴音がスマホを差し出してきた時には口の中が苦くなるのを覚えた。

「宏。哉也に話したい事があるって。……無視したんだって?」

 咎める声には答えず、無言でスマホをひったくる。借りて悪いとは思うが自分のスマホからかけ直すのは断固拒否だ、こんな時に電話してきたんだから料金はそっちが払え。

「私、そこのお店に入ってるから」

 気を使ったのか空瀬に言われたのか、琴音はそう言って返事も待たずに立ち去る。割と長い話だと悟り、脇道に入った。低めの塀に腰掛けつつ自前のインカムを差し込む。画面が汚れるのが嫌で、普段から電話はインカム使用だ。


「……何の用だ」

 不機嫌丸出しの地を這う声(デート中に嫌いな奴と電話して上機嫌なものか)にも頓着せず、聞き慣れつつある抑揚を極限まで排除した声が返ってくる。

『デート中なのは知っているが、香宮は琴音に促されなければ電話に応じないだろう』

「相応の理由と用件があるなら応じる。夜で良いな、切るぞ」

『いや、今が良い。琴音にも言ってあるから問題無いだろう』

「俺は大ありだ、邪魔するな」

『手短に終わらせる』

 こちらの都合は完全無視か。時間の問題じゃないだろうが馬鹿野郎、と言いたい気持ちをぐっと堪えて、相手に聞こえるように溜息をつく。聞いた方が早そうだ。

「何だ」

『七夕の件だ。遅くなったが、香宮がいなければどうにもならなかった。感謝する』

「礼儀知らずじゃなくて安心した、とでも言うと思ったか。言葉じゃなく行動で示せ、そこにいる馬鹿と揃って利子付けて返しやがれ」

『その行動についてだが。——取引がしたい』

「あのな……」

 頭痛を覚え、額を抑えた。この男のこういう所がやはり嫌いだ。

「常識良識倫理が徹底的に欠如しているお前にも分かるよう教えてやる。取引ってのはな、対等な者同士がするんだよ。貸しを返すのが取引とは良い度胸だな」

『不平等条約を始め、対等ならずとも取引を結ぶ事はある。内容は酷く利が偏るが』

「ほう、ならお前の言う取引とやらも俺に利が偏るんだろうな。俺はお前の心棒者と違ってお前の役に立つ事に毛程も満足なんざ覚えん。その点分かった上で言ってるのか」

『無論だ。——取引内容は、琴音と香宮の件での俺の全面的援助と、俺と咲希の件での香宮の人脈的援助。俺は、お前の力が欲しい』


 スマホを持つ手に力が入り、危うく画面をひび割れさせかけた。琴音のを借りていて良かったかもしれない、自分のならとっくに壊している。

 こちらの心境を知ってか知らずか、空瀬は尚も続けた。


『香宮の方は中西も咲希も動き、協力者を得ているだろう。七夕に会った嘉上達然り、あの2人は確実に実力者を抑えている。だが、咲希が俺にそれとなく探りを入れてきた事はあったが、取り込もうとはしなかった。出来なかったと言うべきか』

 知らず目を眇める。1つ呼吸を挟み、相手の意図を確認する。

「そうだろうな。お前の周囲……いや、お前を操っている奴は、俺達を妨害したい筈だ。つーか、そっちもそいつらが邪魔だろうが」

『違いない。だからこその取引だ』

「空瀬は俺達の件でそいつらを抑え、俺はお前らの件でそいつらを抑えろってか? 身内くらい何とかしろよ、その件は琴音の名が使えるだろうが」

 俺が琴音との交際を長々と先延ばしにしたのは、互いに交際が酷く制限された立場だからだ。古い家柄が、たかだか高校生の恋愛を結婚を前提にしなければ認めない。

 『香宮』を敵視する琴音の実家『吉祥寺』。連中は当然俺達も空瀬達も妨害してくるだろうが、空瀬が次期当主である琴音との繋がりを利用して止めた方が確実だ。

「琴音の名を利用する事は許す。それで空瀬が俺達の件で動けば釣り合う。それ以上俺が手を貸す必要は——」

『俺が欲しいのは、香宮の、人脈だ』

 みしり、と音がして慌てて手の力を抜く。今度こそ壊す所だった。何度か深呼吸して平静を取り戻し、激情を押さえ込んで言う。

「……てめえ、言うに事欠いて『香宮』の名を使えって言うのか」


 兄妹としての情より更に、香宮家への帰属意識は薄い。古臭く横暴な祖母、それに言いなりの父。彼等に盲従する家人も同じ、いやそれ以上にタチが悪い。咲希の能力に気付けない癖に出来の善し悪しで兄妹の扱いを変える自称保護者達は、正直軽蔑している。


 ——一体何度、『香宮』の性を捨てられないかと画策したか。


『次期『香宮』当主。その肩書き無しに、琴音を手に入れられると思っているのか』

「…………」

『琴音の従兄として、『吉祥寺』の出来損ないとして断言する。それは、無理だ』

 奥歯を食いしばる。見え透いた強がりを言って、この男に見透かされたくはない。

『『香宮』の名を使わなければ、香宮達はいつか潰される。だが、『吉祥寺』を抑えた所で、最終的に妨害してくるのは、『香宮』だ』

 返事はしない。せずとも、互いに分かっている事だ。


 『吉祥寺』の次期当主である琴音を手に入れる事は、『香宮』の次期当主にしか出来ない。そして1度『香宮』がそうと決めれば、『吉祥寺』はどれ程不満に思おうと従う。

 ——だが、その『香宮』こそが、関係の悪い『吉祥寺』の次期当主との関わりを、『吉祥寺』の出来損ないとの関わりを、絶対に認めない。


 頭の中だけで止め続けてきた本音が、事実を突き付けてきた相手に漏れた。

「……人の希望を潰して従順にした所で、どうせ先にくたばるのはてめえだって事を忘れて自己満足する家なんか、潰れてしまえばいい」

『…………』

 何も言ってこなかった事に、少し驚く。どうせ分かりきった事を言って人の神経を逆撫でてくると思っていた。

(……ちっ)

 空瀬に気遣われるのは酷く屈辱だった。何か蹴り飛ばしたいのを堪え、低い声を出す。

「お前は……俺に、『香宮』の意見を動かす事を期待しているのか」

『ああ』

「その間、お前は『吉祥寺』を抑えると」

『時間さえ稼げば、香宮なら押し切れる』

「あの旧弊共の固い頭を変えるのがどれだけ大変か、分かってて言っているのか」

『俺が香宮の立場なら、それは不可能に近いが。香宮なら容易いだろう』

「……何だと?」

『搦め手でも正攻法でも、他人でも身内でも、損得も感情すらも利用し、手段を選ばずなりふり構わずやれば……1年。そう計算したからこそ、取引を持ち込んだ』

「な、に」


 滔々と流れ込むのは夢物語か、悪魔の囁きか。魔王と呼ばれる空瀬の思考に呑まれ、唯々諾々と従いそうになる。密かに唇を噛んだ。


(……だから、こいつは嫌いなんだ)


 蠱惑の蜜をちらつかせ、独特の理論で煙に巻いて惑わし。

『計算は、咲希の協力も得ている。これでも信じられないか』

「……少なくともそのトンデモ理論を裏付けするだけの頭はあるな、咲希は」

 己より能力の高い人間を手中に収めて十二分に活用し、更に手駒を増やそうとする。

『勿論、香宮の周囲が1人残らず手を貸せば、という仮定の下だが』

「空瀬も咲希も必要だ、と言いたいわけだ」

『そうだ』


 目を閉じ、黙考する。相手と自分の目論見、リスクとリターン、メリットとデメリット。全てを踏まえて最も良い答えは、何か。


 目を開く。琴音に告げた言葉を、黙って返答を待つ本人にぶつけた。

「俺は、お前の無茶苦茶なのに筋の通った理屈も、変態じみた行動力も、人を使う能力も、高く評価している。だが俺は、お前が、空瀬宏毅という人間が、心底、嫌いだ」

『…………』

「よってお前の策に乗るのは願い下げだし、お前の思惑通りになど断じて動かん。ましてやお前の手駒にされるなんざ真っ平御免だ。俺を騙して利用しようとは、よくもまあ巫山戯た真似をしてくれるものだな。いっそ感心する」

 最後は為になると確信しているから許している翔はともかく、この俺を平然と騙して手駒にしようとするのは、おそらく生涯、空瀬だけだ。

「はっきり言うぞ。俺は、空瀬の為になる事は一切合財お断りだ。利用なんて誰が許すか、お前と咲希の事など知ったこっちゃない。お前が道半ばで挫折して心身共にぼろぼろになろうと全く何も感じない程、俺は、お前が、嫌いなんだよ」


 沈黙が下りた。奴にしては珍しい間が空いた後、これまた珍しくやや失望したような声が返ってきた。


『……そうか』

「ああ」

『なら良い。時間をとって——』

「だから」 

 話は終わっていないと、別れの言葉をぶった切る。訝しげな気配を感じつつ、言った。


「——俺が、空瀬を利用してやる」


『…………』

「お前が、俺の駒になれ。『吉祥寺』の出来損ない? 上等だ。空瀬程優秀な奴を出来損ないと言うようなアホなんざ敵じゃない。同時に、咲希の能力を理解出来ない『香宮』の馬鹿共を騙して思い通りにするのは、お前の独壇場だ。ただ、力が足りないだけ。その力は、俺が持っている」

 この判断が後にどう出るかなど、分からない。だが、勘が。この男を手に入れるなら今しかないと告げていた。

『……何故、俺を』

「俺に批判的だからだ。それに、お前の考えは心底気に食わんが、お前と違いごく普通の良識を持ち合わせる俺には思いも付かないそれは、状況を打開するのに役に立つ」

 誰も否定しない環境が腐るのは、家族を見てきた俺が誰よりも知っている。自分1人で動く限界もまた、分かっている。

「だから。お前は俺の駒になって、琴音を手に入れるのを手伝え。俺は身内には力を貸す事にしている。空瀬が俺の駒になるなら、俺はお前達に力を貸してやる」

『……嫌いでもか』

「使える以上は好きも嫌いも関係ない、使えた分だけ返すさ。だが、覚悟しろよ。俺はお前や咲希や翔と違って感情に忠実だ。嫌いなお前は思うがまま使い倒してやる」


 空瀬は長々と沈黙した。元々無口な奴だがどこまで黙り込む気だと苛つきかけたその時、低い音が聞こえてきた。喉の奥を鳴らすような、笑い声。


(……は?)

 この男が声を出して笑う所など初めてじゃないだろうか。何だか不気味だ。

『……成程。2年以上分からないままだった疑問が、ようやく解消した』

「聞こえん。何だ」

『何でもない。——良いだろう。香宮の力を貸してくれ。それさえ約束してくれるなら、存分に俺を利用してくれ。人脈でも頭脳でも身体でも、香宮の望むように使うがいい』

「……空瀬ってそういう奴だったか?」

 この男がこうも容易く従うとは思わなかった。さっきまで人を駒にしようとしていた奴の潔いまでの変心について行けない。

『そう思うなら、それで良い。とにかく、礼はそれで良いか』

「ああ。咲希には今後行動で返せと言っておけ」

『分かった。咲希が待っているから切る』

 そう言って、返事も待たず空瀬は電話を切った。人を振り回すだけ振り回して自分の都合で電話を切った相手に溜息が漏れた。

(…………忘れよう)

 あの謎生物の事で悩むだけ時間と体力と酸素の無駄だ。さっさと忘れて、琴音の元に戻る事にした。






 脇道から戻ってみれば、琴音は別の店に移動したようだった。

(ま……長話だったからな)

 苦々しく思いつつ、琴音を探す。どうせそんなに遠くには行っていないだろうという予想は当たり、数軒先の店先にいた。……見るからにチャラそうな男3人に囲まれて。

(ああくそ……何の為に人が主義曲げてると……)

 苛立ちに眉が寄る。こちらの事情を鑑みずに長話を持ちかけた空瀬が改めて腹立たしい。奴は今後力一杯こき使ってやると心に決め、不機嫌な顔を隠し歩を進めた。

「琴音」

 声をかけて近付けば、4人が一斉に振り返った。琴音は安堵半分面白がり半分の表情を浮かべており、男達は苦々しい顔だ。

 男達には一瞬だけ視線を向け、琴音に視線を戻して笑いかける。

「ごめん、遅くなった」

「ううん」

 にっこり笑った琴音の声は、はっきりと面白がっていた。他人用の物言いが面白かったのか、この状況を楽しんでいるのか。おそらく両方だ。

「何か買う?」

「ううん、特に何も無かった」

「そう、じゃあ行こうか」

「うん」

 頷いた琴音の手を握り、そのまま行こうとした所で肩に手を置かれた。

「ちょっと待てよ兄ちゃん」

「何ですか?」

 不思議そうな声で振り返れば、相手は一瞬動きを止める。表情に相応しくない冷たい色を目に浮かべているからだろう。明らかに怯み、腰が引けている。

(なんだ、ただの根性無しか)

 もう少し厄介な連中の可能性を想定してたため、やや拍子抜けする。この程度なら適当で構わないと判断し、琴音に向き直った。

「琴音、知り合い?」

「ううん、さっき話しかけられただけ」

「そう。……道が分からないなら、あちらの掲示板に地図がありますよ」

「……どうも」

 自分達が元来た道(つまりもう行かない方向)を指差せば、男達は渋々といった様子で去って行った。小さく溜息をつき、よそ行き用の口調を元に戻す。

「喫茶店でも入るか」

「いいよ」

 琴音が頷いたので、手を握ったまま目に付いた喫茶店に入った。昔ながらの雰囲気だが、分煙はきっちりされている。これ幸いとボックス席を選び、琴音を奥に座らせた。


「アイスコーヒー」

「アイスティー下さい」

 近付いてきた店員に注文を出すと、店員は一礼し、水を置いて去って行った。何となくそれを目で追ってから、琴音を見る。

「頑としてコーヒー頼まないのな」

「セイファートのコーヒー飲んだら、他の所では飲めないよ」

 セイファートとは、翔の行きつけ故去年の生徒会がよく顔を出していた喫茶店だ。琴音を始めとして当時の生徒会役員はあそこのコーヒーを随分と気に入ったようで、生徒会長が琴音に代替わりした今も足繁く通っているらしい。

 確かに美味いコーヒーだが、他のが受け付けない事はないと思うのだが。安いチェーン店ならともかく、こういう喫茶店なら不味いものが出てくるでもなし。

(……ま、人それぞれか)

 琴音と咲希は「美味しいもの」に拘りがちだ。セイファートのコーヒーは妥当価格なのだからして高級舌でもないようだし、好きにすれば良い。

 そう思い肩をすくめるだけに留めたのだが、それが妙な勘違いを生んだらしい。琴音が神妙な表情になって、そっと口を開いた。

「……ねえ、もしかして、怒ってる?」

「は?」

 丁度その時飲み物が届き、会話が中断される。めいめいの飲み物を置いた店員が去るのを待って、琴音がもう1度言った。


「さっき絡まれたの……怒ってる?」


「…………」

 思わずまじまじと琴音を見る。それをどう受け取ったのか、琴音は早口で続けた。

「確かにちょっと不用心だったけど、追い払おうとした所で哉也が来たんだよ。私は気のある様子なんて見せてないのに、あいつら目が合ってもいないのに声かけてきて——」

「あのな」

 聞いていられないと、言い訳を途中で遮る。押し黙った琴音の表情に微かに怯えが走った事にやや後悔しつつも、俺は続けた。

「別に絡まれたくらいで琴音を責めないぞ、俺は。責められると思うって事は、俺が毎回待ち合わせ場所で声かけられてたのも不満だったのか?」

「違う! けど……」

「けど何だ」

「……哉也、さっきからずっとぴりぴりしてる」

 ついに視線が落ちた琴音の指摘に、気付かず先程までの空気を引き摺っていた事を思い知らされた。

(……ったく)

 空瀬なぞの戯言にペースを崩されただなんて、不覚にも程がある。自身への苛立ちに小さく舌打ちして、ポケットに突っ込んだままだったスマホを差し出した。俯きがちなまま受け取った琴音の顎を掴み、軽く持ち上げる。


「空瀬との電話で苛ついていただけだ、琴音は悪くない。……誤解させて悪かった」


(まあ、琴音に男が纏わり付いているのも不快だったが)

 本音は心の中だけで留めた。また余計な誤解をされても困るし、何より口に出すのは恥ずかしい。


 俺の謝罪に、琴音が目を見開いた。数秒程固まった後、耳を朱くして飛び退く。一体何を想像したのやらと人の悪い笑みを浮かべれば、琴音は目元まで朱くして睨んできた。

「……哉也って時々翔そっくり」

「へー、翔にこんな事されたってか?」

「…………翔がそんなに近付いたら薬盛られる事警戒する」

「…………正しい」

 あの幼馴染みの接近を無条件に許せる奴など、自己防衛本能が致命的に欠損している咲希と翔が溺愛している義理の妹くらいだろう。俺も以前何度か痛い目に遭った。

「で、誤解は解けたか?」

「……うん。変な事言って、ごめんね」

(…………)

 まさかそこで殊勝に謝ってくるとは思わなかった。予想外の展開と未だ朱い顔に目を引かれて、一瞬固まる。

(……これで「琴音が絡まれるのを見るのが嫌だから、いつも先に来て待ってんだぞ」っつったら、どんな反応するだろうな)

 ちょっと、いや、かなり見てみたい気がしたが、自制が利くか危ういので自重した。夕方時の人が多い喫茶店でキスしたくなっても困る。

「謝る事じゃないだろ」

 よって、無難にそれだけ言ってコーヒーを飲み、内心を誤魔化すのだった。



***



 あの後場のぎこちなさは綺麗に拭い去られ、俺達はいつまでも会話していた。学校の事、生徒会の事、稽古の事。話題は限られている筈だが、琴音が色々なものに目を配り細かい事にも気が付く為、自ずと話は広がり、弾んでいく。

 会話はただの伝達手段。琴音と出会うまで、そう思っていた。情報収集以外の価値は無く、クラスメイトの雑談は機械的に整理し、使えそうなものだけを記憶する。用も無いのにだらだらと会話するのは、時間を持て余す馬鹿がする事だと思っていた。

 議論ではない、ただの会話。他者の視点から見た世界を窺い知る事が出来、それが存外面白いと思えたのは琴音のお陰だと素直に感謝している。


 時間はあっという間に過ぎ、陽が沈む。喫茶店を出てまた歩き、目に付いたイタリアンの店に入って夕食を共にした。そこそこ当たりで、美味しいと琴音が嬉しそうに食べるのが見ていて楽しかった。これも、琴音と出会ってから覚えた感情だ。


 夕食も終わり、琴音を家まで送る。時間を惜しんで歩きが鈍くなるが、いつまでも続けと思うもの程あっという間に終わるものだ。嘘のように早く着いた。


「今日はありがと」

「礼を言うってのも変な話だ」

「はは、そうだね。……楽しかった。これから、あんまり会えないだろうし」

「ああ、家か」

 『吉祥寺』は仏教の影響が強い。お盆に向けてまた手伝わされるのだろうかとそう尋ねれば、琴音はそれには首を振った。

「そうじゃなくて。……ほら、哉也、受験だろ? 勉強あるし、邪魔したら悪いから」

 予想外の言葉に目を見張る。周囲に街灯が少ないからか、俺の表情の変化に気付かず琴音は続けた。

「会えないのは寂しいけど、我慢する。でも、偶にはメールとか電話してもいい、かな」

 表情が見えないのはお互い様だが、平気を装う声や微妙に固い口調から、本気で寂しがっていると分かった。

(やれやれ……)

 妙な所で遠慮しいなのは一体何なのか。普段は空瀬を顎で使う程強引なくせに、時々驚く程引け腰だ。特に、こうして甘えてくる時は。

「ばーか」

 コツンと、軽く拳を頭に落とす。顔を上げた琴音に、肩をすくめて言ってやる。

「俺の成績知ってるだろうが。日がな一日中勉強なんて、今までちゃんとやってこなかった阿呆のする事だ。この俺がデートくらいで失敗する訳ないだろ」

「……全国の受験生を敵に回す発言だね」

「回しても構わねえよ。今まで全国1位は翔以外に譲った事ないぞ、俺は。これからも譲る気は無いけどな」

「本当に自信家だなあ」

 嘯けば、琴音が笑う。まだ微妙に蟠りがあるようなので、軽口を叩いた。

「受験生なのに碌に勉強せず受かると面倒くさい奴らの嫉妬を買いかねないから、そこそこ真面目にやるけどな。ったく、文句言うなら俺より上の順位取ってから言えよな」

「あはは、譲る気無いって言った側からそういう事言う?」

「文句言わせる気が無いからな、当然だろ」

 琴音がまた笑う。ようやく遠慮が抜けたらしい。不器用な恋人の頭を軽くかき混ぜた。

「……だから、変な遠慮するな。受験期にデートするなんて無遠慮だとか言われるんなら、遊んでも平気なくらい優秀な彼氏なんだって言っておけ」

「……もう、自分で優秀とか言ってるんじゃない……」

 言葉とは裏腹に声は嬉しそうだ。素直な甘えに、自然口元が緩む。

「優秀なのを優秀と言って何が悪い。大体、琴音に憚る必要はないだろ、生徒会長様?」

 春影高校の生徒会長は、1年次に外部模試含め最も優秀な成績を修めた者がなる。つまり、琴音も進学校のトップを張れる程頭が良いのだ。

「……哉也と同じで咲希が手を抜いたからだもの、1位なのは。冷や冷やしたけどさ」

「…………咲希は気にすんな、勉強出来るだけの馬鹿だ」


 俺達の代は翔と俺の一騎打ちだったが、俺が生徒会長になる気が欠片も無かったので、翔と協力して、外部模試は全力で争う代わりに内部の試験で点数を調整した。

 咲希も生徒会長には興味が無く琴音に意欲があったので、2人で点数調整していたらしいのだが、最終試験の数学で平均はがたっと落ちたのに咲希が満点近く取ったせいで点差が広がりすぎ、調整しきれず同点になったらしい。結局話し合いという形を取って何とかしたらしいが、器用貧乏ならぬ器用馬鹿らしいエピソードだ。


「とにかく。琴音に会えない理由が無いんだったら、今まで通りのペースで会うぞ。会いたくないって言うなら別だが」

「そんなわけないっ!」

 食いつき気味に否定して、我に返った琴音は赤面した。暗がりでも分かる朱い顔がこっちにまで伝染しそうだ。


(……はあ)

 反応がいちいち可愛い、と思ってしまう自分の脳の重症さにはほとほと呆れるが。幸か不幸か頭脳と人を使う力だけは信用出来る空瀬を駒として確保した訳だし、こうなったら全力で琴音の隣にいる権利を勝ち取ろうと心に決める。


「琴音」

「……何」

 引っかけにあっさり乗ってしまった事が余程悔しかったのか、琴音が拗ねたような声を出す。そんな声も可愛らしいと煮えた事を思いつつ、琴音が背にしていた塀に手を付いた。——琴音の顔の横に。

「ちょ、哉也……?」

 近くなった距離に狼狽した声を上げる琴音。この様子だと抱きしめるのはまだ先になりそうだとちらりと思ったがそれは表に出さず、目を合わせて真剣な口調で告げる。


「互いに厄介な身だ、これから何があるか分からないが。——何があっても、俺は琴音の隣にいる。それだけは忘れるな」


 言い切って、琴音だけに見せる笑顔を浮かべた。微かに息を呑んだ琴音は、顔の赤みを増しながらも頷く。

「……うん。私も隣にいるから、信じててね」

「当たり前だ。疑うよりまず邪魔者を排除するぞ、俺は」

「知ってるよ」


 そう言って笑う琴音の表情は、今までで1番綺麗だった。俺はまた少し笑って、そっと唇を重ねた。


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